(…こっちでもポッキーの日なんてあるんだ)
 はぁと息を吐けば微かに白く濁って見えた。手袋装備マフラー装備コートだってもちろん装備、ほんとならスカートにしたかったけど寒いからと黒のズボンを装備。ブーツをこつと鳴らして「ねぇまだ?」と声をかければ「もうちょっと。そんな寒い?」と隣に立ってるが首を傾げた。頬を膨らませて「寒い。だって日本だとここ北海道と同じくらいの緯度なんでしょ?」「まぁね」「毎年思うけど寒いよ。湿気ない分空気乾くし」はぁと息を吐いて一つ咳き込む。空気が喉に冷たい。
 イギリスでもポッキーの日なんて馬鹿げたことをするんだなぁなんて、すぐそこの市場で大きな籠いっぱいにポッキーの箱が溢れんばかりにあるを見て思った。変なところで日本を思い出す。もうあの場所を離れてだいぶたつっていうのに。
 それでやっと前の人の注文が終わったらしく、外待ちで並ぶ必要がなくなった。ほっとしながら自動ドアをくぐってお店の中に入って手袋を外す。やっぱりちょっとはあったかい。風が防げるだけでもお店の中の方がずっといい。
 がマフラーを外しながら英語ですらすらと料理を注文。半分くらいしか聞き取れなかったと思いながら「ルピこっち。あっち空いてるってさ」と言われるままにその背中についていく。
 周りは英語が飛び交うイギリスの市街地、休日で込み合うレストランの一角。夜になってどこかで食事しようって話になったけど、僕はが言う高級レストランとか予約制とかそういうとこの料理は別によくて、ただ少しいつもと違う空気の場所がいいなと思った。普段ならこんなうるさいわいわいがやがやしたとこ嫌いだけど、寒くなってきたし、何より家には僕ととトレパドーラしかいないから。だからたまにはこういう雑踏ってものの中にいるのも悪くない。はず。
 こっちは日本と違ってお水だってお金がかかる。だけどはお水を取ってた。僕が咳き込んだことに気付いてたらしい。
「はい」
「…ありがと」
 そういえば日本はお水、ただで当たり前だったなぁ。海外に来て普通にペットボトル料金取るって知って驚いたもんな。そう思いながらさすがにレストランだからコップに入ってきたお水に口をつける。ごくんと一口。つめた。
 向かい側で、がしかめっ面をしてごそごそとコートのポケットから携帯を取り出した。それからはぁと息を吐いてぴっと電源を切る。「やんなっちゃうね、休日まで電話よこしてさ」「切った?」「切りましたとも」それでポケットに携帯を戻したがコートを脱いでそばにある上着掛けに引っ掛けた。思い出して自分の黒いコートも脱いで引っ掛ける。
 わいわいがやがや。行き交う英語と会話と笑い声と。なんて言ってるのか僕には半分くらいしか分からないけど、たまにはこういうのも悪くない。
 が頬杖をついてもう片手で僕の髪を撫でた。「だいじょぶ?」と訊かれて「大丈夫」と返す。「君お水は」「俺はいいよ。残ったらペットボトル入れて持って帰ろ」ちゃっかり携帯してるらしい。上着掛けについでに引っ掛けてあるエコバックを覗いてみたら、ちゃんと空のペットボトルや空の器がいくつか入ってた。ちゃっかりしてるなぁと思いながら背もたれに背中を預けて息を吐く。わいわいがやがやうるさいや。

 そのうち注文したんだろうホットコーヒーがきて、それから料理の方がきた。いかにも夕飯時で忙しいからって感じの雑な盛り付けのスパゲッティが二皿。でも海外だからサイズは大きい。
 カルボナーラとボロネーゼの二つを見比べながら「ね、一口そっちもらってもいい?」「いいよ。好きなだけ好きな方食べな」とが笑うから、フォークを手にしてまずは自分が頼んだ方のカルボナーラを一口。さすが海外、いつも思うけどチーズが濃い。ダメな人いたらこれ絶対無理だ。
 それからが頼んだ分のボロネーゼの方にフォークを伸ばしてくるくるとパスタを巻きつける。その間が満足そうな顔してこっちを見てたから「何さ」と言えば笑顔が返ってきた。「別になんにも」と。だからむぅと眉根を寄せれば、小さく笑ったがフォークを手にとって「嬉しいだけだよ。ルピ」と言うから。何が嬉しいのかさっぱりな僕はぱくとパスタを口にしながら何がと心の中でツッコミを入れる。心の中だけのはずだけど、僕のことを全部分かってるは心の中が視えてるみたいに笑う。「おいしい?」と。だから口をむぐむぐさせながらこっくり頷けばがカルボナーラの方にフォークを伸ばしてパスタをくるくるさせながら「食欲出てきたし、季節がよくなったから。ルピも調子がいいし」と続けるにごくんと無理矢理パスタを飲み込んで一つ深呼吸、それからぺちとその頬を片手で叩いて「僕より自分の心配して。年末シフトで忙しいんでしょ?」「んー」困った顔で笑う
