君だけを愛する未来へ

 一週間の旅行にプラス一日をつけてくれた春王に、例の花祭から帰って一番に言われたことは、仕事の内容よりも先にルピのことだった。
 お前がいないとあれは花としても人としても成り立たんぞ、と言われて急いで部屋へ帰ってみれば、ルピが俺のベッドで寝ていて。なんだ眠ってる、と思ってルピと呼んだら、目を覚ましたルピは呆然とした顔で俺を見つめて、呼んで、次には泣いて、また泣いた。
 春王の曰く、俺がいない間のルピはとても見れたものではなかったらしい。
 ルピが気を失うまでセックスをした。快楽で全てが吹き飛ぶまで、俺も、ルピも、ベッドの上でお互いに酔いしれた。
 俺はまだ元気だったからシャワーを浴びて一息吐いて、溢れた蜜と汗で汚れているルピの身体を濡らしたタオルで丁寧に拭った。
 拭っても拭っても、閉じた瞼から涙がこぼれていく。シてる最中も眠ってからもずっとルピは泣きっぱなしだ。
 たった四日とはいえ、ルピには酷なことをしてしまった。
(俺がいないとそんなに駄目だなんて、いつも一緒だったから、気付けなかったんだ。ごめんルピ)
 コンコン、という控えめなノックの音に視線を扉に投げる。「藤若ですが…様?」「いるよ」小さな声で返事をしてルピに桃色の着物を着せる。緩く帯を締めて、ルピをベッドに寝かせて布団を被せた。
 控えめに扉を開けた藤若が「すみません。朝食に手をつけられていないようだったので…」と心配そうに部屋に顔を出した。俺は苦笑いして「ごめん。それどころじゃなくてさ」とルピの髪を撫でつけてからそばを離れた。
 自分で運ぶのに、頑張ってトレイ二つを一緒に持ってこようとする藤若の手からトレイを受け取って「無理はしない」「すみません…」苦笑いする藤若。
 テーブルにトレイを置いてソファに座り、「あ、藤若」と呼び止めれば、出て行こうとしていた藤若は足を止めた。「はい」と行儀よく振り返る藤若に「聞かせてくれないかな。俺がいない間のルピのこと」そう言うと藤若は少し迷ったような素振りでちらりとベッドのルピを見て、俺の向かい側のソファにそっと腰かけた。
「…ルピが起きるのでは?」
「へーきだよ。体力使い果たしてるからしばらくは起きない」
 普通に言ってから、藤若の視線が惑ったのが見えて「あ、ごめん」とつい謝ってしまった。「いえ」と愛想笑いする藤若は、春王と花と花主という関係になってはいるけど、俺達みたいにベタベタじゃない。手を繋ぐことだってそうはないだろうし。そんな藤若からしたら俺達って…どう見えるんだろうなぁ。
 すっかり冷たくなっているスープをスプーンですくった。藤若は気持ちを落ち着けるように一呼吸置いてから、俺がいない間のルピのことを話してくれた。
 俺がいなくなって一時間もたつと、ルピから笑顔がなくなったこと。
 一日目を経過して二日目から食欲が落ちたこと。
 その夜からふらふらと院内を歩き回り、誰が声をかけても反応らしいものがなく、ルピが生気が抜けた人形のようになっていったこと。
 俺が約束の三日を過ぎても戻らないと、眠ることさえやめて、ただ俺を待って、時間を潰すためにふらふらとあちこち歩き回り、最後は藤若に見つけられて院内にある俺の部屋に連れ戻されていたこと。
 藤若からその話を聞いて、俺は平らげた朝食のトレイをテーブルの脇に押しやった。
「…ルピは本当に、俺がいないと駄目な子になったね」
 ぽつりとこぼすと藤若は淡い微笑みを浮かべた。否定するでも肯定するでもない顔だ。
「俺、ルピを間違ったふうに育てた、かな?」
 花街でしかなかった花祭でルピを見つけ、花と花主という関係を築き、今日まで、自分なりにルピと一緒にここまでやってきたつもりでいる。愛を与えて愛を受け取っていたつもりでいる。だけどその結果がこれだというのなら、俺達はどこかで、何かを。間違えたのかも。
 藤若は、そんな俺に微笑を浮かべて緩く頭を振った。「それは違うと思います」と。「そうかな」と力なく笑う俺に藤若は言う。「確かに、様とルピは花と花主の関係を越えていかれました。ですが…」「…ですが?」続きを促す俺に、藤若は照れたような微笑みでこう言った。「私は、とても羨ましいです」と。
「羨ましい…?」
「私は、きっとルピのようにはなれませんから。例えば春王様がルピのことを欠落品だと判子を押しても、私は、そんな彼を羨ましいと思います」
