それから、それから。

 雷神の力で邪神を滅ぼしてからすでに数ヶ月。
 今僕らはぼろぼろになった街の修復に当たっていた。お城はもう跡形もないし、こうなれば貴族とか平民とかそういうのは関係なく皆手を取り合う以外に共存の道はなかった。
 ただそれでも僕らは一つ距離を置かれていた。僕が王子だと知っている人もいるし、そもそもあれから左腕に浮かんだ雷の紋章が消えない。だからどうにも距離を置かれる。も同じだ。雷神の直系の子として皆から微妙に距離を置かれている。力ある者として。

 …なんだけど。

「いた、痛いでしょこらっ」
 今日も今日とて、竜の子は元気だった。
 僕ははぁと息を吐いての手から逃げ回って楽しそうに飛び回る竜の子を見やる。
 別に好きで面倒見てるわけじゃない。っていうか竜が生きて確認されたことなんて初だ。
 あのあと、雷神の力を用いて邪神を退けた僕らのもとにあった卵だ。それが孵って竜の子が生まれた。それで多分最初に見たんだろうを母親と勘違いしているらしい。今日も今日とて捕まえるのがめんどくさいくらいに飛び回っている。元気なことだ。
 も一つはぁと息を吐いて「ねぇ手伝ってよ」と金槌で木板を叩く。
「え、あ、ごめん」
 竜の子を追いかけていたが慌てたように手放していた木材を担いで戻ってきた。それまで逃げ回っていたくせに、いざが自分を追いかけないとなると今度は竜の子がを追いかける。『ママ』と言って。
 それにぴきと自分の頭に怒りマークが浮かんでしまうのはもうどうしようもない。
(何がママだよ。は僕のだよ)
 がつんと金槌で釘を叩き込んだ。最初こそやったこともないような土木作業に戸惑ったものの、数ヶ月もすれば金槌を外すことなくきちんと釘を打てるまでになるし、体力だっていやでもつく。
 今作っているのは家畜を飼うのに必要な囲いを作る作業。少人数でもできるから僕らがここにいる。逆を言えば僕ら以外はいない。
 王族関係ということと、僕らの腕にある雷の紋章。それによりなかなか距離を取られて他の人々とは親しくなれない。僕は別にそれでもいいんだけど、ちょっと居心地が悪いのも確かだ。
「ほい」
 がらんと木材を運んできたがぐっと伸びをして「肩が凝る」とぼやいて。その肩に竜の子が乗って『ママ』と言うから。僕の頭にはまたぴきと怒りマークが浮かぶ。
 すっくと立ち上がってずんずんに歩み寄りがしと竜の子を掴んだ。「ママじゃないよ言うならパパ。何度言ったら分かるんだよお前」と金目の竜の子を睨みつけるも、かぱと口を開けた竜の子は『ママ』と言うのみ。というかママという単語しか分からないのかもしれない。孵化してだいぶ経つと思うんだけどあんまり大きくならないし。まぁあんまり食べさせてあげれてないのも事実なんだけど。
 が笑って「いいよ別に。っていうか休憩にしようかルピ」と言うから、ちょっと考えて息を吐いた。手を離せば勝手に飛び上がる竜の子。『ママ』との方にばっかりいく。
 別に嫉妬してないよ。ちょっとを取られてる感は否めないけど。
 それでついでにお昼にした。今日も晴天だ。邪神が目覚めるまではあんなに暗雲ばかりの空模様で晴れ間が珍しいくらいだったのに、今は晴天そのもの。夜も星も月もよく見える。人工の光がなくなったせいだろう。確かにここは雷神の民の街だけれど、電気を持続させるだけの力を持つような人はここには残っていない。以外は。
「はい」
「ありがと」
 今日のお昼である粗末なサンドイッチをに渡した。息を吐いて崩れた家の壁に背中を預ける。空が眩しい色をしている。
「…ねぇ。ほんとにその竜の子が雷神の子だと思うの?」
「んー。雷神の、っていうか…雷神と邪神のっていうのかなぁ」

