(たとえば知らない誰かとすれ違ったりする。そんなの生きてれば当たり前のことだ)

(たとえば知らない誰かを振り返ったりする。単純にビビっときたからだ。身体が反応したとでも言うのかな)

(空気が凍ったような錯覚を覚えて振り返った。知らない誰かがいた。知らない誰か。知らない。そのはずなのに)

(俺は他人の目も声も意識も全部を除外してその子を見つめた。黒い髪、アメシストの瞳を)

(知らない誰かのはずだった。だけどその誰かも僕を見てた。その人が一歩踏み出す。僕も一歩踏み出した。
 連れ合いがいたけどそんなの無視した。何か言ってるような気がする。どうせばかなんだ、どっか行って。今僕すごく大事な、)

(衝動だった。抑え切れなかった。
女の子みたいに見えるけど男だった。だけどそんなの関係なく俺は腕を伸ばしてその子を抱き締めて、伸ばし返された腕で背中を抱かれて、それで)
景色が、よぎった
は、と短く笑う。なんてことだろうと、俺はルピをぎゅうと強く抱き締めた。
忘れていた。今の今まで。全部を。
「ルピ」
「…思い、出したよ。
ぎゅうと俺の背中を抱いて、ルピが声を搾り出す。滲んでいた。
ああでも俺もきっとそれくらい泣きたいんだよ。でもね、こっちを見てる目がたくさんあるから、ここでは泣けない。
変わらない華奢なその身体を少し離して「行こう」と言う。ルピが俺を見上げて頷いた。
かかる声全部を無視して俺達は二人で走り出した。二人で。
俺達は生まれ変わったのだ。
奇跡でも起きない限りそんなのありえないって思ってた。だって破面だった。
そういえばこの世界に死神はいるのかな。いるのかも。だけどそんなのもうどうでもいい。俺の意識の全部はルピにあった。
 は、と息を切らせてその背中を見つめる。変わらない背中だ。白い服、黒いラインの入ったあれを着ていた頃と何も変わらない背中。
 忘れていた。今の今まで、全部を。あの頃の全部を。の全部を。
「ねぇ、憶えてる? 君ってば僕を庇ったんだよ。ばかしたよね、ほんと。おかげで僕だって死んじゃったんだよ」
「ごめん。だって、ルピが斬られるの、俺が黙って見過ごせるって思った?」
「うるさい。かっこいい死に方してさ。僕は最後まで君と一緒にいようって頑張ったのに」
「ごめんね。俺、」
 が立ち止まる。どこか知らない路地裏。振り返ったは白い服じゃない。もう僕らは破面ではないのだ。腰に刀もない。能力も何も。
 だけどそんなことどうでもよかった。関係なかった。僕の全部はのためにある。
 誰の目もない場所で、僕らはキスをした。鞄が邪魔だったから手放す。どさと落ちる音。僕は今何歳だっけ、ああ17だ。高校生だ。誰とも何もしてこなかった。
 この人じゃない、こいつでもない、そうやって知らない誰かを魂が求めて彷徨ってた。ずっと。
 君を、見つけたくて。彷徨ってた。
首に回される腕。その背中を抱いて、俺はその唇を貪った。懐かしい感覚。懐かしい体温。
ああ俺さっきまで何してたんだっけ、そうだ確か大学のサークル仲間と何かしに行く途中だった。
ほっぽり出しちゃったなぁ、でもまぁいいか。だって今俺の腕には何より誰より優先させたい子がいる。
ちゅ、と音を立てて唇を離した。「ルピ」とその頬を撫でる。
俺は何年生きたろう。今まで誰かを探すようにサークル中に顔を出してバイトをかけ持ちしたり部活をかけ持ちしたりと馬鹿なことをしてきた。
どうってことない、俺は俺の魂に刻み込まれたこの子をただ探していたのだ。
あの頃と何一つ変わらないルピが「」と俺を呼ぶ。上気した頬と潤んだアメシストの瞳。ああ、かわいい俺の子。愛しい俺の子。愛のまま、俺はその身体を抱き締める。
俺の両親は誰だった? ついさっき破面であった頃の記憶がなだれ込んできたせいか現在が曖昧になってる。
でも、それくらいでいいのかもしれない。好都合だ。全部捨ててしまおう。それくらいの覚悟、あった方がいい。
「今度は離さないよ」
「離したら怨む。呪う。っていうかどこまでも追いかける」
「あは、そうでなくっちゃ」 
笑ってルピの額に口付けた。あの頃みたいに揃ってない前髪。なんだか懐かしいなぁ。
ああそうだ思い出した。両親ってば海外出張してるんだった。じゃあ好都合、俺の家には今誰もいない。
「ね、ルピ、俺んち来て。両親海外行ってていないんだ」
「海外? じゃあ君んちお金持ちなんだ」
「かもね」
「何、かもって。自分のことのくせに」
「うーん、破面の頃のことの方が鮮明っていうの? だって何よりルピが大事だし」
こつ、とその額に額を合わせて俺は笑った。「ほらね、生まれ変わったよ。一緒だよ。これからはずっと」と言う。ルピが口元を緩めて笑った。「うん」と。
約束したでしょ俺達。ね、叶ったよ。
 嘘みたいだと思った。ううん嘘なんじゃないかって疑った。現実を。疑った。
 だけど僕の手を引くは確かにここにいて、ここは日本で東京で、ありふれた場所で、ありふれた世界で。
 の嫌ってた刀のない世界。大した争いごともない世界。
 破面の頃のことは鮮明に記憶に焼きついている。おかげでじゃないけど現実が曖昧だ。僕の両親は何してたっけ?
 母親は専業主婦で父親はサラリーマンじゃなかったかな。ああありふれてる。なんかに負けてるみたいで悔しいなぁ。
 そのの家は、東京にあるくせに大きかった。他の県より色々高いのに、そんなの全部無視で洋風の一軒家は大きな敷地を塀で囲んでいた。
 ぴぴ、と指紋認証でがこんと音を立てて両開きの鉄の門扉が開く。なんか負けてる気がする。僕の家、普通にインターホンだよ。
