「やっぱりさ。俺つくづく思うんだけど」
「何さ」
「ルピってかわいいよね」
 真面目にそう思って言ったのに、当のルピ本人には呆れた顔をされた。「あのさぁ」「うん?」「君、もうちょっと自分の言ってること考えなよ。赤の他人が聞いたら気持ち悪いって思うよ絶対」「別にいいよ。ルピが俺を見てくれてたらそれで」さっぱり答えたらルピが眉根を寄せて黙り込んだ。それからはぁと溜息を吐いてずぞと苺ミルクのジュースをストローですすった。もう空らしくて、ルピが不満そうな顔で苺ミルクの紙パックをぱこんと潰す。だから首を傾けて「もう一個買う?」と訊いた。ルピは首を振って「いい。節約」と言って潰したジュースのパックをビニール袋の中に突っ込んで、それから服の袖で目元を擦った。
 教室以外でお昼を食べるのはルピが色々めんどくさがったからしないでいたけど、最近はぼちぼち状況によって教室以外で昼食を取っていた。というのもまぁ俺達への興味の視線というかそういうのが絶えなかったからってのが理由。最初こそそれを無視で流してそのうちなくなるだろうと思ってたのになかなか尽きなくて、それがルピへの多少なりのストレスになってるってことも俺は気付いてた。だから俺から言い出した。外行って食べようって。
「お腹痛くない? 気持ち悪かったり頭痛かったりは?」
「平気。子供じゃないんだから」
 ちょっと頬を膨らませて拗ねた顔をしてみせるルピがかわいくて、だから俺は知らず知らず笑ってしまう。やっぱりお前はかわいいと思うよ、ルピ。
 今日もありがたくいただいたお手製のお弁当に蓋をしながら「午後の授業なんだっけ」と言う。ルピが同じように片付けをしながらちょっと考えるように視線を上に向けて「あー、えっと…なんだっけ」と言うから一つ瞬く。ルピが片方の袖で目元を擦って、もう片方の手をポケットに突っ込んで大学のスケジュール帳を取り出してぱらぱらと開いて「ああマーケティングだ。めんどくさ」とぼやくから、いつもなら自分の取ってる授業はすらっと答えてみせるのにな、と思考のどこかで引っかかりができる。
 そういえばさっきから何度か目を擦ってる。
 ルピの手を取ってちょっと袖をまくった。「ちょ、何す」「脈」ルピがちょっと頬を赤くするのがかわいいなぁと思いながら細い手首に親指を押し付けて脈を測る。
(…いつもより少し速い)
 いつも手を繋いでるから分かる。体温もいつもより少し高い気がする。
「ルピ、本当にどこもおかしくない?」
「…何? どっか変?」
 ルピが不安そうにするから、やわらかく笑って袖を戻しながら「変じゃないよ。ただね、いつもより少し脈が速いから」と言えばルピが口を噤んだ。それからまた目を擦って「ちょっと、眠いんだ。なんていうか瞼が重い感じ。寝不足とはまた別で」目を擦る手を握って止めた。ちょっと腫れぼったい気もするルピの目元を指先でなぞって「暑くはない? ちょっとぼんやりするとか」と訊く。至近距離に照れてるのかそっぽを向いたルピが「分かってるような口利くな。確かにちょっと、暑いけど」と漏らす。
 決定。ルピ、それは風邪っていうやつです。
「保健室行こう。ね」
「は? なんで」
「ルピ、多分それ風邪の兆候だから。悪化する前に薬とかもらおう」
 片付け終わったテーブルの上を最後にナプキンで一つ拭いてそれを手提げに突っ込んだ。ルピの手を引いて歩き出しながら、だけどついてくるルピが「いい。ねぇ、いいってば」と遠慮がちだから「どうして、薬はもらった方がいいよ」「…そうじゃなくて」「ん?」肩越しに振り返ればルピが不満そうな顔をしている。それに首を傾げれば「だって君、その間授業受けに」「行かないよ。ルピについてるよ」当たり前じゃないかそんなのと思ってそう返したら、ルピがほっとした顔をした。だから俺はなんだか笑ってしまう。
