私はミツバと親しかった。というのも周りには他に同世代くらいの女の子がいなかったのだ。男ならその辺にごろごろしてるんだけど、一女の子である私がどうやって男の群れの中にいけると。そんなわけで私はほぼ毎日逃げるようにしてミツバのところに転がり込んで、少し病弱気味な彼女のために家の家事を手伝ったり一緒に買い物に行ったりして日々を過ごしていた。 彼女に弟がいる、と知ったのはつい最近。その弟くんは総悟という名前で、ミツバは弟くんのことをそーちゃんと呼んでいるらしい。 辛いもの好きのミツバがあんみつにタバスコを大量にかけているちょっと常人離れした光景を見つつ、その弟くんとやらを思い浮かべてみた。そーちゃん。弟。こんなおしとやかな、でもちょっと変わった面もあるミツバの弟なら、それは…どんな感じだろうか。 果たしてその真相を探るべく、私はいつもより長く沖田家に居座らせてもらった。ちょっと見てちょっと話してああなるほど、これがミツバの弟くんねと納得できればそれでよかった。 「…あれぇ」 がしかし。日が暮れて、今日はあったかいからと干していたお布団なんかも全部取り込み、ミツバが夕飯の準備をし始めた。その頃になっても、玄関が見える縁側に腰かけてる私の視界には弟くんは確認できなかった。 確か習い事をしてて、それが刀の稽古で、このくらいの時間なら帰ってきてもいい頃。だと思うんだけど。 うーんおかしいなぁと首を捻りつつ、台所方面からなんだか激辛なにおいが漂ってきたから慌てて立ち上がった。ちょ、まさかタバスコとか七味とか入れてないでしょうねミツバは! 「ミツバそれ待って! 私食べれない、そんな辛いの無理無理っ」 「あらそう? おいしいのに」 「できれば遠慮したいですはい…」 七味唐辛子タバスコ激辛印のキムチその他、辛いものがごろごろしてるキッチンに飛び込んでぎりぎりのところで何とか阻止。不思議そうな顔をしてるミツバが「そーちゃんには会えた?」と言うから緩く首を振った。会えるどころか影も形もない。 激辛味噌汁になるところだった普通の味噌汁。でもミツバはそれにどこか不満そうだ。ここから離れたらそれこそ彼女の手にあるキムチがどばどば投入されそうな…。 仕方ない。私は吐息して、彼女の激辛調理を阻止すべく台所の入り口に居座ることにした。ミツバの調理に注意しつつ弟くんの帰りを引き続き待ってみる。 そろそろご飯時なんだから、いくら男の子だってお腹すかせて帰ってくるはず。 「……あれぇー」 すっかり陽が沈んで。いつの間にか私もご飯数に数えられていて、ちゃっかり用意された三人分の食事。激辛を何とか取り除いた、普通のお味噌汁に混ぜご飯にお漬物に焼き魚。ミツバの手元にはちゃっかり激辛用品が揃っている。そんな夕飯用意ばっちりオーケーな時間になっても弟くんは現れなかった。というかちゃんと帰ってきてるのかどうかも不明。だから私はちょっと心配になってきて、「弟くんだいじょぶかな。何なら私迎えに、」「あら、だいじょぶよぉ。そーちゃんもう帰ってきてるもの」「…え?」のんびりとそう言う彼女に私は目を瞬かせた。 (え、いやだって。私玄関意識してたし、物音意識してたし。人の声とかももちろん気にしてたんだけど…?) むむと眉根を寄せる私の横で、のんびりした声でミツバが言う。「そろそろ出てらっしゃいそーちゃん」と。 そうしたらからりとふすまの開く音がしたではないか。ということはそーちゃんはいたわけだ、なんだ。心配して損した。というか一体いつ帰ってきてたのか君はただいまくらい言わないのかいと問い詰めたいくらいの私は背中側からの足音に振り返ろうとして、だけどべしとなぜか後ろから頬を挟まれた。