「流はさぁ。なんでなんて好きなんだろう?」
 ぼそっとぼやいた声は紫には届いてた。相変わらず女子が読みそうな雑誌に目を通していた紫がちらりと視線を寄越してくる。
「あら、興味があるの?」
 質問に質問で返してくる卑怯な紫から顔を背けて携帯ゲーム機をいじる。が買ってきたゲームはまぁまぁ面白い。レトロだけど。
「べっつに。なんか納得いかねーってだけ。だって、あいつそう強くないし? 頭いいわけでもないしさ。流が惹かれる理由、わかんないなーって」
「そうねぇ。確かに、ちゃんはフツウよね。私達って中にいればとくにフツウに映るわね」
「だろ? そんなフツーな奴をなんで流は好きになったんだよ」
 納得いかねーとゲーム機のスティックや十字キーをいじり倒す。
 昔の端末だからガチャガチャやったところで連続して操作を受け付けるわけもないポンコツは、一つ一つしか処理していけない。そういうレトロなところがたまに鬱陶しい。でも昔のゲームはそれはそれで面白いとこもあるからやってんだけど。
 紫が溜息を吐いて雑誌を閉じた。「気にしてるのね。流ちゃんがちゃんにキスしたこと」自分の唇に指を当ててみせる紫からさらに顔を背ける。
 思い出すのは、昨日のことだ。
 随分長いことアジトから出てったっきり連絡も寄越さなかったがふらりと帰ってきた。
 そのに流は『もうどこへも行くな』と言った。そして俺に『今度出て行こうとしたら捕まえろ』とも言った。そこまではよかった。そこまではフツーだと思えた。流だって王様だ。王様っぽくなくてもあいつは王様で、そういうワガママの一つや二つ、何もおかしなことだとは思わなかった。
 けど、そのあと、流はにキスをした。頬でも額でもない。唇に。そうすることに抵抗がないように、自然に、ためらいもなく。
 好きだと言ってた。あんなどこにでもいる奴のことが好きだと、何度もそう言ってた。
(納得がいかない。あんなフツウの奴のどこが好きなんだ。どこを好きになれるっていうんだ? 流は俺達の王様なのに)
 ポケットから携帯を取り出してJランカー権限でミッションを作って放り投げる。「スクナちゃん」それが苛立ちからきているただの八つ当たりミッションだってことがわかってる紫がうるさい。
 そういえば…と狭いアジトに視線を巡らせる。そう広くもないこの空間に流はいないし、の野郎もいない。イワさんがビール片手に夕飯の準備をしてるだけ。
「おっさん、流は?」
「イワさんだろガキンチョ。…流はなぁ、を部屋に連れ込んでんだよ。邪魔者は退散」
 包丁片手に肩を竦めたイワさんに紫は含み笑いをした。「あらあら、流ちゃんたら早急ね」「そりゃあ、14年ガマンしてんだ。溜まってるもんもあるんだろ」「イワさんはいいの? 一応流ちゃんの保護者の立場なんでしょう?」「あいつが望むなら、なんでもいいんじゃねぇか。反対する理由が今のところ見つからねぇしなぁ」俺を置いて流れていく会話に苛立ちを感じる。これだから大人は。
 携帯ゲーム機は自動セーブ機能がない。しっかりとセーブしてから電源を切って狭いアジトを飛び出す。「こらスクナ、邪魔すんなよ! 野暮ってもんだぞ!」「うるせーっ」流が寝室にしてる部屋のある空間まで、だだっ広い地下の暗闇を駆け抜けた。
(流がを連れ込んで、何してるって? 邪魔してやる)
 俺は流のことは認めてる。その力を見たことはまだないけど、流の夢が実現したら流と対戦できるようになる。それを目指して俺は流を手伝ってる。
 けど、あいつは? 与えられた力を使ってもせいぜいNかUのあいつにJランカーの俺が除け者にされるとか、マジないんだけど。あいつは流の指示に従わないし、ジャングルらしいこともしないし。そのあいつが贔屓されるとかありえねーし。
 流が部屋にしている殺風景な箱が見えた。金属みたいに硬質な光を放つ箱だ。
「あれ、こんなだっけな…」
 思わずぼやいてから扉の前で一度立ち止まる。
 …いや、こんなじゃなかったはずだけど。流は寝起きできる場所があればいいってこだわりのなさで、イワさん分のベッドと自分のベッド、その二つが並んでるだけの部屋だったはず。こんな異質だったら俺でも憶えてるし、印象が違ってるはず。
 そろりと手を伸ばしてノブを掴む。なんとなく、息を潜めて、そっとノブを回してみた。鍵がかかってる。…いつもならそんなのかかってないのに。

