夢の中で出会うだけだった、君

 よく、夢を見た。白色を基調とした黒いラインの入った服を着てる自分が、知らない子と一緒にいる夢。知らない誰かはきれいな紫の目をしていた。同じような白い服なのにその子の服は腰の部分が開いてて、それから袖が長くって、何かある度に長い袖が揺れていたのを憶えてる。
 よく、ってレベルじゃなかった。毎日、ってレベルでその子が出てくる夢を見た。
 たまに違うものも見る。俺が刀を握ってる夢。銃刀法違反だろと思うけど、そこでは俺は刀を振るっていた。俺が白いのに対して黒い服を着た相手に。誰だろう、分からない。だけど刀を振るっていた。よくある気分爽快ゲームでずばずばって感じじゃない。重く鈍い衝撃を感じながら、ごめんと胸のうちで謝りながらそれでも相手を斬るのだ。全然気分爽快なんかじゃない。殺らなきゃ殺られる。そういう状況下だった。
 夢から想像するに、白い服を着た集団と黒い服を着た集団は対立しているようだった。色的にも分かりやすい構図だ。
 俺は紫の瞳を持つ子と一緒にいることが多かった。男、だったと思う。キスしたりもしてたように思う。その時点でおかしいだろって思うのが普通だけど、夢の中じゃそれは普通だった。俺はその子がかわいいと思ってた。素直に、他の誰かよりも自分よりも大事だと思っていた。
 何度か、キスだけじゃなくて、それ以上をしてる夢も見た。男相手にあれか俺はよっぽど欲求不満なのかと考えたけど、夢の中で、俺は確かにその子がかわいくてかわいくて仕方なくて。
 望んだ。その子を抱いていたかった。肌は白くて女の子みたいで、体格も華奢で細くて、唇も舌を絡めるそのときも、ぎゅっと目を瞑って耐えるようにしながらそれでも望んでいるというように俺の首に腕を回しているその子が、俺は愛しくて愛しくて。
 ルピと。俺はその子をいつもそう呼ぶ。
 大事な子だった。何度も夢を見た。何か漫画の夢だろうかと思った。だけど自分の部屋の本棚のどの漫画を見てもそれらしいものはなく、小説の方をあさってもそれらしいものはなく、じゃあどこか書店で立ち読みした何かなんだろうかと本屋でその子の痕跡を探そうとした。
 大事だった。目を覚ましてもと俺を呼ぶその子の、ルピの声は、耳にこびりついていた。甘い声も、俺を求める声も全部鮮明に。夢なのにただ鮮明に。

