俺の大事な大事な、

「ん」
 びしとルピに差し出されたものに一つ瞬きする。「何これ」と訊けば「お昼」と言葉が返ってきて。首を傾げて「俺あるよ?」「…いつまでもそんな栄養偏ったもの食べてないでよ」ぼそぼそとそう言ったルピの顔が照れたようにそっぽを向いていたからまさかとがしとその包みを掴む。
「まさか、手作り?」
「…それ以外にある?」
 俺はぱあと自分の顔が輝くのが分かった。ふんとそっぽを向いたルピが「しょうがないから作ったんだからね」と言うのでうんうんと頷いて開けようとしていた菓子パンを鞄に突っ込む。
 菓子パンとルピの手作り弁当どっちがいいって訊かれたら、当然俺は手作り弁当を取るに決まってる。
(今日のはサンクスで新しく出たやつだったんだけどなー、帰って食べればいいや)
 菓子パンのことはすぐ頭から放り出して、俺はルピの手作り弁当をわくわくしながら紐解く。
 ルピがいつもお弁当を持って来るのは知っていた。食堂とか菓子パンにしないのは弁当が一番経済的で栄養バランスも考えられるからだそうだ。それに現実的だなぁと思いながらお母さんが作ってるの? と訊いたらじろりと睨まれて、自分でだよ、と返されて。
 ルピの手作り弁当なんて俺だって食べたいに決まっていた。だから前々から食べたい食べたいと言っておいたのが今日ようやく。
 かぱ、と蓋を開ける。生まれてこの方弁当なんて自分で作ったことのない俺にはなんてことない中身でも輝いて見えた。だって何よりルピの手作りなんて。
「食べていい?」
「どうぞ」
 隣では拗ねたような顔でルピが自分の弁当の方をつついている。
 ちゃんと割り箸までつけてくれてるのに感動しながら手を合わせて「ではいただきます」とお弁当に向かって頭を下げた。食べたい食べたいって思ってたからすごく本望。
 そぼろ三食のご飯の味付けは好みだったし、わざわざタコさんのウインナーとかだし巻き卵とかきちんと入ってる野菜も全部ありがたく食べた。全部平らげてペットボトルを仰ぎごくんとウーロン茶を飲む。一息吐いたところでルピがこっちを見ているのに気付いて笑った。
「おいしかった」
 そう言えばそっぽを向いたルピが「当たり前でしょ。時間かけて作ったんだから」と言うから、胸にしみじみと広がるあたたかさを感じながら空になったお弁当を片付ける。

 夢のようにはいかないのが現実。夢は夢だ。それはルピの言う通り。
 だから俺は夢は夢と割り切り、夢のルピを求めるんではなく現実のルピを求めるべきだと思った。
 この間の公園でのキス以来、ルピはちょっと俺に優しい。素直じゃないからこんなふうにお弁当突き出してきたりして所謂ツンデレってやつなんだけど、それでも俺は嬉しい。だってルピは俺のことを好きだって言ってくれたんだから。それは俺にとって何よりの励みになる。
 だから大学の授業だって頑張れた。学科は全部ルピと同じ。席が自由だったら絶対ルピのそば。席が離れてたら授業半分ルピ半分の頭で時間を過ごす。
 俺にとってルピは、本当に大切な子だった。自分よりもずっと。
 あれから、夢はときどきしか見なくなった。現実のルピで夢のルピが少しずつ薄れていく。現実のルピが俺の手を引っぱるから。ちゃんと生きようよって。生きてるんだからって。
 最後。俺はお前を庇って死んだけど。でも今確かに息をしてる。それは確かなことだ。だからルピの言う通り、俺は現実を見るべきだ。ルピと今ここにあるという現実を。
(あれが真実でも。俺達はこの世界にいる。現実に生きてる。それでもう十分だ。また巡り合えただけで、ルピが俺を見てくれるだけで、俺はもう幸せなんだ)
 帰り道。今日は寄り道して行こうかってツタヤに寄った。ルピは探してる本があるとかで、俺はCDの新曲にいいのがないか探したりして。だけどなんだかそわそわしてルピが気になってしょうがないから二階に上がったら、階段のところでばったり鉢合わせした。
「もう本買ったの?」
「まだだけど。君こそCDは?」
「俺はルピが気になって」
 それで笑ったら、ルピが呆れたような顔をした。しょうがないなってふうに手を差し出して「僕もそう思ったところ。だから、一緒に行こう」と、そう言うから。俺は破顔してその手を握り締める。
 だんだんと薄れていく夢。だけどこの体温だけはしっかりと記憶に刻み込まれている。俺の魂に。
「ルピ何買うの?」
「…別に」
