(まーったく上司のくそ馬鹿やろーが。がみがみ言って口動かす暇あるなら残業の書類片付けろっつーの) 夜。くそ面白くもない残業の書類を上司にがみがみ言われながら処理してきた帰り道。ついでに言えば金曜日。あーもう気分が悪いったらないから立ち寄った居酒屋で日本酒をひっかけてきたけどそれでも足りなかった。この苛々をどこへぶつけてやろうかこのやろう。 (だいたい口ばっか動かしてないで手を動かせ手をー、とかあんたのことだし。私じゃないし。あーもー) 苛々っときて道端の小石をがつんと蹴り飛ばした。あーちくしょうあの上司いつか蹴りいれたる。ちょっと禿げてきてる頭はそのうちテッカテカだわざまーみろとか思ってたらごっと音がした。 ん? (…んー?) 夜道で暗くて見えにくい。だけど今のタイミングでごっていうのは、私が蹴った石がなんかにぶつかった音なんだろうけど。っていうかまじ暗いな。街灯の中身取り替えろよ職員。 仕方ないから携帯を取り出してぱちんとフリップをはじいて画面を開く。 ちょっと足元がふらふらする。酒がきいてきたかと思いながら目を凝らしてみる。ごって音、なーんか生々しい音だった、ような。 「…お?」 我ながらふつーの声しか出なかった。 蹴った小石がぶつかったのは、どうやら人の足らしい。らしいというのもゴミ捨て場っぽいところから足が出てるのが見えただけだから。っていうか足。人の足ってことは人ってことなんだけども。でもそこゴミ捨て場。つーかこんな時間に真っ暗でゴミ捨て場にいるとか、色々ありえない。 (まさか…死体、とか) ミステリー小説なんかで読む第一発見者。後々めんどくさくなってくる第一発見者って立場。それは今置いとくとして、これは死体なのか。そうなのか。私人生初の、なんだ。酒で頭が。 とりあえず死体ならほら警察とかに連絡を。そう思ってそろそろとゴミ捨て場っぽいとこに近づいて、画面の明かりが切れたからもう一回点灯させて。 ゴミ捨て場。そこに転がってたのは、金髪でまだ中学生くらいの年に見える男の子だった。 「……おーい、生きてる? おーい」 試しに呼びかけてみる。返答なし。携帯をぶんぶんさせて明かりでアピールしてみたけどこれまた反応なし。 まじもんで死体かも。私第一発見者かも。でも頭の隅で何かが引っかかっていた。金髪、それにこの顔。どっかで見覚えが。 酒でほろ酔いの頭をぶんぶん振ってみた。そのうちまた画面の明かりが消える。もっかい点灯させる。そんなことを繰り返しているうちに通りの向こうの方から声がした。 「マスター、明日はどこへ行くんです?」 「明日もお仕事ですー。教えたでしょリン」 「明日もお仕事ですか? あたしは?」 「お留守番です」 「えー」 声。独特の、機械音声とまでは言わないけど人のそれとは少し違って聞こえる声。 その声で思い出した。ここで転がってるこの子は最近流行りのボーカロイドってやつだ。確か色々種類があって性別も分かれてるんだとか何とかだった気がする。ニコ動とか騒がせてたから確かそんな感じだったような。 それで、ここに転がってるこの子は。 「…あー、あった」 ちょっとウェブで検索すればすぐに見つかった。この子の名前は鏡音レン。思った通りにボーカロイド。 で、ここに転がってるということは。この子は。 「…ちょっと失礼」 ぽかと頭を叩いてみた。やっぱり反応はなかった。肌を撫でてみたら冷たかった。人と同じように作られてるとあったけど、この状態だと電源が入ってないってことになるのかな。それにトレードマークみたいなヘッドフォンがない。 かちかちと携帯を操作して商品詳細のページに移行。確か基本はパソコンからのデータの移行だったはずと思って、ならそのパソコンとこの子を繋ぐところが。それが調べられればこの子を捨てたのが誰かってことも分かるはず。そう思って、うなじのとこにあるって説明通りその子の首の後ろにはちょっとした溝。爪で引っかけてぱかっと開ける、テレビのリモコンの電池の入れ替え部分みたいな。 