おかしな子だと思った。それが僕の正直な、彼女に対する感想だ。
 雲雀恭弥が庇護しこだわる唯一の人間であり、けれど普通の中学生である彼女。名は。どこにでもありそうな名前だ。これといって身体的に特徴もなし。一度も染めていないのだろう黒い髪と墨色の瞳がきれいな日本人。
 名前といえば。彼女は最初に僕の名前を聞いたときに少し悲しそうな顔をした。
 六道骸、なんてどこにもなさそうな名前だったから、ではないだろう。名前に悲観を見出すような子ではないと僕も承知している。
 彼女について知っていることは雲雀恭弥には勝らないかもしれないが、恐らく彼が理解できない彼女を僕なら少しは理解できているのかもしれない、とも思う。
 彼女は。些細なことで、よく泣く。
「学校。遅れますよ」
 そうやって彼女に声をかけるのは恐らく何度目かになる。僕を振り返った彼女は、唐突に現れる僕にいつも驚くことなくただ少し眉尻を下げて困ったような悲しそうな、よく分からない微笑みを浮かべる。
 今彼女はその手に鳩を一羽抱いていた。
「鳩が、動かないんです」
「それはそうでしょうね。死んでいますから」
 彼女の隣に立ってその腕に抱かれている鳩を見下ろす。弛緩した身体、死体。彼女はそれを理解しているようで、その首がもげないように胴体を抱いて頭を掌に乗せるようにして。死んでいると理解していながら、その鳩を手離す様子はなかった。
「怪我、見当たらないんですけど。どうして死んだんでしょう」
「さぁ。僕にも分かりません」
「骸さん、この子に魂はありますか?」
「…分かりませんね」
 僕は肩を竦める。鳩に魂があるのかどうか? そんなこと気にしたこともなかったし気にしようとも思えない。彼女は全く持ってよく分からない子だ。弱肉強食の世界で鳩が一羽死ぬ、それがどうしたというのだろう。人は自分という種族以外は顧みない生き物だというのに。だからこそこの世界は死滅へ向かっていて、僕らのような存在さえがその歪みから生み出され。
 僕は彼女を見下ろした。道端に鞄を置いてしゃがみ込んでいる彼女。その腕に死んだ鳩を抱いて、彼女は今何を思っているのだろうか。
「埋葬。してもいいですかね」
「いいんじゃないでしょうか。学校には遅れますが」
 僕がそう言うと彼女は少し笑った。それは多分困った笑い方だった。僕は雲雀恭弥に庇護されている彼女の立場を考えてものを言っているつもりなのだけど、そういえば彼女はこんなふうにしか笑わない。
 それは望まず雲雀恭弥に庇護されているという事実からか。それとももっと別の何かからか。
 彼女が鞄を腕にかけて立ち上がる。鳩は死体となったまま彼女の腕で動くことはない。
「醜いとは思わないのですか」
「…何がですか?」
 僕を振り返った彼女。その手には鳩の死体。死体を抱く手は一体いかほどの思いで今その鳩を抱いているのか。
「こんな世界が」
 そう言えば、彼女が困ったように微笑んで首を傾けた。

 生まれて死んで生まれて死んで。命は続いて廻りに廻る。輪廻の果てからでも舞い戻る自分という存在が時折僕は疎ましくなる。続いて続いて途切れることのない命。時折僕はそれが悪あがきのように思えて醜く感じる。悪あがきなんてみっともないことなど続けずいっそすっぱりその喉を切ってしまえばいいのにと。
 紡がれる命という名の輪廻をすっぱり断ち切ってしまったら。少しはすっきりするのにと。