 そっぽを向かれた。だけど手を繋いでくれてるだけで俺は嬉しかったから気分がよかった。「君って極端だよね」と隣でルピが呆れた息を吐くのが分かる。ちょっと強めに握られた手にはところどころに絆創膏が貼ってあった。なんでかって、ドッジ大会で俺のクラスはトップに立ったから。俺は攻め側だったから、ボールは積極的に投げるわ受け止めるわで。
 摩擦でやられた手をルピが労わるように撫でるから、俺はそれだけでもう満足で、自然と笑みがこぼれてしまう。
「大丈夫だよ」
「君はそればっかり。最後もそれだった」
「…仰る通りです」
 苦笑いする。最後の夢だけはルピも知ってるみたいで、ぼんやりだけど憶えてくれてるみたいで。だからそうやって庇われることっていうか俺が盾になることはあんまり好きじゃないみたいだ。
 嬉しくないって言えば嘘になる。そうやって思ってくれてるんなら俺は嬉しい。ルピを求めて生きてきた俺にとってはすごく嬉しい。
 だからへらっと笑って「いいよ平気。もうドッジもないだろうしさ」「…そうだけどね」そっぽを向いたルピが雑誌コーナーに行って一つを手に取る。片手じゃ本は見られない。だから俺は手を離した。何か漫画でも探そうかなぁと思ってふらっと踏み出したら、ぐいと服の裾を引っぱられた。振り返れば雑誌に視線を落としたままのルピ。だけどその片手は俺の服を掴んでいる。
「何?」
「…どこ行くの」
「え、漫画でも見てこようかと。…駄目?」
 首を傾げる。ルピが気に入らないってふうに眉根を寄せた。なので踏み出した足を引っ込めてルピの隣に立つ。頭一つとは言わないけどルピとは結構身長差があるから、どうやっても上から覗き込む形になる。
「そういうの好きなの? パンク系?」
「別に…袖長いのがいいの」
「それは前と変わらないんだね」
 笑ったら、ルピが眉根を寄せた。それから目を閉じて「…ああ、うん、そうだね。僕ったら余った袖で君の傷を」と呟いて瞼を押し上げる。少し揺れた瞳。俺はこつとルピの頭に額をぶつけた。「そんな目しないで」と。ルピが息を吐いて「夢だものね」とこぼす。
 夢。うん、夢だよ。多分ね。
(痛みを感じたんだけど。そんなこと言わない方がいいかな)
 雑誌をめくるルピのそばに立ちながら、こっそり傷を受けた箇所をなぞった。何もない。何もないけどたまに痛むことは、やっぱり言わない方がいいかな。
「そういえば探してる本あった?」
「ない。別にいいよ、どうせバスでの暇潰しに読むのだから」
「バスの時間長いもんね。ね、なんなら俺んちに」
「黙ればか
 言いかけたらつっこまれた。だから笑う。笑ってごちとルピの頭に額をぶつける。馬鹿かな。馬鹿かもしれないけど、俺結構本気なんだよルピ。
 帰り道。今日は寄り道してくって言って、ルピは俺の家まで来た。
「うわ、また汚い」
「すいませんねー汚くて。俺は家事とか苦手なの」
 キッチンには朝から突っ込んだままの皿やらコップやらが覗いてるし、布団は抜け出しましたってままの形だし、掃除機は高いしめんどくさいから掃除は百均のコロコロが主。今日はゴミが転がってるわけじゃないし洗濯物が溜まってるわけでもなかったから、とりあえず上げても大丈夫だろうと俺は普通にルピを招き入れた。
 甘いものは、ルピが俺の家に寄るようになってから置くようにした。クッキーとかパイとかルピが好みのものを。ジュースも果実系なら俺も飲めるから常備してある。
「何がいい? 今日」
「オレンジ」
「はーい」
 冷蔵庫からオレンジのクーを取り出してコップに注ぐ。ルピはいつもみたいに布団を整えていた。俺が抜け出したままの形だった布団がきれいになる。そうするとちょっとだけ見栄えがいい。
 たんとテーブルにコップを置いた。「ありがと」と言えばぼすとベッドに座ってコップを手に取ったルピが「別に」と言って口をつける。
 俺はと言えば鞄を机の上に置いたところ。それから思い出して中から菓子パンを取り出した。よかった潰れてない。今日はこれを夕飯に、
「ねぇ」
「ん?」
「まさかそれ今日の夕飯にするつもりじゃないよね」
 ぎくと固まって振り返る。ルピが眉根を寄せていた。この子は健康に気を遣ってるようで、俺の食べるものをすごく気にする。
「え、あの、だってさお昼ちゃんと食べたし。駄目…?」
「ダメ」
 きっぱり言われた。えーと思いながら菓子パンを見やる。じゃあこれ明日の朝? 一応今日が賞味期限なんだけどなぁ。一日くらい大丈夫だけどさパンなんだし。でもなぁ。
 ルピが息を吐いて鞄をベッドに放った。「お金ある?」「え? そりゃあまぁ」「…だったら買い出し。今日は遅くなるって言ってあるから、夕飯作ってあげる」そう言われて自分の耳を疑った。え? 今日お昼作ってきてくれただけじゃなく夕飯まで?
