だから、骨の髄まで君色で

 手を。繋ぐことが、当たり前になって。それは公共機関時だろうが学校だろうがどこでも関係なくて。
 それはつまりそれだけ僕が好きなんだなって解釈を素直にできればいいんだけど、僕はやっぱりその体温の感覚がいつまでもたっても苦手で。だから今日もばしと手を払って「学校」とぼやくのだけど、へらっと笑ったは「やだ」とさらっと言ってまた僕の手を握り込む。
 何度やっても結果は同じ。僕はそれを知ってる。だからいつも諦める。二回やっても三回やっても十回やったとしてもこれは変わらない。
 それに僕が一度しか手を払わないのは、苦手としているその体温が離れるのがやっぱりいやで、恋しいからだ。だから一度払ったら諦める。握られるままでいる。本当は嬉しいから。そうしていてほしいから。僕は乙女かって話だけど。自分で自分につっこむけど。
「おーっす。今日もラヴいなお前らは」
「おっはー。ラヴいって何語?」
 誰かに言葉を返してるを見上げて、ちょっとむっとして。その誰かは僕の知らない奴だった。気に入らない。だって手を繋いでるけどその意識は今僕でないその誰かにも向けられてるってことだ。
 だからぐいとその手を引っぱって歩き出す。「わ、と、ごめんまた!」「おー、じゃーな」と会話。言葉のやり取り。それにでさえ苛々している自分を感じる。
(何だよ。僕が好きなんじゃないの)
 そんなことを胸のうちでぼやいた自分にはっとした。何だよこれじゃあまるで嫉妬みたいだ。が誰かと言葉を交わすことさえ僕は気に入らないって? それは多分が普段僕にべったりなせい。だ。多分。
「ルピ? どしたの速い」
「、別に」
 言われて、つかつかと急ぎ歩いていた歩調を緩める。君のコンパスなら僕に追いつけるだろと思いながらじろりと視線をやって「誰」と問えば、首を傾げたが「誰って、同じ科の人だよ。ルピと俺は同じ科でしょ? それ以外で接触する?」と不思議そうに言われて口を噤んだ。だからたとえば秘密に、とか、可能性がないわけじゃ。
 それでそんなことを考える自分が我ながらばかだばかだと思い。罵って。だけど僕と手を繋いだまま首を傾げているその人のことが嫌いになんてなれるはずもなく。嫌いのきの字も、僕は口にできないだろう。
 が僕をどれだけ望んでくれているのかなんて、今更確認するまでもないのだから。
「はい」
 だから。今日も今日で作ってきたお弁当を差し出す。ぱぁと表情を明るくしたが「謹んでいただきます!」とか言うからふんとそっぽを向く。
 僕がお弁当を作ってくるようになってからパンの一つも鞄に入れてこないんだから、こいつはばかっていうか。ばかなんだろうけど。たとえば僕が気紛れでやっぱやめたってなったらどうする気だ。食堂でも行くのか。っていうか考えなくてもいいこと考えて僕は何を。
 かぱと蓋を開けたがきらきらした顔をしてるのを横目に見やる。僕の家の味付けだけど気に入るだろうか。気に入らないのがあったら今度からそれはなしにしないと。
 それでそんなことを考えてる自分にはっとする。僕はどうしてこんなにもに思考を割いているんだろうか?
「んーんまい」
「…そう?」
「ん」
 満足そうな顔で口いっぱいにご飯を頬張ってるにちょっとだけ視線をやる。別に普通に作っただけなのにどこら辺がおいしくてどこら辺にそんな満足してるんだろう。つくづく僕はこいつのことがよく分からない。もう入学してだいぶたつけどやっぱりよく分からない。だいぶ長く付き合ってるけど、やっぱりよく分からない。
 僕の何に、そんなにこだわってるんだろう。
(入学式…今でも思い出せるけど)
 自分のお弁当の方に箸をつけながら思い出す。ルピと最初に僕を呼んだのことを。
 泣いたり笑ったり、は忙しない。僕のこととなると本当に色々落ち着かない。それで多分僕も今は同じくらい、のことになると忙しない。
(…ばーか)
 自分を罵ってみたところで何も変わりはしなかった。「ねールピ今度料理教えてね」「、なんで」「俺自分だけじゃ憶えようとしないから」隣で笑ったが「ルピが教えてくれたらきっと憶える」とか適当なことを言う。だからふいと視線を背けて「今度ね」とぼそりと返した。うんうんと嬉しそうに頷くが、たまらなく愚かだと思う。
 本当に、本当に。僕ももばかなんだ。
「…あのね」
「うん?」
 だから帰り道。いつもバス停まで送ってくれると一緒にいつもみたいに帰って。それで本当ならはここで大通りを渡った方が家まで近いってことが分かってて。だからそこで足を止める。横断歩道は赤。
 が首を傾げて「どしたの」と言うから。だからぎゅうと服の裾を握っていた手に力を込める。
「あの、今日、帰らないって言ってあるんだ」
