これは「もしも」のお話

「イオン? イオンってば」
「、ああ。ごめん、ぼっとしてた」
「もーっ、これから魔物討伐の初任務だよ? そんなんじゃこの先心配だよ」
「それを君に言われるとはね…君の方がそそっかしくて危なっかしいだろ?」
「だいじょぶですー、私は譜歌があるもん。これでイオンのこともカバーするんだから」
「はいはい」
 森の中に入っていく道は獣道が多く、林道はでこぼこしていて歩きにくい。歩道の整備されていない道だからしょうがないといえばそれまでだけど。
 レザーブーツの底でしっかり地面を踏み締めて大地の感触を確かめた。彼女に声をかけられるまで確かにちょっとぼんやり気を抜いていた。
 今は任務の最中。教会の雑用やら掃除やらではなく、ちゃんとした任務だ。
 最近ダアトの街付近まで現れることがあるという魔物討伐の任務。すでに何度か巡礼の馬車が襲われ負傷者が出た。魔物は群れで行動しているというウルフのこと。一匹や二匹程度ならあしらうことも簡単だろうけど、群れというのだからそれなりの数がいたんだろう。数に囲まれれば恐れることのない魔物でも脅威になったりする。現に被害が出て、だからこそ教会側も信託の盾に任務を下したわけだ。
 それに出ているのが僕ら新米の兵士率いる小隊。
 ざくと土を踏み締めてから顔を上げた。風の音に混じって今何か聞こえた気がする。
 隣を歩く彼女に視線を送ってみたけど、新品の杖を手に遠足にでもきてるような子供っぽい顔をしていた。今の物音も聞こえてないようだ。やっぱり君の方だよ、心配するなら。そんなことを胸中でこぼしながら指先を舌で舐めて風の吹く方向とここが風下風上どの辺りになるのかを頭の中の地図で確認する。
 今は魔物が去っていく目撃情報をもとに山道を進んでいる。隊長はどの辺りにいるか知らないけど、多分先の方だ。
(…こんな基本的なことを試してるわけじゃないとは思うけど。それともこれは、テストか何か、か)
 がさり。予測していた方向から腰まである丈の草が揺れた。彼女がそっちに顔を向けて「今なんか」物音が、と言いかけて目を見開いた。予測していた方向からできた影に僕は剣を抜き放って振り返りざま全力で振り被る。予想通り、こっちに飛びかからんとしている獣と目が合う。
 ああ、つまりはテストか。これは。
 太陽の鈍い光を反射する剣でどんと魔物を斬り捨てた。真っ二つになった魔物がどしゃと音を立てて赤い色を撒き散らす。息を吐いて顔を上げれば新米兵士はみんなかちこちの表情で僕を見ていた。悲鳴こそなかったものの、どいつもこいつも戦闘になってまともに使えるような奴とは思えない。こんな小隊を編成して引き連れているのは恐らく。
「い、イオン、怪我。は?」
 恐る恐るという感じの彼女の声に「ないよ」と返してから顔を向けた。かちこちの表情はしていなかったけど、心配そうにこっちを見ていた。説明を求めるような空気が漂っていたからしょうがなく息を吐いて「地図を」と言えば彼女が持っていた地図を広げる。邪魔な死体を蹴り上げて草むらに転がしながら「時間がないからさっさといくけど、僕らはもうすでに任務地に足を踏み入れている。現在地が恐らくこの辺りだ」とんと地図の一点を指で叩く。ざわざわと一瞬だけ視線を交し合った新米兵士が説明を求めてみんな僕のところへ来た。隊長は、その中にいない。
 恐らくどこかで見物でもしてるんだろう。このテストで脱落する者しない者、きっとどうでもいいのだ。
 これがテストなのだと皆は知るはずもなく、淡々と説明をする僕の声を真剣な顔で聞いていた。剣を一つ振って血を払いながら「以上。質問の時間はないから各自の判断で魔物を撃破すること。とりあえず囲まれないこと。数には勝てない」地図をくるくる巻いて彼女に渡した。不安そうな顔をしている彼女がリュックにそれを詰め込んでぎゅっと杖を握る。どいつもこいつも新米兵士らしくかちこちだ。それを思うと僕はできてる奴だと自画自賛してみたけど嬉しくもなかった。斬り捨てた魔物の血のにおいが鼻をつく。
「さっき一匹殺した。だから群れは僕らを囲むようにしてると思った方がいい」
 ぼやいて、死体を蹴って剣を構える。彼女が少し後ろで杖を構えた。がさがさと僕らを囲むように草が不穏に揺れる。小さい声で「大丈夫?」と彼女に声をかければこくりと頷きが返ってきた。「大丈夫、できるよ」と、案外しっかりした声が聞こえた。それに少し表情を緩めて腰を落とした。獣の目が草原の間にぎらりと光る。来る。
