雑貨屋を営んでいた私のところにちょくちょく顔を出していた人がいた。真選組の沖田総悟という同い年くらいの人で、たまにふらっとやってきては色んなものをまとめ買いしていく。そのおかげでというか江戸の端っこにある私の店は細々とでも経営を続けられていた。
 今月もやってきたその人は、私お手製のアイマスクを手にして呆れ顔をして目を細くした。
「あんたァ面白いセンスしてるぜ。なんでアイマスクに目ェつけるかな」
「だって普通じゃつまらないでしょう? せっかく作るならユーモアがある方が面白いかなと思って」
「…ってことはこれアンタの手作りですかィ」
「雑貨屋だもの。毎月一つ新作を出すのが売りなの」
 ふーん、と興味なさそうにぼやいた相手はその顔のままポイポイとアイマスクをカゴに入れた。その他どこでも買えそうな酒のつまみと、これもどこでも流通しているミネラルウォーターなどなど、その辺りのスーパーに置いてありそうなものでカゴを一杯にしていく。
 アイマスクを十個も買ってどうするのかと思ったけど、おかげで夜鍋して作成した今月の新作が完売した。
さっそく色素の薄い茶色の髪の頭に私の赤いアイマスクをつける彼を眺めつつ、お会計をすませる。…これで今月も赤字にならなくてすみそうだ。ありがたい。このお店はこの人のおかげでもってるようなものだ。
 紙袋に荷物をまとめる私に、待っている間暇なのだろう、その人は他愛のない会話をするように言葉を投げてくる。
「今月もやっていけそうかィ」
「おかげさまで」
「誰のおかげでさァ?」
「沖田さんのおかげ」
「沖田様って呼んでくれてもいいんですぜィ」
「沖田様のおかげで今月も安泰です。ありがとうございます」
「…ちぇ。つまんねェ」
 テキパキ紙袋二つに荷物をまとめた私に軽く舌打ちした彼は、そう残してさっさとお店を出て行った。
 それが常連客である沖田総悟という人で、私の知る彼のおおよその姿である。
 真選組の隊員の中でも実力のある若手だと聞いているけど、その実、私は彼を知らない。お店で接するときはお客さんとしてだし、真選組に厄介になるようなことには手を出したこともないから、私は彼をお客さんとしてか噂としてしか知らないのだ。
 夜、パチパチとそろばんを弾いて今日の売上ほとんどである彼のお金を数える。
 …あんなにアイマスクを買っていったけど一人で全部使う気だろうか。まぁ、いいんだけど。大事に使ってくれてるかなぁ。それだけが心配だ。せっかく夜鍋して作ったんだから、粗末にはしてほしくないな。
 そんなことを思いながら、いつものように一人床についた。
 母が死んでもう一年だ。いい加減一人の夜にも慣れたし、一人でお店をやっていくことにも慣れた。一人で眠るいつもの夜。窓の外からは繁華街の喧騒が遠く聞こえていて、音はあるから、寂しくはない。
 その日もいつもと同じだった。いつもの時間に店のシャッターを開けてお店の前だけでも掃き掃除をして気持ちきれいにして、店内の陳列を見直して、足りてないものは補充して。全くいつも通りの一日が始まったところだったのに、その日、彼は突然やってきた。ついこの間来たばかりだ。いつも顔や声を忘れ始めた頃にやってくる人なのに。
 彼は、お店に駆け込むなり私のところにやってきて強い力で肩を掴んできた。え? え? と目を白黒させる私を肩を上下させながら見つめたあと「アンタは平気か」とぼやくその言葉の意味が分からず首を傾げる。平気って、何が。
(…そういえば、彼のこんなに慌てた顔は初めて見た)
 いつも飄々としていて何でも軽く接する人だった。素の自分を見せない人だった、とも言える。ここに来る彼がどの程度本当だったのかも知らない。少なくともいつも余裕があってピンチになんて追い込まれたことはないって風を吹かせていた。
 でも、今の彼は違う。慌てている。焦っている。らしくもなく息を乱したりして一体どうしたのだろう。
「今すぐ店をたため」
 一瞬、頭が真っ白になった。何を言われたのか分からなくて。いや、彼の放った言葉を理解したくなくて、一時的に頭が都合よく麻痺したのかもしれない。
「…はい?」
 絞り出した声は掠れていた。
 他の誰かに言われるなら、まだいい。冷やかしだけのおばさんに言われたって気にしない。お酒を一本買っていくだけのおじさんに言われたって気にしない。それが私を案ずる言葉でも、母が遺した店だから、と笑っていただろう。
 でも。この店に一番貢献しているあなたには、言われたくない言葉だった。
 毎月必ず来てくれていた。一度も口にされたことはなかったけれど、毎月の新作を楽しみにしてくれているようだと感じていた。だから私も頑張っていた。あなたをがっかりさせないように、努力の跡くらいは分かるように、ない頭を絞る勢いでアイデアを出して手作り商品を作ってきた。あなたはちゃんと買っていってくれた。一人でそんなに買っていってどうするのっていうくらい。
