あなたのことが、愛おしい

 起床したら、まず自分の身支度を整える。それから今日のの予定を確認し、彼を起こしに行く。
 はだいたい時間ぎりぎりまで寝ていたりするから、僕が余裕を持って起きて、起こしに行って、着替えその他その日の用意を手伝う。
「今日はなんだっけ?」
 あふ、と欠伸を漏らしてのそりとした動きでしか着替えないの着物を取っ払う。ワイシャツに袖を通させながら「皇財団が主催する花祭に行く日だよ」と言えば彼はああとこぼして苦笑いした。
「また花祭かぁ」
「…それはボクの台詞」
「そうだった。ごめん」
 シャツのボタンを閉じながら僕の頬にキスをしたは、今日また違うところが主催する花祭に行く。花を買うためではなくて、視察だ。この間彼の父親の紹介で知り合った鹿王院春王という人と一緒に現状の花祭を確認して、今後の対策とやらを考えるらしい。
 本当を言うと、僕は花祭の常識が変えられるなんて思ってはいなかった。どれだけが真摯になっても、春王という人が切れ者でも、そう簡単に花の世界が変わるわけがない。花と花主という希薄な関係が変わるわけがないと諦めていた。
 だが、お前達は違うだろう。春王にそう言われたことを思い出して、ちらりとを見上げる。自分でネクタイをしたは「やっぱし歪むな…ルピやって」と僕に笑いかけた。僕は頷いて、少し歪んだネクタイを解き、スーツ姿の彼に最後の仕上げでネクタイをしてあげる。
 確かに、僕らは違う。そう思ってる。それは身体の関係があるからという意味だけじゃない。それがなかったとしても、は花である僕に心身を懸けてくれるし、僕はそんな彼に応えようと自分にできる精一杯のことをする。
 だから、僕らは違う。その辺に転がっている花と花主の関係じゃあない。
 そうは分かっていても。花祭に行って売られている花を見るのは気分がいいものとは言えないし、万が一、億が一にも、が新しい花を見つけて僕を切り落としてしまったら、と不安になり、怖くもなる。
 だけど。は必ず僕と手を繋いで花祭を巡る。僕がそうお願いするよりも先にそうしてくれた。それに、安心した。
 どこへ行くにもどの舞台を見るにも僕の手を離さないの手を強く握り、どうか離さないで、と願いながら、僕は彼と春王について歩いた。
「どこも同じようなものだな」
「だね。で、これで主要貴族が開催する花祭の中心は全部見たけど、春王の予定は?」
 その日の午後、花祭の外れにある茶屋に入った。僕は何となく落ち着かないのだけど、の花としてしゃんとしていられるようになるべく顔を上げてここの花達を眺めた。
 みんなの視線が好意的じゃないのは、僕が花主を得た花だからで、きっと優遇されてると思ってるせいだろう。実際僕が着てるのはいいものだし、は僕の欲しいと言ったものを買ってくれるし、今は手を繋いでいないけど、隣に座っているんだし。
 …僕もきっと。あの子達の中に混じっていたら、花主を得た花のことを、羨ましい、妬ましいという目で見ていたに違いないから。だからあの子達の気持ちはよく分かる。
 こんな花達の処遇を変えたいと言ってくれたの言葉は嬉しかった。そのためにしてくれること全てが愛おしかった。大学へも行ってるし僕の勉学の世話だってあるのに、毎日毎日時間を削って春王と今後のことを考えてくれるが、何より愛おしかった。
「ルピ?」
「、はい」
 呼ばれて、自分がぼうっとしているのに気付いて慌てて顔を向けた。が首を傾げて僕を見ている。
「お腹空かない? あ、団子は好きじゃなかったっけ?」
「いえ、好きです。食べます」
 湯飲みを手にしたまま動いていなかったらしい自分に今更気付く。慌ててみたらしの串をつまんでぱくっと一口食べた。味は中の上といったところだけど、花の手だけでここまで作ったのなら上等ものだ。テーブルに頬杖をついてこっちを見ている彼に急かされるように一本を食べ終えて「おいしいです」と言うと彼が小さく笑った。そのまま身を乗り出すに、キス、と目を閉じたら、やわらかい温度が触れたのは口の端、唇には届かない部分だった。そろりと目を開けると「タレがついてた」と笑った彼が顔を離す。
 なんだ、とがっかりする反面、こんな人前でキスしなくてよかった、と安心している自分がいる。矛盾してる。変なの。
 春王はそんな僕らを無表情に眺めていた。
 …僕は正直、この人のことがよく分からない。
