ずっと探してた。誰かを

 誰かを求めて生きていることを自覚していた。自分じゃない誰かを探し求めるように、俺は色んな場所を点々とした。男だったから単純に女ってものを求めてるのかなぁなんて思ってホストなんて職に就いたこともある。そういうのお前向いてそうとか誰かに言われたことを憶えてる。
 だってお前誰のことも拒絶しないじゃん。理由を訊いたら、そいつにはそう返された。
 だけど別にそんな大そうなことをしてる覚えもなかった。ただ俺は、俺が探してる誰かが誰なのかが分からなかったから、腫れ物を扱うみたいに人に接していただけ。
 平和だった。俺の周りは。だから俺もそれに溶け込んだ。戦争は確かに世界のどこかで起こっていた。だけど俺のいる場所じゃ起こってなかった。だから俺にとって世界は平和だった。それは嬉しかった。
 偽善者ぶるとかそういうのじゃなくて、ただ純粋に、嬉しかったのだ。
 一人暮らしをしていた。だから料理のために包丁を手に取る。刃物。銀に鈍く光るそれがいつも何かを訴えてくる。包丁なんて男なんだし必要最低限しか使えないはずなのに、俺は包丁とは仲良しだった。どういうわけか。別に料理が好きなわけじゃないのに。
 もしかしたら殺人犯とかそういうのになってしまう人はこんなふうに刃物の光に魅せられた人なんだろうか、と考えもした。
 だから俺は包丁が嫌いだった。刃物は嫌いだった。料理するときはしょうがないけど、でも嫌いだった。だから平和が好きだった。包丁みたいな刃物の影のない世界が。
 そして、そんな世界の中で、誰かを探していた。包丁を握るといつも思う何かの感覚。思い出せそうなのに思い出せないそれ。俺は高校を出てすぐに職に就いた。
 点々とした。色んな場所を。俺が求めているのは何かを探した。誰かを探した。
 この衝動の答えはその誰かが持っていると、俺はどうしてか確信し思い込んでいた。
「大丈夫?」
 そして今、この腕の中にいる一人の高校生。何年かは分からないけど制服で高校生だってことは分かる。俺の胸に顔を埋めて「だいじょぶじゃない」というその子に困ったなぁと頭上を仰いだ。
 なんで男を抱き締めてるんだろう俺。ってういかどうしてさっきキスしてしまったんだろう。その子に言葉を重ねられる度に俺の中で何かが爆ぜて、爆ぜて、爆ぜて。それは包丁を持ったときに何か思い出せそうで、それが刃物に魅せられている自分の錯覚なんじゃないかと思って知らないふりをしてきた、その感覚よりもずっとずっと強い衝動。それによって俺はこの子に口付けた。
 名前はルピ。そう聞いた。
(ルピ…ルピ)
 なんだかすごく懐かしい名前。そう言ったのは嘘じゃない。ホストって職をやって少なからず汚れた俺は、嘘をつくこともより世渡りをスムーズにするためには仕方のないことだと飲み込んで。だからナンパってものはしようと思えば多分いくらでもできるし、だからルックスにはそれなりに気を遣ってたりして。
 でも、部屋では普通にジャージとTシャツ。スウェットもいいかなって思ったんだけど、それは俺じゃない誰かが、と思考が浮ついた。
 俺は誰かを求めてる。そんなこと分かってた。
 今日は何もすることがなくて、たまたまチラシで入ってたミスドの百円セールに行こうかどうしようか迷って、結局足を運んだ。甘いものは別に好きじゃなかった。むしろ苦手なくらいだ。だからパイものとか適当なものを見繕って腹におさめようと思ってた。それからサラダも。健康に気を遣わないと、と誰かに。
 その誰か。ミスドで俺の腕を取ったこの子の手、その体温が、なぜかとても懐かしかった。
「ルピ?」
 なんだか胸が騒ぐその名前を呼ぶ。俺の腕の中でルピはまだ泣いているようだった。色々たくさん言われた気がする。さっきから少なからずこっちに視線をやってくる人の目が痛いというか。
 だからその頬に手をかけて顔を上向かせて「ね、こんなとこで立ち話もあれだし、俺んちおいで。一人暮らしだから」と言ったらルピが目を見開いて、それからこくこく頷いた。その手を取って歩き出す。別に手を取る必要はないのに、それでも俺はその子の体温に触れていたかった。
 あれ俺ってそっち系の趣味あったろうかとふと自分を振り返る。誰かも知らない子を家に招くなんていうのもおかしな話だ。おかしな話すぎる。
 だけどこの子が他人だと、俺は思えなかった。
