盲目的に繋がりたい

 宇宙から空飛ぶ喋る機械に乗ってやってきた人がいる。
 直接話をしたことがあるというエイミーから聞かなくても、人から人へと漂ってきたその噂は私に耳にも届いていた。見たこともない大きな空飛ぶ機械と、それに乗っているという少年の話。最近はみんなその話でもちきりで、むしろ耳に入れるなという方が無理な話だ。
 実際に見たことはないけど、噂ならたくさん知っている。
 空飛ぶ機械。それに乗る言葉の通じない少年。彼との対話を可能としているのは機械の方で、それは大きな人の形をしていて、空を飛んで、おまけに喋るのだという。
 そして、その機械が海賊の船団を殲滅したという怖い話。それから、報復にやって来た海賊を追い返したという話。
 その気になれば彼らはこのガルガンティアも沈められる、なんて誰が言い出したのか。
 海に漂い、同じ毎日を送る刺激の少ない日々を過ごす私達には、それはとても大きな変化であり、同時に、格好の話のネタであり、そして、畏怖の念が大きく込められていた。
 トン、と大きな包丁で魚の頭を切り落とす。切り身にさばいてくれと言ったお客さんの要望通りに手早く仕上げ、商品を渡し、代金を受け取る。
 これが私のガルガンティアでの日常。
 だからこそ、それは私には関係のないことだ。
ちゃん聞いた? 半魚人の話!」
「はんぎょ…?」
「ほらぁ、エイミーちゃんなんか人質にされたりしたじゃないの。話聞いてないの?」
「ああ…。私達と変わらないくらいの色白の男の子だった、って言ってました」
「あらそうなの? 半分魚ってよりはいいわね。この間は海賊船を追い払ってくれたことだしねぇ」
 上機嫌なおばさんに相槌を打つみたいに会話を繋げるけど、私の意識はその話にはない。どう会話を運んだらおばさんがこれもいただくわって言ってくれるかな、と会話から商売の糸口を探している。
 確かに私はその男の子と同じ場所にいる。ガルガンティアの船上。でも、私はエイミー達みたいに自由に動き回る仕事はしていない。ほぼ毎日、同じ店で毎朝魚介類を仕入れてはさばいて売る立ち仕事をしている。売れなかった魚は日干しの作業をしたり、売上の帳簿をつけたり、朝から晩まで忙しい。だから、エイミーみたいに興味本位で通い詰めたりできない。私には私の仕事がある。
 ……これまでにない大きな出来事にみんなが浮かれ騒ぐのも無理はないと分かってる。でも、やっぱり私には関係ないのだ。そう思って普段と同じ毎日を過ごす自分がすごくつまらない人間だと思う。だから、みんなが騒ぐのが正常な反応で、私が、つまらないだけ。
「ありがとうございました」
 結局世間話だけでそれ以上の売上には繋がらず、おばさんが軒先から見えない場所まで去ってから顔を上げる。
 あと一時間が今日の勝負だ。夕飯の買い出しに来る主婦のお客さん層がうちのお店の売上に貢献している。今日は向かい側の肉屋さんに負けないで声を張り上げなければ。そういうの苦手、なんて思ってたらクビになってしまう。
「……色白の男の子、かぁ」
 も一度会ってみなって。言葉は通じないけどさ、機械の方が伝えてくれるし、わりといい子だよ。そう言っていたエイミーを思い出しつつ、健康的に焼けている人ばかりがいる場所で色白と言われる自分の手を伸ばす。私は、太陽の下に当たる生活をしていないからこうなったけど…異星人だという彼も、そういう生活をしていたのだろうか。なんて。
 だから何、と自分の思考に告げてぱたりと手を下ろす。
 彼が私と同じ色白だから? だったらなんだっていうの。細っこかった、ってエイミーは言ったけど、分からないじゃない。それこそ私よりはずっと健康的に決まってる…。
 自虐に陥った思考をぶるぶると頭を振って追い払い、今夜のおかずは肉か魚かで悩んでいる主婦を呼び込むために商品の陳列を確かめて今日の品揃えを頭に叩き込み、すっと息を吸い込む。
 …今日は仕事だけど。私、明日は休みだ。午前中は診察に行くけど午後は何もない。
 すごく今更かもしれないけど。噂の機械と噂の男の子、遠目でいいから見に行こう、かな。そうすればおばさん層との話のネタになるかも。
 そんな現金なことを考える自分に溜息を吐く。
 やだな、と仕事の頭を疎んでいると、タタタと元気な足音が聞こえてきた。顔を上げると、お店の前を通り過ぎていく知らないメッセンジャーの女の子。
 …かつては、私も、あんなふうに働いていたのだっけ。
 ずき、と痛んだ気がして眉を潜めて、カウンターの向こうの椅子に腰を落ち着ける。痛んだ右足に手を伸ばして這わせていけば、膝から下は、冷たい感触しかしない。
 義足。これをつけてもう一年にもなるんだな、私。