、譜歌詠唱。ナイトメア」
「うん」
「できる限りの敵の足を鈍らせて」
「うん」
「…、」
 振り返る。緊張した顔の彼女に顔を寄せて一瞬だけその頬に口付けた。ぱちと瞬いた彼女から視線を外して地面を踏み締めて駆け出す。僕が合図のように皆が揺れる草原に剣を向け杖を向け槍を向け、新米兵士が魔物の群れへと突っ込む。
 結果、多少の怪我人は出たけれど、僕らが任務完遂という形で勝利した。多少の負傷者も彼女のファーストエイドでほぼ傷は塞がり完治に近い。魔物の動きを鈍らせるため彼女がナイトメアでサポートしてくれたこともあり、僕も傷一つ負っていない。
 僕は譜歌が歌えない。同じように同じ旋律を口ずさんでみても彼女のように形にはならない。僕は少し頭のキレがいいだけのただの剣士だ。今日の結果は彼女がいたからこそ。譜歌を使える彼女がいたからこその。
 宿舎で迎える夜にも慣れて、窓辺に腰かけてぼんやりしていたときだった。慣れた存在を感じ取ったのは。
?」
「あ。ばれちゃった。えへへ」
 ひょこと木の影から出てきた彼女はまだ兵服だった。僕は当の昔に普段着だ。眉根を寄せて窓枠を乗り越えて庭に下り立って彼女のところへ行く。「なんでまだ着替えてないの」と訊けば彼女が笑って「うん、あのね、話があるって呼ばれたの」「…誰に?」「今日の隊長だった人。えっと、名前なんだったかな」「…」彼女が無意味に笑顔を作っている。そういうときはだいたい何かを誤魔化そうと無理矢理笑顔を作ってるときで、つまり今がそれ。
 どの窓にもカーテンがかかっていて誰も見てなんてない。だから彼女の肩を抱き寄せて細い彼女を抱き締める。こぼれた吐息が耳を掠めた。
「僕に嘘なんてつかないで。ついてもすぐ分かるけど」
「…、うん」
 くしゃりと崩れた彼女の声と、縋るように背中に回された腕で抱き返される。細い身体は震えていた。さっきまでの嘘の笑顔は消えていて、今は泣き出しそうな顔をしている。
「ど、うしよう。私が譜歌を使えるから、すぐに編制を変えて実践部隊に組み込む、って」
「そう言われたの?」
「うん。私、イオンに言われてやったことですからって言ったのに。どうしよう」
 どうしようと泣きそうな声を漏らす彼女の頭をそっと撫でる。「大丈夫だよ」と。だけど彼女が泣きそうな顔で僕を見上げて「どうしよう、イオンと別のところなんて私むりだよ。できないよ。たたかえない」「分かってる」「私、イオンが言ってくれたからやれたの。イオンが指示してくれなかったらきっとむりだったのに」すんと鼻を鳴らした彼女が僕の胸に顔を埋めて「イオンと離れたらどうしよう」とこぼす。震えている彼女の頭に頬を寄せて「大丈夫だよ」と言い聞かせる。
 だって、すぐそこに立ち聞きしてる影が一つあることに、僕は気付いている。
(嫌なやり方だ。僕なら引っかからないけど、はしょうがない。こういう子なんだ)
 上の狙いは分かっていた。彼女が僕の指示で動いたと言ったことを疑問に思ったんだろう。一兵士としてではなく僕に言われたからやった、やれた。その言い分を上は疑問に思ったのだ。だからこうして彼女の不安を煽るような言い方をして僕のところに来させた。それが本当か確かめるために。
 譜歌を使って戦える兵士はどこの部隊も引く手数多。戦闘に音律士がいるかいないかで戦況が大きく変わる場合だって少なくない。彼女は未来音律士として戦場に立つことを今からすでに期待されているのだ。
「…
「、うん」
「泣かないで。かわいい顔なんだから、泣くよりも笑って」
 彼女の頬を伝う涙の雫を舌で拭う。くすぐったそうに目を細めた彼女と、ようやくこの場に現れるということをしてみせた一つの影。彼女が目を見開いて「あ」とこぼすから僕は一呼吸置いてから顔を上げて振り返った。
 想像通り、そこにいるのは今日の小隊で隊長をしてたヴァン・グランツその人。
 嫌な目だ。あの目。何かを企んでる目。少なくとも僕にはそう見えた。
(…を利用しようっていうのか。そうはさせない)