 あんなに俺ばっかりが求めてた頃もあったのに、今はそれと同じかそれ以上に、ルピも俺を求めてくれている。それが死ぬほど嬉しい。いや意地でも死んでやらないけどさ。
「そんなに俺と一緒にいたい?」
「…何その意地悪。今更」
「反対のときもあったよー。俺はいつでもルピと一緒がいいんだけどね」
 教室ではなく保健室の方へと向かいながらゆっくりと吹き抜けの廊下を歩く。ルピが隣に並んで気に入らないって顔をしながらぎゅうと俺の手を握り締める。俺はそれに微笑んでその手を緩く握り返す。
 幸せだ。とても。
 そろそろなくなってくれてもいいんじゃないかと思う興味の視線がまだ絶えないから、教室ではあまり触れられない。特に女子の視線が絶えないというか何というか。俺はそれでもいいんだけど、ルピに負担がいくのは俺も嫌だから。

「うん?」
「中でも一緒にいてよ」
「そりゃいいけど。熱測ってあったら薬もらって、それくらいでしょ?」
「…そうだけど。保健室、一回も行ったことないし」
 ごにょごにょ小さくそう言うルピがかわいいったらない。思わず頬が緩んでしまう。授業開始五分前の予鈴が鳴った。だけど次の授業には遅刻決定なのでもう急がない。
 ちゅ、とルピの額に口付けて「かわいい俺のルピ」と囁く。ばこんとルピの手からお弁当箱の入った手提げが滑り落ちた。ぎゅうとワイシャツを握り締められて一つ瞬く。熱に浮かされた顔。まるでベッドの中みたいな。
「ルピ?」
「…君の言う通り。熱っぽいのかも」
 ぼすと俺の胸に顔を埋めたルピが「熱い」と漏らす。誰も通らない廊下で、ルピの華奢な背中をゆっくり抱き締めて「無理しないで、辛いなら休ませてもらおう。俺そばにいるから」「…授業、君、欠席扱いになる」「いいよそれで」「でも」「ルピ」黒くて少し癖のある髪を撫でる。ルピが腕の中で小さく溜息を吐いて一つ頷いた。
 それで保健室で熱を測らせてもらったところ、37度6分という微熱状態だった。ルピは授業を思ってだろう、少し迷ったあとにその時間は保健室で休ませてもらうということになった。
 俺はいたって健康なわけだけど、まぁ付き添いでいさしてくださいと担当の先生に頼んだ。授業欠席扱いになるぞと呆れた顔をされたけど構いませんと返して、ルピの荷物を持ってベッドの方に行った。
 白いパイプでできてる白いベッドは、どこか、いつかのあの頃を思い出させる。
「ルピ、」
 ふいにバランスを崩したルピを反射で抱き締めた。「ごめ、立ちくらみ。だいじょぶ」ルピの声に元気がない。だから俺は近いベッドにルピを誘導してそっと座らせる。荷物は床に置いて上着を一つ脱がせた。ベッドに入るのにそれじゃ暑いだろうと思って。
 ルピが先生を気にしてるのか赤い顔をするから、俺は小さく笑ってルピの額にキスをする。
「寝ていいよ。ね」
「だ、けど。君が」
「俺はそばにいるよ。なんだったらずっと手繋いでるよ」
 ルピの履いてるブーツを脱がせてベッドに上がらせた。その度にルピの顔の赤みが増してるような気がするのは俺の気のせい、じゃないよなぁ。一応ベッドだもんねこれも。でもほらするわけじゃないから、そこは勘違いしちゃ駄目だよルピ。
 だけど病人だ。熱があるなら思考も鈍って弱るだろう。ルピをそっとベッドに横たえさせて、それから布団の方を被せる。ルピはどこか不服そうな顔で布団の間から顔を覗かせていた。しゃーとベッドとベッドの間にある区切りの白いカーテンを引きながら、肝心のものを忘れてたことを思い出す。
「あ」
「?」
「ルピ、も一回起きて」
「…何?」
 もぞもぞと起き上がったルピ。忘れてた、薬。だからぽいと自分の口に薬を放り込んでペットボトルのアクエリアスを口に含んで、それからルピにキスをした。口移しで薬を飲ませる。ルピの顔が途端に真っ赤になるもんだから、俺はもうそんなルピがかわいくてかわいくて。
 本当に、俺はルピがかわいくてしょうがない。