「なんかすごいから悔しい」
「ええ、何それ。えーと、お手伝いさんももう帰ってるだろうし、誰もいないはずーっと」
 かちゃんと鍵を回してが家の扉を開けた。洋風。僕んちは確か和風。
 靴を脱いで家に上がらせてもらって、引っぱられるままに二階に上がった。
 なんかもうちょっとした邸宅っていう感じだ。廊下、雑巾がけで競争できそうなくらいあるじゃないか。
「俺の部屋」
 手を引かれてそっちに顔を向ける。その扉にはプレートがついてて『』って文字が入ってた。扉にプレートなんて、なんかレベルが違う。ホテルじゃあるまいし。
 それで扉の向こうはリビングぐらいありそうな広い部屋だった。
 セミダブルのベッドとかコンポとか色々目についたけど、一番目がいったのはピンク色をしたクッションの山。
 ただのピンクじゃない。色が薄かったり濃かったり種類が違うみたいで、それがたくさんあった。どう考えてもの趣味じゃない。
「あれ、」
「ああ、うん、なんか集めちゃってた。俺はピンク好きじゃないけどルピは好きだもんね。きっと、だからかな」
 そう漏らしてが笑う。
 ああくそずるい。いつも君ばっかりかっこよくて。僕は君の面影を探して探して探したけれど、この髪型にこだわることぐらいしかしてこれなかったよ。
ばふ、とベッドに二人で倒れ込む。しゅるとルピがしているネクタイを解いた。
「どうしたい?」
「何が。僕が何言ってももうきかないでしょ」
「やだって言われたらしないよ」
「そんなの、」
ルピがそっぽを向く。あ、照れた顔。懐かしいなぁ、この顔をもうずっと見ないで生きてきたなんて、俺って何してたんだろう。ほんと。
「生まれる前から愛してた」
「…過去形?」
「まさか。現在進行形」
シャツの下に覗く白い肌はやっぱりあの頃と変わっていなかった。その鎖骨に口付ける。やっぱり甘い味。
何を経ても、愛って変わらないんだなぁ。たとえ死んでも。
(あ、こんな歌があったなぁ。一億年と二千年前から愛してる、って。あれ一万年だっけ? 一光年? まぁいいか、それだ)
「ん、」
相変わらずの、理性を揺さぶる甘い声。
俺はこの腕に誰かを抱いたことがあったかな。経験あったかな。どうだったかな。目の前のルピがかわいくて思考が浮つく。
耐えるみたいに固く目を閉じた姿。でも照れてるんだもんね。知ってるよ。頬が赤いもの。憶えてるよ全部、照れ隠し。
ねぇ、俺は少しも変わってないよ。お前のこと大好きなんだ。愛してる。
 衝動も全部憶えてた。身体が求めてた。抱かれることを。
 抱き締められるだけじゃなくて、手を繋ぐだけじゃなくて、繋がって感じたかった。「あっ」と漏れる声が抑えられない。
 ねぇだってどれくらいぶりに君に抱かれることになる? 生まれてそれから、十七年生きてきて、僕は十七年も君に触れてなかったんだよ。それって地獄みたい。
 もう、終わった地獄だけど。
 僕らは抜け出したんだ。あの地獄から。あの連鎖から。これってそういうことでしょう?
 ぎゅうとクッションの一つを握り締める。でもやっぱりこの身体じゃ初めてだからちょっと痛い。痛いけど、懐かしい。懐かしいって変かな。痛いのが懐かしいなんて。
「あ、ん…っ」
「ごめん、痛い? 何にもないんだ道具とか」
「いい、痛くていい。いいから、早く」
 もう片方の手ががりとの背中を爪で引っかいた。ああそういえば気持ちいいとよく君の背中を引っかいて傷だらけにしちゃってたよね。
 それでそれが他人にバレたらどうしようってどうしようもないことで勝手に照れてたり、したなぁ。
 全部、憶えてる。全部。もう忘れない。
 全部知ってる。あの後どうなったのかは知らない。僕らは消えた。死んだ。もう破面も死神も全部どうでもいい。ただ二人でいられたらそれで。それだけで。
「ねぇ、今まで何して生きてきたの?」
「んー、ありふれた感じだよ。っても私立だったからルピかれすればあれか、ありふれてないか」
「私立…僕は普通に公立だよ。ずるい」
「そこでずるいって言われても」
「…君は、僕を探してた?」
「いつも探してた。クッションあるでしょ。ピンク色。甘いものも、俺は好きじゃないのに定期的に買ったりしてさ。野菜も取ってたよ。誰かさんが怒るって思って」
「…僕何にもしてこなかった。ごめん」
「でも俺のこと探してたでしょ? じゃなきゃきっとこうはならなかったよ」
「うん。探してたけど。でも僕、君みたいには」
「他の誰かに抱かれた?」
「ばっ、そんなわけあるか! だいたい男抱く奴なんて友達に持たないっ!」
「あは、そうだよね。ルピは俺のものだもんね」
「…そういう君はどうなの。僕以外に誰か抱いたの」
「ないよ。だってルピを探してたんだし。で、ルピは純潔守ってたでしょ。それでいいじゃない」
「……そんなの、当たり前だもん。僕は君しかいやだよ」
「ん、俺もルピしかいや。ね、泊まってく? どうせ誰もいないし」
「え、でも僕んち…言い訳どうしよう」
「友達んちーって言えば? あ、それともあの頃みたいに周りにつっけんどんなの? そういえば誰かと一緒だったよねルピ」
「高校。二年なんだ。だから塾、行く途中だった。あれは付き合い。…君こそ集団でいたけど誰と一緒だったのさ」
「俺? あー、大学のサークル仲間。何しに行くんだったかなぁ。さっきから携帯うるさいから呼んでるんだろうけど、まぁいいや」
「…後で何言われても知らないよ」
「お互い様」
が笑う。だから僕も笑った。お互いようやく求めていた形を得たように思う。首筋を伝う生温い舌の感触が、今はただ懐かしい)

