まず一つめ。私は機械が苦手だ。
「…えーと」
 等身大。そうとしか形容できないそれに私はとりあえず困惑した。というかそれ以外どうしたらいいのかが分からなかった。
 海外出張ばかりでろくに家にいやしない私の親は、そばにいられない代わりとばかりに山ほどお土産を送ってくる。今回その一つにこの等身大のものが入っていた。
 がさがさと等身大の大きさの箱から包装紙を剥がすのだけでも苦労した。何かの詰め合わせなら別々にして冷蔵庫やら倉庫に保管しなくてはと思ったから開けたのだ。だけど箱が厳重取り扱い注意の札を貼ってある時点で私も何か気付くべきだったのかもしれない。これが食べ物や生物の類ではないということに。
 頑張って開けた箱。厳重取り扱い注意の貼り紙と札。首を捻りながら頑張って開けたその中身は。目を閉じた人。に見えるもの。
 ボーカル・アンドロイド=VOCALOIDと呼ばれる、それは機械だった。
 もう一度言う。私は機械が苦手である。携帯くらいならまだいける。細かい機能も使っていくうちに慣れるだろう。だけどパソコンレベルになるともう色々お手上げになる。そして今目の前にしているこれはお手上げの部類に入るものだった。
 勘弁。今親に電話が繋がるならそう言いたい。私が機械オンチで何度となく家の機械品を壊してることを忘れてしまったのか私の親は。庭のスプリンクラーを間違って破壊したり監視カメラに誤作動を起こさせたりした失敗を忘れてしまったのか全く。自分で言うのもなんだけど私はほんとに機械オンチなのだ。
 だけど届いてしまったものはしょうがない。開けてしまったし返品だってきかない。親は海外を点々としている。それにこんな大きなもの、一体いくらかかって日本にまで。っていうかこれ自体にも一体いくら。
「あー頭痛い…」
 ずさんすぎる親二人を思いながら仕方なく同封されてる説明書を手に取った。機械は苦手だ。それなのにこんな、人間みたいな格好した機械。そもそも機械。なんだよねこれ。多分。
 重たい重たいと思いながらその子をとりあえずソファに座らせた。くったりしててまるで人間みたいな、だけど機械である子を。
 がさがさと同封されてる説明書を広げて眺める。
「えーと…何。プロフィール……プロフィール?」
 眉根を寄せながらじっと説明書を見つめる。プロフィールと題されている項目には鏡音レンと書いてあった。名前。歳は14。っていうか歳あるんだ。身長は156で体重は47キロ。そりゃあ重いよ私と同じくらいあるじゃん。得意ジャンルはダンス&ロック系ポップス/歌謡曲〜演歌系ポップス。得意な曲のテンポは70から……ああ駄目だお手上げ。分からない。
 だから説明書から顔を上げる。とりあえず名前はレンって言って歳も身長も体重もあることが判明。
 くたっとソファにもたれているその機械、レンにそろりと手を伸ばして頬をつまんでみた。あれ弾力あるじゃん。これ機械じゃないの…?
(…今誰もいないんだよなぁ)
 困ったなぁと顔を上げても広い家には今誰もいない。お手伝いさんの類が来るのは夜になってからだ。今はまだ学校から帰ってきて全然お昼だし。テストの出来はまぁ期待はしてないけどそれなりで。 
「…仕方ないか」
 だから吐息して、私はそのレンのために時間を費やすことにした。
 で、起動させるのに私は一時間かかった。説明書に目を通しながら頑張ってみたところ見事動いたのだ。いや説明書通りにやって動かなかったら私もへこむとこだったけど。それで閉じていた瞼が開かれて蒼い瞳が覗いた。
「お」
「…、」
 さっきまでくたくたの人形みたいだったレンが動いた。それで私を視界に捉えて何をするかと思えば、がしと私の手を握って口に運んでぱくと一本指をくわえられた。
(ん?)
