たとえ死んでも、


生まれ変わって、


きっとまた一緒にいられるよ

 その子はかなりシャイなようだった。シャイって言い方が適当なのか分からないけど、人が苦手っぽかった。
 一緒に出かけても注文するのもレジで支払うのももっぱら俺。それは別にいいんだけど、俺の後ろで隠れるみたいにしてるその子がかわいいったらない。
 何でそんなに隠れてるのって言ったらだって苦手だからと返された。じゃあ俺のことは? って訊いたらそっぽを向かれた。ぎゅうと握られている服の裾で、答えは聞くまでもなかった。

 所謂運命の出会いっていうのに、俺は遭遇したのだ。

「ルピルピ、あれどう? 似合いそう」
「ちょ、っと」
 ぐいぐいルピの手を引いてお店に入った。「いらっしゃいませー」という店員さんの声。ルピが顔を伏せるから、俺はその手を引っぱって店の中に入る。「ほらルピもう見えないよ」と棚の影に入りながら言うと、ルピが僅かに視線を上げて「強引だ」って言うから、俺は笑う。
「だって強引にしないと入ってくれないでしょう」
「…だいたい僕、お金ない」
「いいよ、俺が買ってあげる。どれが欲しい?」
 ルピが瞬きして棚の方に視線を巡らせた。少し、本屋でぱらぱらとページをめくっていたあの頃と重なる。
 あれからどれくらい経ったろう。あの出会いから。
 ルピが値札の方を見て「一桁違う」とかぼやくから俺は笑ってその頭を撫でた。「俺が買ってあげるってば」「いい、悪い」「やーだ。入っちゃったもん、何か選んでよ」ルピが眉根を寄せて床を睨みつけた。俺はそれを少し笑う。
 家族に対してまで不器用じゃないだろう。この子はどうやら相当に人というか社会というかが苦手みたいだったから、俺はそんなこの子の力になれるならと思っていた。
「…いいの?」
 上目遣いで見上げられて、一つ瞬きしてから顔を近づけて「じゃあキス一回」「っ、ばか!」真っ赤な顔でべしと頭を叩かれてあははと笑う。冗談です。いや実を言うと結構本気なんだけど。
「ほら早くー。俺外行っちゃうよ」
「、やだ」
 ぐいと袖を引かれて目を細める。かわいいなぁ。あれ、なんか俺馬鹿っぽいかも。
 そっぽを向いたルピが「ほんとに高いんだよ、お金足りないって言っても知らないよ」と言うから笑う。「いいからほーら」とその背中を押した。ルピが渋々というように棚に並べてある服に手を伸ばす。椅子とテーブルがあったらそこに座って頬杖ついて始終その姿を観察してたい気分だ。
「…ほんとに買った」
「買うよそりゃあ。はい、俺からのプレゼント」
 黒い袋のそれをがさと揺らしてルピに手渡した。なんか店員さんには微笑ましい目で見られてしまったけどどう勘違いされてるんだろう。いやどういう勘違いでも、仲よさそうに見えたならいいなぁ。
 財布の方をポッケに突っ込んだ。「ありがとうございましたー」の声を背中に聞きながらルピが「カードなんて、作らなくてよかったのに」とぼやくように言うから笑う。何を拗ねた顔してるんだろう、素直じゃないなぁ。
「いいじゃない、また来ようよ。月一回くらいなら何か買ってあげられるから」
「、いいってば。だいたいなんでそこまで僕にこだわるの」
 ルピが眉根を寄せて顔を上げる。一つ瞬きして視線を上げて「うーん、なんでって言われても。なんでかなぁ。最初に言った通り運命なんだと思うよ」と言って手を差し出す。ルピが俺の掌を見つめて、それからそろそろ手を出して重ねた。それにどうしようもなく口元が緩む。ね、だから運命なんだよ。
「俺ルピのこと好きだよ?」
「、知らないそんなの」
「ねー、さっきのキスの話も結構本気なんだよ?」
「…うるさい」
 そっぽを向いたルピの頬は気のせいではなく赤くて。だから俺は今はそれに満足してただ笑う。
 繋いだ手を緩く握りながら歩き出す。
 今日はバイトも休みで学校も休みで所謂祝日ってやつで、人は多いんだけどせっかくなんだしとルピを誘った。デートっていうとなんだけどデートに。
 自分が本気なのかどうかはよく分からない。ただこの子が笑ってくれる瞬間が見たくって、俺はそのためなら何でもできる気がしていた。それで笑ってくれたらきっと最高。うん。それでルピが笑ってくれるようになったら次はどうするんだって考えるけど、とりあえず笑ってくれるまでは笑ってくれそうなことをする。うん。
 緩く繋いだ手を前後させながら、「ねー何食べたい? ティータイムにしよっか」「…さっきあんなにお金使ったじゃない」「だいじょーぶ、あるよ」笑いかけたらルピがそっぽを向いた。そろそろ三時過ぎたくらいだからティータイムもいいところだし、どこか入ろうか。
 だけどその前に本屋が目に入って、「あ、ルピ未来屋書店だよ。色々揃えてるだろうし入る?」とその手を引く。だけど引っぱり返された。一つ瞬きして視線を落とすと、ルピが俯いてぼそぼそと「いい。入らない」と言うから。だから首を傾げた。あの言葉、まだ探してるんでしょう?
「本はいいの? あんなに一生懸命だったじゃない」
「…出かけに来たのは、本屋のためじゃないもん」
