君の痛みは分からないけれど

 公の場で右腕の紋章を見せ雷を操ってみせたを王子と無関係とするのは、もう難しい事態となっていた。
 だから本当に苦し紛れで、と僕は兄弟なのだというほんっとーに無理矢理な設定をこじつけて、王様達は公表した。今まで黙っていたことをどう言ったのかまでは知らないけど、おかげで僕とはそれ以降縛られることなくお互い会うことができた。
 力を使った代償なのだろう、は右腕が動かないと笑ってた。僕はそれが悲しかったけど、ルピを守れて俺は満足だよなんて言葉言われたら、嬉しくないわけがなかった。喜んじゃいけないはそのせいで苦しんだんだからって思ったけど、本当はそれがとても嬉しかった。
 王子の影武者、身代わりとして暮らしてきた十年。きちんと王子が出席するとなっているパーティに黒の使徒が入り込まないとは言えない。むしろ王子を討とうと考えるなら公の場の方が好機。
 黒の預言書を絶対としそのためなら命を厭わないという黒の組織、その使徒。まさか本当にいるとは思っていなかったけど、黒いマントと狂気に走った目は組織の存在を物語っていた。そしてその絶対性を。
 振り上げられる刃に僕は覚悟した。影武者らしい最後、身代わりらしい最後だと思った。
 思ったのに。が僕を助けた。王子であるあの人は何があっても出てきてはいけなかったのに、よりにもよって身代わりの、影武者の僕を助けるためにその力を公衆の面前で使ってしまった。僕を守るために。
 本当は。それがとても、嬉しかった。
 僕を影武者だと知らずに恭しく接する侍従達よりも、僕を影武者と知っていて蔑む目で見る一部の人達よりも、何よりも。ただ、嬉しかった。

 だからもう隠すことも叶わず、は僕の義理の兄ってことになって、日常は回っていた。

「…あのさ」
「うん?」
「いくら元気になったからって、僕についてこられても困るんだけど…」
「なんで? 俺も職務手伝うよ。勉強ならしてたからだいじょーぶ」
「そういうんじゃなくて…」
 はぁと息を吐く。が首を捻って不思議そうな顔をしているので、僕は余計に頭を悩ませる破目になる。
 どちらかが狙われる可能性を思って別々に警備を置くよりも、一点に集中させた方がって簡単な考えで、僕とは同じ寝室になった。つまり同じ部屋。いつも一緒だ僕達は。そう、どちらが本当の力を持っているのか分からないよう、今更で苦し紛れすぎるとは思うんだけど、僕とはそういった理由で同じような生活を送っていた。
 右腕は、今はもう動くみたいで。は心配する僕にぐっぱしてみせて「だいじょーぶだよ、動く」と笑う。笑ってくれる。僕は誰かにそうやって純粋に笑顔を向けられることなんてなかったから、本当はそれがすごく嬉しかった。
 だけどどこかで間違っているんじゃないかとも思っていた。だって影武者なのに王子と行動して、と行動して同じことをしたりして。黒の組織にどちらが本当の王子か分からないようにするためとは言っても、やりすぎなような。むしろ馬鹿っぽいような。
 だけどこれで確定したことはただ一つだけ。黒の組織が動き出したということだ。
 ということは、黒の預言書は実在し、本当に邪神の復活を記しているのだ。そして預言書を絶対とする名もない黒の組織もまた存在するのだ。そうして預言通りなら邪神はこの世に再び蘇り、暗黒の時代が。そしてそれに対抗しうる力を持つのはただ一人。
「…辛くないの?」
「え? 何が?」
 昼食の時間。もふもふと口をローストビーフでいっぱいにしているにそう訊ねたら首を傾げられて、その平和すぎる顔に何も言えなくなった。何がって、色々全部。君は辛くないのか。そう思ってないのか。
 力を使えばはきっとまた倒れる。あのとき崩れ落ちるに僕の腕は届かなかった。僕を王子とする兵士は僕を保護し、雷により焼け焦げた黒の使徒は処分された。どうやってかは知らない。そこまでは僕の耳には入らない。
 ただ、届かなかったのだ。どんなに離せと喚いて手を伸ばしても目の前にいるこの人に僕の手は届かなかった。
 ぎゅっとティーカップを握り締めた。「暗黒の時代が近付いてるってことだよ。本当に、預言の通りに」とこぼした自分の声は、少し震えていた。
 この街は書に謳われた邪神が封印されし街。僕らは雷神の血を継いでいる。確かに誰でもそうだ。だけど僕らが扱えるのは小さな力。あんなふうに誰かを殺せるほどの力はない。
 黒の使徒。僕の目の前で崩れ落ちたあいつは雷にやられて死んだ。
 あのとき怖くなかったかと言われれば嘘になる。だけど僕は何よりに、右腕の紋章が淡く浮かび上がり心臓を押さえつけるようにして苦しそうにしていたに、駆け寄りたかった。本当は。兵士にすぐに保護されてその場から連れ出されたし、あのあと崩れ落ちた使徒がどう処分されたのかは知らない。事態の収束も。
 だけどに会いたくて。無理を言ってあのとき。
「別に辛くないよ」
 そう言われて顔を上げた。が首を傾げて「運命ってやつでしょ」とあっさり言うから、僕の方が戸惑う。「それはそうだけど」と眉尻を下げ視線を俯ける。
 それは確かにその通りだけど。でも来ないに越したことないはずでしょう。世界が滅びる預言なんて、外れてくれればよかったのに。
 ずずとコンソメスープをすすりながら「それに俺は結構満足してるんだよ」「何に?」「ルピとこういうふうに生活ができて」とは笑う。僕は口を閉ざした。そんなことで辛くないなんて、満足だなんて、言えるものなんだろうかと。