 は、と息を切らせたルピが「じ、自分で飲めた」と恨めしそうな声で言うからあはと笑う。うん、今のは俺がしたかっただけだね。ごめんねルピ。
 黒い髪に指を絡めながら「おやすみルピ」と愛を囁くようにそう言う。ばしと耳を塞いだルピが「寝るよ、寝るけど。でもそばにいてよ」と言うから俺は笑う。もちろんそばにいるよ。お前のいる場所が俺の居場所なんだから。
 それで少し見守ってる間にルピは眠った。薬の効果か、ルピの寝顔は安らかで、それこそ俺から言えば天使みたいな寝顔だった。
(かわいい俺のルピ)
 繋いでいた手は緩くなっていて、するとベッドからルピの腕が落ちた。そっとベッドに腕の方を戻しながら「なんすか先生」とそばまで来ていた保険医の先生に声をかける。それなりに気遣っていたつもりが声が少し邪険になった。
「いや興味本位。一ついいか?」
「どーぞ」
「今じゃ有名な噂だかんな。お前ら付き合ってるってのは本当の話か?」
「…だったらどうなんです?」
 視線を上げて振り返る。ルピの黒い髪に指を絡める手の動きを止めて「何か問題でも」と言う自分の声はやっぱり少し棘があった。両手を挙げて降参の形を取る先生が「そう邪険にするな、誰に言うわけでもない自己満足の問いかけだ。俺としては羨ましい限り」「…?」言われた言葉の意味が理解できずに眉根を寄せる。先生の方はポケットに手を突っ込んで煙草の方を取り出しながら「運命ってやつだろう。俺はこの年になってもそんなものに出会えずにきたからなぁ。お前らのように自分を貫いてる奴らを見るのは羨ましい限りだよ」しゅぼとライターの火で煙草の先に火がついた。さらに眉根を寄せて「先生、保健室は」「禁煙だ。お前らのことも言いはしないから、俺のこれも黙っててくれよな」軽くウインクされてはぁと息を吐く。それからぱたぱた手を振って「吸うなら向こうの方でお願いしますよ。ルピに障る」「はいはーい、邪魔者は退散するかねぇ」のんびり歩き出した先生が片手を挙げて「じゃあまぁこの時間はお前らだけだろ。好きにするといいさ」と言って保健室を出て行った。
 ぴしゃんと扉の閉まる音がして、それからふうと息を吐く。何を邪険になってたんだろ俺。
(いや、最近そうか。ルピに負担をかけるものにはどうしても優しくできない)
 安らかな寝顔のままのルピの頬を指で撫でる。煙草の煙吸ってないといいな、身体に悪いから。っていうか仮にも保険医なのに堂々と煙草吸うってどうなんだ先生。ここ禁煙。
(…まぁいいかぁ)
 二人しかいない、他には誰もいなくなった空間に脱力してパイプ椅子の背もたれに背中を預けた。ぎしと軋んだ音。目を閉じても開けても思い浮かぶのはルピのこと。

 狂ってると言われればそうなのかもしれない。運命なんて言葉で信じ込んでるだけで、俺はほんとにただの夢をそうだと思いきれなかった馬鹿なのかも。
 だけどルピがここにいて、俺を求めてくれて、俺も何よりルピを求めてる。現実はただそれだけだ。

「ルーピ」
 小さく呼んで頬を一つ撫でた。まだ熱っぽい体温だけど薬を飲んだからそのうちよくなるだろう。ルピは身体が強いってわけじゃないから俺も気をつけてないとな。この子を守るのは俺の役目だ。いつどこで何時であってもこの子の心を救うのは俺だ。俺の心を救ってくれるのもルピだけだ。この先の未来もずっと、そのことだけは変わらない。
(ルピ)
 祈るように目を閉じる。
 お前のいない世界はなんて静かで何もないんだろう。
 だから俺はお前を守らなくちゃ。ありとあらゆる方法で、あの頃のようにお前を置いていくことなく、置いていかれることのない世界を作らなくちゃ。俺とお前が一緒にいられる未来を。そのために、俺はできる限りの全部をしなくちゃ。勉強も運動も学校も全部全部。
 大丈夫。今度はきっと、間違わないから。

また繰り返し
(それでも今度こそは)