 一年前まで、私はエイミー、サーヤ、メルティーと一緒に配達の仕事をしていた。太陽の下を駆け回って、ときにはカイトで空だって舞い頼まれた書類や物を届ける、今思えば本当に元気なことをしていた。
 …あの頃が一番楽しかった。同じ仕事を共有する仲間と友達がいて。仕事上、一緒に遊ぶ時間が取れなくて、そういうことはあまりできなかったけど、すれ違えば笑顔でハイタッチを交わす仲だった。
 それが崩れたのは、私と両親が事故に巻き込まれてからだ。
 その日は小さな武器の詰まった箱をゲットしたとかで、人々が引き上げ作業の見物に沸いていた。
 私と両親は買い物の帰りで、少し見物して行こうかと、引き上げ作業と人の波を眺めた。
 海中のサルベージに使われるユンボロは、その役目故にいくら手入れをしても海水に侵食されるのが早い。ユンボロは金属だ。そのユンボロだって海底から引き上げたものを活用しているわけであり…つまり、腐食は、拭い切れない。
 みんなが引き上げられた箱を見たいと群がる中で、私達家族は少し離れたところでその光景を眺めて、帰ろうか、と顔を見合わせたところだった。
 ギギ、と何かが傾いだ音を聞いた。
 振り返れば、大きな音を立ててユンボロの片足が折れたところだった。
 今もまだ憶えている。目の前いっぱいに迫ったユンボロと、逆光の眩しさ、視界の暗さを。
 気がついたときには両親が私を突き飛ばしてユンボロの下敷きとなっていて、下敷きとなることこそ回避したものの、私の右足の膝から下は、ユンボロが押し潰していた。
 遅れて流れ出した赤い色と、悲鳴。
 私はその日に二つのものをなくした。家族と。そして、右足。
 憶えている。視界の焼けた景色と、痛みに疼く、今はない右足の感触を。

「ふー」
 義足を腿に固定しているベルトを緩め、カチ、とスイッチを押せば、足を締めつけるようだった義足は簡単に外れた。
 そっと手を伸ばして右足の膝に触れる。そろそろと指を辿らせれば、今は塞がった傷口がある。
 あのあと、潰れた足を治す術などなく、麻酔を使って痛覚を麻痺させた後に潰れてしまった部位を切断して切り離した。そうでもしなければ使い物にならない足は腐っていくばかりで、それでは生きている部位まで腐ってしまうと、医師の先生が判断した。
 足を切り離したのち、痛みと傷の経過を見ながら義足というものが取りつけられた。戸惑ったけれど、それがあればまた立ち上がれるという話だったから、頑張って二足歩行できるようにと義足でのリハビリを続けた。結果、自分の足で立ち上がることができて、歩けるようにもなったけれど…とてもじゃないけど、それまでのメッセンジャーの仕事は続けられそうになかった。元気な身体があってこその職業なのだ。こんな、片足のない私じゃ、もうあの仕事は続けられない。
 絶望した。少しサルベージの作業を見学するだけのはずが、それで家族をなくし、右足すらなくすなんて。
 船団長や上役の人が何人か面倒を見てくれて、こんな私でも働けそうな職を探し、斡旋してくれ、治療にかかったお金は不問としてくれた。潰れてしまった両親を埋葬してくれた。
 …それでも、私は独りだった。
 歩くのがやっとで、することといえば魚をさばいたりお客さんの話し相手になったりと、動き回ることのなくなった生活で、私はすぐに筋肉量が落ちて痩せた。肌の色も抜けて白くなって、なんだか病人みたいになった。そんな私を、避けるようになった子がいることも知っている。エイミーは変わらないで接してくれるけど、そういうのは逆に珍しい。みんな悲劇に見舞われた私にどう接していいのかと遠慮がちで、そして、触れないようになるのだ。
(だって、その方が余計な気遣いしなくて、楽だものね。エイミーだってきっとそのうち私を避けるようになるよ)
 暗い心で義足をベッド脇に置いて、ばふ、と倒れ込む。
 ガルガンティアの住人でありながら孤立する私。
 異星人である男の子はきっともっと孤立している。言葉だって通じないのだ。いくら喋る機械があったって、きっと彼の方が辛い。彼の方が苦しい。彼の方が悲しい。その姿を見れば私は自分を慰められる。そんなずるい思考で、私は明日、彼に会いに行くのだ。
 次の日、足を先生に診せて、ときたま痛むということを話して、義足のぐあいを確認してもらい、午後、お昼ご飯のサンドイッチを食べてから噂の機械と男の子のもとへ遅い足で向かった。
 そこはサルベージ船などを引き上げるためのクレーンが海に向かって剥き出しになっている場所で、いくつかユンボロの姿を確認できた。どくんと心臓が大きく鳴ったのが自分でも分かった。私と両親を潰したあれを見たくないから、私は出かけることを極端に少なくしていたのだ。
(……あれ、かな?)
