お互いがお互いを喪失し


けれど、運命は再び巡る

 本屋に行ったのは、探してる本があったから。題名も分からないし作者も出版社も分からない、っていうかちゃんと本として出てるのかなって疑ってるけど、それでも本屋に行った。探してる本が、ううん、言葉があった。

 たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよ

 そんなばかみたいな言葉を、だけど、探してた。
(…ないなぁ)
 ぱらぱらと本をめくる。だいたい新刊とか話題になってるものにはそういう類の帯がついてて、宣伝書きとか台詞文句とか書いてあるものなんだけど。表紙をめくったところにあるあらすじにも目を通してるけど、僕が探してるものはやっぱり見つからなかった。
(どこかで聞いた言葉だったかな…でも僕音楽聞かないしなぁ)
 どこかで、見た、のかもしれない。たとえば新聞とか。あんまり読まないけど見出しくらいは見るし。テレビ欄とか。
 他の本に手を伸ばしてぱらぱらとめくった。だけど本の内容的に台詞には出てこなさそうだったのですぐに棚に戻した。
 どこで知った言葉だったろう、これは。どうして僕はこんなにあの言葉にこだわってるんだろう。暇があれば本をあさってる毎日。学校では図書室でその言葉を探して、帰ってきたら本屋や古本屋に赴いてあの言葉を探す毎日。
 でも見つからない。痕跡もない。
 ウェブで検索してみた。だけど諸所の言葉の引っかかりでたくさんヒットしすぎて諦めた。パソコンはあんまり好きじゃない。目が疲れるから。
 はぁ、と息を吐いて次の本に手を伸ばす。もう諦めればいいのに僕何してるんだろう。ばかみたい。