 何度かした話だ。あのあと僕らの間に残っていた卵。繋いだ右手と左手、そしてその下にあった卵。動けるようになってから気付いたその存在。が何これと持ち上げて、僕が左手でそれに触れたとき孵化した。
 の右腕と僕の左腕。どちらにも雷の紋章。
 は推測だけど語った。邪神も雷神もどちらともが竜であったことから、そして孵化したのがまた竜であったことから、一つの仮説を。

「きっとね、つがいとかだったんじゃないかなって。対っていうのかな。二人で一つだったんだよ」
「じゃあどうして邪神と雷神なんて形になったの。つがいだったなら一緒でよかったじゃない。一緒に神様やってれば。邪神になんてなる必要、なかったよ」
「そこまでは俺にも分かんないけど…喧嘩したとか、そういう運命だったとか。考えることはできる」
 膝を抱えてもふとサンドイッチを頬張る。おいしくない。けど、もうお城はないし。残っている兵士も多くはない。の両親の、つまり王様と王妃様の生存もまだ確認されてない。
 もう何ヶ月も経つ。確認されてない人は、恐らく死んだのだろう。
 あの頃にはもう戻れず。だけど力はまだ残っていて。
 それは雷神がまだ存在してるという証なのか、それともただ残留するように残ってるってだけなのか。よく分からないことが多い。ただ街を建て直さなくてはならないことだけは確かで、見える現実は多い。僕らもできることをしている。やっぱり立場は王子のままだけど。
「止めたかったんじゃないかなぁって、思うんだ」
「?」
「間違った道に進んだ対となる竜を、止めたかったんじゃないかなって。じゃなきゃさ、俺達にわざわざ邪神に対抗しうる力なんて与えなかったと思うし。どうでもよかったらいなかったと思うんだ、雷神なんて」
 ぱたぱたと僕らの頭上を旋回する竜の子が『ママ、ママ』と一つ覚えでさっきからそればかり。が苦笑してサンドイッチを放った。それをはしとキャッチしてがつがつとあっという間に平らげる竜の子。
 だから僕はしょうがないから自分のを半分にしてに上げた。「はい」と。が笑って「ありがと」と言う。それにそっぽを向いて抱えた膝に顎を乗っけた。
「確かにそうかもだけど」
「邪神に自由が利かなかったみたいに、雷神も自由が利かなくてさ。それが人っていう生き物を媒介にして動けるもので。だから、邪神が動いたとき、雷神も動いたんじゃないかなぁと俺は思ってる」
「…ふーん」
「で、残ったこの子はあいつらの仲直りの証なんだろうなぁと」
「……随分簡単に片付けるんだね。あれだけ苦しんだ力なのに」
 ぼそりと言うと、が困ったように笑った。「でも結果的にはオーライじゃない」「被害は甚大だよ? お城だってないし。街を立て直すのにもすごく時間がかかるだろうし」とこぼす。だけどは笑って僕の頭を撫でた。「新しい時代が来たんだよ」と、あくまで前向きな考えを示す。出会ったときからそうだ。いつもいつも笑って。
 はぁと息を吐いてサンドイッチを片付けた。
 ぼすとその肩に頭を預けて「疲れたんだけど」と漏らす。が笑って僕の頭にこつと頭をぶつけた。「それは俺も。でもみんなそうだから頑張んないと」と言うから。だからむぅと眉根を寄せる。たまにはサボろうとか思わないのか。僕らは一応王族の生き残りってことで人々からは距離を取られてるのに。
 王族の生き残り、だけだったらよかった。だけどまくった袖の下には雷の紋章がある。雷神の直系の証が。僕は左腕に、は右腕に。
 手を伸ばしての右手を左手で握る。そうすると少しあたたかい。何かが通い合ってるように、あたたかくなる。
「これもそれなの?」
「多分ね」
「…じゃああいつら僕らの中にいるの?」
「それは分かんないけど。あのタイミングでルピにも紋章が浮かび出たのとか、俺の身体が残ったこととか色々考えて。都合のいいように解釈しただけ」
「…でもあったかいのは嬉しいよ」
 こぼして目を閉じた。ら、ぼすんと頭に重みができてかちんと怒りマークが浮かぶ。『ママ』という声が聞こえる。瞼を押し上げて視線を上げればの頭を短い手でぺしぺししている竜の子。僕を踏んづけて『ママ』とまだ物をねだっている。なんだよもういい雰囲気だったのに邪魔して。
 なんだかんだでは面倒見がいいから「ごめんね、もうないんだ。何か欲しいなら河行っといで。魚くらいいると思うよ」と言えば、『ママ』と竜の子がぐいとその髪を引っぱる。一緒じゃなきゃいやだって顔だ。