 だから、その子に向かって黒い服を着た相手の刃が向けられたとき、とっさに庇ってしまったのだ。
 一瞬だけよぎった。その子が刀で斬られる光景が。そんなもの俺が許容できるわけがなかった。許せるわけがなかった。だから庇った。俺は自分が傷つくことよりもその子が傷つくことが何よりこわかった。痛みよりもずっと。
 その子は刀で斬ることではなくその刀の能力で戦っていた。鞭みたいな触手みたいな八本の蔦で戦っていた。主に俺を保護するようにだった。ただ八本全てを使ってしまうとその子の背後はいつも空きがあると分かっていた。だからその空きを、隙を狙われて、俺はどういう能力なのか瞬時にその子の背中側に回って、自分の身体を盾にしてその子を守った。
 痛かった。焼けるように。痛かった。鮮明に。
 だけどその痛みに俺は安堵さえ憶えた。俺は傷ついたけどルピは、傷ついてない。だから。
『いやだっ、!』
 その子の叫ぶような声。悲鳴のような声。右肩から左の脇腹にかけてすっぱりやられた。痛かった。ごほと咳き込めば血が喉をせり上がった。白くて余っているいつもの長い袖を俺の傷口に押しつけて、止血しようと一生懸命のその子。白い袖が、血の赤を吸い上げて染まっていく。
 俺を斬った黒い服を着た奴が、しなる蔦の怒涛の攻撃になす術なくぼこぼこにされて落ちていくのが見える。
 俺はルピが泣いているのが、嫌だった。
『だいじょうぶ、ルピ、だいじょうぶ。俺は、平気だよ』
 ルピが首を振る。その間も黒い服を着た奴らからの攻撃はあった。それを八本の蔦で相手しながら、ルピが泣いている。無意識なのだろう、蔦からさらに細い蔦が伸びてしなる鞭となって相手の一人を叩きつけて吹っ飛ばした。感情の起伏に左右されているのかもしれない。そんなことを思いながら、俺はただその子が泣くのがいやで、だから笑う。笑ってよ、と笑う。ごほと咳き込んだ。鉄錆の味がする。
『だいじょうぶだよルピ』
 手を伸ばして、白いその頬を撫でた。それからああしまったと思った。ルピの白い頬が赤く汚れてしまった。俺の血で。力なく落ちる俺の手を、ルピが握り締める。涙で赤い色が一筋流れた。
 泣いているその子に、俺は言った。ただ笑ってほしくて。
『たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよ』
 根拠なんてなかった。ただその子が泣いているのが嫌だった。俺はその子の笑顔が好きだった。キスしてるときの顔も腰の開いてる部分から手を這わせて煽ったときの顔も全部好きだったけど、やっぱり笑ってる顔が一番好きだった。
 、と俺を呼ぶ声が。
 だからね大丈夫、と根拠のないことを思う。
 対立している白と黒で、白の方が色的にはいいのに悪者なんだろうと何となく分かっていた。望まないのに相手を斬る。これは戦争だと思った。戦争だった。だからどちらともに貫かねばならない信念があったはずだ。だけど俺にはいつも罪悪感。刀はいつも重く俺の掌で存在感を放っていた。
 どん、とルピの蔦が斬られる。切断される。数が次々減っていく。そんな中でルピが俺に応えて笑った。少しずつ蔦が減っていく。俺の呼吸も苦しくなってくる。八本あった蔦も、もう残り半分。
 ごほと咳き込む。目が霞む。
『約束だよ』
 そう、言われた。霞む視界を凝らす。ルピは泣きながらでも笑っていた。ああごめんね、俺のせいで泣いてるんだね。ごめん。そう思いながら俺は笑う。
『うん、約束』
 生まれ変わってもきっとまた、一緒にいられるよと。
「、」
 がばと起き上がる。は、と息を切らせながら右肩を押さえた。じんじんと痛みを訴えるかのように熱があるような気がした。
(夢…だよな)
 自分に問う。あまりにも鮮明すぎた夢にそう問う。
 だけどあの展開。それが本当なら俺は死んでる。あの子も、ルピもきっと黒い奴らにやられて死んでる。
 だけど俺は今ここにいるじゃないか。そう思ったところでぴぴぴぴと音がしてびくとそっちを振り返る。と、目覚まし時計が六時半を示していた。それをばしと叩いて止める。
(そうだ、今日、入学式。急がないと)
 ぎしとベッドを軋ませて立ち上がる。軽く頭を振った。いつも笑顔だったのに、笑顔なことが多かったあの子なのに、それはきっと俺も望んでいたことだろうに、それなのに今日のあれは。
 入学式からついてない、と思いながら顔を洗いに行った。
 今日は念願だった大学の入学式だ。
「おー、でっけー」
 マンモス校で有名な学校の敷地に立って、思わず感嘆の息を吐いた。さーて入学式だ気を引き締めて、自分のネクタイを確認する。自分でやるのってなかなか難しいもんだ。さっきから何度も結び直してるのになかなか形が決まらない。
 学校がでかいだけに体育館もでかかった。そこで入学式がある。今日から俺も大学生だ。ようやく一人暮らしにも慣れてきたところだし、頑張って受験したところだから授業もはりきっていかないと。
 そう、思ったときだった。ざわざわと流れていく人の中、流れの中、黒い髪をして長い袖を揺らしながら歩くその子が俺を通り越していったのは。
「ルピ?」
 思わずそう呼んでいた。その子が振り返る。紫の、アメシストの瞳と目が合った。よく知っている目と。
 長い袖は白い服ではなかったけど、ブランドものなんだろう袖の下にある手もよく知る白い肌だった。
「…君、誰?」
 それで首を傾げて言われたことはそれ。俺は束の間呆然として、それから我に返って「あ、ええと俺はって言って」そこで言葉が切れる。この子は確かに夢の中のルピそのままだけど、でも、あんなに俺のことをって呼んでたのに目の前のこの子は俺に誰って。
…」
 その子の唇が俺の名前を紡ぐのを見る。だけど訝しげに眉根を寄せている辺り、その子は俺のことが分からないらしい。
 気付いたように携帯で時間を確認して「あ、時間ない。だっけ、君も入学式出るんでしょ。行こう」と腕を取られて引っぱられた。よく知っている体温だった。だって何度だって身体を重ねてきたじゃないか俺達は。
 だけどこの子は、俺を知らない。
(そりゃそうだよな。だって、夢の中の話、なんだから)
 それなのに夢の中そっくりの、夢から抜け出てきたって言っていいぐらいにそっくりのこの子は、一体なんだろう。
 体育館に入って、体育館っていうか講義場みたいな大きな場所に入って、土足で赤い絨毯を踏んで適当な席に着いた。その子が俺の手を引くから手を引っぱられるままに。
 校長の口上を聞いた。よくある歓迎の口上だった。入学おめでとう諸君とかそんな感じの。
 俺は、その間もずっと隣のルピが、夢の中と同じルピがどうしても気になって気になって。それでこっちを向いたルピとぱちと目が合った。ルピが眉尻を下げる。「何泣いてるの。そんなに入学嬉しい?」と言うから、俺は自分の頬に手をやった。視界は、滲んでいた。
 ルピが息を吐いて俺に手を伸ばし、しゅるとネクタイを解いた。「これじゃ変だよ」と言ってやり直してくれるその手を見つめた。
 何度だってこの手と手を繋いできた。何度だって恋人繋ぎをしていた。そして同時に俺のその手は刀を握っていた。この子を守るためにも、殺られる前に殺るために、俺は刀を手に立ち上がらなければならなかった。
「ルピ」
「うん?」
「俺のこと憶えてる?」
「…君とは今日が初対面だと思うけど」
 ネクタイを結び直してくれたルピが眉根を寄せる。俺はそれが、正直に言って、悲しかった。
 夢の中での真実は、現実では虚像だった。
 俺は今日出会った、現実では初めて出会ったこの子を、愛していた。夢の中でそうであったようにただ好きだった。ただその存在を望んでいた。今の俺もそう。その子の手が離れるのがいやでぱしと握ってしまった。ルピが少し驚いた顔をする。「何?」と。首を傾げるその姿に、俺は余計に胸が締めつけられる。
(俺だよルピ。俺だってば)
 ごつ、とその手に額を押しつける。祈るように。思い出してよと。俺だよと。あんなに愛し合ったじゃないか俺達。