『お前を守りたかったから』
『俺はルピと一緒にいたいんだ』
『俺はお前を、守りたい』

(思い出すな)
 あのとき、医者が来るまで僕はのそばにいた。色んなことを言われた。それに僕は涙がこぼれた。僕なんかを守りたいなんていう意味が分からなかったし、だいたい今更すぎた。十年もたった。あの初めて出会った寒い冬の日から十年もたった。十年もたってから僕と友達になるつもりだったなんてこと言われたって、もう全部遅い。僕は王子の影武者としてしか生きてこられなかった。友達なんて、もう遅い。
 そう思っていた。だけどこの流れだ。ずっと一緒に行動してる。右腕は厳重に管理。腕まくりなんてもっての他。誰にも右腕のことがばれないようにしなくてはならない。は何事にもすぐはりきって腕まくりしようとするから、僕はそれを何度止めたか。
 友達、なんて。今更だって思って。あの日から十年も過ぎた。守りたいとか今更だし、っていうか影武者で身代わりである僕が君を守らないといけないんであって、間違ってもが僕を守るなんてことはと考えた。
 だけど、一緒にいたいんだって言われて。僕はそれがすごく、嬉しかった。
「……はぁ」
 息を吐いてかちゃんとカップを持ち上げる。は目の前で元気に鳥のソテーを頬張っている。
 一緒にいたいんだと言われて。僕は本当はそれがすごく嬉しくて。だからこんなふうに色んなことを一緒にできるようになって、本当はすごく嬉しかった。
 頬杖をついて「よく食べるね君は」「ルピももうちょっと食べなよ、このあと鍛錬だよ?」「分かってるよ」ぼやいて返しながらずずと紅茶をすする。
 僕は君みたいに剣は上手じゃないし、作法だって一通りだけで。剣技の時間は退屈だ。師匠である人もあんまり好きじゃない。だって厳しすぎる。できないものはできないっていうのに。
 これから鍛錬だと思うとはぁと溜息が漏れた。めんどくさい。剣の時間なんて。
(…でも)
 ちらりとを見やる。「ぷは」と息を吐いてソテーを平らげたが「あー満腹」と満足そうに紅茶に口をつける。
 王子って言葉は似つかわしくないくらい誰にでも普通に接する人。本当の王子様。
(まぁ、いいか。こんな暮らしも)
 かぁんと高い音を立てて僕の剣が空を舞った。「あ」と呟いたときにはもう遅く、煌く銀の切っ先が僕の首筋を捉えている。
「俺のかーち」
 それでへらっと笑うのは
 僕はむぅと眉根を寄せた。惨敗。今日も。
 はぁと息を吐いてからんと音を立てて落ちた剣を拾いに行く。
 剣の稽古と言えばただの稽古に聞こえるかもしれない。だけど厳重な警備だった。黒の組織が動き始めたことは確かに世間に広まったのだ。そしてそれに伴いどの区画も組織を警戒し警備兵を強化した。
 ここも同じ。特にお城は邪神を封印している間へと続く道がある唯一の場所であり、雷神の力を受け継ぎし者の住まう場所だ。だからどこよりも一番、警備とかは厳重になるばかりだった。
 視線はいくつもある。どっちが王子かなんてこと、兵士の人にはどう映っているんだろう。僕は確かに今まで王子として振る舞ってきたけど、この剣技の稽古を見る限りどっちが王子かなんて。
 息を吐いて拾い上げた剣。「王子」と呼ばれて顔を上げる。は人前で僕のことを王子としか呼ばない。あくまで僕はまだ王子のままなのだ。は僕の義理のお兄さんってことになってるから。
 しょうがないからもう一回剣を構える。どうせ結果は知れていた。だから別にそれはどうでもよかった。
 ただ、だんだんと暗くなっていく空模様が、気になっていた。
「天気悪いねー最近」
 バルコニーに出て空を仰いだがそうこぼす。だから僕は読んでいた本から視線を上げてぱたんと閉じて、同じようにバルコニーに出た。空模様。黒い雲が立ち込めている。まるで雷雲だ。鉛のように重く暗い色。