「…藤若でもあるんだね。羨ましいとか」
「ありますよ。様とルピを見ているといつも思います。いいなぁ、って」
 はにかんだように笑う藤若にかわいいなぁなんて思ってからおっとと思考に歯止めをかける。駄目だ駄目だ、かわいいとか思ったらルピがまた嫉妬する。
「あー、春王と話した方がいいかな? とりあえず証拠掴んだってブツ預けてルピんとこ直行したから、ろくに話してないんだけど」
「そうですね…。ルピの目が覚めて、様がいないとまた泣き出すでしょうから。彼の目が覚めてからお願いしてもよろしいですか?」
「ん。サンキュ藤若」
「はい」
 では、と席を立った藤若を部屋の外まで見送って、ベッドに視線を投げる。ルピはまだ泣きながら眠っている。
 午後になってルピが目を覚ました。俺がそばにいることにほっとしたルピの目から、ようやく涙は止まった。それに俺も心底ほっとした。
 腰が砕けて上手く歩けないというルピのシャワーを手伝って、中に出したものを掻き出すのも手伝って、外着の着物の着替えも手伝って、ルピをおんぶして部屋を出る。「ねぇ恥ずかしい」とルピは嫌がったけど、「留守番してらんないでしょ?」と言えば言葉を詰まらせて黙り込んだ。
 ルピをおんぶしてぼっちら学院内を歩き、春王がいるだろう鹿王院の屋敷の方へ向かう。
 どうせなら鹿王院の端っこに木小屋でも建てるか、簡単な別荘のような一軒があれば、俺はそれでよかったのに。春王はわざわざ学院を挟むように自分とは反対側に俺の屋敷を建てた。おかげで春王の屋敷まで行くには学院を経由しないとならず、なかなかに面倒くさい。なんでって、授業中ならまだしも、休み時間だと花候補生にやたらめったら捕まるからだ。
 そして運が悪いことに今は休み時間のようだった。色んな花の子に「こんにちわ様」と挨拶された。羨望とか期待とか、眩しいものを込めたきらきらした目ばかり向けられるとちょっとこそばゆい。俺と春王は確かに花祭の歴史を変えたのかもしれないけど、俺がしたことは春王がしたことと比べればいくらにもならないのだ。
 適当な笑顔で「はいこんにちわ」と挨拶を返して、背中でぶすっとしているルピに気付いて苦笑いする。
「こら、先輩に挨拶は?」
 背中を示すと、花の子達が今気付いたって顔で「あっ、ルピ様、こんにちわ!」と慌てた顔で頭を下げる。
 ルピはぶすっとした顔でそっぽを向いて「早く行きましょう」と外の言葉遣いで俺を急かしてみせたけど、声は不機嫌だし顔も不機嫌だ。俺と二人でいるときみたいな顔と声で外面したって様にならないのにね。
 これも嫉妬なのかな、と思いつつ学院を抜け、ようやく春王の屋敷に辿り着いた。使用人の人も顔見知りだから名前を告げずともすぐに取り合ってくれ、やって来た藤若が「様、お待ちしていました」と笑顔を見せる。いい笑顔だなぁと笑顔に笑顔を返したら後ろからぐにっと頬をつままれた。ルピが恨めしそうに俺の両頬をつねってくる。「いへ、いはい」「…ボクもいるんだけど、藤若」「気付いていますよ」苦笑いした藤若はルピがどうしておぶさられたままなのか訊きはしなかった。察してくれたんだろう。さすが藤若。
 案内されなくても分かってはいたけど、藤若に連れられて春王の自室に向かった。
「春王様、様がいらっしゃいました」
「ああ。入れ」
 手が塞がってる俺の代わりに藤若がドアを開けてくれたので、ありがたく入室する。
 ごちゃごちゃした執務室の奥、PCの前に春王がいた。俺が渡した書類を睨んでいる。
 壁際のソファにルピを下ろして、一息吐く。さすがに疲れた。
 春王がごちゃごちゃした室内を慣れた足取りでひょいひょいとこっちにやって来て、ちらりとルピを一瞥した。ルピはおんぶして崩れた着物を気にして手直ししているところで、もう泣いていないし、腰が砕けて歩けないことを覗けばほぼいつも通りだった。
「で、俺が説明しなくても、書類見ればだいたいのとこはオッケーだったっしょ」
「ああ。だが分からない点もある。お前の目から見た花祭の現状も知りたい」
「へーい」
 ごちゃごちゃっとしてる室内をPCのある方までひょいひょい戻っていく春王に続いてひょいひょいとコードやらダンボールやらを避けて歩き、PCのある春王活動拠点に到達した。「ちょっとは片付けたら」「必要なものしか置いていないぞ」「え、これで? ふーん…」春王って片付け下手なのかな、と思いつつ、指摘されたところの受け答えをしている間、ルピは暇そうに俺のことを見ていた。