 思わず手にしていたパンが落ちた。ルピが眉根を寄せて「何? 不満?」と言うからぶんぶん首を振る。不満だなんてそんな。むしろ光栄。
「え、ほんと? じゃあ買い出し! 買い出し行こう!」
 がばとルピに抱きつく。ぎゅうと抱き締めたらいつもなら頭叩くとか馬鹿って言うとか何かしらリアクションがくるんだけど、今日はこなかった。あれと思って視線を落とすと、ルピは照れた顔でそっぽを向いていた。
「ルピ?」
「…君ってほんとばかだよね」
 ぼそぼそそう言われてへらっと笑う。
 馬鹿で結構。ルピのためなら俺はなんだってするよ。なんだって。
 それで近場のスーパーに行った。わくわくしながらルピがかごに材料を放り込むのを見ていた。俺は荷物持ち。ルピは料理に慣れてるらしく材料選びも迷いはなかった。
「ね、何作るの?」
「あ、何がいい? 今更だけど嫌いなものある?」
「ないない。ルピが作るなら俺なんでも食べるよ」
 笑ったらルピが呆れた息を吐いた。それからしょうがないなってふうに笑ってくれる。ああ抱き締めたいとうずうずしながら我慢。かご持ってるんだし我慢。人前だし我慢。
 それから会計を済ませてスーパーを出て。部屋に帰って。その間にも会話をして、それは多分どうってことないものなんだけど、俺はすごく嬉しくて幸せだった。
 たまにずきんと痛む右肩から左の脇腹にかけて。だけどそれは言わない。だって夢なはずだから。
 俺達はここにいる。言葉を交わして俺は笑ってルピはたまに笑って、いつもは拗ねたみたいに照れた顔をして。俺はそれがかわいいなぁと思ってて。
 あの頃とは、色々と違うけど。でも俺がルピを好きだってことは変わらない。ルピが俺を見てくれることも変わらない。だから俺はなんだってできる。この子がいるのならなんだって。

「…料理ができないんだけど」
 帰ったら我慢してた分ぎゅうと抱き締めてたら、ぼそりとそう言われた。それもそうだと思ってぱっと腕を離す。でもルピの頬がちょっと赤かったからもう一回抱き締めた。「、ねぇ」「うー」「うーじゃないよ。君は僕を最終のバスに間に合わせる気ないの」「それは駄目」はっとして腕を離す。そんな俺にルピが息を吐いて「ほんとに極端だね僕のことになると」とぼやいてキッチンへ行った。俺もそれについていく。
「ねー俺何しよう?」
「何かしてて。手伝いはいいよ」
「うぃー」
 だからルピが袖をまくるのを見つめた。いつもの長い袖の下には白い肌。ルピだって一応男の子で俺と同じはずなのに、細胞の構成どこか違うんじゃとか馬鹿なことを考えるほどに白い。
 なんでかなぁと思いながらぼふとベッドに座り込んだ。ごしと目を擦る。今日も授業はちゃんと聞いたし、大学生やってるよ俺。
(夢は…夢)
 ばふん、と背中からベッドに倒れ込む。天井を見やりながら耳に入る音に思考を傾ける。かしゃんと換気扇の回る音、ばしゃばしゃと水道水の音、たんたんと野菜を切る包丁の音。目を閉じれば家事をしてるルピが思い浮かぶ。
 、と呼ばれる声。やっぱり今のルピと少しだけ違うけど。白いルピの方が素直でかわいくて。でも今のルピだってかわいいし。
(俺は)
 と俺を呼んで差し伸べられる白くて長い袖と、その下から少し覗く白い掌。俺の愛しい、かわいい、ルピ。
?」
 呼ばれてぱちと目を開けた。ちょっと意識が飛んでたらしい。ルピが俺を覗き込んでる。
「あ、何?」
「具合悪い? なんかあんまり顔色よくないけど」
