「携帯? 何、ほしいの?」
「君との連絡用。なんでもいいからほしい」
「んー…じゃあちょっと問い合わせてみるよ。色々と」

 お昼。今日はちょっと遠出して、町って言えるところまで行って肉屋さんで日持ちしそうな肉類を買ってきて、パン屋さんで買った食パンにそれを挟んでサンドイッチにしてみた。さしずめビーフサンドと言ったところか。
 で、それじゃやっぱりくどいかなと思って庭で取ってきたいつものサラダになってる野菜を詰めて。
 それでそんなことを言われたから、うーんとロンドンの携帯店を思い浮かべる。ルピとの連絡用なら日本語仕様にしたい。それだとちょっとめんどくさいしお金かかるけど、何よりルピの希望だしやっぱり仕様を変えてもらってとか考えて。それからビーフサンドを食べたルピが顔を顰めて「しょっぱい」と言うから同じくビーフサンドにかぶりついてみた。…しょっぱいっていうか塩辛い?
「保存のきくやつだからじゃないかな。牛の塩漬け」
「…なんか生々しい言い方しないでよ」
 ルピに眉根を寄せられて小さく笑った。「豚も買ったじゃない」「買ったけど」言葉を交わしながらの食事。ルピがちょっとでも太ってくれるように、っていうと本人が怒るからもうちょっと抱き心地がよくなるように食べてもらって。甘いものだけじゃやっぱり限界があるし。
 だから今日はタクシーを使って少し遠出して、もうちょっと町ってところまで行って二人で買い物して帰ってきたんだけど。イギリスは気候的に寒いから置いておくのはそんなに困らない。日本のように湿気がひどいわけでもないし。
 冷凍に鶏肉とか色々買った。っていうか馬鹿みたいに肉ばっか買って帰ってきてしまった。ちょっと極端すぎたかな俺。