 重ねた唇の感触をまだ憶えてる。キスなんて初めてじゃないのに。誰かの手を取ることなんて初めてじゃない。それなのにルピの手を離すことができなかった。その体温を離すことができなかった。
 それに。この子は俺に会う前から俺を知っていた。
 普段はミスドなんて行かない。そんな場所で出会ったこのルピという子。
 自分で口にした。運命かな、と。待ってたと言われた。好きだったと、今も好きだと言われた。愛してるとも。そして愛してよとも言われた。普通に考えればおかしな話。だけど俺の中では何か、どこかでごとんと腑に落ちる部分があった。
 俺が探し求めていたのはこの子なんじゃないかと思った。
 男も女も関係なく、俺が求めていたのはこの子なんじゃないだろうかと。そう思った。
「ごめんね、何にもないけどどーぞ」
 がちゃんと開錠してドアを開ける。ルピはぎゅうと俺と手を繋いだままだった。離すもんかって感じが伝わってきて、息を吐いて「はいほら」とその背中を押して玄関に入れた。ばたん、と扉を締めて鍵をかける。
 適当に靴を脱いでフローリングの床に足をつける。歩き出そうとしたら手を引っぱられてつんのめって振り返る。ルピがちょっと不満そうな顔をしている。
「上がらない?」
「…上がる」
 靴を脱いで、ルピがようやくフローリングの床を踏んだ。
 そんなに広い部屋じゃないけどと思いながらえーとどうしようかと考えて、ほんとにどうしよう、と悩む。立ち話もなんだしとか言って誘ってしまったものの、そういえば家に誰かを上げるのってどれくらい久しぶりだろう。
 追い求めている誰かと一緒にいたくて一人を貫いた。彼女、という存在を一度でも作ったことはなかった。気付いたときから俺は何かを求めていた。夢だったのかもしれない。よくいう夢だったのかも。じゃあ今のこれはなんだろう、これが夢なんだろうか。俺が夢だと思っていたもの?
 どさ、と音がした。鞄の落ちる音。だから意識をこっち側に引き戻す。「あれ」と言われてルピの視線が追うものを追いかければ、一人暮らしなのになぜか買ってしまったラブソファにちょんと置いてあるピンク色のしかもハート柄のクッションに行き着いた。「あ、いやあれはね」と説明しようにも説明できなかった。別に俺の趣味じゃないんだようん。ここにいつかその誰かが来たときのために買った、なんて、馬鹿みたいな話できるわけない。
 ルピが「なんでラブソファなの」と言うから困ったなぁと笑いながら「なんでかな。何となくだよ」と返してその手を引いて歩いた。クッションを拾い上げてルピの手に落とす。ビーズクッション。なんでこだわって買ったんだろう。赤じゃなくてピンクを。
「…僕、ピンク色が好きなんだ」
「え? そうなの?」
 ぱちと一つ瞬きする。ぎゅうとクッションを抱き締め顔を埋めているルピを見て、今まで所在なさげに転がっているだけだったクッションが役目を果たしているのを見て俺は不思議な気持ちになる。
 どこか他人じゃない気がしていた。会ったことなんてない子だ。きれいなアメシスト色の瞳をした子。
 もう片手を伸ばして、俺はルピの頬に掌を添えた。その視線が俺を見る。何かが、腑に落ちる。
「俺は、君を知ってるよ。きっと」
「、うそ。知らないくせに」
「うん、多分そうだけど。たとえば記憶がなくても…魂が憶えてたり。身体が、憶えてたりする」
 ルピが視線を逸らした。困ったなと笑ってすとんとソファに腰を下ろす。「ほら隣おいで」と言うと、ルピが目を逸らしたままそれでも隣に座り込む。
 何とも微妙な空気に、俺は天井を仰いだ。なんだかなぁ。何してるんだろう俺。
 だけど、この子じゃないかな、って気がしていた。俺が探していたのは。ずっとずっと昔から求めていた体温は。そうじゃなきゃどうして最初からキスなんてできるだろう、相手は同じ男なのに。だけどそんなこと関係ないくらいただ、その子が涙するから、それが苦しくて苦しくて仕方なくて。
「ね、ルピはどうして俺を知ってるの?」
「……君が先に、言ったんだよ。たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にって」
 ぼそりとそう言われた。一つ瞬きしてぎゅうと握られている手に視線を落とす。辛い。そういう顔をしていた。その子は辛そうだった。それは俺のせいだった。
(前世、とか、あるのかな)
