月日は巡り、日々は過ぎて

 王様王妃様。そういうもののいなくなった場所で雷神の力を継承せし『神の子』として祀り上げられ過ごす日々。
 所謂お飾りだって分かってたけど、別にそれでも構わなかった。特別困ることもない。むしろどっちかって言えば好都合。ただのお飾りさんはお飾りさんらしくしていればそれだけでよかったのだから。
 だから俺は別に、王子とそう立場的に変わらない神の子でも、人にどう言われようともどうでもよかった。
 まぁ唯一めんどくさいとすれば。ぽん、と判子を押すこの作業だろうか。
「…まぁだあるの?」
「まだまだあるよ」
 ばさと書類を取り上げたルピが「はい次」と机にどんと書類の束を置く。それにがっくり肩を落とす俺。
 頭がさっきから重いのは、書類仕事で頭が沸いてるせいだけじゃない。
『ママしごと!』
「はいはい…ママはちゃんと仕事しますよー」
「ばか言ってないでよ。ほら」
 ぱちんとクリップを外したルピがばさと俺の前に書類の束を置く。ちらりとその顔を見上げれば、どことなく怒っているというか拗ねているというか。目を合わせてくれないというか。
 そんなことを思う俺の頭の上には相変わらずの竜の子。結局名前を決めかねているらしい預言師が鬱陶しかったので、俺はこの子に名前をつけた。それも今ではもうだいぶ前の話。
 邪神と雷神がこの世界から消えてもう五年経つ。
「ルピぃ怒ってる?」
「べ・つ・に」
「…怒ってるね」
 苦笑いしながら書類を持ち上げて斜め読み。頭がどうにも重いので頭上に手を伸ばしてむんずを金色の身体をしてる竜の子を掴まえる。「ちょっと重たいからこっちにいてねアイリス」ぽんと膝の方にその子を置いて引き続き書類を斜め読みする。
 正しくはアイリスヒスパニカ。でも長いから俺はアイリスって言ったりアイって言ったり色々。
 それでとりあえず名前をそう決めてこの子は五年。身体はあんまり大きくならない。最も食べ物がまだそんなに出回ってないせいかもしれない。鹿一匹とか食べたら一気におっきくなるのかも。
 そんなことを考えながら報告書であるそれにぽんと判子を押した。はい次。
 ばさと持ち上げた書類。ルピはもう片方の机の前で腰かけて俺と同じに作業をしている。
(…空気が重いんですが)
 なんというか。分かりやすいのはいいんだけども。
 ぽりと頬をかいて書類から顔を上げる。長く伸びた俺の髪を引っぱって『ママひま』というアイリスはちょっと賢くなったらしく、色々言葉を憶えた。それから金の鱗と金の瞳、まるで雷そのものかのような眩しい色をしたこの子はやっぱりというか雷を操ることができた。それを利用して自分で上手に獲物を取ってきたりする。だけど基本俺にべったりなので本当にお腹が空いて仕方がないときとかにしかいなくなったりしない。
 空気がぎすぎすしてるのは、まぁ俺がこの子を構ってしまうところにあるんだろうけど。
「アイ、外行っといで」
『ママも』
「ママお仕事。お前はもうちょっと食ってでかくならなくちゃ。森行っといで」
 がたんと席を立って窓を開ける。アイリスが『ママも』と髪を引っぱるから痛い痛いと引っぱり返しながら「ママしーごーと! 鹿一匹食べてきたら褒めてあげるよ」と言えば、むすっとした顔をしたアイリスがしぶしぶという感じで空に飛び立っていった。金の鱗が蒼い空の下きれいに輝いて目に眩しい。
 それを見送って息を吐く。なんだかんだで髪が伸びすぎてて鬱陶しい。そろそろばっさりいきたいなぁと思いながら窓枠に頬杖をついた。
 そこから見える街並み。まだところどころにあの頃の傷跡の残る、でも見かけ上は結構再生したと思える街並み。

 五年。やっとこさ五年たった。あれから。長いようで結局短かった気がする。何せ俺達二人は神の子だ。何をするにも神の子は許可をしなくてはならない。書類仕事はそのうちの一つ。
 じゃあ神の子の神様は誰って言ったら、今のところはアイリス。雷を自在に操り空を飛び回って俺のことをママって呼ぶ小さなあの子。
 雷そのものの色をしてるし。まぁ崇めたいだけなんだろうと分かってはいるものの。下手に手を出そうものなら焼き焦がされるのがオチだし。