「仕事ね。確かにちょっと忙しいかなー。年末は毎年参るや…」
「…だから、今のうちに出かけておくんでしょ。君が言ったんじゃない」
「そうなんだけどね」
 苦笑した。上着掛けの方にあるポケットの中では仕事用の携帯がある。電源を切ったから今は沈黙してるんだろうけど、電源入れたら途端にまた鳴るんだろうな。
 そう思ったけどざわざわうるさい人の声で思考が掻き乱される。いい意味でも悪い意味でも。
 ふうと息を吐いて水の方を飲んで、それからまたパスタを食べて。こってりカロリーだけど冬だからいいもん、勝手に消費されるし。言い訳っぽいことを考えながら外の景色に視線をやれば、またあのポッキー売り出しの籠が見えた。
「ねー
「うん?」
「帰り、あれ買おう。ポッキー」
「いいけど。なんでポッキー?」
 首を捻ったが窓ガラスの向こうのポッキー売り出しの籠を見て不思議そうな顔をした。はぁと息を吐いて「今日何日」と訊けば視線を上にやったが「えーと、今日は11月の11日…あー」それでぽんと手を打って「あれか、ポッキーの日か。昔CMとかやってた」「そう。投売りで安いみたいだし、せっかくだし。買って帰ろ」どっちもなかなかおいしいと思いながらフォークにパスタを絡める。向かい側でが笑って「いいよ。お菓子も買いだめしないとね」「それはいい。こないだ大量に頼んだロイズがまだある」「えー」「えーじゃないよ。君甘いのあんまり食べないんだから、僕ばっかり食べてるんだよ? これ以上増やさないでいい」「はーい」僕と同じくぱくとパスタを口にした。「おいしいね」と笑うから口をむぐむぐさせながらこっくり頷く。
 ああうんでも、このうるさい雑踏は一ヶ月に一回でいいや。
 多分ありがとうございました的な声を背中で聞きながらこつとブーツでタイルの地面を踏む。ぶるりと一つ身震いしてマフラーを口元まで引っぱり上げながら会計を済ませてお店を出てきたを振り返った。
「ねぇ」
「はいはい待って、いくつ買う?」
「んー…三箱ぐらい?」
「少なくない? 五箱くらい買おうよ」
「任せる。から買ってきて」
 何言ってるか分からないわけじゃないけど、僕は英語が上手じゃないから。だからの背中を押してポッキー売り出しのところに行く。籠の向こうにはコートを着込んだおじさんがいて、こっちに気付くと笑顔になって英語で声をかけてきたけどちょっとなまってた。だから僕は眉根を寄せるんだけど、はさらっと返事をしてそれからポッキーの箱を指差して数を言って。おじさんが紙袋を用意しようとするのを持ってるエコバックを示してみせて、また何やら会話。ああもう僕にはちんぷんかんぷん。
 日本語で話をしてる人なんて見かけない。観光客以外。当たり前と言えば当たり前だけど。
「はい買った」
 くるりと振り返ったのエコバックにはポッキーの箱が五つ。隣に並びながらちらりと肩越しに振り返ればおじさんは愛想よくこっちに手を振っていた。慌てて視線を逸らして小さくぱたぱたと手を振り返す。そうするとなぜだか笑われた。豪快な笑い声に顔を顰めて「何、あの人なんで笑ってるの」と言えばが笑って「かわいいお嬢ちゃんだなおい、だってさ」「…嬉しくない」むすっとしながらマフラーに顔を埋める。僕は男だよばーか。女に見えたっていうんならそれもそれだけど。
(彼氏彼女に見えてるかな)
 白い息を吐いて視線を上げる。が財布をポケットに突っ込んでそれから「はい」と手を差し出した。だから手袋を忘れてた手でその手を握る。あったかいのが分かった。体温が分かった。手袋なんかよりもずっと気持ちがあたたかくなった。
 だから手袋はやめて、あとは手を繋いで歩道を歩いた。のんびりと二人で、御伽噺みたいにきれいな街並みを、だけどここにずっと住んでる人から言ったらいつも通りの風景の中を、のんびりと。
「あとどうしたい? 買い忘れとかない?」
「ちょっと待って、見る」
 ごそごそとコートのポケットからメモ帳を取り出す。いるものを項目別に書き出して、もう買ったものには×をつけてある。
(トレパドーラのご飯も買って宅配の手配もしたし、あとは自分で持てるくらいの荷物、で何か。かな)
 顔を上げて「特にないと思う。けど」と漏らして通りの向かい側のお店が目に入った。ライトアップされた景色の中に溶け込んでる屋台。このいいにおいは、
(ず、ずるい。こんな寒い日だからって屋台でワッフル売るなんてずるい、ずるい!)