 でも、が大丈夫だよというから、信用する。そういうことにしている。花主が信頼している相手を花が不信するわけにはいかない。
「お前、金はどれだけある」
「ん? 俺が動かせる額ってこと?」
「ああ」
「そう多くないよ。んーとね」
 ペンとメモ帳を渡すと「ありがとう」と笑った彼がゼロを書いていく。その手元を見ながら僕はちらりと春王を窺った。急に金銭の話になってもは彼を疑わない。でも、さすがに、警戒すべきところではないのだろうか。
 が示した金額に春王は無表情に一つ頷いた。
「現状の花祭は見ての通りだ。権力で著名な花主を集め、そこに花を置く。よって花祭によって規模の大小があり、花の扱いにもかなりの偏りがある」
「うん」
 僕はお皿に載っているもう一本のみたらしを手に取った。話を聞かれたらまずいような人がいないかと視線で辺りを探る。最も、花祭の外れの茶屋に来る、話を聞かれて困るような著名人はここにはいないようだったけど。
 春王は言う。「私はその形を変えたい」と。はそれに深く頷く。「俺もそう思ってる」と。
「そこでだ。先に、そうだな。例えば学校という形で花を集め、育てるとしよう。そこへ花主を呼ぶ」
「ふむふむ」
「学舎を会場としてしまえば余計な手間も省けるだろう。最初の資金はそこそこ必要になるが、成果は得られるはずだ。花主に花を勧めるのではなく、好みの花を探させ、花主候補が複数いたのなら値を上げる。システムとしてはそんなところか」
「ふむ」
「…あの」
 小さく挙手すると、二人に揃って視線を向けられた。花と花主、花祭について話し合っている彼らの会話に、花である僕も一言言いたくなったのだ。
「たとえば、春王様が考えた通りの花祭が生まれたとします。それで、具体的に花と花主の関係は変わりますでしょうか?」
「変わるさ」
 答えたのはの方だった。ぴっと指を一本天上辺りに向けて緩く円を描きつつ、「ルピ、本来花っていうのは芸を生業にする子のことで、花主っていうのはその支援者のことを言うだろ?」こくんと一つ頷く。彼も一つ頷いた。その目はとても真剣で、夢の話をしているのではない、と言っていた。
「その格式を上げるんだ。まず、学校という形で花の芸を一定以上の評価を得るものにまで育て上げる。それを花祭で披露して、それ以上に育てたい、という人、つまり花主を募る。花の値段は上がると思う。それだけでも下卑た輩は来なくなるし、今以上に花を育てたいと思うのが自分だけじゃないと知れば、自分の花に一流の知識をつけさせて、誰にも負けない花に育ててやるって、花主の花への意識も変わる。花は自分が注いだものを映す鏡だってね。だからみんな花を大切にする。今よりはずっと」
 長い説明に、何度か頭の中で言葉を咀嚼してからこくんと一つ頷く。
 芸なんてできない、ただ顔がかわいい子がいるだけでも買っていかれるのが僕の知っている花祭だった。
 彼らはそれをなくすというのだ。
 一定以上の芸を取得した子達を花祭という場所で披露し、そして、その芸を磨き上げたいと思う支援者、花主を集う。名乗り出る花主候補が複数いれば花の値段は上がるし、それだけお金をかけた花なら、大切にしようというもの。あのときの芸はどれほど上達したのかと人に訊かれて渋るような答えにならないよう、胸を張ってこれが私の花だと言えるよう、花主は花に知識も教養も惜しむことなく注ぎ与える。そして花はそれに応え、花主の鏡となってその隣を彩る。
 の言いたいことは分かる。でもそれには、最低でも、花を集めることや花の芸を磨くだけのお金なんかが必要に。
(お金…)
 そういえばさっき。春王が、動かせる額はどれだけかって訊いていた。
 表情のない春王は湯飲みをすすっていたけど、僕の視線に気付くと渋々という感じで口を開いた。
「社交界での花の地位を上げる。花を持つことが業界の嗜みだ、というレベルにまでな」
「…そんなこと、できるのでしょうか」
「お前達がすでにしていることだ」
 ふんと鼻を鳴らした春王にが笑った。「そんなつもりなかったんだけどな。春王にはそう見えたんだ?」首を傾げた彼に春王は苦々しい声で「あのパーティで見せつけられたよ。私が理想としているものはそう遠くはなく、一部はすでに実現していて、目の前にある、と」
 あのパーティ、と言われて思い出すのは、僕がの花として初めて人前で唄を歌ったときのこと。