まだ小さい手で。多分、弟くんの手で。 …待て。一体何がしたい弟くんよ。これじゃ私振り返ることができないんですけど。それでもって君を見ることができないんですけど。 「ちょっと。何これ、この手。そーちゃん?」 「そう呼んでいいのは姉上だけだ」 「さいですか。じゃあ総悟くん?」 「…びみょー。だけど許す」 なんだか上の物言い。納得いかないながらいい加減頬を挟むのやめてもらえないだろうかとその手に手をかけて剥がそうとした。だけど案外ぎっちり頬を挟まれてて動かなかった。 …こら。何がしたい弟くんよ。 「ちょっと。ご飯だよ総悟くん、ご飯。あなた私の前の席」 「やだ」 「やだって何やだって。今日は激辛じゃないふつーのお料理。冷めるでしょ、手離しなさい」 「い・や・だ」 「…もー」 溜息を吐いてミツバに助けを求める視線を送れば、彼女はすでに食事を開始していた。せっかくのお味噌汁にどばどばとタバスコが投入され、焼き魚には七味がふんだんに振りかけられ、混ぜご飯にはカットされてる唐辛子がぽろぽろと飾りつけされている。食べたら…どうなるのあれは。辛いだけじゃすまないよあれは。 だけどミツバ自身は大変満足という顔をしていたので、まぁいいかとそこは諦めることにした。 で、今の問題は、だ。ぎぎぎと力を入れて弟くんの手を剥がそうにもなかなか剥がれない。むしろ抵抗して力が増してる気がする。一体何がしたい弟くんよ、これだと私ご飯食べれないよ。新手の嫌がらせかこれは。 「総悟くーん、お願いだから手を離していただけないかな」 「やだ」 「…もー、ミツバー」 私じゃ無理だな。そう思ってミツバを呼んでみる。今気付いたとばかりにこっちを見た彼女が「こらそーちゃん、お客様にそんなことしちゃいけません。ご飯冷めるでしょう、食べなさい」と言う。それで呆気なくというか頬を挟んで動かなかった手が離れた。ぱっと、あっさり。 それですたすた私の後ろから向かい側に歩いてくその弟くん。ようやく視界に入れたその姿は、ミツバと同じやわらかい髪色をしたきれいめな顔をした子だった。 ああなるほど、この姉弟はよく似てるんだな、外見が。それとなく納得しつつ、私があんなに離してくれと言ってもきかなかったのにミツバの一言で手を離すとは。なんて考える自分もいる。 (いやでもね、色々おかしいよ。なんで今日まで私弟くんの姿見たことなかったのかな。ミツバの家にはそれなりに出入りしてたはずだし、すれ違うくらいしてもおかしくないのに) ご飯の最中うーんと考えてたけど、それで答えが出るわけもなく。 早々に食べ終わった弟くんが席を立つ。「ごちそうさまでした」と。 それまでそれなりに会話してた私とミツバ。弟くんとは結局まともに喋らずじまいだった、というか君私と目も合わせようとしないねそんなにおねーちゃん取られていやかい。とか思ってたらミツバがむんずと弟くんの着物を掴んでにっこり一言。 「お待ちなさいそーちゃん」 「な、なんです姉上」 「ちゃーんとにご挨拶して。さっぱり顔見てないでしょうあなた」 「いいんだい、離してよ姉上っ」 「いけません」 じたばたする弟くんの首根っこを捕まえてずいとこっちに差し出すミツバに私はちょっと怖いものを感じた。にこやかないつもの笑顔なんだけど、有無言わさず問答無用。まるでタバスコや唐辛子を料理にどばどばかけてるあの様子にもそっくりなような。 それでやっとまともに顔が合った弟くんは、やっぱりミツバに似てかわいらしい顔をしていた。 なんというか、やっぱりね。