 そんなことを考えていたらぼすと背中に衝撃を受けた。振り返れば、ベッドの枕を投げつけたらしいルピがそっぽを向いている。だから苦笑してがたんと窓を閉めた。それから背中に当たった枕を拾い上げる。
「無理矢理追い出したね」
「ルピがそんな顔してるからね」
「…あの子絶対分かってるよ」
「どうかなぁ。竜ってどれくらい賢いのか、俺にはよく分かんないし」
 ぎしとベッドに膝をついた。クッションを抱き締めて拗ねた顔をしているルピに俺は苦笑いする。ルピは癖っ毛で伸ばすと跳ねるからやだと言って短いまま。俺もそろそろ切りたい。
 その髪を指に絡める。アイリスがいたらなんだかんだでキスの一つもしにくいっていうかやりにくい。だからルピをこの腕に抱くときはあの子がいないときだ。だからそれは、
「しよっか」
 だからそれは即ち今で。あの子がどこまで分かってるのかは俺もほんとに分からないけど。俺のことをママっていうあの子が俺達のことをどこまで理解してるのかは分からないけど。
 ルピがクッションを手離した。そしてその腕が俺の首に回る。
 いつかの約束はとっくの昔に果たしていて。俺がルピを抱くのがこれで何度目になるのかは憶えてない。ただ分かるのは、やっぱり俺はルピが好きで、ただ好きなんであって。そこに性別はあんまり関係しないんだなぁと思って。
「ん、」
 一応神の子と崇められてるから見える部分に傷はつけない。だからその首筋に顔を埋めても噛みはしない。舐めるだけ。甘くていいにおいがする。ルピの肌はいつも甘い。その声も最後には理性をぶち壊すくらい俺を揺さぶってくる。
 これが所謂、運命。だ。
(あーしまった……仕事)
 今日中に、の書類があったことに気付いたのはシャワーを浴びてる最中で。あーしまったと思ってさっさと上がってぞんざいに髪を拭いてバスローブを羽織ってあー仕事とがちゃんと扉を開けて部屋に入って。それでがちゃんと椅子に腰かけて濡れた手をローブで拭いているときにふと気付いた。あれ、あの子まだ帰ってない?
 ベッドではルピがまだ寝てる。けど微妙に肩が出てたから歩いていって布団をかけ直した。それからその髪を撫でる。今日も今日でこの子はかわいかったです。
(アイリスは)
 窓辺にいってかたんとガラス窓を開けた。少し冷たい風が吹き込んでくる。季節はそろそろ秋へと移行し始めた。朝夕はそれなりに冷え込む。
「アイリス?」
 試しに呼んでみたけれど、いつものママって声は聞こえなかった。
 だから頬をかいて窓から顔を出して上下左右確認したけど、遠くの森にも目を凝らしてみたけれど、あの子の金の色は見えない。
(まさかほんとに鹿一匹喰って帰ってくるつもりかな)
 窓枠に頬杖をついた。それからぶるりと震えて窓を閉める。さすがに風呂上りは寒い。でも仕事、ともう一回椅子に座り直す。誰か来たらこの格好どう言い訳しようとかあんまり深く考えずに。神の子だって人間で歳食ってるんだからお風呂だってふつーに入りますよっと。