悪い予想をした。それでももうかちと蓋を外していた。本来ならパソコンとコードで繋がる端子のある部分は、見るも無残にぐちゃぐちゃな状態になっていた。 「……そっか。捨てられちゃったんだ」 蓋を戻す。それからゴミ捨て場に転がっているそのレンという名前のボーカロイドの子を見つめて数秒。 我ながら自分が馬鹿だなーと思いながらぱたんと携帯を閉じた。 情報通りならこの子は見た目相応の重さがあって、私の家まではまだ十分くらい歩かないとたどり着けない。十分人一人背負って半分酔っ払いになってる身体で歩いていけるのかどうか。そんなこと思いながらよっこらせと冷たい腕を自分の首に回して人一人背負っていこうとしてる、私は多分馬鹿者だ。 「だぁっ、重い!」 どうにか家にたどり着いて、とりあえずどさとソファに一緒に倒れこんだ。靴を脱ぐ余裕がなくて土足で上がっちゃったよ。あーあもう。 髪はぼさぼさだし服もぼさぼさになったし。あーもうと思いながら起き上がる。当然レンって子はソファに転がったまま。冷たいまま。 「…はぁ。なーに拾ってきたんだろ私は」 自分に呆れながらパソコンのスイッチを入れる。それからお風呂の準備もする。それからお湯をはった洗面器と適当なタオル。とりあえずばしゃばしゃとタオルを濡らしてぎゅっとしぼった。 ボーカロイドというのは人が考えて人が作って、そして人が買うものだ。逆に言えば人以外には全く必要とされない存在だとも言える。 己を満たすために、人はどこまでも歩いていく生き物なのだ。 「はい失礼。意識ないだろけど」 一応断ってからタオルで気持ちきれいにしてあげた。その間にパソコンが立ち上がる。洗面器のお湯を取り替えてばしゃばしゃと手を洗って読み込んでいけそうなサイトをいくつか表示した。ボーカロイドについての簡易説明書。何せ私はその手のものには一切触れてこなかった。だってお高いし。いくら流行りものといっても限度ってものがある。私には手におえないというか、届かないレベルの金額のものだったし。特にこっちの、等身大サイズのものは。 (電源。電源の入れ方はー、っと) じゃばじゃばいってるお風呂に駆け込んできゅっとお湯を止めた。危ない危ないと思いながら部屋に戻って引き続きパソコンと睨めっこを開始。そのうち頭で憶えるだけでは多分忘れると思ってルーズリーフを取り出してメモをし始める私。ああプリンタがあればこういうとき便利なのにと思いながらもがりがり手を動かした。そのうち今日の残業の上司のがみがみ声を思い出してピキンときたけどこの際流す。 ちらりとソファの方を振り返れば、タオルで一通り拭いたから少しはきれいになったレンって子がいる。 人が考え人が作り出しそして人が買って、その人に捨てられたものが。 「…まぁあれだよね。罪悪感ってやつだよね。私案外繊細だよねー」 一人ぶつぶつ言いながらとりあえずメモを完了。その前に私がひとっぷろ浴びてこの子に取り掛かる準備をしなくては。幸い今日は金曜日で明日と明後日私は仕事が休み。ついでに言えば特に予定もない。彼氏のかの字も見えない私としてはまぁ何も支障がないわけだ、寝るのが遅くなろうが徹夜になろうが。 適当に化粧を落としてぼさぼさになった仕事着はクリーニングに出すとして、ぼさぼさになった髪は今から洗うので問題ないとして。だから問題は。 (…まぁいいか。これも運命ってやつだ) ほろ酔い気分もお風呂を上がった頃にはどこへやら。 様々な場合を想定しながら、私はレンの電源スイッチを入れた。ここまで壊されてたらさすがにどうしようもないと思ったけれど、幸いというか無事だった。だから少し機械音っぽい音がして、閉じっぱなしだった瞼が震えて、蒼い瞳が覗いて。 ぼんやりしてるそのレンの前でひらひら手を振ってみる。「おーい、気付いた?」と声をかけてみる。ぼんやりした顔のままこっちを見上げていたレンが一つ瞬きした。とりあえず起動はオッケイ完了っと。 「データ、何か残ってないかな。