 ぺたと濡れた手が額に当てられる。一つ瞬いて「料理」「今フライパン。もうちょっと待って」言われればいいにおいがするのに今更気付いた。
 具合。悪いのかな俺。自分じゃよく分からない。
「あ、そういえば俺もう二年くらい風邪引いてないんだよ。すごいよね」
「何が」
 呆れた息を吐いたルピが俺から手を離す。だけど離れてほしくなかったからルピの首に腕を回した。「、ちょっと」と眉根を寄せるルピに俺は笑いかける。
「俺はルピが好き」
「…知ってるよ」
「愛してるんだよ」
「………それは知らない」
「ルピは俺が好き?」
「前に言ったでしょ」
「言ったけど。もう一回」
「…フライパン見なきゃ。離せ」
「やだ。もう一回。ね、ルピ」
「…もー」
 はぁと息を吐いたルピが俺の唇に唇を寄せた。少しだけだけど口付けされる。知っている温度と吐息が分かる。
「好きだからちょっと離して。焦げる」
 そう言われて腕が緩んだ。ぱたぱたキッチンの方へ行くルピの足音。
 視界がぼんやりしていた。ちょっと、右肩が痛い。熱い。
(古傷…じゃないのにな。何もないのにな。でもあの夢は)
 最後に見た夢。なんとなくあれが最後だと分かる。あれ以降はなかった。それまではたくさんあったけど、あれ以降は。続きはない。だから俺はあそこで死んで。そして、今。
できたよ。起きれる?」
「んー」
 よいしょと身体を起こす。かたんとテーブルに野菜と牛肉の炒め物を置くルピが見えた。コップを出してきてお茶も用意してくれた。ああなんかお嫁さんみたいとかぼんやり思って、そんなことを考えた自分の頭が確かに回っていないことを思った。
 風邪かもしれない、と思いながらすとんと床に座り込む。「平気?」とルピが心配そうな顔をするから俺は笑った。「ルピがいるから大丈夫」と。はぁと息を吐いたルピが「ねぇ箸は」「あ、あっち。割り箸は引き出しにあるよ」「ん」俺の代わりに動いてくれるルピ。なんかお嫁さんみたい。
 それで手を合わせていただきますをした。
 そこで、どうしてか涙がこぼれた。ぼろぼろと急に。ルピがぎょっとした顔をして「ちょ、何、まさかまずい?」と慌てるから俺は首を振った。だってまだ食べてない。手を合わせただけ。
 ぐいと袖で目を擦って「違う、ごめん、なんだろう。止まらないや」とこぼして箸を手にした。さっきから俺変だよ。自分でも分かってるけど、これはなんだろう。
「…ねぇ、泣くのはどうにかならないの」
「ごめん」
「…いいけどさ。その、大丈夫?」
「ルピに心配されると嬉しい」
 涙が止まらないまま笑ったら、ルピが複雑そうな顔をした。「君ってほんとに、僕がいないとダメな奴だね」という声にあははと笑う。
 それはその通り。俺は昔からルピだけを求めて。今も変わらず、ルピだけを求めてる。
「ねぇまずいの?」
「違うよ、おいしい。これがルピんちの味?」
「そうだけど…ほんとにまずくない?」
「まずくて泣いてるんじゃないてっば」
 じゃあ涙止まれ、って念じても、さっきから溢れるばっかりで。視界は滲むばっかりで。幸せすぎて泣けてるのかなぁとか思いながら、俺はやっぱり笑う。
「俺はルピが好き」
「……分かったから。もう分かってるからそんなこと。心配しなくても僕も君が好きだから」
 ルピがポケットからハンカチを取り出して俺の視界を塞いだ。「入学式のときもこんなだったね」と言われてああそうかもと思って。
(だから俺は、ルピがいるなら、大丈夫。きっと)