 江戸の端で細々と雑貨屋を続ける私を応援してくれているんだろうって思ってた。
 肩を掴んでいる手を振り払う。強い力だったけど意地で引き剥がした。「嫌」簡潔に一言、意志を口にする。
 誰にでも言ってきた。もっとやわらかい言葉で。でも、遠回しでもなく率直に言ってきたあなたには私も率直に返そう。
 瞳を細くして私を見下ろした彼はそうかィとぼやいて視界から消えた。と、思っただけで、実際には私の視界には捉えきれない速さで私の背後を取って首に手刀を打ち込んでいた。
 あっさり意識を失った私は、見憶えのない場所で目を覚ました。
 窓のない部屋。扉は二枚。一つは木製で、開けてみると洗面所に繋がっていた。さらにガラス戸で浴室、もう一つは木製の扉でトイレだった。
 あとは、扉がもう一つ。これだけ明らかに異質で、鉄の色をしていた。ここが外と繋がっているのだろうけどボタンのようなものはないし、叩いてもビクともしない。「あの、誰か」扉の向こうに誰かいやしないかと声を張り上げたけど、そもそも扉に耳を当てても向こうの音が聞こえなかった。ということは、こちらの声は同じだけ外には聞こえていないに違いない。
 ずき、と痛む首に手をやって気付く。…湿布に、包帯が巻かれている。
 私、あの人に、攫われたんだろうか。どうして。なんで。店をたためって言われて嫌って返しただけ、なのに。
(何が、どうなってるの…?)
 半ば呆然と鉄の扉を見上げる。触れても冷たいだけで、耳を当てても音は聞こえてこない。「誰か?」声をかけたところで返答はなく、この閉じた部屋には私だけがいて、私をここへ放り込んだのだろう彼の姿もない。
 ……随分とあとになって知ったのだけど。私が閉じ込められたこの頃、江戸を中心にある奇病が広がっていたらしい。感染経路も予防法も治療法もないというその殺人ウイルスから私を遠ざけるため、彼は私をここへ閉じ込めたのだという。
 ということを本人に確認したらものすごく顔を顰められた。
「誰に聞いたんだ」
 気付いたら抜けていた江戸っ子口調。それが、江戸がそれだけ死んでいるということの証明という気もした。「土方さん」答えると、あの野郎、と低い声でかつての上司を毒づいた彼はそっぽを向いて髪紐を解いた。細くて明るい茶色の髪が空気に踊る。
 不機嫌そうだけど、何も誤魔化さないところを見るに、どうやらその話は本当のことのようだ。
 でも、それが真実だったとして、まだ腑に落ちないことがある。
 その殺人ウイルスうんぬんはそういうものであると呑み込むとしよう。天人という未知の人達が出入りしている江戸なのだから、その関係で未知のウイルスが持ち込まれても不思議はないというのもある。不思議なのは、土方さんにドSのクソガキと言われる彼が私なんかを助けるためになぜここまでしたのかということだ。
 言葉で仕掛けるだけ彼には無意味だと長い経験から理解していたので、黙ってじっと見つめた。視線に気付いた赤い瞳がスライドして私を見つめ返す。
 …こうして見ると、改めて思うけど。なかなかにかっこいい顔をしている。

 ここに閉じ込められて、一切外に出られなくて、最初は反抗した。でも、どんな言葉も取り合わないで、話をすれば言葉巧みに逃げられる。
 乱暴をされるわけでもないし、無下にされるわけでもない。ご飯は用意されるしお風呂も入れるし、生活には困らない待遇。ただ外に出られないだけで。
 だから、こっそり訪ねてきた土方さんにその理由を聞いて。彼が何も説明せず私をここへ閉じ込めた理由を聞かされて、なんだかじんわりしたものだ。
 沖田総悟という人が自分勝手な人だという事実は変わらないし、私が同意もないまま閉じ込められているという現実も変わらないけれど。それがただの横暴でないのなら、まだ、いいかなって。
 あいつなりに想っての行動なんだよ。すまねぇな。そう言って頭を下げた土方さんに、私は困った顔で笑うことしかできなかった。
 怒れなかった。そんな話を聞いてしまったら、もう、怒ることなんてできなかった。

 無造作に伸びた腕が赤い着物の袖を揺らした。今や江戸の治安を守る人ではなくなった、人斬りの異名を持つ手は、その名のわりに白いままだ。きっと数えきれないほどの人を斬ってきたんだろうに、少し硬いだけで私と同じ形の掌が頬を滑る。
「それが真実だったとして、どうする? まだ『ここから出せ』『外に行きたい』って喚くか?」
 瞳を細くする彼に、少し考えてみる。
 外は危ない病気で溢れているらしい。でも、感染法、予防法の確立されていない病に対して、私をここに閉じ込めていることは、果たして感染予防の幾ばくかになっているのだろうか。