 この子を見ているとそう思った。運命。そういうものは前世があってこそ成り立つのかなと。運命。抗えない流れのことをそうも表す。だけど運命の人って言葉があるじゃないか。それは抗えない人って意味ではなく、定められた人って意味で。運命が定められた流れとするなら、運命の人は定められた人って意味。
 運命。自分でそう言ったけど、まさしくそれがぴったりくる。
「君は俺を知ってるんだね」
「…何回も言った。もう言わない」
「ごめんね。俺が憶えてないんだね。俺から言い出したなら、それってひどい話だね」
 ルピが唇を噛んでクッションに顔を埋めた。「何にも憶えてないくせに」という言葉に笑う。「うん、ごめんね」と。だけど本当に純粋に懐かしいと思ったんだ。ルピという名前。その瞳の色。ねぇどうしてかな。これは運命って言葉で片付けていいものなのかな。
 その頬に手を添える。顔を上げたルピに唇を近づけた。「俺のこと好きって言ったね」「…言った」「愛してるって言ったね」「……言った」「じゃあね」その唇に唇を重ねる。クッションをぎゅうと抱き締めるその腕に手をかけた。体温。ずっと重ねていたい体温。重なっていたい体温。懐かしい、その全て。
「俺は君を思い出したいよ。ルピ」
「、」
「俺は誰かを求めて生きてきた。そのクッションもこのソファも、髪もね、黒じゃないといけないなって思ってた。何でか分からないんだ。サラダしっかり食べて野菜取らないといけないなとか。本当なら適当なもの食べてすませたいんだけど、どうしても頭に引っかかってね。その誰かのために、色んなことしてきたんだよ」
 その唇を舌で舐め上げる。甘い味がした気がした。「これが運命なら、俺に前世があって君が俺を憶えているんなら、俺は君を思い出したい」と言う。ルピが俺の唇に唇を押しつけてクッションを手放した。その腕が俺の首に回る。縋るように。
 求め合うように、キスをした。
 間違ってるのかもしれない。これは間違っているのかもしれない。だけど俺は、この子のことが。
(だから、君の知ってる俺を聞かせてよ。俺は君を思い出したい。俺のどこかにあるはずの、君のことを)
 気付いたらベッドにいた。はっとしてがばと起き上がる。ぎ、とベッドが軋んだ音がした。一つ頭を振って、もう片手が違う誰かに握られていることに気付いて視線を落とす。
 ルピは眠っていた。
 どうして一人暮らしなのにベッドにはこだわってセミダブルにしたんだったか、それが今になって分かった気がする。単純にシングルの狭いベッドが嫌だったんだと思ってたけど、違った。そうじゃない。一人なのに広いセミダブルのベッドは俺に孤独を運んできた。ここにいるはずの誰かがいない。そう思わせた。
 そして、今、ここにその誰かはいる。
「…ルピ」
 今日出会ったばっかりの知らない子。だけどその全てが懐かしい子。俺に前世ってものがあってそこで二人が愛し合っていたのなら、そしてそれをこの子が憶えているのなら。俺は憶えていないけれど、それでも。
 その前髪をかき上げて、キスを施した。男同士だった。何してるんだろうと自分に問う。寝るならせめて女だろと。だけど握り締めた手はただ懐かしかった。白い肌はただ甘かった。涙が出るかと思うくらい、懐かしかった。ただ。
(俺はこの子を知ってる。この子が俺を知っていたように。俺はきっと忘れてるんだ。だからいつか思い出せる)
 その唇に舌を這わせる。ホストなんて職業柄ラブホに入ったことだって何度かある。経験も何度かある。でも全部、最後は愛想笑いをするのが精一杯なくらい、ただ虚しさが残るだけだった。
「俺はルピを愛してるよ」
 魂が、身体が感じたことを言葉にした。その目尻に浮かぶ涙の前にはあまりにも薄っぺらな俺の言葉。だけど俺が求めていたのは君だったんだよルピ、と俺はその子の髪を撫でる。
 お金を貯めていた。何のためか分からない。まぁ将来のためなんだろうと思う。
 固執していた。知らない誰かに。記憶にはない、だけど感覚にはあるその誰かを俺は求めていた。
(きっとねルピ、俺も君を探してたよ)
「ルピはかわいいね」
 素直な感想を口にして、起きてる必要もないかとまたベッドに転がった。何も着てないとまだ肌寒い。もう夜だ。さっきから携帯のバイブが鳴ってる。俺じゃないから多分ルピの。
 ああルピの家族になんて言えばいいんだろ、とまどろんでいく思考で思う。
 俺の手を握り締めたままの子はまだ眠っている。目尻に涙を浮かべて、だけど、幸せそうな顔で。

俺が求めていた人
(生れ落ちたときから、俺はきっと君を求めていたよ)