 具体的にどこがどうでこうでああでと込み入った話をして、じゃあ潰すか、という点になってルピがおずおず挙手した。首を捻って「何? 質問?」「…えっと」おずおず挙げていた手を下ろして組み合わせ、「あの、弥勒院の花祭がなくなるのはいいんです。でも、そこにいた花の子達は…」「ああ。そのことか」ぼやいた春王ががしがしと頭をかいて、ものすごく面倒くさそうに「うちで引き取る他ないだろうな」と言うと、ルピはほっとした顔を見せた。
 ざっと数えて弥勒院にいた花は三十人弱。ウチで引き取ると簡単に言うけど、それだけでも結構な手間とお金がかかる。手間の工面は俺が飛び回ってカバーできるけど、金銭面は春王に任せてるし、そっちはカバーできない。
 苦い顔をしてPCでかかる費用を打ち出している春王の隣で画面を睨む。腕を組んで「春王、俺は文無しに近いよ?」「そんなことは知っている」「あっそう」そうですよねうん。お前がここ立ち上げるときに俺のお金は全部消えたからね。そんで父さんに怒られたけど、結果的にはそれが今に繋がってんだから、まぁドンマイ俺。
 俺が空で計算できない辺りの数字になってくると頭が追いつかなくなってきた。春王は慣れた手つきでキーボードを叩いて別の画面を呼び出し、弥勒院の花祭を潰す手段に打って出る。
 そこでどたんと大きな音がして振り返れば、ソファからルピが落ちていた。というか、多分、立ち上がろうとして失敗した感じで床に尻餅をついていた。慌てて獣道をひょいひょい戻って「ルピ」と脇に手を入れて抱き上げれば、「あの、だって」ともにょもにょと言い訳するルピがかわいい。ぎゅーって抱き締めたらルピが怒ったみたいに頭を叩いてきたけど、春王がいるから恥ずかしいんだろう。かわいいなぁもう。
 そんな俺達を見て春王が顔を顰めていた。「なんだ? ルピはなぜ立てない」と至極当然の如く訊いてくる。顔を真っ赤にするルピとあははと笑う俺を見ても春王はピンとこないらしく、さらに顔を顰めて「なんだ? 病気か? お前がいなくなるとそこまで弱体化するのか。それは見過ごせん事態だぞ」「いや…あーえっとね、つまりね」ルピがこれ以上ないくらい顔を真っ赤にして着物の袖で隠すのがものすごくかわいい。
「腰が砕けるくらい抱いたってことですよ春王サマ」
「……ああ」
 説明すればすとんと納得するのも春王らしい。
 あとは俺達に興味を失ったようにPCに向き直って、弥勒院の花祭を潰す策と引き取る花の子達の主にお金の工面を考えるだけ。
「春王、俺もう用なしかな?」
「そうなるな」
「じゃー戻るよ。なんかあったらまた呼ぶなりしてね」
「ああ」
 ルピをおんぶして部屋を出る。屋敷を出る前に藤若がやって来て「ご足労かけます」と笑って頭を下げた。
「春王様も様のように健康的に外へ出られるといいんですが…」
 困ったような顔に俺は苦笑いして「そーいうの苦手なんだよ春王。で、それを俺がカバーする。そんで、俺が苦手なことを春王がカバーする。そうやってやって来たから慣れっこだよ、大丈夫」はい、と笑った藤若をかわいいなぁと思ったらぐにっと後ろから頬をつねられた。こらルピ、痛い。
 一週間旅行に出るなら本格的に荷物をまとめるかなーと実家に戻ると、久しぶりに父さんと会った。
か?」
「父さん。息子の顔忘れてた?」
「まぁなぁ。花の世界が変わってからというもの、お前の名前を頻繁に聞くようになった。聞けば聞くほど俺の知らない息子のような気がしてな。…しかし」
 上から下まで俺を見た父さんはなぜか爆笑した。はい? と首を捻る俺に父さんは笑いながら「いやぜんっぜん変わっとらん。ひょろっこい花愛の息子のままだわ」と笑う父さんにあのなぁと溜息を吐く俺。そんな俺の隣でルピが父さんと俺とに交互に視線を向けている。
 気を遣ったんだろう、ルピが荷物をまとめるのは自分がやるから少し父さんと話をするといいと言って席を外した。
 俺達は久しぶりに親子二人で客間で酒を交わしながら話をした。くだらない話を。
「お前は少しも金を寄越さんな。少しは親孝行せんか」