「ルピ?」
「え、あ」
 さっき食べたばっかりなのにと思ってたら、が僕の視線に気付いたらしくてあはと笑った。「あーワッフルか。買う?」「で、も」「半分こしよ。それならいいでしょ?」が首を傾げるから、だから僕はおずおずと頷いた。ああ太る。ちょっと家での運動、ストレッチ以外に考えよう。
 結局家路に着いたのは九時近くで、トレパドーラがご飯待ってるだろうなぁと思いながらがたんと揺れる馬車から窓の外の景色を見つめた。車の交通が許可されている場所までは馬車移動。寒いからってがきちんとした方の馬車を呼んでくれた。なんだかんだで市街地から結構歩いてしまって、タクシーを呼べる場所まではまだかかる。
 はぁと息を吐いてちょっとお腹を撫でてみた。満腹感ばりばり。隣ではが一つ欠伸をして「よく食べたぁ」とか漏らすから、それは僕の台詞だ。とちょっと思ったり。
「ねぇだいじょぶ? 財布」
「平気だよ。余ってるくらい」
「…ちゃんと貯金入れてる?」
「入れてるよ。毎月確認の封筒届くでしょ?」
「そうだけど。ほしいものないの? 僕のばっかり買ってさ」
「俺は。ルピがいればそれでいいから」
 ふいに手が伸びて抱き寄せられた。ぼふと音。生地がいいものだと思わせる黒いコートに顔を埋めて、それからぎゅうと目を閉じてああ夢だと自分に言ってみて。だけどぎゅうと拳を握ったら指が痛くなって、だからああ夢じゃない、と自分に言い聞かせて。
 夢みたいなのに。夢じゃないなんて。すごく、しあわせだ。僕は。幸せ者だ。僕達は。

「うん?」
「ずっと愛してね。ずっとだよ、絶対だから」
「もちろんだよ。俺はルピ以外誰も見ない。ルピも俺以外誰も見ないでね」
「見ないよ。君だけ。絶対に」
 コート越しの背中に腕を回して抱きつく。ああしあわせ。幸せに形ってないのかもしれないけど、僕はがいればそれでもう幸せだ。僕の幸せの形はだ。それだけだ。
 がたん、と馬車が止まってかんかんと小さな正面の窓が叩かれた。着いたってことらしい。まだこうしてたいと思いながらもしょうがないから腕を緩めた。が了解ってことでノックし返して馬車の扉を開ける。途端に寒い風が吹き込んできたから慌ててマフラーをした。やっぱり外は寒い。

 それであとは大通りからタクシーを呼んで家まで帰った。
 玄関では寒いからとログハウスを模した犬小屋に入ってたトレパドーラが僕らの帰宅に気付いて「わん!」と声を上げる。おかえりなさいとおなか空いたが混じってるような声だった。だから苦笑しながら玄関の鍵を外してまずはトレパドーラに餌やり。もう夜は冷えるから家の中で。
 ストーブの方に火を入れたがテレビをつける。何となく音が広がる。玄関の鍵をしっかり閉めたのをチェックしてからのところに行った。手を伸ばされて、その手を取ってソファに座り込む。今火が入ったばっかりだからまだ部屋が冷たい。
「ルピ」
「、ん」
 返事をする前にキスをされた。外出するとやっぱりキスとかは控えるから、だから半日ぐらい触れてなかった唇が恋しい。最後に口にしたのがあったかいカフェオレでよかったと思いながら目を閉じる。が恋しい。が愛しい。こんなにもただ。