何でもいいから」 「……、」 だめもとでそう言ってみる。レンは何度か瞬きしてから目を閉じて、多分自分の中で検索を始めたんだと思う。それを横目にしながら最悪の場合を想定しておく。 パソコンと繋ぐ部分があれだけ破壊されてたのだから、恐らくこの子の中身は。 「…該当、データ、なし」 短く抑揚のない声。システムプログラムとかそういうのも全部やられちゃったんだろうか。どこか虚ろに見えるレンの蒼い目はふわふわと私の部屋をさまよっていた。 さぁきた最悪の展開。ここからどうするよ私。 (パソコンと繋げないってんなら中を調べるのは自力じゃ無理。それこそ業者に頼んで専門で調べてもらわないと…ってかそれかなりお金かかるし。うーん) パソコンの画面を睨みつけながらかちかちとマウスをクリックする。ゴミ捨て場に転がっていたあの子と双子設定になってるリンって子の声がふと耳によみがえって、マスターって言葉が頭を掠めた。 ボーカロイドはあああるべき。本当なら。だけどこの子は。 「…レン」 「はい」 「歌えずともよろしい。システムが死んでないなら、まだ生きてるなら。私をマスターってしなさい」 ふわふわさまよっていた視線が私を捉えた。蒼い瞳が瞬きして、さっきまで冷たかった手が私の手を取る。人差し指をぱくとくわえられてカチカチカチと機械音がして。それからレンが抑揚のない声で「マスター指紋認証完了」と言って私の手を離す。ふわふわしていた視線が今は私だけを見つめて「マスター、お名前を」と言う。 二重登録とも何とも言わない。この子の中は恐らく真っ白で何もない。 ああ全く人間てのは勝手な生き物だ。自分達で作っておいていらなくなったらポイか。ポイするにしてもきちんとしてほしい。特にボーカロイドは個人情報うんぬんとか機械部分のこととか色々あったはずだ。ボカロ愛護協会とかそういうとこが訴え起こしたりしてたじゃん確か。それなのにこれか。夜のゴミ捨て場に放置とかどんだけ腐ってんだほんと。ああ腐ってるで上司の顔思い出したよもー苛々してきた。 「マスター」 「、ああはい?」 「お名前を」 「ああ、私ね。っていうの。よろしくね」 なんだか複雑だ。そう思いながらぽむぽむと金色の髪をしてる頭を叩いて撫でた。 完全には死んでないシステム、だけどほぼ破壊されてボーカロイドとしては使い物にならないだろうその子。鏡音レンっていうボーカロイド。鏡音レンはこの世界にたくさんいてそれこそ量産されていて、街を気にして歩いてみればボーカロイドを連れてる誰かとすれ違うこともきっと珍しくはないんだろう。今の世の中にはそれだけボーカロイドやいろんなものが溢れていて、飽和していて、そして溢れ出てこぼれ落ちたものがここにある。 私にできることはちっぽけだ。会社でもそうだし世の中でもそうだし世界でだってそうだ。 だけどそんな私でもできることがないわけじゃない。 「マスター。ヘッドフォンが」 「ないね」 「…接続、部分が」 「壊れてるだろうね」 「自己修復の範囲を凌駕します。修復、できません」 「それでいいよ。いいから」 「ですが。これではデータの転送も読み込みも、何も、できません」 「いいよ。いいから」 不安そうな顔をしたレンをゆっくり抱きしめてみた。体温があった。たとえ機械であろうとも体温があった。「記憶領域はあるね?」「はい」「空き容量は?」「搭載されている通りです」「うん。じゃあそこにね、自分で書いていきな。これから教えることとかこれからの時間とか、自分で」そう言ったら蒼い目をこっちを見上げた。小さく「自分で」とこぼしたレンに私は頷く。 判断が難しいだろうしきっと混乱もするだろう。想定されてる場合と違うことがどこまでできてどこまで融通がきくのかわからない。この子はボーカロイドだ、私にだってまだ未知の代物。 だけどやれることはやってみよう。私もそれを手伝うから。 だから、こぼれ落ちてしまったその場所から、這い上がろう。一緒に。そこで朽ちてしまわないように。そこで終わってしまわないように。 |