 赤いクレーンの一つに見慣れない大きなものがある。多分あれが噂の喋って空飛ぶ機械だ。
 ユンボロに囲まれている見たこともない機械を視界に入れて、そろっと一歩踏み出して、やっぱり勇気が出なくて、倉庫の壁と壁の隙間に引っ込んだ。
 駄目だ。これ以上近くにはいけない。またユンボロが倒れてきたら? そうしたら私も両親みたいにぺしゃんこになる。そんなの、嫌だ。
 落ち着いて、と胸に手を当てて深呼吸し、顔だけ出してユンボロの向こうの機械を観察する。
 …確かに、今まで一度も見たことがない、キラキラしてきれいな機械だ。海中から引っぱり出すが故に錆びついていることが当たり前の掘り出し物とは違う。
 あれが海賊船団を殲滅したんだ。あのたった一機で。
 なるほど。確かに、みんながこれの噂話でもちきりになるはずだ。遠目だけど、太陽の光を反射してキラキラきれいだもの。不思議だ。一体どんな素材でできてるんだろう。
 そういえば、男の子はどこかな。機械の影になっているのかな。見えないな。全身黒い服だって話だから遠目でも目立つと思ったんだけど。
 じっと見つめていると、背中側から声をかけられた。はっとして振り返ると見慣れない黒い服を着た白い肌と髪の男の子がいた。何か言ってるみたいだけど何を言われてるのか分からない。
 そうか。じゃあこれがあの機械と一緒にやって来たっていう男の子。私と同じくらいの。白くて、細い。私と同じ。
『先ほどから我々を見ているが、何用か』
「えっ?」
 分かる言葉が聞こえて素っ頓狂な声を上げて、思い出した。そういえば、あの機械の方は分かる言葉で喋るんだって話だったような。でも、あの機械は今あんなに遠くなのにここまで声が聞こえるの?
 ううん、それよりも。穴が開くくらい見つめられてて本当に穴が開きそう。
 商売以外ではお世辞にもコミュニケーション能力があるとは言えない私は、何度か喋ることに失敗して無意味に口をぱくぱくさせた。僅かに首を捻ったように見えた男の子に、何を言おう、と頭が空回りする。
「あ、あの、それ、暑くない?」
 結局思いついたのはそんなくだらないことだった。
 恐る恐る黒い服を指した私に、彼の首元で何かがチカチカと光った。それが分からない言葉で喋る。喋る機械。そして、その機械が彼に私の言葉を伝えたらしい。
 ああ、とぼやいた彼が何か一言。それで、違う声が一言。『暑い』って。
 そっか、そうだよね、なんて相槌を打って無理矢理笑うと頬が引きつった気がした。
 彼は、私と違う。私と同じくらい肌が白いし男の子にしては細いけど、その瞳は私とは違う。強い意志、みたいなものを感じる。どんな環境でも屈しない力、みたいな。実際彼は言葉さえ通じない星にやってきたのにこんなに冷静だ。そりゃあ、強くて空も飛べて喋れる機械があるなら、心強いのかもしれないけど。
 …彼は私とは違う。絶望なんかしていないんだ。
 それが分かって胸が苦しくなった。右膝の傷口に痛みが走った気がした。…お前は弱いと、そう言われている気がした。