 カチカチカチと機械っぽい音がしてピーと音。「マスター指紋認証完了。日本語に声音設定」とレンが喋る。それでくわえていた私の指を離した。思わず説明書に視線を落とせばちゃんと書いてあった。マスター認証は指紋でって。起動させるのに一生懸命で全然見えてなかった。
「マスター。お名前を」
「あ、はい名前? 私はって」
。了解しました」
「……えーと」
 ぽりと頬をかく。説明書に視線を落としてどうして全然見えてなかったのか今更分かった。だってこれ英語。つーか気付かないで読んでた私もあれか馬鹿なのか? 馬鹿なんだな私。今度のテストやばいなきっと。英語だけはいいかもしれないけど他がやばいなきっと。
「えーと…」
 一心に見つめられても困った。とりえあず今更英語なことに気付いた説明書を読もうとするも英語だと気付いたらなぜか読む気がなくなった。いやさっきまで一生懸命目通してたんだから読めって話だけどなんかもうめんどくさくなった。

「あのー、レン、でいいのかな」
「はい」
「あの…説明書が英語で。私にはちょっと理解不能なんだけど、バッテリーとかエネルギーとかって」
「食物を摂取します。人と同じように生活できるようプログラムされていますのでご心配なく」
「あー…じゃあええと、何ができて何ができない?」
「VOCALOIDですので特技は歌です。人と同じように生活できるようプログラムされていますのでだいたいのことはできるかと」
「えー……敬語何とかならない?」
「…なぜですかマスター」
「いや堅苦しいから。そういうの好きじゃないし。えーと、レン?」
「…じゃあ。やめて…みる」

 かなりたどたどしいタメ語だった。それまでぺらぺら喋ってたのに。だからうーんと説明書を掲げて「親に日本語版を送ってもらうしか…」と呻く。
 とりあえずそれだけはメールして頼んでおこうとぽちぽち携帯を操作しながら「主語はどうすれば」と言うレンに「あーオレでいいんじゃない? レンは14なんでしょ? 中学生だし。オレでいいよ」「オレ…分かった」何気なく言ったつもりがそれで決定された。顔を上げる。レンは一心にこっちを見つめてる。
「…えーと。歌う、んだっけ?」
「そう」
 肯定される。あーと意味もなくシャンデリアの下がる頭上を見上げる。
「私マスター?」
「そう」
 自分を指差して訊けば頷かれる。ぽちぽちとメールを打つ私の傍らでレンが気付いたように服の中からごそごそと何か取り出した。封筒。日本語で『へ』と書かれている。どう見ても私の親の字。語尾にハートマークまでつけやがって。
 だからそれを「貸して」とその手から受け取ってびりと封を破った。中には一通の手紙。
(………………馬鹿親め)
 一通り目を通してぐしゃとそれを握り潰す。とりあえず散らかったリビングを片付けるべく包装紙やダンボール箱なんかをばこんと小さくしながら「あーレンちょっと手伝って」「、何を?」「これを小さくするのを」べきばきとダンボールを体重で押し潰しながら振り返ればレンは戸惑った顔をしていた。ん? 私何かおかしなことを言ったろうか?
「マスター」
「はい?」
「オレは今回が初起動だから、教えてくれないと分からない」
「あー…」
 そうか自動設定とかないのかボーカロイドって。人と同じようにって言ってもやっぱりコンピュータって設定がいるのか。っていうかめんどくさい。色々めんどくさい。私機械苦手なんだってば。
 ちょいちょいと手招きして「よーしじゃあ教えようレン。今からこの散らかってるリビングをきれいにしようと思います。レンは私がこのダンボールを成敗するのをちょっと見てて」「…分かった」膝をついたレンが頷く。なんか馬鹿っぽいなぁと思いながらべきべきばきとダンボールを小さくして包装紙を折りたたんで、紙ゴミの日に出してもらわないとなぁとか考えながらそうじゃんお手伝いさん達来たらこの子のこと説明しなきゃあーめんどとか思ったり、だけどじっと私を見つめてる視線を感じるから動きは止めずにべきべきばきとダンボールを成敗して。
 とりあえずもう一回言っておこう。私は機械が苦手だ。