たとえばこわい夢を見て飛び起きる。 そうすると隣には体温があって、自然と意識が縋るように体温の方に向いて。目を向ければ、そこにはあの頃からずっと一緒に生きてきた人が眠っている。 「……」 僕はそれに心から安堵して息を吐いて。滲んだ涙を拭って、まだ陽が昇っていないことを確かめて、じゃあまだ眠っていていいんだってことを確認してに寄り添う。 こわい夢は、いつも僕が守られて、この人が殺される夢。 僕らの最後だったあのときのせいだろうと、何度も思う。破面であった頃の、最後の記憶。僕を庇ったが斬られる。赤い色が飛び散る。白い服が真っ赤に染まる。 僕はそれを何度も見る。ときには銃で君が撃たれ、ときにはナイフで君が刺され。だけどそのどれもが僕は無傷でそして無力で、血に染まる君を呼んで泣いて縋って。そしてそんな僕に、君はやっぱり笑うのだ。あのときのように、苦しそうに、でも笑ってみせるのだ。 ルピ、と僕を名を呼んで。 「…僕らが引き裂かれることはもう、ないよね」 何度だって、何度だって夢を見るから。確かめるように、僕は何度もそう口にする。 は眠ってて意識はないけれど、目を覚ましたらお早うルピって僕に口付けてくれるだろう。いつもみたいに。 僕の一日はそこから始まる。が僕の名前を呼んでくれることから。 そうして、僕の朝はいつも。 「ふぁ…」 いつもみたいに欠伸したがおぼつかない目元で「今何時ぃ」と訊くから、手を伸ばしてベッドスタンドの上の目覚ましを取った。デジタル時計を睨みつけて僕も目を擦る。なんだかんだで結局うたた寝しかできなかった。 「八時だよ」 「八時ぃ。……、わぁ八時っ」 がばと起き上がったがわたわたと「やっべ寝坊、トレパドーラのご飯! に散歩!」言いながらばたばた着替えて。僕はそんなを見つめて目を擦る。まだ眠い。 それで気付いたように目を合わせたが僕の頬に口付けて「おはよルピ。散歩行こう」と言って笑ってくれる。「おはよう」と返す自分の中にあたたかさが戻ってくるのが分かる。 それでようやく、僕も笑える。 「起こしてくれてよかったのに」 「僕も眠かったんだよ」 「何? またこわい夢?」 「…うん」 へっへと舌を出して僕らの先を歩くトレパドーラ。が僕の手を緩く握って「眠れないなら薬もらってこようか。なんか眠薬の軽いのとか」と言うから首を振った。これはそういうので治るもんでもないと思うし。 これは、が僕を庇って、僕がに守られた。あの最後がどうしても納得できていないから。無意識下でも意識してしまってるから。だから何度だってあの瞬間を、見たくもないのに見てしまう。 の手を握り返して「あのね、どうしても…最後が。ダメなんだ」とこぼす。が首を傾げて「破面のときの? もう忘れようって決めたじゃない」「…そうだけど」唇を噛む。そうだけど。そうだけどやっぱり、僕が君を死なせる原因になったことに、変わりはない。 が困ったように笑って僕の額に口付けた。 「あれは俺の意思だったよ」 「…分かってる」 「そんな顔してないけどなぁ」 そう言われてふいと顔を逸らした。分かってる。分かってるんだ。だけどどうしても。 もう、生まれ変わったんだから。あの頃のことはなかったことにって。そう、分かってるのに。 の手が腰に回ってひょいと抱き上げられた。慌てて首に腕を回すと、が笑う。「相変わらず軽いね」と。僕はそっぽを向いて「スカートなんだけど」と抗議した。ロングだろうがワンピースなんだから抱っこなんてされたくないのに。 だけどが勝手に満足そうな顔をしてるから、ひっそりと息を吐く。 なんだかんだで結局僕は甘えてる。全部に。 「…あんなこと、もうしないでね」 「大丈夫だよ。ここは戦争してない国だし。平和でしょ、田舎は」 「何にもないけどね」 「そこが田舎のいいところです」 が笑うから、結局僕も笑う。こわい夢は何度だって見て何度だって目を覚ますのに、結局がいるからと僕はあれを忘れようとする。現実のの体温で、あのときのことを忘れようとする。 でもやっぱり。やっぱり、こわい。 この人がいるから僕は生きている。この人がいなくなったら僕は生きていけない。 それがたまらなくこわい。奪われる瞬間を知っている僕は、またそれが訪れるんじゃないかとこわくて仕方ない。と一緒にいるときはその体温で全て誤魔化せるのに、の笑顔に全部はとけて僕だって笑えるのに、一人になったときやが眠ってて僕の意識だけがあるとき、たまらなく恐ろしくなる。 僕はもう人間で。力でを守ることはできない。守られてばっかりだ、僕は、いつだって。 「あのねルピ」 「、何?」 