「ちょ……流…」

 扉越しにくぐもった声が聞こえた。だろう。
 箱の周りをぐるりとしてみたけど、正面の扉以外に出入りできそうなところはなかった。仕方なく扉に耳を押しつける。中で何してんだ二人は。

「君は『何故俺が君を好きなのか』と聞きましたね。回答します。俺が君を好きな理由は、とても簡単です」

 流の声だ。
 俺はぴったりと扉に顔をつけて耳をすました。
 流がを好きな理由。あんな凡人を好きな理由。男同士なのにそれすら越えて惹かれたという理由。俺もそれが知りたかった。

「14年前を憶えていますか。俺と君が出会ったときのことです」
「…なんだっけ。公園? だった気はするけど。そんな昔のこと憶えてないな」
「君は、あの頃、魔法の存在を信じて夢見る子供でした。なんとかそれを手にしたいと公園の展望台から空に手を伸ばしていたんです。
 俺が君に気がついたとき、空の向こうに夢見る世界があると確信しているように、君は、手すりから身を乗り出して、今にも落ちそうでした」
「……そーだっけ。全然憶えてないな。自分が何してたか、ってのは全然。そのあとお前が助けたんだってことは憶えてるけど」
「肯定です。
 案の定君はバランスを崩して手すりから滑り落ち、落下。俺が拘束具を解いて君をすくい上げるのがあと一秒遅ければ、君は脳髄をばら撒くような無残な死に方をしていたかもしれません」

 流との出会い方にふぅんとぼやく。流がヒーローじゃん。そりゃ、王様だし、その力の大きさを考えればそうなるか。

「君は、それまで『王』も『クラン』も関係ない一般人として生きていました。
 能力者に会ったのは俺が初めてだったのでしょう。力を解放したことにより現れた俺のダモクレスの剣を見て、君は、かっこいいと言いました。瞳をキラキラさせて。夢の体現を目撃したことに頬を紅潮させながら。
 そんなふうに俺と俺の力を肯定したのは君が初めてでした。
 俺はあのとき、とても嬉しかったんです。
 俺は緑の王になりました。一度死んだにもかかわらず、改変の力で生き続けることを選択しました。
 しかし、その足元は曖昧でした。これから自分で固めていかなければならない世界だとわかっていても、やはり、不安でした。
 俺はあのときまだ11の子供で、イワさんがいるとは言っても、イワさん以外は誰もいない状態でした。
 俺は、俺を肯定してくれる君に光を見たんです。全力で俺を肯定してくれる君は輝いていた。眩しかった。そんな君がいれば、俺の足元を明るく照らしてくれるような…そんな気がしたんです」
「…そうだっけ? もうよく憶えてない。あれから14年だぞ、流。オレは変わったんだよ。もう子供じゃない」
「肯定です。君は子供ではない。俺も、子供ではないです。だから」