 僕はべりと竜の子を引き離して「お前一人で行けないの」と言う。竜の子は『ママ』と言うのみだ。はぁと息を吐く。ばかなのかなこの子。やっぱりばかなのかな。
 が笑って僕の頭を撫でた。視線を上げる。「しょうがないから河行こうか」と言われて、それってつまりサボろうって暗に言ってるんだろうかと思いながら息を吐いて頷いた。僕の手を逃れての肩に乗っかる竜の子はばっかりに懐いている。別に僕は懐かれなくていいんだけど、どうしたってを取られているように思えて仕方ない。
 だけどが笑って右手を差し出すから。だから僕は左手を重ねる。そうすると灯るあたたかい感覚。よく分からないけど、何かが通じ合っているような感じ。雷じゃないけど、体温以外の何かが。
 僕らが手を繋いで歩き始めると、竜の子が上機嫌に『ママ、マーマ』とやっぱり一つ覚えでそればかり。
 ただその身体は金色だ。瞳も金色。まるで雷そのもののような色をしてる。これが雷神と関係ないかと言われると、そうだとは言えない。まだこの子は何もしないしママの一つ覚えだけど、もしかしたらこの子が将来雷神とかになるかもしれないのだ。
 だから、育てるならきちんとしないととか思うんだけど。どうしてもばっかりにママっていうあの子を僕は好きになれない。
「おー、まだ濁ってる」
「…そりゃあね」
 一番近くの河原へ行った。ぱたぱた飛んでいった竜の子がどぼんと河に入るのを遠くに見やる。水飛沫が散る。雨が降ったから濁ってる。それでも飛び込んだってことは竜だし目がいいのかな。どうなのか知らないけど。
 が河原に座り込んでどさと背中から転がった。「あー疲れた」と。だから僕も同じように転がった。そうすると空がよく見える。今日も眩しいくらいに天気のいい空が。
「生き残った預言師は?」
「ああ、俺達を祀ってるみたいだね。神の子だってさ」
「うわ、寒」
「あっはは」
 が笑うから、僕も笑った。繋いだ手はあたたかい。体温だけじゃないあたたかさ。よく分からないけど、僕はまだ生きていて。もまだちゃんと生きていて。世界は助かった。邪神は消えた。雷神は。
 ぱり、と左腕が帯電するのが分かる。
(雷神は生きてる。…あの子がそうなのかはよく分からないけど)
 どぼんと音がしてと一緒に顔を上げると、口に魚をくわえた竜の子がその重みにふらふらしながら戻ってきた。僕らの前にぼとと魚を落として、ぴちぴち跳ねるそれを押さえつけて『ママ!』と嬉しそうな顔をする。褒めてって顔だ。明らかに。
 が苦笑いしてその頭を撫でた。「よくできました。で、食べちゃいな」と言ったらさっそく魚の頭からがぶと食いついた。この子、の言ってることは分かるくせに僕の言うことはあんまりきかない。
「…ねぇ、いい加減名前つけない?」
「え? でもなぁ、預言師もなんか悩んでるんだろ? 勝手につけていいもんかどうか」
 がつがつと生魚を食べる竜の子。金色の鱗と金色の瞳。眩しいくらいの雷の色をした子。
 名前がないと呼ぶのにも不便だ。が呼べばだいたい戻ってくるしだいたい言うこときくけど。
 ふうと息を吐く。生魚を食べ終えたらしい竜の子がげぷと息を吐いて『ママー』とぱたぱたの方にいく。別に僕の方に来いとは言わないからむしろどっか行け。
(…なんだよもう)
 ふんとそっぽを向く。だけど繋いだ手のあたたかさは離れないし、が苦笑いして僕の髪を撫でるから、どっか行けなんて言葉は思うだけに止めておく。
 シャワー浴びたいなぁとかおいしいもの食べたいなぁとかお城の頃はそう思えば贅沢だったなぁとか、今更になってあの頃の生活がちょっとだけ恋しくなる。
 王子の代わりだったけど。それでもよかったんだ、僕は。に会えたから。だからそれでもいいって思えたんだ。がいるならそれでもいいって。影武者でも身代わりでも何でもいいって。
 左腕の紋章も、よく分からないけど。僕だって一応雷神の民だけど、直系じゃないし。力だってほどは使えない。
 晴れた日は河に入って網を張る。それでが腕を突っ込んで一瞬だけ雷を放つ。そうすると弛緩した魚とかが浮かんでくるからそれを捕まえたりする。それぞれ雷を有効利用したやり方で獲物を取ったり。鳥だったら矢に雷を溜めるとかして、何とかやっていってる。
(…いつ抱いてもらえるんだろう)

