君を幸せにしたい。そう思った

「…やることはやっているようだな」
 その日、大学で発表された成績表を持っていくと父さんは苦い顔で渋々頷いた。俺がちょっと胸を張るとそれが気に入らないと言いたげに「しかし、あの花は…」と、何かにつけてルピのことを持ち出してくる。
 またか。何か気に入らないと口を開けばルピのことばかり言う父さんに、俺は半分呆れていた。
「ルピの着物が気に入らない? 桃色が気に入ったっていうんだからいいだろああいう着物でも。よく似合ってるし」
「いや、着物はどうでもいいんだ」
「じゃあ何? 目の色? きれいなアメシストだろ。それとも唄のこと? きれいな声できれいな旋律を歌ってくれるんだ、いいじゃんか。最近は舞も取り入れるように考えてるんだ。唄だけじゃ物足りないっていうならそれはそのうち解決するから」
「いや、芸の話でもない」
「…じゃ何?」
 ルピのことになると熱くなりすぎる自分を自覚してちょっと口を閉じると、父さんは言い辛そうに視線を逃がして書机の上で手を組んだ。「お前達は確かによくやっている」「うん」「お前の成績はよくなり、花はお前の世話だけでも知識教養を吸収し、日々それらしくなってきた。…だがなぁ……」悩ましげに息を吐いた父さんが「お前は俺の息子だろう。その歳から異性ではなく同性を抱くのは…」はぁ、と溜息を吐く父さんに指で頬を引っかく。
 ああ、うん、そのことか。それはまぁ、父さんとしてはちょっとショックなんだろうな。うん。
(…でもさ。抱いてくれって言われたら、拒めないじゃんか)
 潤んだアメシストの瞳と、白くて細い身体で抱いてくれとせがまれて平静を保てるほど、俺はできた奴じゃなかった。かわいいと思ってる子に抱いてくれと言われて無理だと言えるような嘘つきな紳士でもなかった。貴族だろうが御曹司だろうが結局俺は男なわけだ。それだけなんだ。ルピがいいって言うなら俺はルピを抱きたい。
 ルピは。どっちかっていうと、男っていうよりは女の子だ。すごくかわいいし。
「話、それだけ? ルピが待ってるから俺もう行くよ」
 父さんの嘆きには謝罪も同情もできなさそうだったから、その話はそこでおしまい、と暗に残して父さんの書斎を出た。
 扉の横にはルピが待っていて、紫色の袴と桃色の桜の散らしてある着物と羽織りを着て俺を待っていた。行儀よく俺を見上げて「お父様は何か?」と小首を傾げるから緩く頭を振って「何でも。行こう」と歩き出せばルピはあとをついてくる。斜め後ろ、つかず離れずの距離を。
 その日はイベントの予約があって、俺は父さんの代わりに出席しないとならなかった。正直面倒くさい。が、父さんの息子としてはそういうイベント事には顔を出さないとならない。
 仕方がないかぁとルピを連れて街を歩くすがら、ルピが欲しそうに見ている簪があったから買ってあげた。慌てるルピの髪に挿して似合うよと笑ったらルピは照れたあとに笑ってくれた。その笑顔がかわいくて抱き締めたら今度は怒られた。普通の街の人前では控えるべきだ、と。それもそうか、とルピを離すと怒ったわりには笑った口元をしていて、やっぱりもう一回と思う気持ちをぐっと我慢する。
 目立っていることを承知でルピを連れて歩いて、目的地のコンクリートの建物に到着した。
 いかにも建てたばかりですっていう新品のギラギラした無機質さが俺はあまり好きじゃなかった。けど、行かないと。
「うわーごつい」
様…お時間がもうすぐです」
「はーい行く行く。チケットー」
「こちらです」
 ルピの白い手から招待状を受け取って受付に見せた。父の代理だということと、隣のルピが花だと告げると受付のお姉さんはにこっとした笑みで俺達を迎えて会場は二階だと案内してくれた。
 からんころんと下駄を鳴らして歩く着物姿のルピと、革靴とスーツ姿の俺。花祭ではよくある光景だけど、こういう場所では珍しいのかもしれない。普段なら誰と話しても父の代理で来ましたというお決まりの挨拶と世間話で終わるはずが、誰と話しても、次にルピのことに言及が行く。ルピはその度に行儀よく挨拶して笑顔を見せていたけど、ちょっと疲れてるんだろうな、と傍から見ていて分かった。
「お連れの花はどんな舞を?」
「ルピは歌うのが得意なんです。舞はまだ勉強中でして」
「ほう、歌ですか。それはまた…大抵の花は舞や笛を習わしにしていますが、そちらの花の歌唱力にはよほど魅入るものがあったのでしょうな」
 誰か知らない口ひげの立派なおじさんはそう言ってルピを一瞥した。その目にはどちらかというと侮蔑の色のようなものが見て取れて、俺はルピにシャンパンを勧めるフリでさりげなく身体をずらし、その視線からルピを遮った。