「何かお探しですか?」

 それで声をかけられてびくと身体が震えた。常連だから顔憶えられてるのかも。しかも立ち読みっていうか何も買わないで出てくし。
 だからちょっと心構えしながら振り返った。そうすると黒い髪で黒い目の店員の格好をした人と目が合う。
「あ、の。探してる言葉があって」
「言葉?」
 首を傾げるその人に、言おうかどうしようか迷った。だってばかみたいじゃないか、本になってるのかさえ怪しい言葉一つ探すために毎日毎日本屋に通い詰めてる高校生なんて。
「たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよ…って」
「、」
「あの、本になってるか分かんないし、だけど探してて」
 しどろもどろに説明する。ああなんか恥ずかしい。そう思って顔を伏せて「すいません帰ります。あの、何でもないんで気にしないでください」と言葉を残して本屋を出た。
 ああ恥ずかしい。顔が熱いのを自覚しながら速足で家への道を辿る。
 何で言ってしまったんだろう。誰にも言ったことのない言葉だったのに。
(…きれいな顔した人だったなぁ)
 何となくその店員さんを思い浮かべた。そういえば眼鏡かけてたな。フレームのないやつ。目、悪いのかな。本読んでると確かに視力は落ちる。パソコンでも同じだけど。
 ごしと目を擦った。本の読みすぎで僕も少し視力が落ちた。
(…帰ったら宿題して、ご飯食べて、お風呂入って、日記つけて、寝よう)
 どうしても恥ずかしいことを言ってしまったあの店員さんの顔が頭から消えない。
 バイトだ。きっとバイト。だから、しばらく行かなければ僕のことなんて忘れてくれる。そう思ったら何だか胸が苦しくなった。羞恥心じゃなくて、これは、何だろう。
 ぎゅっと胸に手を押し当てた。とくんとくんと心臓の鼓動が分かる。
(…変なの。忘れてほしくないみたい)
 少しだけ考えた。会ったことのない人だ。だいたい僕は本ばっかり相手にしてるから対人関係は苦手だし。
 明日。明日は学校休みだし、行くならもっと大きい本屋か、それともブックオフとか。大きいと探すのも大変だけど、大半の本は見てきたから背表紙見れば分かるしだから。
 だから、大きい本屋へ行けばいいのに。
 ぎゅっと拳を握って顔を上げた。振り返る。夕闇に沈み始めた景色に、小さな本屋の看板は溶け込んでいた。
「…あの子」
 どさ、と明日発売予定の漫画の詰まったダンボールを書庫からカートの方へと移した。埃っぽいからごほと咳き込みながら眼鏡に手をやって外す。作業するときは邪魔だ。埃がつくし曇るしで。
 少しぼんやりした視界で目を凝らしてダンボールに貼り付けてある紙を確認して、もう一つ手にして下ろす。
 きれいなアメシスト色の瞳をしていた男子高校生。ここからであの制服だと駅を使うんだろうな。そんなことを考えながらがらがらとカートを押してひょこりと店の方に顔を出す。もう閉店の九時で、お客さんもいなくなって店長の方ががらがらとシャッターを下ろしているところだった。
「明日分、ここでいいですかね」
「ああ、悪いね。力仕事はどうも苦手でね、若い子がいると助かるよ」
「いーえ、どんと任せてくださいよ」
 カートの方からダンボールを床に下ろした。その間もきれいな紫の瞳がちらつく。
(たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよ…かぁ)
 探してる、と言ってた。ここは駅前から通り道の小さな本屋で、あの子は多分学校からの帰り道でここに寄るんだろう。俺は最近ここに入ったばっかりだけど、俺が出るとき必ずと言っていいほどあの子がいた。いつも本を手にして何か探してた。はぁと息を吐いて、傍から見てても分かりやすいくらい何かを探してた。
 だから今日は声をかけてみた。そうしたらそんなことを言われた。探してる言葉があって、と。
(あの様子だとネットでは調べたんだろうな。っていうかキーワードだけで膨大な数引っかかりそうだし。全文一致でなかったからまだ探してるんだろうしなぁ)
 どさ、ともう一つダンボールを下ろす。俺のバイト時間、本当ならこれで終わりなんだけど。これ今から全部出して並べるのを店長だけにやらせるっていうのもなんだかね。
 だからびりとダンボールのテープを剥がして「お手伝いしますよ。スペース空けてもらえますか? 俺並べるんで」と言いながら店長を振り返った。「悪いねぇくん。いつもいつも」と笑って言われて「いえ」と笑い返す。別に苦じゃないから、バイト代は余分出ても出なくてもどっちでもいいし。
 べりべりとダンボールの方を開封しながら、俺も調べてみようかなぁと気紛れに思った。
 今度あの子がここに来たら、そのときはお探しの言葉はこれじゃないですかって本を示せたらいい。そうしたら多分あの子は笑うから。ここに来て本を探して手当たり次第当たっているあの子は、いつも落胆したように肩を落として帰っていく。それが笑顔になってありがとうって言われたら絶対その方がいい。
 その、笑顔が。胸のうちで引っかかる。
(ん? 俺あの子の笑った顔なんて見たことないはずなんだけど…)
 いつも一人でここに来るあの子。真剣な目で本を見てるあの子しか、俺は知らないはず。
 でもじゃあどうして、笑った顔が分かるんだろう。
「ここへ頼むよ」
「はーい」
 全身ビニールじゃなくて、緩く一巻きされているだけのビニールカバーのついた漫画。今は全身ビニールで固めてあるのが常だから、小さいところくらいしかこうはしてないだろうけど。
 それをよっと二十冊くらいまとめて持ち上げる。新刊コーナーのところにそれを運んだ。
 あの子の笑ってる顔を、知っている気がした。俺の名前なんて知らないだろう。だけどって、俺を呼んでる気がした。
(…変だな。何だろうこれ)
 空けられたスペースに漫画の方を置く。取って返して同じ作業を何度か繰り返す。その間に店長の方は今日の売り上げ合計とかが合ってるかを計算する。小さな本屋だから、作業は機械化してないものが多い。
