「はぁ? 君相変わらずばっかだね、そんなのいやだって断ればいいでしょう?」
「えーいやだって。お前しかいないんだよ頼むって手合わせられたらうっとくるでしょ?」
「こない」
「えー」
「えーじゃないよ。君こないだもそんな感じで後片付け押しつけられたでしょ。忘れたの?」

 珍しくルピが怒っていた。プラスいつもに増して饒舌だった。「あの、ルピなんでそんな怒ってるの?」「君が情けないからだよこのばかっ」ついでにべちと頭を叩かれた。いてと思いながら片目を瞑ってそれに耐えて「いやでもさ」「うるさい言い訳するな。今度ばっかりは断らせるから」「えー」「えーじゃないっ!」今度は怒鳴られてうへと肩を竦める。
 ルピが怒ってる。そんなの見れば分かるけど、どこにそんなに怒ってるんだろう。ただ俺がクラスメイトにちょっと用事頼まれたってだけのことなのに。別にどうってことない、多分一時間もあれば終わることだ。ただの掃除なんだから。相手はデートがあるとかでどうしても誰かとバトンタッチしたかったらしい。で、白羽の矢が立ったのが俺と。
「ルピ、もういないよ相手。デートだって言ってたから」
「〜、もうっ」
 べしとまた頭を叩かれた。いてと思いながらぱしとその手を取って「ねぇ何そんなに怒ってるの」と言う。ルピのアメシストの瞳がじろと俺を睨んで「君が損してるからに決まってるでしょ」と言う。だからぱちと瞬いて「損?」とルピの言葉を反芻する。ぷいと顔を背けたルピが「損じゃない。君ばっかり押しつけられて君は押しつけないんでしょ。それって君ばっかりが損じゃない」と。そう言う。
 も一つぱちと瞬いた。さっきまで怒ってたルピが今は怒ってない。
「俺のために怒ってくれたの?」
「…悪い?」
「全然。ありがとう」
 だからいつもみたいに笑ってぎゅうとルピを抱きしめた。相変わらず華奢だなぁと思いながら黒い髪に口付けて「俺のために怒ってくれるんだ。嬉しい」とこぼせば腕の中のルピが顔を背けて「うっさいなぁ、君が損すると僕も損するの。そういうものなの。っていうか離して暑い」「やだ」「、」ぺちと頬を叩かれて「離せ」と言われる。離せって言ってるくせに俺の服掴んでるのはあれだよね、照れてるから。でしょう、ルピ。
(かわいいなぁ)
 試しに額に口付けてみた。「ねぇまだ怒ってる?」「…別に」「本当? 気分悪くしたならごめんね。俺はそんなつもりなかったんだけどさ」「…別にだいじょぶだけど」ぼそぼそした声が返ってきてだんだんそれに棘がなくなっていく。一分くらい前まで怒ってたルピが今はもう腕の中で大人しい。大人しく抱きしめられたままでいてくれるとこもまたかわいい。
 いつだったか、どっかの誰かに言われた。お前らお似合いだよと。
「ねぇルピ。俺掃除あるんだけど」
「…知ってる。引き受けた君が悪い」
「うん。先帰る? それとも待ってる?」
「ばかじゃないの。手伝うに決まってるでしょ」
 ぼそぼそした声でそう言われてへらと笑う。俯き気味の顔に手を添えてキスをした。ルピは拒まなかった。当たり前と言えば当たり前。だって好き合ってるんだから。世間一般で言うと同性愛ってヤツになるんだろうけど、まぁそれはそれで。別に間違ってないと思うし。
 かわいいなぁと思いながら黒い癖っ毛の髪を撫でていたらべちと頬を叩かれた。少し離れた唇が「掃除。するんでしょ」と言うから「うん」と返す。「さっさとすませる。君そういうの得意じゃないんだから」「はーい」顔を赤くしたルピがそっぽを向いたのに満足して腕を緩める。そうですね掃除はめんどくさい、さっさとすませよう。俺そういうの遅いしめんどくさいと思っちゃうし。
 でも引き受けちゃったのはやっぱり俺が甘いってことなんだろうか。よく言われるけど。
(まぁいいか。それはそれで俺ってことだし)
「ねールピ、俺のこと好き?」
「何急に」
「なんとなく。好き?」
「…君は」
「俺? 好きだよ。ルピのこと大好き」
「…よく言えるよこのばーか」
「えー」
