さあ、幕を閉じようか

 ヴァンにはルークを作る代わりに誓いを立てたわけだから、ボクもそろそろ動かなくてはならない。アッシュにつけられた傷は癒えたようだし、もうルークも動いても大丈夫だろう。
 あまり気分じゃないけど、命令されたのだから仕方がない。そう割り切って、ボクはイオンレプリカの生き残りの一人の世話を焼いて、ヴァン他六神将の面々が待つアブソーブゲートへと連れて行った。
 惑星預言を詠ませるためだけに生かされているレプリカに、ボクは同情した。そんなことのためだけに今ここで惨めたらしく息を重ねているとは。最も、そんなこと、本人には分からないんだろうけど。
「シンク」
「…何」
「この子はどうするんだ?」
 いつもの仮面をつけて首を傾げたルークに、僅かに視線を逸らす。「さぁ。モースに訊いてよ」と言えば、答えはもらえないらしいと分かったルークは口を閉じた。
 エルドラントを守る結界の役目をしているプラネットストームを止めようと、向こうのルーク達もゲートに来ていた。入口で鉢合わせして構える。どうやら中で奴らを食い止めるはずのラルゴは逆に殺られたらしい。あいつともそれなりに長い期間同志だった。アリエッタも死んだし、ディストも多分死んだし、ここまでくれば、ボクらはどんどん欠けていくしかなくなるだろう。
 …今度は。ボクは、彼を、どうしようか。
「……これが。惑星オールドラントの、最後で、ある」
 導師イオンが詠んだあとの預言全てを詠み終えたレプリカが膝をついてうなだれると、化け物化しているモースは喚いた。そんなはずがないとかでたらめをいうなとか言ってレプリカを殴りつけようとし、そこへルークが割って入って庇って殴られた。向こうのルークではなくてこっちの、ボクのルークが。
 殴られた拍子に仮面が吹っ飛んで彼方に舞う。
「馬鹿っ、ルーク!」
 アッシュにやられた傷が癒えてほっとしてたのに、余計なことをして、また傷を作った。
 駆け寄ったボクにレプリカを庇ったルークがごめんなさいって顔をしながら起き上がって、レプリカに怪我がないことが分かるとほっとした顔をした。
 向こうも薄々は気付いてたんだろう。ルークの顔が曝け出されても大きな波紋はなかった。「何を勝手なことを」と怒るボクにルークは困ったように笑う。
「俺、シンクと同じ顔した子に、傷ついてほしくないよ。シンクが傷ついたみたいに思えるから」
「…っ」
 馬鹿だな。本当に。そうやって唇を噛み締めて彼を立たせ、手を引っぱって奴らから距離を取ると、向こうのルークが蹲ったままのレプリカに駆け寄った。
 その際、ローレライの宝玉の力に触れて、内に飼うローレライを制御できなくなったヴァンを連れ、ボクらは一度撤退した。
 モースの方も制御が利かなくなったらしいけど、あいつは別にいいだろう。リグレットも放っておくようだし、ならボクも放っておく。
 エルドラントに戻ったボクらがしたことは、レプリカ計画の推進。ディストを欠いた今多少の面倒くささと問題点は残るが、仕方がない。
 ヴァンが安定するまでの間にレプリカ計画の詳細を詰めた。
 何時間も会議室で向き合っていたボクとリグレットについてこれず、ルークは片隅のソファで寝息を立てている。休憩にパンをかじりながらその寝顔を眺めていると、シャワーを浴びて戻ってきたリグレットがそばに立った。視線をスライドさせて隣のリグレットを睨む。警戒心剥き出しのボクに、リグレットは肩を竦めただけだった。
「そのレプリカはどうする。このままそばに置けば、閣下に処分されることになるぞ」
 プラネットストームというシールドを失ったエルドラントに、近々キムラスカとマルクトの連合軍が攻撃を開始する。そうなれば向こうのルーク達がボクらを止めるために乗り込んでくるだろう。リグレットはその事実を踏まえ、あまつ奴らを排除したあとの話をしていた。けれど、ボクは、そんな未来はこないだろうことを予感していた。