「…てんちょー」
「何だい?」
「運命って、あるんですかね」
 紫の瞳がきれいだったあの子がさっきから頭の中にいる。
 それでそう訊いたら、店長は笑った。俺の三倍くらい生きてそうなその人は笑って言った。
「あるに決まってるだろう」
「…はぁ。そんなもんですかね」
 言い切られてしまうとそれもなんだか。いや、でも俺の三倍くらい生きてる人なんだから、説得力はあるけども。
 びりー、ともう一つのダンボールの封を破る。「なんだ、恋でもしたか?」と言われて短く笑う。恋。いやこれ恋だったら俺もびっくりなんですけど。
(でもま、似たようなもんか)
 よいしょ、と漫画を持ち上げて新刊コーナーへ持っていく。その作業を繰り返す。
 、って俺を呼んで笑ってるあの子がさっきから頭の中にいる。
 翌日。
(…来ちゃった)
 ざり、とアスファルトを踏み締めて、本屋の小さな縦看板を遠めに見る。あと何メートルもしないところに本屋はあって、開店までまだちょっと時間があって、だから今ならまだ帰れるかもとか今更なことを考えた。ここまで来て帰る? それもばかばかしい。
「…どうしよう」
 はぁ、と息を吐いてポケットから携帯を取り出す。薄いピンクのフリップをぱちんと弾いて時間を確認すれば、残り十分。
 帰ろうか。なんかやっぱりあの人のことが頭から離れないから来てしまったけど、まだ開店前だし。だから来なかったことにしてしまえば。
「あ、昨日の」
「、」
 背中からかけられた声にびくと震えて振り返る。と、眼鏡をかけた昨日の人がいた。今は私服。昨日みたいに店員さんの格好はしてない。
「あのね、言葉、考えたんだけど」
「え」
「俺ってことにしない?」
 それでそんなことを言われてぽかんとした。俺ってことにしない? 何それ、一体どういう。
 考える暇もなく腕が伸ばされて手を取られた。その体温にかぁと全身が熱を帯びるのが分かる。「だからね、俺が言ったってことにしておいてよ。俺はって言うんだけど、君は?」それでそんな言葉と一緒にちゅっと手の甲にキスされた。頭が、沸騰、する。
「な、にい、」
「ねぇ、名前は? 君の名前」
「る、ぴ」
「ルピ? そっか、ルピかぁ」
 その人が満足そうに笑う。「俺ね、毎週月水金とあそこでバイトしてんの。あ、今日は臨時ね」何も返せないまま、ただ頭の中がぐるぐる回っているのが分かる。この人、この人、一体何。
「運命ってことにしておこう。ね、ルピ」
 笑いかけられて、思考がショートした僕の頭は何だか満足そうに笑うその人を見ていることしかできなかった。
 今までずっと探してきた言葉なのに。そんなふうに簡単に片付けられたら僕は一体どうしたらいいんだろう。その言葉を見つけたら何かが分かる気がしてたのに。こんなふうに簡単に、片付けられてしまったら。今までの僕の本屋巡りって一体なんだったんだ。
(うん、めい)
 首を傾けたその人が「ルピ?」と僕を呼ぶから。はっとして「あ、ええと」と訳も分からず握られている手を握り返したりして。それでそんな行為に走った自分に恥ずかしくなったりして。
 だけどその人が満足そうに笑うから。その笑顔にどうしてか心がとけていく気がして。
 手を、伸ばして、その眼鏡を取り上げた。「あ、俺それないとルピの顔見れない」と言われて「見なくていい」と返しながら、眼鏡のないその顔をじっと見つめる。何か思い出せそうなのに。何か。大切な何かを。
 手探りで伸びた手に、眼鏡を取り上げた方の手首をぱしと握られた。さっきから変だ。何なんだ。なんで僕こんな初対面同然の人と手取り合ってるの。何してるの僕、ばか?
「ねぇルピ、俺の名前呼んで?」
「、なんで」
「いいから呼んでよ」
 見えないんだろう、目を凝らした顔でそう言われて、口を噤む。小さく「?」とその人の名前を口にした。
 じんわりと、心の中で何かが広がる。あの言葉を見つけたいと本屋を巡りに巡って、その焦燥にも似た感覚をとかす、何か。
(あ、れ)
 大切な言葉、だったはず。だった、よね、僕。
「だめ、笑って呼んで」
「、何それ。無理」
「えー。俺さぁ、ルピに笑ってって呼ばれるのをずーっと思い浮かべてるんだけど」
 ぐっと手首を握られて、眼鏡を落とさないようにと思いながらそっぽを向いて「笑えないよ、僕あんまり笑わないし」と返す。首を傾けたが「そうなの?」ときょとんとした顔で言うからまた顔を逸らした。ああいっそ笑えたらいいよ、笑い飛ばせたら。だけど僕は本相手にしか生きてこなかったようなものなんだ。友達は本。あの言葉を探してずっと。だからあんまり、人は、苦手っていうか。
「じゃあ俺、笑って名前呼んでくれるまでがんばろーかな」
 それで、きれいな笑い方でそう言われてしまった。かぁと顔が熱くなる。ああくそこの眼鏡このままずっと持っててやろうか。そんなことを思いながら、触れている温度がただ熱くて熱くて。
 何か、思い出せそうなのに。何も思い出せない。
 だけど動いた。ずっと停滞していたのに。見つからないあの言葉。あの言葉さえ見つかれば僕はきっと動けるって思ってた。だけど言葉が見つかる前に、なんか、おかしなことになってしまった。僕は本相手に生きてきたようなものなのに、こんなのきっと苦手なのに。
 だけど、動いたんだ。
「…、」
 顔を上げる。その人の手が僕から眼鏡を取り上げた。「やっぱないと見えない」とぼやくその人が眼鏡をかけるのを見つめる。何か思い出せそうで思い出せない。
(運命、って。それで…いいのかな)
 ゆるりと思考が溶け出す。その人が腕時計を見て「わ、やばい店長に叱られる。ルピ一緒に行こう」と腕を引っぱられて、引っぱられるまま歩きながら、僕はその背中を見やった。
 いつかの誰かと、その背中が重なったような気がした。
枯れ果てたおもい
けれど出逢いは必然なのだ。彼らはまたお互いを愛し合う存在となる