「それについてはごめんとしか言えないよー。まぁ今度なんか贈るよ。金銭面は春王が管理してっからさ」
「そうか。俺が思った通り、彼とは馬が合ったか」
「ん。タイプはきっと全然違うんだろうけどね。理想が同じことと、お互い苦手な部分をカバーし合ってるから、案外上手くいってる」
 昼間っから赤ワインを傾ける。父さんの方は日本酒を。
 そのうちルピがつまみを持って一度顔を出して、「ボクが詰めちゃうけどいい?」耳打ちで荷物の確認をしてきた。「いーよ。ルピに任せる」と笑って頬にキスすると、顔に朱色を走らせたルピがぱっと俺から離れてぱたぱた部屋を出て行った。
 普段ならもっとキスをねだるんだろうけど、父さんがいる手前、あんな軽いキスでも恥ずかしいのだろう。ルピは本当にかわいいなぁ。
 俺達のやり取りを見ていた父さんが「よ」と改まった声をかけてくる。空になったグラスにワインを注ぎつつ「何?」と返せば、父さんは悩ましげに溜息を吐いた。
「その様子では首を縦に振るとは思っとらんが…見合いなどする気はあるか?」
「ない」
「だよなぁ」
 ずばっと切り捨てる俺に父さんは諦めた顔で笑った。「あの子はお前の花だ。妻は別に持てるんだぞ」という言葉にルピの姿を思い起こす。俺の隣にルピがいる。そして、それだけで、俺は満足している。「いらないなぁ。ルピが俺のお嫁さんだよ」父さんの言葉を修正しつつ、赤ワインを呷って飲み干す。
 父さんはやっぱり諦めた顔で笑ってたけど、それ以上ルピについては触れなかった。それは父さんなりにルピのことを認めてくれたってことだと、俺は思っておく。
 飲みすぎた、と思いながら部屋に行くと、トランクを前にルピが座り込んでいた。ふらふらする足元で「どしたの」と声をかけるとルピが真剣に悩んでるって顔でこっちを振り返って、「服が…入らないんだ」と恨めしそうにトランクを睨みつけた。
 俺はスーツだけでもいいけど、花であるルピはそうもいかないんだろう。そうでなくてもルピはオシャレするのが好きだし、トランクから溢れてるのは洋物のドレスと着物と、髪飾りとか簪とか、色々ぐちゃぐちゃだ。
「一つじゃ無理なら、もう一個作っていいよ」
「えっ」
 ぱっとこっちを振り返ったルピが嬉しそうな顔をしてたから、へらっと笑う。こんなこともあろうかと父さんからトランクを借りてきた俺、ナイス。
 廊下からトランクを引きずってくると、ルピが嬉しそうに服を詰め始めた。ベッドに腰かけて上機嫌なルピを眺める。かわいいなぁ。
「船旅楽しみだね。ボクちゃんとした旅行なんて初めてなんだ」
「俺もだよ。一週間なんて長期は初」
「ねぇ、春王ケチくさい部屋のチョイスしてないよね?」
「してないしてない。あれでルピのこと責任感じてるからさ。藤若も色々手伝ってくれたみたいだし」
 藤若、って名前を出したらルピがむっと眉根を寄せたのが見えた。すっくと立ち上がると、あれまた嫉妬、と思った俺のところにずんずん歩いてきて俺にキスして、それから顔を顰めて「お酒臭い」と苦い声を出す。
 離れようとするルピの首に腕を回して抱き寄せる。「ちょっと」と腕をつっぱるルピの首筋に顔を埋めた。俺の花だけに、花のような淡い香りがする。
「ルピは俺のお嫁さん」
「は?」
「俺の花で、俺のお嫁さん。ね」
「そりゃ、ボクは君の花…だけど。お嫁さんて、急に、なんで」
「俺はルピ以外欲しくないもん。とーさんがお見合いとか勧めてきたけどさー、俺はルピがいればいーの。お嫁さんとかいらないの。お嫁さん作れっていうならそれはルピなの。以上」
 ほろ酔い気分に合わせてぺらぺら喋ってしまってから一度口を噤んでルピの顔色を窺った。ちょっと急すぎたかな、と今更に思ったのだ。
 目が合うと、ルピは赤くなった顔を隠すようにぼふっと俺の胸に顔を埋めて、それきり喋らない。
 何も言ってくれなくても、俺の腕を強く握るその手が答えだった。
 満足して目を閉じる。「愛してるよルピ」と囁けば「ボクだって愛してる」という声が聞こえる。
(あー。幸せ。だなぁ)
 ……父さんには悪いけど、俺はルピ以外の誰かを作るつもりはない。それで家が存続の危機になったとしても。
 俺はルピを泣かせたくないし怒らせたくもない。
 ルピと一生を送れれば。こうやってルピのことをそばに感じて、お互いに愛を伝えられる日々が続けば。それだけで、もう十分なんだから。