 大して味のないパンを口に押し込む。
 もしもボクらが選ぶ未来が実現したとして。オリジナルが滅び、レプリカの大地にレプリカの人間が生きるようになったとして。そうしたら、ボクは。
 眠り続けるルークを眺め、咀嚼したパンを飲み込んだ。
(…ボクがいなくなったら。また、生きる意味がないって笑って、死ぬんだろ)
「心配しなくても、もう決めてるよ」
「…そうか。ならいいんだが」
 視線を外したリグレットが「さぁ、会議を再開しよう」と濡れた髪を払った。
 面倒くさいな、と思ったけど、仕方なく席に着く。ルークは視界の端で平和な顔で眠ったままだ。その現実が、ボクの心に平穏を運んでくる。
 ND2019。ルナリデーカン・イフリート・38の日。今のルークが生まれて四ヶ月と少し。
 リグレットの譜銃が遠くで火を吹く音を聞きながら、ボクとルークはヴァンのいる場所へと続く道の途中に大規模な譜陣を描いていた。
 もしも奴らがリグレットを征してここまで来た場合、ここで仕留められるようにと、ヴァンが命じたものだ。そうなった場合リグレットは死んでいるということになる。そんなことを淡々と命じるヴァンは、やっぱり狂ってる。
「シンクーできた」
 一つ剣を振ったルークに、足元にやっていた視線を上げる。「早いね。じゃあその隣。分かる?」「分かる」笑顔で頷いたルークは、今までで一番大きな仕事をやっている、ということに気付いているんだろうか。
 …奴らはここへ来るだろう。時間と労力と力を注ぐこの譜陣で殺られてくれればいい。けど、この譜陣すら突破されるようなら、ボクが相手をしないとならない。……そのときは。
 丁寧に仕上げた譜陣から離れ、ルークと二人で適当な瓦礫の向こうに身を潜める。
 ルークとの時間も、これで最後だ。
 見上げれば、どこまで青い空が広がっている。
「ねぇルーク」
「うん?」
「生まれてきたこと、後悔してない?」
 ボクと同じように空を見上げたルークの手を握る。同じ強さで握り返される。「どうかな。よく分からないけど。俺は…そうだな。シンクとこうしているの好きだから、生まれてよかったんじゃないかと思ってるよ」笑ってそう言うルークにはっと短く笑って、涙の滲んだ視界で空を睨みつけた。
 ああ。ボクも、気付くのが遅すぎたね。
 ヴァンのところになんていなくたってよかったんだ。ルーク、君を連れて逃げようと思えば。生きようと思えば。それがどれだけ困難でも、そうすることは、選び取れたんだ。
「シンク、泣いてるの?」
 きょとんとした顔のルークに薄く笑う。「泣いてないよ。目にゴミが入っただけだよ」なんて返して袖で目元をこすった。
(泣いてなんてない。泣いてなんてないよ)
 ぎゅっと目を閉じた瞼の裏に、今まで殺してきたルーク達が浮かんだ。
 ぼんやりした視界で空を見上げる。
 この大気の中に、第七音素の中に、彼らはいるだろうか。ボクも、彼らに溶けて消えることができるだろうか。少し心配だ。
 強く手を握られて視線を隣のルークに向ければ、彼はまっすぐな眼差しでボクを見ていた。
 さっきより近い場所で戦闘音がする。その音がここへ近づいているということは、リグレットは、殺られたということか。
「俺がシンクを守るよ。絶対に」
「…馬鹿言ってるなよ。ボクの足引っぱらなければそれでいいんだから」
「これからするのは大事な戦いなんだろ」
「それはそうだけど…」
 すとんと視線を落としたルークが「秘密だって言われてたんだけど。リグレット、出て行く前にさ、俺にね、シンクのそばにいてやれって言ったんだ。だから俺、絶対守りますって返したら、リグレット笑ってたよ」「…そ」ルークからついと視線を逸らしたボクは、リグレットの死を束の間悼んだ。