「感染経路が分からないんでしょう?」
「そうだな」
「病に対しての予防法も、治療法もないんでしょう?」
「今のところは」
「…じゃあ、私がここにいても、あまり意味がないんじゃないの?」
 そう言うと、彼はふっと表情を緩めて笑った。そうすると少し幼く見える顔立ちで「そうだな。意味がないかもしれない。これは俺の自己満足で気休めだ」と言い切る。…分かってはいたけど、悪びれもせず言われると面白くない。おかげで私はあなた以外とまともに接していない。ここに来るのはせいぜい土方さんがたまにくらいで、あとはあなたばっかり。これじゃあせっかくお店に立つようになって会得したスキルの色々なものを忘れていくばかりだ。
「私が、それでも外に出たいって言ったら、出してくれるの?」
 訊ねると、赤い瞳が猫みたいに細くなった。と思ったら畳の床に背中から倒れていて、遅れて空気がふわっと通り過ぎる。私を押し倒した彼は猫みたいに細い瞳のままで、笑顔を浮かべてはいるけど、笑ってはいない。
 パラパラと落ちてきた明るい茶色の髪が頬を叩いた。
 髪が、随分伸びた。近藤さんがちょっと失敗して幕府に捕まって、それから伸ばし始めた髪は、彼を取り戻したら切るのだと言っていた。
「そんなこと許すと思うか? それができるなら、最初からこうはなってないと思わないか?」
 笑っている声なのに、ちっとも感情がこもっていない、冷たい声。私に最初から選択肢などないのだと言う声に唇を尖らせる。
 思ったよ。それができるならあなたは最初から私をここへ閉じ込めたりしなかったろうって。だから、私はその白詛という病気が地上からなくなるまで、ずっとここにいるんだろうって、思ったよ。
 だけど、あなたが私を庇護する理由が、私が思っているものだとしたら。仕方がないないかなとも思ったんだ。
「どうして、私に死んでほしくないの?」
 結局自分からは言ってくれないようなので、誤魔化されることを覚悟しながら慎重に訊ねた。一つ瞬いた彼が笑う。意地悪な顔だ。「なんでだと思う?」ほら、こういうのが常だ。毎度毎度私が訊いてるのになんでか問い返されて、それを続けるうちにはぐらかされている。
 むんず、と長い髪をつまんで引っぱった。「私が訊いてるんだけど」「当ててみせろよ。簡単だろ」「はぁ?」ちっとも何もどこも簡単じゃない。
 くそぅと髪を引っぱり続けて、抵抗するでもなく畳に手をついて顔を寄せてくる彼に、意地で髪を引っぱり続けたら、呆気なく唇が重なった。
 人の息が肌に触れる。
 笑うでもなく嘲笑うでもない至近距離の赤い瞳を見つめ返して、キスしてるのか、と気付く。
 あっさり重なった唇はあっさりと離れた。「これでまだ分かんないってんならアンタは阿呆だな」と言って何事もなかったように立ち上がる赤い着物と白い袴姿を見上げる。
 ああ、そうか。やっぱりそうか。そうなんだ。じゃあ、私は余計にあなたのことを怒れないね。
 私が死ぬのを怖いって恐れてここへと閉じ込めたあなたに、私のことを想ってくれてるあなたに、強いことなんて言えないね。そんなに大切に想われているなら、それが不器用で自分勝手な方法だとしても、文句、言えないや。
「…もうあったかいのに、まだしてるの? マフラー」
 鉄の扉の前に立った彼に声を投げる。私があまりに暇だから作ってあげたマフラーだ。
 赤い袖を揺らしながらマフラーを払った彼がひらひら手を振って「普段一緒にいられねェんだ。外ではコイツで我慢してんだよ」と卑怯なことを言って扉の向こうに出て行った。バシュ、と音を立ててすぐに閉じた扉がロックされる音が響く。
「……くそぅ」
 寝転んだままぺたりと顔に両手を当てる。
 くそぅ。彼の身勝手な自己満足のせいで私はこんな場所に長いこと閉じ込められているのにな。怒れないな。私を失くすことが怖いと思っている彼に『それでも外へ行きたい』なんて言えないな。
 あの日、ガラにもなく慌てて焦った顔をしていた。白詛が横行し始めてあの人は真っ先に私のところに駆けつけて無事を確かめた。私に『病気から逃げろ』という意味で店をたためと言った。そんなことだとは知らなくて拒絶した私を無理矢理にでも攫って、憎まれ役を買ってでも、私の無事を優先した。
 くそぅ。土方さんは生意気なクソガキだって言ってたけど、私にとっては、同じ生意気でも、全然意味が違ってくる。
 ついさっき、少し触れただけの体温を思って唇に指を当てる。
「人のファーストキスを同意もなく…総悟め」
 涼しい顔して出て行った横顔を思い出して、自分勝手な彼にバタバタと手足をバタつかせ、早々に布団に潜り込んでふっと提灯の灯りを吹き消した。
 自分の中であなたの位置が定まらずにふわふわしていたけど。決めた。これからは総悟って名前で呼んでやるんだから。