盲目的に繋がりたい

 遥か昔、太陽の異常活動で地球が凍えたとき、氷が地表を覆い尽くし、生命は絶滅の危機に瀕した。
 人類の大多数は母なる星を脱出、宇宙へと進出し、新たな故郷を得るべく銀河を彷徨う。そこには数多の困難と障害があったが、人類はアヴァロンという科学の随意である理想郷を作り上げた。そして、宇宙での生存権を懸け、人類と敵対する異形の怪物ヒディアーズとの死闘を現在も繰り広げている…。
 地球は死んだ。それが常識だった。俺もそう思っていた。そう学んだから。記録上にしか存在しない人類発祥の死の星、それが地球だと。
 だが、記録と異なり、現実はどうだ。
 地表を覆っていた氷が溶けたことによって生まれた豊富な水。息をするのに理想的な大気と太陽の陽射しを持つここは、凍って死んでいたはずの地球は、紛れもなく生きている。
 ここは人類にとって理想的な星だ。人類発祥の地だけあるってところか。
 この星の存在をアヴァロンに、人類銀河同盟に届けることができれば、ここは人類の新たな拠点となるだろう。
 まだ眩しいと感じる太陽の陽射しに目を細めつつ、布製の袋に手を突っ込む。
 絶えずに耳に届く水音が、太陽の陽射しが、ここが俺の知らない場所であることを告げている。
「水棲生物の死骸…じゃなくて、これはなんて言うんだっけ」
 ついさっき知り合った少女に預けられたこの星の食糧を指でつまんで掲げる。この星で当たり前に食べられているものとはいっても俺にはまだ抵抗がある。ちょっと臭うけど無害だし、食えるものをくれたんだからありがたくもらっておくべきなんだが。それにしても慣れない。『回答。干物』俺の疑問に短く答えを告げたチェインバーに「ヒモノね、了解」とこぼして干物を二つに割った。べりべりと剥がすようにして二つに分け、背骨の辺りを避けて食べられるところを口に押し込む。
「ん…?」
 これ、うまい。なんでだ。エイミーが最初にくれたあれは結構ひどい味がしたもんだが。なんか違う製法でも使ってるのか。
 まぁいいや。うまい方がいいし。
 難なく一枚平らげてから袋に手を突っ込んで二枚目を掲げる。…やっぱりグロいな。地味に。宇宙生物ほどじゃないけど。
『レド少尉』
「ん?」
『貴重な食糧である。必要なエネルギー分以外は次回の食事に充てることを推奨する』
「はいはい。もう口に入れちまったからこれでやめるよ」
 もぐ、と口に干物を押し込みつつ返して、残り三枚干物の入っている袋の口を絞めた。
 言われなくても無駄食いだって分かってるよ。うまいんだから、たまには余計に食べたっていいだろ。