「私、目先のことで手一杯で。骸さんみたいにはできません。雲雀さんのようにも」
 さくりと土を踏んで歩き出しながら彼女がそう言う。僕はその背中を見つめた。どこにでもある背中。血を被ったことなどないのだろう汚れていない掌。それでも今は死体となった鳩を抱えているその腕。
「だから、私はきっと二人の考えが永遠に理解できなくて。理解できないまま死んでいくんだと思います」
「…分かるということと理解するということは違います」
 ぼそりとそう言うと、彼女が振り返った。「あなたは僕や雲雀恭弥を理解できないかもしれませんが。少なくとも何も分かっていないわけではない」と紡いだ自分の唇。
 彼女が一つ二つと瞬きして、それから多分初めて、少しだけ口元を緩めて嬉しそうな顔をした。
「何ならスコップくらい出しますよ」
「いいんです。骸さんに無理させるつもりはありません。これは私の勝手ですから」
 手を汚すことを厭わず、彼女は公園まで道を戻った。その間もその腕に鳩を抱えたまま。
 そこはいつかに訪れた場所だった。確か木が切られてしまったことで彼女が泣いた場所だ。木の声って分かるんですか、と呟いたいつかの彼女を思い出す。
 そこにはすでに切り株の姿さえなかった。公園は増築のため半分がビニールシートで区切られ覆われていて、やはりというか誰もいない。
 朝陽の眩しい中、彼女は植木のある花壇を掘り返し始めた。さっきの言葉通り埋葬するためだろう。植え込みの木と木の間の空間の空いた場所をその手で掘り返している。たった一羽の鳩のために、その手を汚して土まみれにして。
 僕は息を吐いた。こんなところ雲雀恭弥が見たら鳩の死体なんてその辺に放って彼女を庇護して、そう庇護して、まずは手を洗えとでも言うのだろうか。
「携帯。鳴ってますよ」
 鞄の中から聞こえる並盛の校歌。彼女が苦笑いして「いいんです。今はこの子を」と言って、ひたすら土をいじる。鳩を埋めるくらいの大きさとなれば結構な手間だろう。
 幸いだったのは昨日の雨でこちらの土がぬかるみ普段よりは少しやわらかいという点だろうか。そうでなくては、花壇の土とはいえ指だけで掘り返すのは難しい。
 僕は息を吐いて彼女のそばに膝をついた。手を伸ばして鳩に触れる。実体を伴わない僕の手は当然鳩をすり抜けた。感覚は少しも分からない。鳥の羽毛も、固い嘴も。少しだけ開いた、もう閉じることもない目も。
「あったかかったんです」
「何がです?」
「その子。きっとついさっき死んだんですね。まだ少しあったかいんです」
 ぽつりとそうこぼす彼女。ぽた、と髪に隠れた横顔から雫が落ちた。
 まただ。だから僕は息を吐く。
「ただの鳩でしょう」
「そうですけど」
「生きるものはいずれ死にます。当然のことです」
「そう、ですけど」
「君もいつかは、」
 言いかけて、そこで口を噤んだ。そんなことを言ってもどうしようもない。僕は自分に呆れた息を吐く。というか、何をここまで彼女に付き合っているんだろうか。暇潰しとはいえこの子は雲雀恭弥がこだわる唯一の子だ。洗脳の一つや二つ、しておいたって損にはならない。
 損にはならないけれど。だけど僕が触れれば確実に今の彼女は変わる。いい意味でも悪い意味でも、僕が手を出せば変わってしまう。
 そもそも僕はなぜこうまでして彼女に接触しているのだろうか。
「…少しだけですが。お手伝いしましょう」
「え、」
 顔を上げた彼女。その瞳から涙が散った。僕は黙って腕だけ実体化して彼女の手に掌を重ねた。体温。体温が分かる。
「少しだけですがね」
 言い訳するようにもう一度そうぼやいて、さくと土をすくい上げる。土の感触さえ久しぶりだった。けれどいつも踏みつけるそれに触れたところで何か思うことがあるわけでもない。土は土なのだから。
 もう片手で、試しに鳩の方にも触れてみた。彼女の言葉通りまだ少しあたたかかった。ついさっき死んだのだろう。そこを拾われるとは、この鳩は運がいいのか悪いのか。
 けれど少なくとも、腐って爛れて醜い死体となっていたよりは。彼女のあたたかい腕に抱かれてこうして埋葬された方がいくらかましというもの。

 彼女は。今。何を思って涙を流しているのだろうか。
 それは恐らく僕にも雲雀恭弥にも理解できないことなのかもしれない。僕も彼も皮肉なことに似た者同士、外れた者同士だ。常人ではない。だから常人である彼女のことが分からない。彼女はありふれた人で、何の能力もないのだ。
 一羽の鳩や一本の木のために泣く彼女は。僕や彼には持ち得ないものを持っている。僕にはそんな気がしてならない。彼女はただの常人なのに。いや、常人だからこそ持ち得るものもある、ということかもしれない。
「…君は馬鹿ですね」
「今更ですよ骸さん」
「そうですけど。改めて思いました。君は馬鹿です」
「…改めて言われても傷つきます」
「そうですね。すみません」
 謝ったら、彼女が瞬きして笑った。それは多分初めての笑顔だった。
「骸さんでも謝るんですね」
「失礼ですね」
「雲雀さんは謝りませんから」
「あんな男と一緒にしないでください。不愉快です」
「すみません」
 彼女が笑う。土で汚れた掌を見て、それをじゃぶじゃぶと適当に水道水で洗って。ハンカチで手を拭いて。うるさくてたまらない並盛校歌を流し続ける携帯に苦笑したように笑って「雲雀さんてしつこいですよね」と漏らして。僕は薄く笑った。そんなこと今更すぎる。
「そんな雲雀恭弥に庇護されて、迷惑していませんか」
「…どうでしょう。私が弱いのは事実ですし。強い雲雀さんに、感謝してないわけじゃないですから」
 ポケットにハンカチをしまった彼女。鞄を拾い上げてごそごそと探し出した携帯を手にする。一時でも実体化を伴ったせいで僕もそろそろ潮時だった。ジ、と自分がぶれるのが分かる。そろそろ限界。
 だから振り返る。彼女が一羽の鳩を埋めた場所に飾られた一輪のタンポポを。
 タンポポに花言葉はたくさんある。けれど彼女に当てはまると思えるものが一つ。
 ぴっと通話ボタンを押して「もしも『遅いよ僕が何回コールしたと思ってるの今どこ!』一方的に声を上げられて、彼女が苦笑いして僕を見た。僕はそんな彼女に思わず笑ってしまう。僕が敵だということ、忘れたわけではないだろうに。

(花言葉。さしずめあのタンポポの墓に似合うのは)

真 心 の 愛
(君に似合いすぎていて 思わず笑ってしまうような 言葉)