「へ?」
「家に。帰らないって。友達んち泊まってくる、って」
 何回も何回も練習したのに結局上手に言えなかった。かああと顔中に熱が集まるのが分かる。の顔を見てるわけでもないのに、睨んでるのはアスファルトの地面なのに、どうして僕はこんなに恥ずかしいんだ。
 いつも、バス停まで見送ってくれるから。僕がバスに乗り込むまで絶対一緒にいてくれるから。だから僕はそんなにずっと甘えてきてた。嬉しかった。言ったことはなかったけど本当はすごく。
 本当はすごく、好きだった。だから。
 返事がなかったからそろそろと顔を上げる。はぽかんとした顔をしていた。それから僕と目が合うとはっとしたように慌て出して「え、じゃあ俺んち? 友達って俺のこと?」なんて今更なことを言うからむくれて「君以外いるか」と言えばが笑った。ちょっと照れた笑い方だった。あんまりしないその笑顔に僕の方まで照れてくる。
 だから視線を逸らして黙って手を差し出せば、が握ってくれる。いつもみたいに、いつものように。
「ね、ベッド一つしかないよ? 絶対狭いよ? 寝れなくても知らないよ?」
「別にいいよ。明日休日だもの」
「そうだけど。ルピ着替えは、」
「持ってきた」
「そっか。準備いいね」
 横断歩道を手を繋いで渡る。いつものようにの家に行く。ただ今日はいつもみたいじゃない。だって泊まりだから。それがどういう意味かも分かってる。勘違いでも何でもない。が僕のことをどれだけ求めてるか知ってる。だからその意味が分からないわけじゃない。
 何もなくても、それでもいい。と一緒に一日ずっと過ごしてみたい。そう思ったから。
 ただ純粋に。心がそれを望んでいるのを、僕は認めた。だから。
(…恋って、こういうのなのかな)
 今までそういうものとは無縁だった自分を振り返って思う。別に女子に興味は出なかったしかといって男子になんて興味を持てるはずもなく。そもそも恋ってどういうものか分からないまま生きてきて。心に響く誰かになんてずっと出会うこともないって思ってて。
 だけど今、僕の隣を歩く人は。僕を切実に望んでる。僕もそれを分かってる。出会ったときからそうだった。多分出会う前から、この人は僕を望んでた。
 運命っていうものがあって。言葉があって。だからこれはそれで。抗いようのない力なんて感じないし僕が拒絶すればは傷つくと分かってる。抗いようのないものじゃない。ただ抗う必要がないだけ。
 それが運命なんだろうか。ぼんやりそんなことを思って、僕はの手をぎゅっと握った。離れたくない体温を。離したくない体温を。
 悪いとすれば、それはきっとこの世界。
「…汚い」
「ごめん。今日ゴミ出すの忘れちゃって」
 玄関に放置のゴミ袋に思わず言葉が漏れた。が苦笑いしてそれを端に避けるも、ゴミ袋があることに変わりない。ちょっと顔を顰めながら靴を脱いで部屋に上がった。朝使った食器は相変わらずキッチンにつっこんだままだし、ベッドは相変わらず朝抜け出したままって形をしてる。しょうがないからいつもみたいにそれを直すために手を伸ばす。
 全くいつになったらもう少し余裕持って朝起きてくれるんだろう。ぎりぎりに起きるからいつもこんなに汚いんだよ。
「ジュース何がいい?」
「アップル」
「はーい」
 ばさと布団を広げて直す。それからはたと今日自分がこれで寝るんだということに気付いたらなんだか手が熱くなってぱっと離した。なんだろう何を照れてるんだろう。しかも手が熱いなんて僕は病気か。
 意識してその熱を排除して布団をたたむ。その拍子にずると肩から提げていた鞄がどさと音を立てて床に落ちた。
 今日荷物多いねって朝指摘されたのは、今日は泊まろうって決めてたからだ。言えたのは帰り道になってだけど。
 落ちた鞄を脇に置いていつもの手提げも手離す。夕飯、何作ろう。
「はい」
 とんとテーブルにジュースの入ったコップが置かれて「ん」と返事して手を伸ばした。甘いものがあんまり好きじゃないにジュースを常備させてるのは、僕が連日のようにここに来るから。それとクッキー類とかも棚に入ってる。こないだはなかったから多分僕が甘いの好きなこと考えて買ったんだろう。
 ばかみたい。胸中でぼやくだけぼやく。
 これは恋だろうか。今更な問いかけ。キスだってしたことある奴が何言ってるんだって話だけど、普段だって手なんて繋いでべたべたしてるけど。でもキスだってその、深い方はまだ。
 一人で考え込んでいたらぺちと頬を叩かれた。はっとして意識の焦点を戻せば首を傾けたが「大丈夫?」と言うから「平気」と返す。
 何を、考えてたんだ。僕は。
(恥ずかしい)

「今日の夕飯。何がいい?」