(くすぐったいと目を瞑っているその姿が愛しくて、俺はルピの額にキスをした。ようやく俺達は一つになったね。
ねぇルピ、もうあの頃みたいな戦争しなくていい場所で、戦わなくていい場所で、一緒にいようよ。状況に甘えて、世界に甘えて、今度くらいは身勝手にさ)

があの頃と何一つ変わらない笑い方をする。
 たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよと。あんな根拠のない言葉、奇跡でも起こらない限り絶対にありえなかったそれが、今。
 僕は実感する。の体温を。ただ求めていたものを噛み締めるようにその背中に腕を回す)

(俺達はもう人間だから無茶できないし、それこそ暴力団とか関連になったら警察に頼らないといけないくらい無力な人間になったけど。
でも人間だから。だから一緒に生きて、一緒に死のう。最後のそのときまで、それだけはあの頃と何も変わらないよ。ね、ルピ)

(君はあの頃みたいにまた無茶をするんだろう。
 無茶しないって約束しても指切りしても、君は僕のためだったらどんな修羅場でも潜り抜けて僕を守ってみせたものね。
 だから僕は君が無茶しないように気をつけなくちゃ。あのときみたいに君を失うことだけはもう)

(俺はお前のためにできる限りのことをするね。両親の財産とか全部利用するよ。ルピ、お前のためなら何だってできるんだ。
あの頃みたいに力はないけど。お前を力で守ってやることはできないけど。でも必ず守るからね。俺がお前を)
「「愛してるよ」」
(いつまでも、どこまでも、永遠に)