 声が聞こえなくなった。…なんだ、何してんだ二人は。気になるぞ。
 なんとか中が覗けないものかと鉄の箱の周りをうろつく。やっぱり窓のようなものはない。中はどうなってるんだ。
 俺が無駄にウロウロしていると、ドタバタと荒い足音がした。さっと箱の陰に隠れる。
 バン、と中から扉が開いてなんでかジーパンが落ちかけてるが飛び出してきた。「無理っ、無理! お前は男でオレも男! 無理はものは無理っ!」なんかうるさく叫んでいる。…何してんだあいつ。
 箱の陰から胡乱げに眺めていると、流も出てきた。珍しく拘束具を解いてる。っていうか、裸だ。いやなんで。
「問題ないです。穴なら俺にもあります」
「問題大アリ! 異議アリ! 堂々としてないで服着なさい!」
 予想していなかった展開に頭がついていけない。さっきまで二人とも昔話してたんじゃないっけ? いや、流がを好きな理由の話じゃなかったっけ? あーもうわけわかんないな!
 流が伸ばした白い手にがひっと縮み上がって「無理なものは無理ーっ!」と叫びながらズボンを掴んで無理矢理走り出し、暗闇の中に消えていった。
 ぱたりと手を下ろした流が、なんだか泣いているように見えて、思わず声をかけそうになる。
 いやいや。盗み聞きしてた俺が声かけちゃダメだろ。バレるじゃん。そう思って我慢してたのに、「スクナ。フラレてしまいました」なんて言われた。…バレてるや。じゃあ隠れてても仕方ない。
 顔を出した俺は、とりあえず、流の部屋の中からバスローブを見つけて裸の流に着せてやった。風邪引くぞ。
「今の何? なんで流ハダカなわけ?」
「誘ってみたのです」
「何に?」
「セックスです」
 ぶっ、と吹き出して咳き込んだ俺に流が首を傾げた。「おかしいですか?」「い、いや、おかしいっていうか…」セックス。いや、俺だってガキじゃないし、それくらいわかるよ。あれだろ。男女がするやつ。具体的な想像はできないけど。
 なんでセックスって単語で俺の顔が熱くなるんだよ。ちくしょー。
 バスローブに袖を通した流がふうと息を吐いて部屋の中に戻ってきた。簡素なベッドに腰かけると足をプラプラさせ始める。
 普段『力を抑えるため』って言って拘束具をつけてる姿しか見たことないから、こうして自分の足で立って動いてる流は、ちょっと新鮮だ。
「おかしいです。引いてダメなら押してみろ、と紫に言われたのですが、押しても逃げられてしまいました」
「…アドバイザーがダメなんじゃん?」
「紫ではダメでしょうか? 俺達の中で一番色恋に強いと思ったのですが」
「そのへんは否定しないけどさぁ。紫って、一般男子的な思考してないだろ。はフツーの男子だぜ」
「そう、ですね。困りました…」
 こうして俺と会話しながらも、流は手を打ったらしい。ガシャアンとシャッターが落ちる音がして、ギャー、と悲鳴のような声が聞こえた。…だ。非常シャッターを駆使した流に捕まったのかな。
 流はバスローブから覗いている自分の身体を見下ろすと、「色気が足りないのでしょうか」とぽつりと口にする。
 俺はもうついていけなくて「わっかんねぇよそんなの」と溜息を吐く。
 なんで俺は裸の流に溜息吐いてんだろう。王様の新しい側面…って歓迎もできないな。あれだろ。ホモってやつだろ? 王様がホモかぁ。大丈夫かなジャングル…。
 紫がホモかは知らないけど、オネエだしさ。緑のクランが将来ホモの巣窟にならないことを祈るよ。
 そうだ。せっかく流と二人になったんだし、直接聞いてやろう。またとない機会だ。
「なー流。流はなんでのこと好きなんだ?」
 訊ねた俺に、流は不思議そうな顔でこっちを見てきた。「知りたいのですか?」「うん、まぁ」曖昧に頷いた俺にそうですかとこぼした流が天井を見上げる。何かを思い出すように目を閉じて。

「子供の頃、夢見る彼の瞳は輝いていました。俺はその眩しい顔がとても好きでした。
 手放しで俺を肯定してくれるその声が、存在が、彼のすべてが、俺にとっての宝物でした。それは、俺がどうやっても手にすることのできない輝きだったから。
 今のは、社会に慣れきったように見せていますが、それを壊して俺が創造する新しい世界に、どこか期待しています。俺にはわかるんです。
 ずっとそばにいました。彼を見てきました。様々なものを通して彼に触れてきました。彼は新しい夢を見たいと思っています。夢の世界を。俺は彼にそれを与える。そうして彼の顔が輝くのをそばで見ていたい。守ってあげたいのです。その夢と、夢の世界を」

 長い言葉に眉間に皺が寄る。つまりどういうことだ。わかんないぞ。「…えっと、つまり? 簡単に言うと?」「一言で言うなら、俺は彼のすべてが愛しいのです。ただそれだけです」笑みすら浮かべてみせる流の言葉はやっぱりわからなかった。しっくりこなかった。それならまだ紫が好きだって言われた方が納得できるってもんだ。
 釈然としない俺の端末に着信が鳴った。マップが表示されている。「スクナ、を連れてきてください。少し先で捕まえていますから」の顔アイコンと現在地…。
 まったく、しょうがないなぁ流は。
「へいへい」
 流の頼みに、俺は仕方なく鉄の箱から出てブーツを鳴らした。
(流の頼みだしな。恨むなよな
ゆめのひと