 少ししてかちゃと爪の音がしてぱちと目を開けた。寒いんだろうトレパドーラが空になった器をきちんと持ってきてことんと床に置く。「いい子」とその頭を撫でたと「わんっ」と返事するトレパドーラ。に寄りかかりながら顔を離して「ね、日付変わる。ポッキーは?」「はいはい」苦笑したが床に置いてたバックからポッキーの箱を取り出した。ビター。うんこれくらい僕だって読める。その箱を手にしながらサイズが日本のポッキーの倍じゃんとか思った。
「ねぇ、あの、余裕あるときでいんだけど」
「うん?」
「チーズフォンデュとかあるじゃない。あれのチョコの。あるでしょ」
「あー、あるね。それが?」
「あれほしい。かも。おやつに…その」
 どうにもはっきり言えずにごにょごにょになった。トレパドーラはストーブの近くで伏せってぱたんと一つ尻尾を動かす。びりと袋を破れば中には当然ポッキーが入ってた。一本取り出してぱきんと折る。うん、すごくポッキー。
 が一本手にして同じようにぽきと折って口に入れながら「んー、手入れめんどくさそうだけど。できる?」「それは絶対やる。から、どこで売ってるとか知らないし、気にかけといてくれると嬉しい」「はいはい」髪を撫でられて片目を瞑る。強引だったかなと思ったけどは満足そうに笑っていた。「甘いやポッキー」って言葉に少し笑って「当たり前でしょ、ポッキーだもん」と返しながらもう一本。
「ルピにおねだりされたら俺断れないなぁ」
「…ダメだった?」
「いいよ。ただちょっと時間がかかるかもしれないけど、見当はつけとくね」
「ありがと」
 ほっとして息を吐く。一回でいいからお店で見るみたいなフォンデュってものをしてみたかった。チーズでパンとか野菜を絡めるのもおいしそうだし、チョコでクッキーやマシュマロをつけて食べるのだっておいしそう。って、さっきから食べ物ばっかだな僕は。
 そんな自分に眉根を寄せてたらが首を傾げた。「どしたの」と。だからふるふると首を振って「何でもない。っていうかお風呂は? いれないと」「いれるとすぐ冷めちゃうでしょ。もちょっとあとにしよ」首筋にキスされてくすぐったさを押し殺した。「やだよ、明日」「分かってるー」笑いを堪えた感じの声。ちょっと君まで笑うなよ、僕我慢してるのに。
「くすぐったい」
「ん」
 離れた唇と腰に回ってた腕が離れてポッキーの方をまた一本つまんだ。ぺきと容赦なく折って口に突っ込みながら「あー、思ってたよりいっぱい入ってんだね。甘くみてた」「だから三つでよかったんだよ」ぼふとソファに座り直しながら自分の方もポッキーをもう一本。何となくポッキーの日なんてものをやってた日本を思い出して、それから現実を見つめる。今ここにいる自分を。
 一本取り出したポッキーを口にくわえる。折らずにそのままの方にやって「ん」とポッキーを示してみせれば、その意味が分かったらしいが苦笑してポッキーのもう片方をくわえてくれた。ああなんてベタなんだろうと思いながらもお互いしゃくしゃくと食べ進めていけば、すぐに唇に当たる。片手をの手に重ねてぎゅうと強く握り締めて目を閉じる。今日はダメって僕が決めたのに、これじゃ僕から折れそうだ。
 抱き寄せられる感じに薄く目を開けた。のタートルネックとベストが見える。髪を撫でられる感触が心地よくて、ストーブで部屋があたたかくなってきたのもあって、僕はまどろむように目を閉じた。
 これが僕の幸せのかたち。という人だけが持つ、僕の幸せのかたちだ。

やわらかいベーゼ