「ええ、きれいな声で歌うんです。俺には天使の歌声のように思ってますよ」
 にこっと営業スマイルがちょっと引きつりかけたのは、まぁ、腹が立ったからだ。遠回しにルピのことを悪く言うのもムカつくし、堂々と悪く言われるのだってもちろんムカつく。
 はははとおっさんが笑うから合わせて笑いながら、俺の腹は煮え繰り返りそうだった。ムカつくなこのおっさん。
 …おっさんだけじゃなく、ルピの目の色を見てひそひそと声を交わす姿がちらほら見受けられる。ルピには気にしずに俺の花として堂々とそばにいればいいと言ってはいるけど、そんな姿ばかりが目立ったら、さすがに俺でも気になる。というか腹が立つ、本当に。
「どうですかな、そこに壇上もあることですし、一つ歌わせては」
 それで、おっさんはそう言ってただ演説するためだけにある壇上を指した。
 こんなコンクリート打ちたての飾り気に欠ける場所で、ルピに芸をさせろという。花らしいところを見せろと、親しみやすそうな笑顔の仮面を被ってルピのことを挑発してくる。
 おっさんからルピに視線をスライドさせる。ルピは行儀よくしているけど、俺と目を合わせると歌うの? とちょっと戸惑った顔を見せた。
 ルピは異人である自分に劣等感を持っている。目の色だけでも密やかな声が交わされるくらいだ。ましてや言葉の分からない歌を歌ったら、忌避されるに決まっている。ルピはそう思ってるんだろう。そんなことになったら、自分を連れている花主である俺の評価が下がる、と。
 だけど、俺にとっては本当に天使の歌声なんだ。それをこのおっさんに思い知らせてやりたい。
「ルピ、歌ってよ」
「え、」
 俺がそう言ったらルピはやっぱり慌てた。「で、でも様」と慌てたあと、周りを気にしたのか一息のあとに「…様が仰るなら」とこぼして壇上に視線を投げる。不安、で支配されそうなその瞳にきゅっと手を握った。そろりと俺を見上げる瞳に大丈夫と笑いかけて、一緒に壇上に上がる。
 ざわざわとした人波にマイクに手をかけて『では皆様』と声を発すれば、ざわついた人波が少し落ち着いた。ルピがぎゅっと俺の手を握ってくる。見なくてもルピの言いたいことは分かる。不安で仕方ないのだ。この人波に拒絶されたら、と恐れている。
 でも大丈夫。たとえここにいる全ての人間にお前のよさが分からなかったとしても、俺だけは、お前のことを肯定し続ける。
『僭越ながら、このパーティを盛り上げる一役としてご指名を頂きましたので、私めの花に一つ芸を』
 さ、歌ってごらん。そう囁いてルピの耳にそっとキスをして顔を離した。
 若干赤い顔で俺を睨んだルピが諦めたように目を閉じて表情をなくし、俺がそう教えたように、歌に感情を込めて、祈りを込めて、その歌に似合う表情と仕種で持って、美しい旋律を奏で出す。
 舞いには劣るとしても、旋律に合わせて流れる腕と指先までの仕種、その表情だけで、俺はルピに見惚れてしまう。
 減点としては俺の手をずっと握ったままってところだろうけど、壇上で披露するくらいの芸だ、それでも十分。
 最後の細い声が途切れると、ルピがおずおず俺を見上げた。「よくできました」と囁いてマイクに向かい、しんとしている会場投げる言葉を頭の中で整理する。
 この聖櫃な空気を聖櫃なままにするために、俺ができること。
『いかがでしょうか。私めの花は一般の花とは少し違った芸を教えています。それはこのアメシストの瞳から得たヒントなのですが、せっかく美しいこの花。今ありふれている芸を教え込むだけでは宝の持ち腐れというもの。私は彼にそれ以上を教え、与えたく思っております。この歌はその一環』
 さ、お辞儀して。囁くと、そっと俺の手を離したルピが文句のつけようのない丁寧な所作で一礼した。一歩踏み出してマイクに近づき、『ご静聴ありがとうございました』と言って一歩下がり、また一礼すれば、会場からぱらぱらとした拍手の音がした。ルピがそっと顔を上げたとき、ぱらぱらとした拍手はぱちぱちと鳴り響き、人波には感心したような人々の顔が目立った。
 それにほっとしたのはルピで、どうだ、と胸を張っていたのが俺。
 ルピのことを遠回しに馬鹿にしていたおっさんは、会場の流れに苦い顔をしつつ一応手を叩いていた。
 ふん、ざまぁみろ。次にルピのこと馬鹿にしたら俺怒るから。マジで。
 家に戻り、スーツから部屋着の着物に着替える。「はー」と脱力してソファに座り込んだ俺の横にちょこんとルピが座り、「お疲れ様でした」と俺を労わる言葉をかける。天上から視線をずらしてルピを見やって「ルピもお疲れ。ごめん、急に歌えって言って」「いえ…様はボクの花主様ですから。歌えと言われたらいつでも歌います」そう言うルピの頬に手を伸ばして一つ撫でた。