 あれでボクの心配もしてたんだろう。まぁ、余計なお世話なんだけどね。どうせボクもあんたの行くところへ行くし。
 握り合った手に視線をやって、その腕を辿るように視線を上げる。ぱちりと目が合った。淡い微笑みを浮かべる顔にはもう仮面はない。アブソーブゲートで弾かれたときにどこかにいってしまったから。
 噛みつくみたいなキスをしても、ルークは嫌がらないし、拒否しない。きっとそれすら分からない。彼にとってはボクが是であり、ボクが否だということが彼の否なのだ。
 ボクはルークのことが好きだった。
 きっと、今までのルーク達も、みんなみんな好きだった。
 好きだから望んだ。愚かなことだと分かっていながら。
 好きだから殺した。他の誰かの手にかかるくらいなら、その息を止めるのは、自分の手にしたかった。
 何度汚れても何度でも彼を望んだ。何度殺してもボクはまた彼を求めた。
 愚かだ。そして狂っている。
 それも。今日、ここで、終わる喜劇だ。
「…あー。せっかく時間かけた譜陣なのに……」
 ヴァンを倒すためにやって来たルーク一行の前に姿を現せば、ボクの隣にいるルークが至極残念そうにそう漏らしてうなだれた。緊張感の欠片もない彼に、はぁと息を吐く。
 ボクらのもとまで辿り着いたルーク一行は、第二超振動と思われる力でボクらが描いた譜陣を無効果した。同位体っていうのは計り知れない力を持つんだな、と思いつつばきと一つ手を鳴らす。
「そんな化け物みたいな力使われちゃ、ユリアの加護を受けたヴァンにも荷が重くなる。ここで大人しく鍵を渡してヴァンのもとに降るか、さっさとくたばるか。選んでよ」
 うなだれていたルークがぴくりと肩を揺らし、かしゃんと剣の柄に手を添えた。かりかりと引き抜かれていく剣を見て向こうのルークがやるせないって顔で頭を振る。「どっちもお断りだ」と。まぁ、そんなこと分かっちゃいたけどね。一応訊いてみただけで。
 向こうのルークがこっちのルークを見つめる。より色が白くて、赤毛が劣化した彼を。
「お前は…なんでそこにいるんだ」
「なんで? ってなんで」
 にこりと笑った彼は剣を抜き放ち、鞘を放り投げた。剣先をルークに向けて構え、「俺はシンクの味方だよ。ヴァン総長とか、正直どうでもいいし。レプリカ計画っていうのもどうでもいいかな」と笑ってボクに微笑みかけた。
 ああ全く。こんな場面じゃなきゃ、キスしてやるのに。
「…そういうことだけど。他になんかある?」
「シンク。聞かせてくれ。お前にはそいつがいるのに、どうしてここで、俺達と戦う必要があるんだ」
 ルークと同じ顔、同じ声、同じ姿の奴にそう言われて唇を噛んだ。言い訳ばかりが思い浮かぶ。ヴァンに拾い上げられたこととか、刷り込まれた憎しみとか、哀しみとか、その中で見つけた改良レプリカのルークへ感じた愛しさだとか。様々なものがぐちゃぐちゃに入り乱れて、もう。ボクは。
(疲れたんだよ。だから、終わらせるんだ。この連鎖を)
「恵まれたレプリカに、答える義理はないね」
 そうとだけ言って地面を蹴る。ボクだけを意識に入れているルークも同時に地を蹴った。
 二対六。結果は知れている。
 それでもボクとルークは戦った。文字通り、死に物狂いで戦った。
 向こうの戦力はこちらの三倍だ。簡単に勝てる相手でもない。こいつらにラルゴもリグレットも殺られたのだ。
 遠距離攻撃に近距離攻撃に譜術。全て防ぐことは難しく、ボクらは次第に傷つき、追い詰められた。
 この一日で大量の第七音素を消費したルークが糸が切れたように膝をついた、そこへ、もう一人のルークの剣が突っ込む。
(ダメだっ!!)