 僕は表面上笑顔を浮かべながら「何かご用ですか」と分かり切っていることを訊いた。今日は一小隊の隊長でしかなかったそのヴァンは僕と同じように中身のない微笑みをたたえて「これは失礼。どうにもそちらの彼女の様子が気になりまして、失礼ながらを後を追ったのですが。いらん世話だったようですな」「…え、と」彼女がこわごわ僕と相手との間で視線をいったりきたりさせた。ああムカつくなこいつ。僕は相手に笑顔を向けたまま「僕らの話なら聞いていた通りです。最初からいらっしゃったでしょう?」「え」目を丸くした彼女がヴァンを見た。相手は中身のない微笑みを深くしてみせただけ。気に入らない奴だ。
は僕の指示で動きました。あの場を指揮したのも実質僕です。全て見ていたあなたには言うまでもないことだろうと思ったのですが」
 丁寧な言葉に棘を含みながら微笑みを消した。「はっきり言ってくださいませんか、グランツ隊長?」彼女を強く抱き締めて引き寄せる。不安そうに僕を抱き返す腕と、彼女の体温。
 油断なくこの場に気を配っていた僕の思考に引っかかりができる。視界の端から飛び出した人影に瞬時の思考で判断を下し舌打ちして腰を落として彼女を手離し、もう片手の掌底で相手を上に突き上げて飛ばした。反動で身体にかかった負荷を殺しながら片腕を伸ばして転びそうになっていた彼女を抱き止める。
 びっくりして瞬きを繰り返す彼女と、どしゃりと倒れた人の音。細く息を吐き出してから振り返れば「いやお見事」とちっとも褒めてない言葉をかけられる。ヴァンを睨みつけて「どういうつもりです」と低く問いかけた。相手は意味深に笑うのみ。
「さすが、今日あの場を取り仕切っただけのことはある。ということだ」
「…あんなものあんたからすればオママゴトだったろう。わざと隊を置いて離れた。あれはテストだった。違う?」
「イオン、」
 彼女が緩く首を振る。一応上の人に対しての言葉遣いは敬語が好ましい。だけど僕はどうにもヴァンが気に入らないし、相手も敬語をやめた。だから僕ももう取り繕わない。
 すっと差し出された手と「私のもとへ来い。見習い兵士などというオママゴトからは解放される。お前達のその能力、もっと上の場所で試すべきだ」そう言ったヴァンに僕は小さく笑った。
(もっと上の場所。僕は別にこのままでいいんだ。彼女だってね)
 安月給で回ってくる任務は教会や教団の雑務が常。たまに回ってきても簡単な魔物討伐や馬車護衛の任務。彼女と一緒にそれをこなす。彼女が一緒なら図書館の古い本棚の整理も、鎧の足跡で汚れた床をモップ片手に磨くことも嫌じゃない。
 彼女が一緒なら。一緒だからこそ。
 僕は彼女を抱き締め、彼女が不安そうに僕に身体を寄せている。だから僕は言った。「余計なお世話だよ」と。目を細めたヴァンにこう続ける。
「僕らはこの位置で十分だ。あんたの余計な世話はいらない」
 だから僕は彼女の手を引いて、開いたままの部屋の窓へと歩き出した。「え、あれイオン」と慌てた声を出す彼女を連れて窓枠を乗り越える。困惑顔の彼女が同じように窓枠を越えて部屋に入って、僕は手を下ろしてこっちを眺めているヴァンを睨みつけてばたんと思い切り窓を閉めてやった。ついでにしゃっとカーテンも引く。
「…イオン」
 僕の顔を覗き込んだ彼女が「あの、いいの今の。失礼、だったよね」「いいんだよ。先に手を出してきたのは向こうだ」と返して彼女の手を離した。少ない荷物から彼女が着れそうなものを探す。僕のじゃ少し大きいかな。
「イオン?」
「心配だから、今日はここで寝てって」
「え、でも、それっていけないこと」
「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」
 白いワイシャツと黒いズボンを引っぱり出す。彼女が不安そうにカーテンの向こうを見つめるから「あいつのことは気にしない」ぴしゃっとそう言う。彼女が諦めたように頷いて僕のそばにきた。その手に着替えを預けて「シャワーはあっち」と奥の部屋を指す。彼女が頷いて、それから思い出したって顔をしてから僕の頬にキスをした。それに一つ瞬く。
「何?」
「今日、してくれたでしょ。あれ、大丈夫って意味だよね。すぐに戦闘入っちゃったから忘れてたけど、私ほっとした。今もそう。イオンがね、いてくれてよかった」
 彼女が笑う。困ったような、ほっとしてるような、気を緩めてる顔。僕は息を吐いていつ言い出そうと思ってる言葉をまた飲み込む破目になる。