 確かに、あのとき、そういう空気を少し感じることができた。花としての隣に立っていることに安心し、それを誇らしい、と思う自分を知った。
 …けれど、その目論見はどこまで詳細まで決まっているのか。大筋は理解できても、とても実現には遠い、まるで夢のような話。
 僕はそのときそう思い、それ以上彼らの話し合いには口を挟まなかった。
 ただ、僕らの会話を立ち聞きしたり盗み聞きしたりしてる花達の、期待するようなきらきらした目が、とても印象に残った。
 できるなら。その瞳がきらきらと輝いたままでいてくれる未来が紡げたらと。そうも思った。
 それからは、花祭が行われなくなる時期に入ることもあって、は勉学に尽くし、僕も自分の芸を磨くべく日々を過ごした。
 春王はたまにに会いに来て、現状の話し合いと、どこぞのパーティの招待状やらを持ってくる。それを預けて僕らに出席するよう言い、そして、そこでなるべく花と花主、僕らの関係を強調するようにと言って帰っていく。
 応接間から出て、お茶を片付けながら、僕はぶすっとした顔をしていた。それにが苦笑いしている。
「…春王はどうして自分でパーティに出ないの?」
 その日も招待状を預けて帰っていった春王のことを言うと、はまた笑った。
「春王ってさ、ほんとはヒッキーなんだよ」
「ひっきー?」
「ひきこもり。あんまり外に出てあれこれしたいタイプじゃないんだ」
「…だからってボクらに押しつけなくたって」
「仕方ないよ。俺も不得意なとこは春王に任せてるし、ギブアンドテイク。それにあいつ花持ってないしさ」
 それは、まぁそうだけど。ぶすっとしたまま僕は招待状をひらりと振った。今度は小さな展覧会へのお誘いだ。全く、次から次へと面倒くさい。
 花と花主、彼が理想とする僕らの関係を外に見せてくると一口に言っても、どこかへ行ってその度に歌うのも恥ずかしいんだぞ、と思うのは僕だけか。
 まぁ、仕方がないんだけど。それでと春王が目指す未来が少しでも近づくのなら、僕だって協力する。
 が持ってるとなくしそうなので、招待状は僕の部屋の机の引き出しにしまった。
 手帳に招待日と展覧会の詳細を書き込んでいると、ふわりと後ろから抱き締められて腰に腕が回った。ぴくんと腕が跳ねて最後の文字が変な方向に走る。
「ちょっと」
「ルピ」
 艶っぽい声で耳元で名前を囁かれるとすぐに背筋が疼く。「昼間っから何」僕が突っぱねるとは小さく笑った。
「シたいなって」
 どきん、と心臓が跳ねる。途端に身体にスイッチが入ったみたいにとくとくと心臓が脈打ち始め、まだ肌に触れてるわけでもない腕を、熱い、と思う。
 …僕らは、花と花主という形で出逢ったけれど。とてもお互いのことが好きで、大好きで、何度も身体を重ねるほどには愛し合っていた。
 花には拒否権なんてない。花は花主の持ち物だから。だけど彼は僕をそう扱いはしない。一人の人として、対等な関係で「ね、駄目?」と僕に許可を求めてくる。
 相変わらず優しい。僕は君の花なんだから、シたいならシようって僕に拒否権なんてないふうに言えばいいのに。
「…いいよ」
 彼が優しく甘えるキスで僕の首筋をくすぐるから、身体の熱に任せて、僕は彼の願いを叶えることにした。
 それが嫌だと思ったことはなかったし、は優しいし、獣になるときはなるし、抱かれていても気持ち悪いとは思わない。むしろ気持ちよくなってくばっかりで、僕は以前よりもずっと快楽の味に酔っている。
 そんな淫乱な僕でもはかわいいと笑う。
 もっとしてと乞えば、激しく僕を貫いて、その熱で僕のことをめちゃくちゃにして、最後はいつも二人で笑うだけ。

「ボクが、花でなくても。そばに置いてくれてた?」
「置いてたよ。お前がクラスメイトでも、お前のそばに行って、好きだって言ってたと思う」
「それで周りにドン引きされても?」
「ドン引きされても」

 ふ、と笑みをこぼして笑うと彼も同じように笑った。くすくすと笑い合って僕らは裸のまま抱き締め合う。「愛してるよルピ」と言われて視界が滲んだ。「ボクも愛してる」とこぼして彼の首筋に顔を埋める。
 彼は僕を切り落としたりしない。
 僕が花でなくても彼は僕を選ぶと言った。変わらずに愛すると言ってくれた。嬉しかった。本当に嬉しかった。
 僕との関係が花と花主の理想かどうかは分からないけど、こんな僕でできることがあるのなら、全てやろう。の隣にいる花として、そうでなくても、彼の恋人として、胸を張れるように。頑張ろう。