 自分の中で強い想いが爆発した。
 無理な方向転換をしたせいでガイの刀に片腕を斬り落とされたけど、そんなことどうだってよかった。
 は、と息を切らせて顔を上げたルークと、そのルークを斬ろうとするルークの間に滑り込み、ボクはローレライの剣に貫かれた。
 目をまん丸にしたルークがボクを見上げている。白いその頬に似合わない赤が、ボクの血が、彼の頬を汚していく。
「し、んく?」
「…ッ」
 喉を逆流してきた血で口の中が埋まった。
 ああくそ。やっぱり、痛いな。痛いのは、嫌だな。
 呆けていたルークを死霊使いの槍が貫く。今度は、もう庇えなかった。庇いたくても身体が動いてくれなかった。
 引き抜かれた剣に膝をついたボクは、何度も咳き込んで血を吐いて、倒れ込んだルークに手を伸ばした。
「る…く?」
 ずり、身体を引きずって隣に倒れ込む。
 今日での無理が祟ったことと、死霊使いの最後の一撃を受け、ルークの身体は音素解離を起こし始めていた。そして、この戦いで限界がきたボクの身体も、音素解離を起こしていた。
 消えていくんだ。ボクも。ルークも。
 淡い光をこぼしている彼が、薄目を開けてボクを見た。淡く笑うと「しんく」とボクを呼んで、血で汚れた手でボクの頬を撫でる。
「ひかってる。しんく」
「…ルークも、光ってるよ」
「え? …ああ、ほんとだ」
 自分の手を眺めたルークがおかしそうに笑ったから、ボクも笑った。
 もう立ち上がる力のないボクらを置いて、ルーク一行はヴァンのところへ向かった。後ろ髪を引かれるように振り返った向こうのルークに、血に沈むルークは笑いかけたようだった。
「ルーク」
「ん」
「ボクね。生まれた、こと。ずーっと、嫌だって思ってたんだ。ルークに会うまでは、ずっと」
 視線をずらしたルークがボクを見た。ボクらから溢れる光は眩くなる一方で、滴る血でさえ、いずれ消えることを示すように、光をこぼしている。そんな中で手を這わせ、ルークの手を握った。弱い力でボクの手を握り返すルークが笑っている。ボクの大好きな笑顔で。
「そ、か。おれ、シンクのこと、すくえ、た?」
「…そうだね。そうだよ。君が、ボクを、救った」
 満足そうに目を閉じたルークを見つめて、ボクも目を閉じた。
 もう少しも動けない。動こうとも思えない。
 ルークと握り合った手の感触さえ曖昧だ。
 …今までボクが殺してきたルーク達が見える。
(迎えに来たの。馬鹿だね。…ボクもだけど)
 君はきっと知らないままでいってしまった。
 ボクがずっと君を好きだったことも。ルークのことを愛してたことも。もう伝わらない。もう届かない。もう何も。
 強がるボクは臆病で。
 そのくせ胸を刺す痛みはどんどん増していって。
 君のいない世界が考えられなくて。
 ボクの都合で繰り返し作られる君に、
 とても、申し訳ないと思いながら。ボクは。
 どうしたい? と心の声に訊かれて、
 君が欲しい、と、ボクはまた、罪を一つを、この世界に生み落とした。
 フォミクリーを呪いながら、ヴァンを呪いながら、世界を憎みながら。
 君を殺すこの手を呪いながら、
 確かに、君を。愛したんだ。