『約束。全部終わったら、一緒になろうね』

 あの言葉に、僕はいつまでもこだわってる。もう何ヶ月もたつけどそんな暇がないっていうのが現実だ。
 はぁと息を吐く。本当は抱いてもらうのすごく楽しみにしてるんだとか、男としてそれはどうなんだってことを思ってるから一度も口にできないでいるけど。でもほんとに、一緒になろうねって言葉、真に受けすぎてるのかな。僕がばかなのかな。どうなんだろう。
 起き上がったが僕に被さるようにしてキスをした。いきなりだったから目を見開いて瞬きする。だけど唇を割る舌の感触に目を瞑って応えた。僕は上手じゃないけど、と体温を絡める瞬間いつも鼓動が速くなる。キスだけだけど、何も経験のない僕はいつも心臓が跳ね上がる。
 経験がないのはも同じだと思うんだけど、それにしたってはいつも上手だ。僕なんて息をするのも忘れてしまうのに。
「、何」
「別に。だってさみしそうだから」
 唇を解放されてそう言ったらそう返ってきた。そっぽを向いて「だって」と拗ねた声を出せば、が苦笑いする。「しょうがないでしょ、シャワーないんだもん。それにベッドもさ、硬いし。痛いのはいやじゃない」という言葉に眉根を寄せる。それは、そうだけど。でも。
「抱きたいって言ったのはほんとだよ。今も変わらない。ただもうちょっと先ね。場所も時間もないし」
「…お預けだ」
 ぶっすり頬を膨らませると、が笑った。笑って僕の額に口付けて「それは俺も一緒」と言う。だから仕方なく起き上がった。いつまでもサボっていられない。一応ノルマは今日で完成なんだから。
 だからの手を引いた。「戻ろう」と。が立ち上がるとぱたぱたとその肩に乗った竜の子が『ママ』と言う。そればっかり、と思いながら僕はと一緒に持ち場に戻った。
 街はまだまだ復興するのに時間がかかるし、人々との溝は埋まらないし。上手くいかないことばっかりだけど。
 だけど確かにここにはもう、僕らを脅かすような邪神はいない。