 あの、これ、お店の余り物だけど。よかったら

 おずおずとこっちに干物の袋を差し出してきたあいつは、エイミー達とは少し違うらしい。いや、このガルガンティアで暮らしている人間なのだから少し違うなんて言えばチェインバーが否定してくるだろうが。それでも、少し違う、と俺は感じた。
 色が白めで線が細くて、何かを深刻そうに考えてる真面目な顔つき。少し、俺の知ってる人間に似ている。
(名前、なんだっけ)
「チェインバー。これくれたあいつ、なんて名前だったっけ」
 干物の袋を揺らすとチェインバーは『』と簡潔にあいつの名前を告げた。
 。そうか、そんな名前だったか。憶えておこう。
 干物の袋を弄ぶ俺に、『レド少尉』と呼びかけ。「なんだよ」と返しつつチェインバーのコックピットに干物の袋を入れた。『彼女に会う際にはこちらからの接触を推奨する』「あ? なんで」予想もしていなかった助言に声を上げると、チェインバーはいつもと変わらない機械音声で淡々と、
『先刻の邂逅での推察。歩行の際に右足に特徴的な癖が見受けられ、過去の大きな怪我などによる後遺症が残っているものと思われる』
 そう言われて、ばいばい、と小さく手を振った姿を思い返してみたが、足首まであるスカートで覆われていたんだったと気付いた。だが、だとすれば…あの細さと白さでこのガルガンティアの上にいることも納得できる、か。
 お店の余りものだってこの干物を寄越してきたってことは、こういうものを売ってる店にいる、ってことでもあるわけだし。それなら確かに動き回る仕事ではなさそうだ。白い肌も細い肢体も納得できる。
(ふぅん。そりゃ、次があったら今度はこっちから……)
 考えて、いや、ないだろ、と首を横に振った。
 ただでさえエイミーとかうるさいのがいるんだし。この星の人間と協力関係を築いていくのは臨むところだが、全員に手が回るわけがない。とりあえず中枢にいそうな人間とその人間に繋がりがありそうな人間、そいつらと手を組めればそれでいいわけで。
 でも、まぁ。会いに行ってみるか。そのうち。暇ができたら。
(あいつ、不景気な顔してたしな。そういうとこちょっと似てるんだよ。誰にって…)
 チェインバーの機体に映り込んだ自分を見つめて、そうか、と思う。
 あいつの表情。俺に、似てるんだ。ここに来る前の。何も任務がなくて暇だなって対ヒディアーズのシュミレーション戦闘をしてた、暗くなった画面に映り込んだときの俺に、よく似てる。
 翌日、やって来たエイミーを捕まえてのことを訊いた。昨日少し話をしたんだが、歩き方が変で気になった的なことをチェインバーに伝えてもらうと、エイミーは表情を曇らせた。その顔のまま長いこと喋る、その言葉が俺の前に立体ウィンドウで表示される。
はね、一年前に事故で大怪我をしちゃったの。それで右足の膝から下、切断することになっちゃって…だから、義足をつけてるの。歩き方が気になったのはそのせいだと思う』
 ああ、なるほど。義足か。それなら歩き方に特徴が出るのも頷ける。
 それより気になるのは切断したという足の状態か。この星の衛生面は信頼できるものではない。どんな方法を使ったのか知らないがきちんと処置できているのか気になる。一年前の事故で現在も正常な生活をしているなら問題はないのだろうが、一応チェインバーに調べさせた方がいいだろう。そのためにはやはり、俺が向かわないと駄目か。
 考え込んでいる俺の隣でまだエイミーが喋っているので、立体ウィンドウに表示される文字を目で追う。『それでね、、ずっと元気ないんだ。その事故で両親もなくしちゃって…色々、なくしちゃったの。それでずっと沈んでて、悲しそうで、あたし、何とかの力になりたいなって思ってるんだけど、上手くいかなくて』ウィンドウの文字が途切れる。視線を上げるとエイミーがまっすぐこっちを見ていた。『だから、レドもね、力になってあげてね。いい子だから』ああ、とぼやくように返してコックピットに放り込んだ干物の袋を思い出した。それから、短い邂逅時間の間俯きがちだった表情と、無理矢理笑ったような笑顔も思い出した。
『あっ、レド! 仕事手伝って、サルベージ! 呼んでこいってピニオンに言われてたんだったって今思い出したっ』
「ああ?」
 慌てて立ち上がったエイミーに文面を追えば呆れたような内容だった。目的があって来たなら忘れるなよ。本末転倒じゃないか。
 全く、とぼやいて立ち上がる。この何気ない動作があいつにはできないのかもしれないな、と思い、走ってクレーンを渡り早く来いとばかりに手を振って跳ねているエイミーに、細くて白い姿を重ねた。長すぎやしないかと思ってたスカートは義足を隠すためのものだったってわけか。
 …は疎外感を感じているに違いない。失った右足がそう感じさせるんだろう。俺に手足の欠損はないから想像でしかないが。
『レド少尉』
「なんだ」
『アドレナリン分泌量に微量の変化あり』
 カン、と安っぽい金属板を叩いた足が止まる。「今動き始めたからじゃないか」早く早くーと手招きする元気な姿に溜息をこぼして足を速める。納得したのか首元の端末は沈黙したが、嫌な沈黙だった。エイミーに追いつけば自然と騒がしくなるのですぐに忘れる居心地の悪さだったが、ふと、当たり前に歩いている自分の二本足を眺めて、のことを思い出した。
 力に。足を欠損したあいつの力になれるのか? 俺は。
 義足なんて作れない。チェインバーの中に資料があったとして、この星の、ガルガンティアの船上で再現できるかも疑わしい。の健康状態に傷口からの汚染などがあった場合は改善の助言をすることはできるが、根本的な解決になるかどうかは。
 アヴァロンだったならな。四肢の欠損なんて気にならないくらいの医療技術があるのに。ここは原始的すぎて。
 …いや、そんなことを言っても始まらないか。どのみち、俺はしばらくはこの星でやっていくしかないんだから。
 そもそもどうして俺がそこまで気にかけないとならないんだ。あいつには干物をもらった義理があるくらいでそれ以上はない。
(……でも、あの笑顔が)
 思考に抵抗するようにぽつりと言葉が落ちる。

 でもあの笑顔が。苦しそうなあの笑顔が、助けを求めている気がしたんだ。この星の住人にではなく、俺に、助けを求めている。そんな気がする。