 明後日の方に顔を背けたルピが「うるさいなぁ、言わなくたってわかってるくせに」とか何とかぼそぼそ言う。だから首を傾げて「ね、俺のこと好き?」「…好きだと悪いの」「全然。嬉しい」自惚れていいかなぁとか思いながら緩く繋いでいる手を握る。そうすると握り返される。それにまた笑い返して思う。うん、俺はこれでよかったって。俺は俺で、ルピはルピでよかったって、そんな当たり前のことを何度も思う。
「ねールピ、ずっと一緒にいようね。ずっとだよ」
「恥ずかしいこと言わないで。それからそれ、当たり前」
「そっか。うん、そうだ」
 預けられた教室の鍵を放ってキャッチした。ちゃりんと音がする。外は夕暮れ場所は別棟の校舎、特別教室って名前のふつーの教室。これから掃除するんだと陽が暮れちゃうだろうけど、俺は一人じゃないから。ルピも一人じゃないから大丈夫だ。
 俺達なら大丈夫。そういうことをいつ意識していつからこういう関係になったのかもう忘れたけど、やっぱりこういうのって運命なんじゃないかな。ただ好きだって思うこと、ただ愛しいと思うこと、ただ相手を思いやること。そういうふうに心が動くこと。それって運命なんだろうって思う。
 俺達のこれはきっと運命だった。
「ねぇ」
「ん?」
「あの…今日君んち空いてる?」
「誰もこないけど」
「じゃあ僕が行く」
 ぞんざいに箒で床を掃いて埃を集めて黒板消しで黒板きれいにして、なんでか汚れてる机を拭いて。すっかり陽が暮れてそろそろ教室の明かりをつけようと思ってたところだった。
 向こうの方で机を拭いてるはずのルピからの言葉にぱちと瞬く。それってつまり。
 電気電気。片手に黒板消しのままでスイッチを探してぱちんと押した。じじという音のあとに白い蛍光灯に灯りが入って教室が照らし出される。ルピは黙って白い机を拭いていた。「これ最後だから」と。「君黒板。あと上の方台乗ってやってね」「あ、うん。やるけどさ」だからがたがたと教壇の下から踏み台を出しながらちらりとルピの顔を確認する。黒い髪が頬にかかってる。白い肌に黒い髪、かわいい俺の。
(あー。かわいいなぁもう)
 人様にはわりと冷たい態度を取るルピは世間一般で言うツンデレってヤツらしい。とか何とかこないだ誰かに言われた。いやこの場合なんていうかもうツンデレとかそういうの関係ないかな。ルピかわいい。うんそれで完結終わり。
 ルピはかわいい。それだけで十分。そのルピが俺のものなんだから、もうそれだけで十分この世界で生きていける。不況だろうが不景気だろうが生きていける。泥水すすってだって生きていけるよ。そんなこと言ったらオーバーだって呆れられるんだろうけど、俺はそのくらいルピのことが大好きです。
「よーし終わった! ルピ終わったよー」
「最後。戸締りの確認」
「はーい」
 教室の窓の鍵と正面扉以外全部閉まっているのを確認した。「オッケーだいじょぶ」「ん」俺の分の荷物を持ったルピが入り口で俺を待ってた。
「出るよ。職員室までそれ返したら終わり」
「はーい」
 たったか入り口まで歩いて行って振り返って電気を消した。ぱちんと音がして教室がふっと暗くなる。はい掃除終了。あとは鍵閉めてこれ返せば。
 かちんと鍵を閉めてきちんと閉まってるか確認した。よしオッケと鍵をポケットに突っ込んで「ありがと」と鞄を受け取る。ルピが先立って歩き出しながらこっちを振り返って「ほら早く。消灯時間近いよ」と言うから「はいはい」と返して大股で歩いて追いついた。
 頭一個分の差の身長。ちょうどいいくらいの目線の違い。見上げられるとどうしても上目遣いに見えるのはどうしようもないことなんだけど、毎度結構心臓に悪い。
「何?」
「いや別に。行こ」
 手を差し出せばルピが呆れたって顔で息を吐いて、仕方なくって感じで俺の手に手を差し出す。その手を握って俺は笑う。ねぇこんなにも幸せでいいのかなと笑う。
 俺はお前といられてすごく幸せ。俺のために怒ってくれる、俺のためにそこにいてくれるお前が大好き。
 これからもずっと俺達はこうやって生きていく。不況だろうが不景気だろうが偽装だろうが詐欺だろうが全部と戦っていく。どれだけ分が悪かろうが戦ってやる。
 ルピがいてくれるなら、俺はなんだってできるから。

そうしてきみが手を繋いだのなら
こわくない