「それ嫌だ」
 部屋で二人でいるのに敬語のままのルピにそう言ったら、諦めた息を吐いたルピが姿勢を崩した。俺と同じように脱力してソファの背もたれに頭を預けて「うん、ボクも嫌だ。今日はもう疲れたよ」と言って目を閉じた。
 ルピがこういうふうに喋ると知ったのは、何度目かの身体を重ねる行為をしてたときだ。ふいに敬語が外れて俺のことを名前で呼んで、鳴いた、そのときルピの本当を見つけた。あんなふうに敬語ばかりで喋るのが花なんだろうかと思ってたけど違った。そうしようと、ルピが気をつけてただけだった。
 普通に喋ってくれた方が俺は好きだし、その方がいいな。そう言ったらルピはそれじゃあ花らしくないと言って嫌がったから、じゃあ二人でいるときくらいはそうやって喋ってねと約束をした。
「あのおっさんの顔見た? 遠回しにルピのこと馬鹿にしてさ。壇上で歌えとか勧めて、恥かかせるつもりだったんだろうけど、いい気味だ。すっきりした」
「……ボクは慣れてるからいいのに」
「俺が嫌。ルピはすごくかわいいし歌だって上手だ。目だってきれいじゃんか。文句つけるとこなんてあるはずないだろ」
 至極当たり前に言ったつもりだったけど、ルピは黙り込んだ。腕を伸ばして抱き寄せると、ルピは俺の肩に額をぶつけて「はいつも優しい」と呟く。俺は苦笑いして「そうかなぁ」とこぼしてルピの顎に手をかけた。くいと持ち上げてアメシストの瞳を見つめ、首に腕を回してきたルピと唇を重ねたとき、いきなりがらっと部屋の引き戸が開いた。ルピが驚きに目を見開くのを無視してキスを続けていると「あー、ごほんごほんっ」とかわざとらしい咳払いの声がする。
 いいところなのに、と思ったけど、ルピが顔を赤くして視線をおどおどさせてたので、そのかわいさプレイスレスってことでキスはやめてあげた。
「何か用? 父さん」
「いや…今しがた、知人の電話でな。お前が花と花主のあり方を見せつけてくれたと聞いてな。いや、いい意味でなんだが」
「ふーん。あのおじさん父さんの知り合い? ダチのいない俺が言うのもなんだけど、友達は選んだ方がいいよ」
 切り揃えたルピの黒に紫がかったような髪を撫でつける。視界にかかる髪にルピは片目を瞑り、片目で俺と、入口に立ってるんだろう父さんのことを見ている。
 そんな俺達を見てか、父さんは溜息のようなものを吐いた。
「…お前がその花に本気なのは分かる」
「うん」
「だがなぁ、今の花の地位は低い。連れて行った花祭を憶えてるだろう。あれでは花祭というよりはただの花街だ」
「うん」
「花祭があの形である以上、どれだけその花を美しく見立てても、行く先での反応はこれからも同じだ」
 …父さんが言っているのは確かに正論だった。
 花街のような状態にある今の花祭。花と花主の関係。それを根本から引っくり返すような出来事がなければ、これからも花と花主は希薄な関係でしかないだろう。
 俺達のような関係がイレギュラーなのだ、と分かっている。だからこそやるせない。本来の花は、本来の花主は、花と花主の関係はそんなものじゃないはずだと思うのに。
 ソファを立ち上がって振り返る。父さんは部屋の入り口で佇んだままだった。そして、俺が何か言うのを待っている。そして俺は、父さんが俺に何を言ってほしいのかを理解している。
「父さん。俺、花祭を変えるよ」
 具体的な方法は何も思いつかない。でも、今のままじゃ駄目だ、ということは分かる。
 今のままじゃルピみたいに身体を売って生きていく子がいるだけの花街になってしまう。それだけで終わってしまう。俺は花祭を変えたい。もっと、花が幸せになれるものにしたい。
 父さんはどこかほっとしたような顔で一つ頷いた。そして俺にある人物を紹介したいと言って、明日会ってくれないかと言い、部屋に戻っていった。
 ルピは父さんがいる間中身体を硬くしていたけど、父さんがいなくなるとふっと息を吐いてソファにもたれかかった。それから俺のことを見上げて「花祭を変えるって、どうやって?」「具体的なことは不明です。まだ分かんないよ」そう返しつつルピの額に唇を寄せる。淡く花の香りのする肌を舌先で舐めれば、ルピがくすぐったいとばかりに笑う。
 うん、そういうふうに、俺はお前にいつでも笑っていてほしい。
 それだけなんだ。そのために花と花主の在り方を変えたい。お前が人に怯えなくてすむように。もっと堂々と街を歩けるように。もっと俺の隣で笑っていられるように。
 そして俺は、次の日、後に花の世界を塗り替えることになる鹿王院春王と出会う。