 お互いそれなりに時間を一緒にしたし話もたくさんしたし、君のそばにいるのは僕で、僕のそばにいるのは君だ。僕らはお互い寄り添って生きてきた。これから先だってきっと。
 確かに、見習い兵士なんてことを仕事にしてるうちはまだまだ考えられないことだけど。それでも僕は君を唯一の。

「…疲れてるでしょ。シャワー浴びてきなよ」
「うん」
 彼女の頬にキスを返して顔を離す。洗面所の扉が閉まる音。僕は振り返って窓の向こうを睨みつけた。もう人影は感じない。
 僕から彼女を奪うというのなら、それが預言であれなんであれ、絶対に許さない。絶対に奪わせない。は僕のものだ。
 ぎしとベッドに腰を下ろして目を閉じる。
 いつかの未来を思い描く。ダアトは預言預言でうるさいから、ここじゃないどこかへ行きたい。そうだな、ケテルブルク辺りがいいのかもしれない。あそこは別荘が立ち並ぶ場所だから普段からそんなに人はいないし、年中雪だし、寒いし。だからあそこは大陸が離れてることもあって争いごとには縁がないし、静かに二人で暮らすならああいう場所がいい。
 いつかには君と二人で暮らそう。君と一緒ならつまるところどこでもいいのだけど。君が僕から奪われないのなら僕はそれでいいんだけど。ここにいるのもどのくらいか算段をつけて、僕は君の分まで物を考えて君の分まで。
(君にいらないものは僕がもらう。悲しみも、苦しみも、君にいらないものは僕が)
 背中からベッドに倒れ込む。さすがに僕も疲れてる。明日何かあっても大丈夫なように、今日はしっかり寝ないといけない。身体を休めておかないと動くべきときに動けなくなる。

「イオン?」
「、」

 呼ばれて瞼を押し上げた。視界の真ん中に彼女がいて「借りたね。ありがとう」と着ているシャツをつまんでみせるから「うん」と返して視線を外す。残念ながら見習い兵士の部屋にはベッドは一つしかなく、あとは備え付け型の机とそこに本棚が少し。あと椅子が一つ。他には兵服なんかを入れてるタンスがあるくらいで、ソファの類はない。
 彼女が小さく欠伸を漏らして眠そうにした。だから僕は覚悟を決めて起き上がる。
「ベッド一つだよ。狭いけど大丈夫?」
「うん。だいじょぶ」
 立ち上がった僕の代わりに彼女がベッドに座り込んでたたんである布団を広げ始めた。僕は入り口まで戻ってぱちんと部屋の電気を消す。カーテンの向こうからの薄い光を頼りにベッドまでいって手をついた。彼女は奥で寝るらしい。さて、頑張れ僕の頭。
「あのね」
「うん」
「イオンがいて。ほんとによかったなって、すごく思ってるよ」
「…そう」
「うん。そう」
 彼女のために、眠るまでそうしていようと思って、ベッドに頬杖をついて彼女の濡れている髪を撫でた。闇の中で彼女が枕に顔を埋めて「おやすみイオン」と言う。だから僕は微笑んで「おやすみ」と返す。彼女が安心して眠れるようにと、僕は濡れた髪を撫で続けた。
 少しして、彼女は眠った。頬杖をそっと崩して腕を頭の下にして枕にする。暗闇に慣れてきた目を細める。かわいい寝顔で彼女は眠っている。
(…僕も寝よう)
 目を閉じる。彼女の存在をすぐ近くに感じながら眠りに落ちる意識。それはきっと、すごくしあわせなことだ。
手探りでして

あとがき

というわけでそんな「もしも」の話ですが、オリイオ様です
イオンが導師でなかったら誰が導師なのよとかそこんとこはまぁ置いておくとして。まぁIF話ですから細かいところは(略
イオンは頭もキレるし普通に信託の盾の兵士だったとしても、順調に上への道を歩むのだろうなぁと思いながら書きました
ついでに幸せになってほしいから、未来の臨める感じで書いてみた。のです、はい

八万打報告してくださった昴さんー、こんな感じのみどりっこというかオリイオ様ですが、どうぞよしなに^^