「ね、今度はパンとか頑張ろうか」
「え? オーブン?」
「うん。せっかく日本語で書いてある本取り寄せたんだもん、一回くらい挑戦しようよ」

 帰ってきたときちょうど鉢合わせた宅急便。それで届いたダンボールの中にはこの間注文した色々なものが入っていて、まだ英語に慣れないルピのために日本語の本をいくつか買っておいた。特に料理をしてくれるルピなら読むだろうレシピの本とかを。
 ビーフサンドを口にしながら「いいけど。その前に片付けようね」とソファの前に開けたままのダンボールを指された。「はーい」と返事しながらサラダの方も食べる。毎食絶対ある。ルピは飽きないのかな。俺結構飽きるんだけどな。でも健康に気を遣うルピだから食べないと怒るし。
(ミキサー買おうかなぁ。野菜ジュースにすればいけるかも)
 ミキサーミキサーと頭の中でメモしながら「ルピは野菜飽きない?」と訊く。ルピは息を吐いて「飽きる飽きないって言われても…人間だもの、食べる以外ないでしょ」と言い切られた。そう言われてしまえば確かにその通りです。
 ビーフサンドに野菜を詰め込んでサンドイッチにしながら「偉いねルピは。ずーっと先のことまで考えてずーっと野菜摂ってる」と漏らす。俺なんかルピに会うまではすごくめちゃくちゃな食生活だったしむしろ生活自体が結構めちゃくちゃで。家が家で放任主義っていうか咎める人っていうのもいなかったし、だから俺は好き勝手結構やってきたから。マックとかなじみだし。ルピに言わせれば『あんな不健康なもの』だけど。俺はおいしいと思うんだけどなぁ。
 ビーフサンドにかぶりつきながらふと顔を上げる。そうしたらルピが不満そうにこっちを見ているから首を傾げた。
「何?」
「君は仕事ばっかり」
「…なんでそこで仕事の話」
 思わず苦笑いする。ルピがそっぽを向いて俺と同じようにビーフサンドに野菜を挟みながら「うるさい。最近忙しい。どうせ携帯だって持つ気でいたんでしょ」と言われてぎくっとする。家に電話をつけてない分パソコンだけだと負荷がかかってしょうがないしむしろ鬱陶しいから、しょうがないから会社が持て持てうるさい携帯をもらってくるかと思ってたところだったのだ。
 あっさり見抜かれてる。拗ねた顔でビーフサンドを口にするルピに、俺は苦笑いした。
「ごめんね?」
「………………」
「怒った?」
「………別に」
「うっそ。怒ってるじゃない」
「うるさいばか。だったら仕事するな」
「無茶言わないでよ」
 苦笑いしながらビーフサンドを片付ける。確かにちょっとしょっぱいなぁ、料理するんだったら気をつけないと味が濃くなる。牛の塩漬けって言い方はあれだけどほんとにその通りだし。料理、はまぁルピが教えてくれるから俺が注意してなくてもいいんだけど。
 頬杖をついてサラダの方をつつきながら「波に乗ってるってやつだよ。乗り遅れるとやらせが降ってくるからやんないと」「…何やらせって」「要するに後始末」笑いながらぐさとフォークをパプリカに突き刺す。黄色。家で栽培してるにしてはちゃんと育ってる。ルピが世話してくれてるからだろうけど。
 最近確かに、家を留守にしがちで。ルピをさみしくさせてばっかりだから。
 会社が経営の波に乗るのは別にいい。給料アップとか昇進とか別に考えてないから。ただこの位置のまま動かず不動が保てればいい。そうすれば俺にとっては何も変わらないから。
 ただやっぱり、忙しいと。ルピをそれだけさみしくさせて、俺達は離れ離れになる。それは俺だっていやだから、俺じゃないと無理な仕事しか引き受けてないんだけど。たとえば日本人関係とか。通訳いらないし、そこは人件費の削減ってやつで。
「…ごめんね」
 だから、俺は謝ることしかできない。仕事しなくても生きていけるなら俺だってしないけどさ。でもしないと、生きていけないんだし。ルピを外に出すなんてもっての他。
 ぶっすり拗ねた顔をしていたルピがはぁと溜息を吐く。「携帯、日本語の。僕とだけの作ってくれる?」と言うから「それは作るよ。約束」と返した。ルピがまだ拗ねた顔をしながらもビーフサンドを口にしながら「じゃあ許す」と言ってくれたから、俺は笑った。
「ごめんね」
「謝るな。どうせ僕が何言っても変わらないくせに」
「そんなことないよ。俺の心はフォークでぐさってやられたくらいに痛い」
「…やな言い方しないで」
「はーい」
 苦笑いしながらがたんと席を立って、空になったお皿やコップをシンクに突っ込んだ。
 ばしゃばしゃと手を洗って、さっそくソファの前のテーブルに広げたままのダンボールの方に歩み寄る。と、まだ食べかけのビーフサンドを手にしながらルピが隣にやってきた。「見せて」と俺が手にしたレシピの本を引っぱって数ページめくった。
「…なんか難しくない?」
「え、やっぱり? 上級者向けなんだけど」
 へらっと笑ったらじろりとルピに睨まれた。「僕の料理が上級者向けで敵うと思ってる?」「俺は世界一おいしいと思ってます」素で言ったんだけどルピには溜息で流された。あれ、ちょっとさみしい。
「ねぇ。怒ってる?」
「うるさい巻き返すな。怒ってほしいの?」
「怒ってほしくないけど。さみしいんなら満たしてあげようかと」
 素で言ったんだけどこれも流された。あれ、俺すごくさみしい。
 だからルピをぎゅってして「やだよ怒って、さみしい」と言ったらルピがまた溜息を吐いて。それから「今ビーフサンド食べてるんだよ。しょっぱいじゃない」と言うから一つ瞬いた。視線を落とせばまだ手に残るビーフサンドを持ったままのルピが「しょっぱいキスなんてやでしょ」と言うから。別にしょっぱくても全然構わなかったからその手からビーフサンドを取り上げた。
 っていうか、さっきから全然進んでないじゃんか。いつもより食べるの遅い。
「昨日は眠った?」
「それなりに」
 ちょっとずつしか減っていかないビーフサンド。微妙にいつもの元気がないルピ。
 だからぺたと額に手をやった。「なんか無理してる? それか怒ってる?」と訊くけどルピは首を振るだけ。そんなにしょっぱかったろうかと考える。俺はわりと食べ物どうでもいい人だから何でも腹に詰め込むけど、ルピはそういうタイプじゃないしな。
 ルピがはぁと息を吐いて体重を預けてきたから、抱き締めるようにした。「別に」とぼやくように言ってぱらと本をめくりながら「なんかちょっと、気持ち悪い、のかも」とこぼすから。ぱちぱちと瞬きして、気持ち悪い、と頭で反芻して。
「ま、まさかつわ「ばか言ってるなっ!」
 言いかけたらべしとルピに頭を殴られた。痛いと思いながら「じゃあ何?」「知らないよ。あげる」とビーフサンドを指差されて、仕方ないからむぐむぐと食べ始める。赤い顔を隠すように「僕は男だ」と言われて、うんまぁそうなんだけどさと思いながらもぐもぐとビーフサンドを食べていく。
「したくて我慢できないとか?」
「、」
 ルピがちょっと固まった。だから一つ瞬きする。がしと本を掴んで取り上げようとしたけどなんか意地でも顔見せるかって感じに離さなかったから、息を吐いてぱっと手を離す。それからビーフサンドを全部平らげてふうと息を吐いた。さすがにお腹いっぱい。
「したいの?」
「ち、がう」
「でも黙ったじゃない」
「違うもん。だって昨日もした」
「じゃあ何?」
「僕はっ」
 ばさと本を放ったルピが顔を上げて噛み付くみたいにみたいに俺にキスをした。っていうか噛み付かれた。「いっ」たい、と続けたいのを我慢してルピを抱き締める。
 ルピが俺をどんなふうに扱っても、俺はこの子を傷つけることはしないって決めてる。いつもみたいに頭叩かれても殴られてもこんなふうに噛み付かれても、俺はこの子を大事にしたい。それは昔から今までずっと共通した思い。
 だから血の味がしても気にしなかった。ルピの気がすむならそれで。
 ちょっと痛いちょっと沁みるとか思いながら、噛まれて切れたんだろう唇を思った。ルピの温い温度がその傷をなぞって余計に沁みる。
 何がしたいのかよく分からなかったけど、しょっぱいキスでいいのかなっていうか血の味もまざる、とか思いながらキスをする。案の定というかよく分からない味のキスになった。それでもいいんならと俺はルピの髪を撫でつける。黒くてちょっと癖のある髪。でも俺にとってはすごくきれいな。
「、痛い。沁みる」
「…ごめん」
 ルピがぼすと俺の胸に顔を埋めた。「ごめんなさい」と、弱々しい声でもう一回謝られて。だから俺は息を吐いてルピの髪に顔を埋めた。唇からは血の味がする。