 バルコニーに出た僕をが抱き締めた。予告も何もない抱擁に息が止まる。心臓が暴れるのが分かる。僕は未だにこれに慣れない。
「何か、起こる…かな」
「どうだろう。街の警備厳重みたいだし、ちょっとのことなら大丈夫だと思うけど」
「…けど?」
「もしも黒の組織が本気で動き出したら…警備の兵士でも駄目かもね」
 そう言われて顔を上げた。僕より背の高いはどうやっても見上げることになる。いつもは笑ってるけど、だってやっぱり悲しそうな顔はする。当たり前だけど。
「近いのかもしれない」
「え?」
「…分かるんだよ。右腕の感覚で、何となく」
 そう言われての右腕に視線を落とした。僕を抱き締めるその腕には雷の紋章が刻まれているのだ。の言うその感覚っていうのは僕には分からないけど、僕を助けたあのときもその感じがしたんだとか。言ってた気がする。
 僕はどうにもこれが苦手で、「離せ」との腕から逃れようとするのだけど、は余計に強く僕を抱き締めて「やーだ」と言うから。かぁと顔に熱が上がるのが分かる。
 女でもないのになんで僕は抱き締められてるんだろうとかいつも思う。なりのスキンシップなんだろうかとか。そういえば最初に会ったあのときもは僕を抱き締めたような気がする。よく抱きついてくるし。どういうつもりか知らないけどその度にびっくりして一人どきどきしてる僕はばかだ。ばか以外の何でもない。
「…離せ」
「嫌です」
「なんで」
「抱いてたいから」
 何か言葉を言えば言うほど、言葉に言葉を返すほどに、に堕ちていくのが分かる。自分でもよく。
 抗いようのない何かを感じる。それが本当の王子だからだとかそういうのが関係してるのかは分からなかったけど、僕は僕に優しくしてくれるこの人のことが嫌いにはなれなかった。だから結局いつも負けて、僕はの気がすむままに抱き締められたままで、その胸に顔を埋めたままで。
 ごろごろと低く雷雲の音がする。
 預言者は詠んでいる。期は満ちようとしていると。
(…そうしたら。は)
 僕は唇を噛んだ。所詮影武者で身代わりの僕にできることは少ない。そのときが来てしまえばはきっと雷神の力を使うのだろう。僕を守ってみせたときのように。
「なんで、君は、生きるの」
「え?」
「預言書に詠まれた存在だから? 君だけが邪神を止められる雷神の直系の子だから? だから生きるの?」
 顔を上げる。はきょとんとした顔をしていたけど、やがて破顔して僕の額に唇を寄せた。目を見開く。額に触れるあたたかいものが信じられなくて。
「どれも違うかな。俺は俺のためにちゃんと生きてるよ。十年前のあの日、お前の手を取ったときから。俺は俺の意思で生きてる」
「…どういう、意味」
「言ったでしょう、お前を守りたいって。俺はそのために生きるし、そのために使える力があるんなら使うだけだよ」
 ぎゅうと拳を握る。「僕は君のなんでもない」と言う。だけどはやわらかく笑って「俺はルピが大切なんだよ」と。そう言うから。
 そんなこと言われたら、僕はもうを突き放す言葉なんて持ち得ない。
(ずるい)
 だからぼすとその胸に顔を埋めて「ばか」と罵る。は笑うだけだった。「いいよ馬鹿でも。俺はルピが一番大事」なんてこと言われたら、僕はもうを拒絶なんてできるはずもなく。現実を、事実を、受け入れるしかなくなる。

 影武者で身代わり。そんなふうに生きてきた十年。怨んでいなかったと言えば嘘になる。僕は抜け出したかった。どうして僕なんだって思っていた。退屈な王子の代わりを送る日々。王子でないのに王子を演じないといけない日々。
 だけど、今は。今は、そんなに悪くはないかなって思ってるんだ。僕の手を繋ぐ人がいるから。僕を抱き締める人がいるから。僕と一緒にいて笑う人がいるから。
 僕は本物の王子ではなく偽物のでっち上げられた王子で。それが辛くなかったと言えば嘘になるけれど。
 だけど今は、そんなに悪くはないかなって。そう、思ってるんだ。