「俺はルピは女の子だと思うんだよ」 「…僕男だよ」 「そうなんだけどね。なんていうのかな、女の子なんだよ、俺にとっては」 それでそんなことを言われて眉根を寄せた。「もっと弱音言っていいよ。女の子みたいに」と言われて。「わんっ」と向こうの方でトレパドーラが僕らを呼んでいる。僕はに抱き上げられたままだ。 (女の子…ねぇ) その肩に顎を乗っけて「知らない。女の子ってどんな感じなの」と漏らす。は笑ったみたいで、「ルピみたいな子。俺にはルピは女の子だよ。守ってあげたい子」と言われて、首に回している腕に力を込めた。 僕は、守られるだけでいいんだろうか。女じゃないのに。にとっての僕は、本当にそれで。 「ねールピ、難しく考えないでね? 今のままでいいんだから。ただもっとわがまましていいんだよってことで」 「…十分わがまましてるよ。君を困らせてる」 「うーん、なんていうの? こわい夢見たら起こすくらいしていいんだよって。俺の安眠の優先なんて、ルピの安眠の優先に比べたらいくらにもならないよ」 眉根を寄せて顔を上げる。ごちとその額に額をぶつけて「やだ。そういうのはやだよ。僕だって僕より君のこと優先したい」と言う。が笑って「そう? でもな、そのためにルピが寝不足なのは俺いや」それからキスされる。 トレパドーラが向こうの方で呼んでる。呼んでるんだけど、の足は止まっていた。 「ねぇルピ、体重落ちたのも寝てないからでしょ?」 「……それは」 「俺そういうのやだよ。俺のせいでルピが磨り減ってくの」 「、僕だっていやだよ。君が僕のせいで苦労するの」 至近距離で言い合って、そこを誰かが通った。なんか英語で挨拶されて、がへらっと笑って何か英語で返して。それにむぅと眉根を寄せる。僕は英語がまだいまいち掴めない。ここ田舎だからかちょっとなまってるし、聞き取りにくいし。 それで挨拶していった金髪の誰かが、同じく犬の散歩なんだろう、ゴールデンレトリバーを連れて歩いて行った。「トレパドーラおいで」とが声を上げると、いい子であるあの子はすれ違う犬に見向きもせずにこっちに駆け戻ってくる。 「ラブラブですねだって」 「え?」 「今の人だよ」 がそう言って笑うから。だから僕は口を噤んだ。 (ラブラブ。なんか死語) そのくせ何を照れてるんだろう僕は。っていうかラブラブって言われようだと僕はやっぱり女って見られてるのかな、どうなんだろう。っていうか今日スカートだしな。そう思われてても仕方ない。 ぐるぐる考えていたらとんと下ろされた。戻ってきたトレパドーラの頭を撫でたが「俺だってお前のことばっかり考えてるけどさ」とこぼす。顔を上げるとが困ったように笑った。「なかなか上手くいかないね」と、少し寂しそうな笑顔で笑う。 だから僕は唇を噛む。 世界で二人だけになってしまえたらと、そんなばかみたいなことを、僕はもう何万回考えたんだろう。 「…じゃあ今度から、こわくなったら、起こす」 「あ、ほんと? そしたら俺嬉しい」 妥協案を出したらが笑った。笑って僕に口付けて、「そうしたらこわいって言うお前を抱き締めてあげられる」と言うから。 ああこの人は本当に、僕ばっかり見てるんだなぁと思って。そんなこと今更すぎると思ったけど、僕のためなら何でもやる人なんだなと思って。 だから、僕もこの人のためなら何でもできて。 「…泣いていい?」 「え、泣くの? じゃあ抱っこする」 またひょいと抱き上げられて、その肩に顔を埋めた。じわじわ涙が滲んでくる。 この人が優しいのは僕にだけ。分かってる。だからこそ、優しすぎるからこそ、僕はこの人を失ったときのこわさを思ってしまう。だって僕を失ったらきっと、生きていけないのに。 世界が、二人きりになってしまえばいいと。もう何万回思ったことだろう。 「あのね」 「うん、何?」 「世界で二人っきりになれたらいいなって、僕そんなことばっかり考えてる。ばかだよね」 「そんなことないよ。俺だってそうなったら本望」 顔を上げると、がやわらかく笑った。「俺といるときは他全部無視しな。そうしてもいいんだから」と言われて、滲む視界を擦る。僕ばっかり女々しい。それでいいっては言ってくれるけど、やっぱりなんか女々しいのはいやだ。 僕だってみたいに笑っていたいのに。泣きたいんじゃなくて、笑っていたいのに。 「…僕のこと大好き」 「あれ、愛してくれてないの?」 「愛してるよ」 「…素直だね。いつもみたいに頭ぶってくれてもいいのに」 が苦笑いする。僕はそっぽを向いて「うるさい」とだけ言って、の首に回している腕に力を込めた。 僕はこの人と一緒に生きていくんだ。終わりのときまでずっと、最後のときまでずっと。 |