「洋風! じゃ駄目? たまにはカロリーこってり取りたいんですが」
「…なんで?」
「え、何となく。自分じゃ料理しないし。ルピの洋風料理食べたいなぁなんて…? 駄目?」
「いいけど。洋風ね」
「ハンバーグとか。煮込みもんでもいいなぁおいしそう」
「じゃあも手伝ってよ。包丁握れるよね?」
「猫の手はできるよ」

 がぐーして笑うから口元を緩める。基本さえできなかったら僕は頭を抱えるところだ。
 テレビのない部屋は音がない。だから会話が途切れると沈黙が訪れる。パソコンはあるけど起動してないから音はないし。
 ふいにがベッドに手をついて僕に顔を寄せた。どんとベッドに背中を預けて「何」とどきどき心拍数の上がる心臓で応じれば、が真剣な顔で「ねぇルピキスがしたい」とか直球で言ってくるから。だからかあと顔に熱が集まるのを感じて一人恥ずかしくなる。
 だけど。拒絶、できない。
「…、」
 答えられないまま視線を俯けたら顎に手がかけられてくいと持ち上げられた。いやでも目が合う。それでキスされる。唇のやわらかい感触。触れ合う吐息と息遣いと、唇をなぞる舌の感触。
 ぎゅうと拳を握り締めた。覚悟を決める。ここから先へ踏み込めば引き返せない。そう自分に言う。だけど僕はとこうしていることに一度だって後悔を感じたことはない。
 だから、手を伸ばしてその首に腕を回した。意図はすぐににも伝わったらしい。僕の背中を抱く腕に力が入って身体が密着してすごく熱くなって。唇を割る舌の感触に固く目を閉じる。
 粘着質な音が思考を刺激した。どうしようもなく。ああくそと誰かを罵る。自分か、それともか。
 背中から腰にかけてをなぞる手にどうしようもなく敏感になる身体が疎ましい。
「ん…っ」
 初めてでどうしたらいいのか分からない。だけどの舌が僕の舌を絡めていく。温い温度。だけど絡めれば絡めるほどに熱く昂っていく。息をするタイミングが分からなくてに縋りつくようにして必死で呼吸しようともがいて。だけどもがけばもがくほどその舌に自分が翻弄されていくのが分かる。
「…っ、は」
 ようやく解放された頃には顔中熱くてたまらなかった。思わず吐息した自分がひどく疎ましい。顔が熱い。を見られない。
 ぐいと袖で口元を擦って飲み下せずにこぼれた唾液を拭う。熱い。すごく。
 手を離したのに、距離を取りたいと思ったのに片腕を取られた。「ねールピ、俺が本当に食べたいものって何か分かる?」と言われて眉根を寄せる。さっき洋風とか何とか言ったくせに。
 は、と息を漏らして呼吸する自分がひどく疎ましい。
「知らない」
「ベタな台詞で直球で言いますが。俺はルピが食べたいんだよ」
 予想は、していた言葉と展開に。全身が火照るように熱くなる。
(ああくそ)
 予想はしていた。こうなっても後悔しないって自分で思ったから言い出した。だって分かってるはずだ。だから僕の腰に腕を回してる。分かってる。がほんとのほんとに僕を好きだって言うんなら、愛してるって言葉がほんとなら。それがどんな意味かくらい。
 分かってて。僕はここへ来た。
「…あの」
「って、意味かなって俺は思ったんだけど。間違いならごめんね?」
「、
 視線を上げればが少し悲しそうな顔をしてるのが見えた。
 知ってる。の中の僕と今の僕とに差があることに。あんまり聞きたくなかったけど他でもない君と僕の話だ。だから一度は、ちゃんと聞いた。あくまで夢の話だけど、そこで確かに僕は僕で君と一緒にいた。
 だから、君の思う僕と今の僕には差があるのかもしれない。だけど僕は、
「痛く、しないでね…?」
 だからありがちなことしか言えなくて。だけどいやじゃないんだよってことを言いたかったからぼすとその胸に顔を埋めた。ああほんとありがちな台詞。女子が読む漫画とかにありそうこういうの。なんで僕こんなことを言ってるんだろう。だけどそういう思考も僕の首筋に埋まった唇の感触に消えた。甘く噛まれる。それが歯痒い。
 僕を怖がらせないようにとか考えてるに決まってる。さっき痛くしないでなんて言ったから。は僕にだけ甘くて優しくてばかだから。それで何より僕に拒絶されるのを恐れてる。だから僕がいいって言わないとはそういうふうに甘く優しくしかしない。それも分かってる。分かってるから今日はここに。
 分かってて。むず痒いくらいのそれを取り払ってしまおうって。僕はそう考えた。
「早く」
 だから浮ついた思考がそう口にして。が一つ瞬きして僕の額に口付けを落とした。その顔の幸せそうなことと言ったらない。
 このばかと何度罵っても触れる肌の温度は熱いし服にかけられた手は止まらないし、このばかと何度罵っても僕は最終的にはいつもを、許して、しまうんだ。