 まずは書類の斜め読み。今日中のやつだけは片そうと思って。
 それからかりかりかりと羽ペンで署名の必要な書類にサインした。はいはいお城に予算がかかるのは当然です。でもって俺は現場見てるわけじゃないしそもそも建築には疎いからお金の額示されたってそうですかとしか言えないっての。ああでもあんまり無理を言ってるようなら却下しよう。これ書名欄が二人分、俺とルピのサインがいることになってるから、それなりに重要なやつみたいだし。
(もー。こんなんばっか)
 署名が必要なのはだいたい金銭絡みだ。当然っちゃ当然だけど。要は責任者がいるのだ。何かあった場合に責めることのできる人が。
 頬杖をついて窓の外へ視線やった。まだあの子は帰ってこない。
 そこでもそっと布団が動いてルピが顔を上げた。「、いまなんじ」と言われて時計に視線をやる。「四時近いよ」と言えばがばと起き上がったルピが布団を纏ったままずるずるとお風呂場の方へいって「ごめんねすぎた」とまだ眠そうな顔と声で言ってばたんと扉の向こうに消えた。それに苦笑しながら書類に視線を落とす。
(まぁ必須がこれだけならどうにかなるかな)
 かりかりかりと羽ペンを動かす。まだあの子は帰ってこない。
「……遅い」
 出来上がった書類を束にしてまとめてばさと机に放る。ルピが明日が期限の書類をまとめながら「何してんだろうね。もう陽も暮れるのに」とちょっとだけ心配そうにそう言った。なんか普段はアイリスにはあんまり構わないしむしろどっかいけ的な目を向けてるけど、一応心配してくれてるようだ。
 がたんと席を立つ。そろそろ誰かが書類を取りに来るだろうから一応着替えて格好はきちんとしたものにして。それはルピも一緒で。
「アイリスヒスパニカ」
「? あの子が何?」
「って、どういう意味か知ってる?」
 笑いかけたら、ルピが眉根を寄せて「知らない。っていうか意味あったのその名前」と言われてあははと笑う。俺結構すごくこだわって長い名前をつけたんだけど、ルピはやっぱり知らなかったか。
 竜の子の名前をどうしようとばさばさ書物をあさっていたとき。たまたま落ちてきた花の辞典。ごっと頭に当たっていてぇと涙目になりながら落ちたそれを拾い上げて、ばさと開いたページにあった名前。文字だけだったからどんな花なのかは知らないけど、俺はその花言葉に惹かれた。
「私はあなたに無性に恋をしている」
「は?」
「そーいう意味なの」
 笑いかけたら、ルピが瞬きしたあとにそっぽを向いた。「意味深な名前つけるなよ」と言われてえへと舌を出した。
 だって俺達はどんなに好き合ってても男だもの、子供はできないし。だから俺はあの子を自分の子供みたいにかわいがるつもりでいる。ルピと俺との愛の結晶ってわけにはいかないけど、同じくらい大事にするつもりでいる。
 首を傾けて「だからね、俺はあの子を俺達の子供みたい思ってるんだよ」と言えば、ルピがちょっと顔を赤くした。ぼそぼそと「そんなこと君を見てたら分かるけどね。僕はどうにもあの子に君が取られてるみたいで、君みたいには」と言うから。だから笑ってその華奢な身体を抱き締める。髪に顔を埋めればシャンプーのいいにおい。
「…僕とあの子のどっちが大事?」
「ルピ」
「……じゃあ許す」
 何に対しての許すなのかは分からなかったけど、どうやら照れてるようなので俺は笑った。頬に手を添えてキスをしようとして、
 そこでがたんと音がした。振り返ったら、鹿の角っぽいのをくわえたアイリスが窓の外にいる。
「わ、アイリス! ほんとに鹿喰ってきたのお前っ」
 窓を開けたら『ママー』とアイリスが胸に飛び込んできたから抱き止めた。鹿の角両方持って帰ってきたらしい。重たいだろうにと思いながらその角の方を受け取る。しかも喰ったのは、角があるならオスの方か。
『たべた! しかたべた!』
「あー、うん。アイ怪我は?」
『たべた!』
「うん…まぁいいか」
 がたんと窓を閉めて鹿の角を持ち上げた。…ちょっと皮膚がついてる。なんていうか、生々しい。
 ルピが息を吐いて「それどうするの」と言うからうーんと首を捻る。褒めて褒めてって顔で見上げられてる身としてはすぐぽいするのも、なんだかな。いたたまれないというか。
 とりあえずその頭を撫でた。金の鱗に傷は見当たらない。んだけど、ちょっと、血生臭い。
「ごめんルピ、俺お風呂入っていい? アイリス洗うよ」
「ん。じゃあ僕先に書類出してくるね」
「ありがと」
 とりあえず角の方は部屋に置いて、『ママおふろ』とアイリスが俺を呼ぶので「はいはい」と返しながらお風呂場への扉を開けた。ルピが書類を揃えてぱちんとクリップで留めて席を立つ。

 まぁこんな感じに、俺達の日常は過ぎていく。