赦されないことをしているんだろうな、という自覚はあった。
 だけど、罪の意識や心よりも、自分の幸福を選んだ僕は、周囲というものを捨てた。
 他の誰にどう噂されようが、どう取られようが、なんと言われようが、どうだってよかった。
、これ見て!」
 新しいワンピースを身につけて走っていくと、中庭で薔薇の手入れをしていたが顔を上げた。全力で走ってきた僕に軽く目を見開いてからはさみを手離して、スピードを緩めることなく走り込んだ僕を抱き止める。
 手を繋ぐことも頭を撫でられることも好きだけれど、こうして彼の腕に抱かれることも好きだ。
「転ぶよルピ」
「君が受け止めるから大丈夫」
「そうだけど…」
 苦笑いのような声と一緒に僕の頭を撫でる掌の感触。
 の広い背中に腕を回して抱きついている自分。片腕で僕を抱いている、彼に抱き締められている、その現実が僕に幸福を運んでくる。
 今日はいい日だ。特にいい日だ。着たかったワンピースが届いたし、空はちょうどいいぐあいの青で雲が適度に浮いていて、薔薇は今日も手入れされてきれいだし、おまけに腹違いの兄弟は一日いない。今日は僕がを独り占めできる。そう思うと笑みがこぼれて仕方ない。
 ぱっと顔を上げて「ねぇ、似合ってる?」と訊くとは笑った。細長い指先がさらりと僕の前髪を揺らして「よく似合ってる」と言うから嬉しくなる。ばふっと彼の胸に頬を押しつけて、一人やったと心の中でガッツポーズ。
 いつまでも抱きついていると彼は少し困った顔をして屋敷の方に視線を投げた。きっと誰かしらが声を潜めて僕らのことを言っているのが見えたのだろう。「ルピ」と僕のことを呼ぶその声音には、僕のことを気遣う色が見えた。
 いやだ、と白いシャツを握っていると、彼は困った顔で息を吐いた。「薔薇の手入れをしないと」と言って僕の肩に置かれた手にぶんぶん首を振っていやいやをする。
 子供っぽいだろうな、と思いながら僕は駄々をこねた。暗に離れろと言っているに「そばにいる」と主張する。彼はもう困った顔をしていなかったけど、半分くらい諦めた顔で笑った。
「いいけど。ルピ、勉強は?」
「もう終わったもん」
「そう」
 ぎゅっと抱き締めて離さずにいると、僕より頭一つ分背の高い彼が少し屈んで僕の肩に顎を乗せた。「ルピ」と耳元で名前を呼ばれて身体が一つ震える。とくとくと早鐘を打つ心臓で、震えそうになる手でぐっと拳を握って、我慢して、呑み込んで、仕方がないから彼を解放した。流れる動作で一歩引いて落としたはさみを拾い上げるを見てぎゅっとスカートを握る。
 屋敷の方にちらりと視線を投げると、メイドが二人見えた。ひそひそ声を交わしていると見ていて分かる。
 向こうからも分かるようにわざと大げさに振り返ってやると、慌てた様子でメイド二人は散っていった。
 ふんと息を吐いて「鬱陶しいの」と言えば、ぱちん、とはさみの音がして、「そう言うもんじゃないよ」との声。むっと眉根を寄せて振り返ると彼は痛んだ薔薇を摘んだところだった。「なんで庇うの?」「庇ってるとかじゃないけど…この屋敷に勤めてるんだから、ルピだってあの人達と顔を合わせることもあるだろ。そうなったときに気まずいのは面倒だし」「鬱陶しいのは事実だよ」僕が譲らずにいると手を止めたが振り返った。仕方がないなって顔で優しく笑っている。
「ルピはお嬢様なんだろ。そんな言葉遣いじゃ駄目だ」
 その言葉に違和感を感じて、それが何かを自分で気付いてしまったことに失望した。
 変えようのない現実を変えてみせたくて色々しているのに、やっぱり、自分で自分を騙すことが一番難しいようだ。
「…お嬢様、じゃない」
 ぼそぼそと彼の言葉を指摘すると、ぱちん、と枝を切った彼が「ああ」と気付いた声で言って口元だけで笑った。「違和感がなかった」なんて笑うに頬が熱くなってぷいとそっぽを向く。
 いっそ自分が女だったらどんなによかっただろうと何度思ったろう。
 使用人との許されない恋、というレベルだったなら。それならまだ救いがあった。僕のこれは、僕らのこれは、そんな生ぬるいレベルじゃないのだ。
 夜になって、僕のためだけに与えられている小さな二階建ての館にを呼んだ。
 とっくに人払いがしてある館は静まり返っていて、暖炉の炎だけを光源とする部屋に踏み込んでも、彼は何も言わなかった。
 肩に引っかけているだけだったカーディガンは、少しずらせばすぐに落ちた。むき出しの肌に秋の夜の空気はさすがに沁みる。
 このベッドには天蓋がついていて、カーテンは二重だ。普段はレースだけで、今はもう一枚の分厚い薔薇柄のカーテンが左右を塞いでいる。開いているのは正面だけ。
 ぱたんとドアを閉めた彼がまっすぐベッドへと歩いてくる。
 とくとくと胸が早鐘を打っている。早くして、と言っている。
「今日のワンピース、よく似合ってた。ルピは白い色が似合う」
 ベッドへと辿り着いた彼が慣れた手つきで止めてあるカーテンを解けば、分厚いカーテンは僕らと外界を遮断した。唯一の光源だった暖炉の光も厚いカーテンに阻まれ、ここには光が届かなくなる。その方が、僕らには都合がいい。
「黒も、あったんだ。迷ったんだけど、君は白い方が似合うって言うと思って…」
「うん」
 ぎし、とベッドに膝をついた彼へと腕を伸ばす。早くして、と手を伸ばす。その手を取った彼が僕を抱き締めて、むき出しの肩に唇が押しつけられる。その瞬間のぴりっとした、電流が走るような感覚で、寒さなんて忘れて、僕の身体は熱で浮き足立つ。
「風邪引くよ」
「あったかくしてくれるでしょ?」
「そうだね」
 ちゅ、と鎖骨に落ちた口付けがとてもむず痒い。それから歯痒い。「唇がいい」と懇願すれば薄く笑ったがいつもはしない顔をする。小悪魔のように微笑むその顔に魅せられて、僕は呼吸すら忘れてしまう。
 使用人でなくなった彼は僕をベッドに縫いつけ、片方の手で僕と指を絡めて握り合い、もう片方の手は身体の方へ。魅惑的な微笑みで唇を塞がれて、その掌に全身を煽られながら、目を閉じる。
 赦されないことをしているんだろうな、という自覚はあった。

 だけど、罪の意識や心よりも、自分の幸福を選んだ僕は、周囲というものを捨てた。

 他の誰にどう噂されようが、どう取られようが、なんと言われようが、どうだってよかった。

 …が抱いてくれるなら。満たしてくれるなら。僕のことを求めてくれるなら、なんだってよかったんだ。