「したいんだね」
「…………我慢してたんだけど。どうしても裏目に出る」
「我慢しなくていいのに。俺だけがお前を満たしてやれるんだから、俺にできることは何だってするよ」
「君はいつだってそれじゃないか。僕だってたまには我慢しようって、だから」
「ルピは俺じゃないんだ。俺みたいにしなくていい。昔っから変なところで頑固だね、ルピは」
「…うるさい。君は優しいばっかり。たまには僕を怒れ」
「やだよ。そんなことしたらルピが泣くもの。それで痛いのは俺もだし」
「……君ばっかりかっこよくって。僕は女々しくて弱くて。嫌いだよ、こんな自分。僕は、嫌いだ」
「そんなこと言わないで。俺はルピのこと愛してるんだから、ルピはもっと自分を大事にしてよ。そうしたら俺も嬉しいもの」

 黒い癖っ毛の髪を指に絡めた。「泣かないでよルピ」と言ってみたところで、すんと鼻を鳴らすルピが泣き止んでくれるわけもなく。
 なかなか上手くいかない。生きていくのって大変だ。俺達は誰に遠慮するでもなくただ二人であれたらそれで全部上手くいくかなって思ってたけど、二人でも上手くいかないことはある。俺とルピがどんなにお互いを思い合っていても、やっぱり別人だから。人間だから。仕事は絡んでくるしもろもろ諸事情も挟んでくるし。色々なかなか全部、上手くいってないんだけど。
 だけどそれでも、愛してるってことは永遠に変わらないものだから。
「ベッド行く?」
「ん」
 俺の首を腕を回したルピを抱き上げる。サラダとか放置だけど、まぁいいか。サラダくらい大丈夫だろ。ちょっと痛んでも火を通せば大丈夫食べられる。
 天蓋のカーテンをめくってルピをベッドに下ろした。袖で目元を擦ったルピが「サラダ」「いいよ。夜炒めたりして片付けよう」と返してその首筋に口付ける。

Crazy dolce


(それは正気でない、甘美)