 ずっとずっと夢を見てきた。夢で終わらせられればよかった。だけど俺はその夢こそが真実だと思った。と俺を呼ぶこの子だけが俺を満たす子で、俺を求める子で、俺が求める子だった。他の誰かじゃ無理だった。彼女ってものを作ってみたこともある。夢を夢だと思いたくて、だから現実で夢を誤魔化そうとして。
 だけど無理だった。夢の方がリアリティがありすぎて。俺を支配しすぎていて。ルピじゃなきゃ、俺は無理だった。
 病んでいるように毎日毎日夢を見た。夢の中では刀を握ることが苦しくてもその子がいるから立っていられた。
 現実の俺には、何もなかった。ただ眠ればルピに会えると分かっていた。だから夢を求めて眠るために一日を過ごしていた。そうやって生きてきた。
 ルピが現実ここに俺のそばにいてくれたならと何度だって考えて思って、流れる人混みの中にルピの姿を探した。だけど真っ白いあんな服を着てる子が街にいるわけもなく。だってあんなもの着てたらコスプレってやつになってしまう。それくらいあれは機能的というよりはただ白いだけの服だった。
 その服を、それでも探した。その服を着ているルピしか知らなかったから。だから探した。白くて長い袖を、アメシストの瞳を、黒くてちょっと癖のあるあの髪を。
 ルピを。ただ。探していた。現実でも。あれは夢なんかじゃない。ただの夢なんかじゃない。ずっと見続けてきたあれはただの夢じゃない。そう信じていた。

「…たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられる」
「え?」
 顔を上げた。視界は相変わらずだ。前の方では校長が何か喋ってる。すり鉢上になってるこの講義上からは校長の姿も声もただ遠く、俺にとってはどうでもいい。
 入学して嬉しいんじゃない。ルピに出会えたことがすごく嬉しくて、それなのに君が俺を知らないことが悲しくて仕方ない。
 ルピが首を傾げる。俺は笑った。笑うことしかできなかった。俺が笑わないと君が笑わない。夢の中で君の笑顔が俺の何よりの糧で、一日を乗り切る原動力で、そしてそのために息をして。
 あれは、俺の、ただの夢なのか。それとも今日見た夢を信じるなら、それで、途切れてしまったのか。俺達は一度。そして今再びこの場所で再会したのだろうか。俺だけが君を憶えていて、君は俺を忘れて。
「約束したんだ。そう」
「…ふぅん?」
 長い袖の下の手がポケットをあさり、そうして取り出したハンカチでルピは俺の目元を拭ってくれた。「とりあえず泣き止もうよ」と言われてしまって、俺はまた笑う。
(ねぇルピ憶えてないの? 俺達あんなにも愛し合ったのに)
 片手を握り締めて離さない。呆れたような息を吐いたその子が「ねぇナンパならさ、ちゃんと女の子にしなよ?」「そんなんじゃないよ」俺は笑う。泣いたらルピの顔が歪むことは、夢でも一緒だったから。
(これはナンパなんかじゃなくて。俺はただ、お前を)
 校長のいる場所だけ明るい。ここは暗い。そんな中でもルピがよく分かった。長い袖とアメシストの瞳は変わらない。さすがに腰のところに穴が開いてる服ではないけど、でも雰囲気も全部よく似てる。きっとルピは現実ならこういう格好をしたんだろう。あの白い服以外を着るのなら。
 夢の中で、俺達が白以外の服を着ていることはなかった。
 定めのようだった。それは。
 だから抗ってみせたのかもしれない。だから生まれ変わってもと口にしたんだろうか。ただまた会いたくて。定めを変えたくて。運命に立ち向かってみたくて。
 黒と白は対立していた。俺達は白だった。そして黒に塗り潰された。
「ルピ」
 ぼす、とその胸に頭をぶつけた。ルピは戸惑ったようだったけど、はぁと息を吐いてぽんぽんと俺の頭を叩いた。長い袖と手の感覚。温度。俺は薄く笑った。全てが懐かしく俺が求めていたものなのに、この子は、俺を知らない。

(再会の喜びと忘却の喪失が俺の胸を深く貫き、それは優しい痛みとなって俺の涙を誘うのだ)

(ねぇ おれを おもいだして)