いいな、私もそのくらいかわいい顔がよかったな。 ばっちり目が合って数秒。ぷいと顔を背けた弟くんが「……姉上。逃げないんで離してください」とぼやくように言って、そんな弟くんにミツバは溜息を吐いて「手のかかる子ねぇ」と漏らしてぱっと手を離した。で、どたんとテーブルに突っ伏す弟くん。重力のごとし。 あれ、ミツバ今のはちょっと急で弟くん痛がってるんじゃ。そんな私の思いとは裏腹にぶつけたんだろう鼻頭を押さえつつ弟くんが睨むように私を見る。 なんだ、やるってか。きれいなおねーちゃんといつも一緒で悪うございましたね。 「あんた」 「です。年上にあんたなんて言わないのー」 「うるせぇ俺の勝手だい」 「…で? 私が何かな、総悟くん」 首を傾ける。私に話しかけたからには何か言いたいことでもあるんだろうと思って。だけどテーブルを睨むようにしていた弟くんがぼそりと漏らしたのは「髪」という一言。だからはてと首を傾げる。髪が、なんだって? 「あんたのその黒い髪」 「ああ、これ。が?」 自分の長い黒髪に手をやった。ちゃんと結ってないし今日は背中に流したままの髪だ。ほんとなら結った方がいいんだろうけど、私はどうにもあれが苦手で。だから今日も今日とて背中に流したまま、櫛の通っただけの髪を顔先に持ってきてつまんで遊ぶ。もうちょっと手入れ、した方がいいかな。 思い切った感じで顔を上げた弟くんが「きれいだと思った。以上っ」と声を上げてがったんと勢いよくテーブルを飛び降り足音荒く廊下を走り去っていく。 あっという間すぎて、私はぱちぱちと瞬きした。ミツバがくすくすと一人笑っている。 きれいだと思ったっていうのは褒められたということなんだろうけど、なんだかしっくりこない。答えを求めてミツバを見れば、彼女は私に小さくウインクしてみせた。 「そーちゃんに秘密って言われてたから今まで黙ってたんだけどね。あなたが家にくるとき、だいたいいたのよ。あの子」 「うっそ」 「ほんと。ただ隠れてただけなのよ」 「えー、さっぱり分かんなかった……っていうか。なぜに? なんで隠れる必要があるの?」 「それはあれよぉ、きっと思春期だから、恥ずかしかったのね」 いまいち容量を得ない。うーんと首を捻って「隠れるのに思春期とか…いや、よく分かんないんだけどミツバ。つまり?」「そこからは内緒よー。そーちゃん本人に訊いてちょうだい」「…訊いてちょうだいって言われても」頬を挟んでがっちり動かなかった弟くんの手を思い出した。どう考えても私の問いかけでは何も答えてくれない気がする。今日もミツバが全部。 (…ん?) そういえば。がっちり頬を挟まれてた、そう思ってたわりには痛いとか思わなかったなぁ。頬だからかな。多分、そうか。 一人首を捻って考え込む私を置いて立ち上がったミツバ。「さぁお茶を淹れますねー」と言って台所に消えていく姿に「はーい」と返してうーんとまた一人考え込む。だからなんで思春期で隠れる? 思春期ってのはほら、恋したり恋したり恋したりする時期のことじゃないか一般的に。そこにかくれんぼは当てはまらないような。 それで考え込んでた私の前にことんと置かれた湯飲みと注がれたお茶。はっとする。しまった、ミツバに任せてしまった。このお茶はもしかしなくとも。 「あの…ミツバ、このお茶って」 「スパイスに唐辛子がたっぷりよ。食後にぴったり」 にっこり笑顔でそう言われて背筋がひきつるのを感じた。ごくんと唾を飲み込んで湯飲みを見やる。見れば確かにカットされた唐辛子がいくつも底に沈んでいるのが見える。ここは覚悟して飲むしか…ないか。 |