 ぼそぼそと返されて首を傾ける。レンズの向こうの景色がちゃんと合ってるなら、ルピは照れてるんだろうか?
「じゃあティータイムにする? スタバとかあるよ」
 頷かれたので、じゃあそうしようとスタバの方に足を向けた。ドトールもあるけどやっぱりスタバの方が美味しいし。値段的にはドトールの方が優しいけど。
「ねぇ」
「ん?」
「…あの」
 小さく話しかけられて首を傾けた。ざわざわと人混みがうるさいから、ルピの小さな声が掻き消される。顔を寄せて「何、聞こえない」と言ったところでルピが顔を上げて一瞬だけ、ほんとにちょんと俺の唇に唇を押しつけた。瞬きした間に全力で顔を伏せたルピがぼそぼそと「したからね」と言うから、思わず笑う。
 あれ、何だろう。笑ってほしいって思ってるのに、笑顔をもらってるのは俺の方ばっかりじゃないか。
 がさりと音を立てる黒い袋を抱えてソファに座った。スタバでソファの席が空いてることは少ないからラッキーだ。が全部やってくれるから、僕は場所取りで先に座っているだけでよかった。
 今は空っぽの手をかかげる。ソファはだいぶくたびれ始めてるけど、それでもよりかかって息を吐いて力を抜くには十分なだけの抱擁感がある。
 キスを。して、しまった。
(だって…キス一回って言ったから……)
 余っている袖で顔を覆う。熱い熱い熱い。さっきからもうずっとだ。じゃあキス一回、って顔を寄せたの頭を叩いてしまった。怒ってないだろうけど、だって結構本気とか言うから。言うから。好きだとか、言うから。
 こんな、何もしてない僕なのに。してもらってばっかりの僕なのに。本だって、僕のこと考えてるからこそはああ言ったんだろう。だけど僕は君に会ってからあの言葉を探すことはあんまりしなくなったんだ。あれは本当に衝動にも似たものだったんだ。それはきっと獣だった。獣に追われるように僕はあの言葉を探してた。
 だけどその獣を、君が、とかして。
 だって運命だとか言うから。それでいいじゃないって笑うから。好きだよって言うから。こんな僕に。
「お待たせー」
「、」
 顔を上げる。「はい」とジャバチップフラペチーノを手渡されて、トールサイズのそれを受け取る。飲めるかな。ショートにすればよかったかも。
 でも顔が熱いから、せめて身体を冷やしたいと思っていた。繋いでいた手も沸騰したやかんくらいに熱いんだよ。
 だからフラペチーノを両手で包み込む。向かい側に腰かけたが「甘いの好きだね。こないだなんかキャラメルの頼んだよね」「…君は嫌い?」「うーん、嫌いではないけど苦手かなぁ」笑ったの手にあるのはアイスコーヒーだ。カフェオレとかじゃなく。
 僕はむしろ無糖が無理、と思いながらテーブルにフラペチーノを置いてぱかと蓋を開けた。持ってきてくれたスプーンの方でクリームをすくって食べる。だってかき混ぜるのもったいない。
 がさ、と僕の隣で黒い袋が音を立てる。
(…ほんとにいいのかな。こんな高いもの)
 どうしても視線がいく。ああいう高いお店には初めて入ったけど、確かに魅力的ではあったけど、でも値段が。一桁違う。一万円て。
 眉根を寄せているのが分かったのか、が笑う。「いいよ、だってキスしてもらったもん」と言うから、また顔が熱くなるのが分かった。視線を伏せてそっぽを向きながらスプーンでクリームを口に運ぶ。うるさい、僕だって自分にびっくりだよ。だって君も男で僕も男なのに。
 たまに女に間違われるけど。でも、一応、男で。格好は、まぁどっちとも取れるのかもしれないけど、でも僕男なのに。
(…いやじゃないのかな)
 好きとか笑ってとか、色々たくさん言われる。嬉しくないかって言われたら嬉しい。誰からも好意なんてもの受けてこなかった。だから、正直、嬉しかった。好きだって言われたのは。ただキスには驚いたけど。でも僕からしたんだから僕もいやじゃないってこと、なのかな。
 こんなの変だ。
 ううん、この人に会ってから、僕はおかしい。おかしいっていうか、この人のことがとても。
(違う。多分、きっと)
 ずぞぞ、とストローでフラペチーノを飲む。チョコの味がする。
「ね、それ美味いの?」
「、飲む?」
「飲んでみる」
 がそう言うから、ストローから口を離して押しやった。あ、間接キス、と思ったけどついさっきキスしたじゃんと思って、「コーヒー飲む?」「やだ。苦いでしょ」「あはは」が笑う。だから僕は息を吐いて、しょうがないなぁと笑った。そうしたらが口にしたストローでずぞ、と中身を飲みかけてむせ込んだ。ごほと咳をするから「え、何、どうしたの」と意味もなく慌てる。がけほと咳き込みながら「ごめ、気管の方に入った。じゃなくて」けほとまた一つ咳き込んでから改めて顔を上げて、僕を見て。なんだか幸せそうに笑う。
「ルピが笑った」
「、」
 言われて気付いた。自然とこぼれていたから気付かなかった。
 そうだ。僕今、笑った。笑ったよ。本相手にしか生きてこなかったのに。家族とだってそんなに話さないのに。日記で言いたいこと書いて、慰めは本で、話し相手も本で。
 僕は、に出会って、変わったのだ。
「…君の、おかげだよ。君がいるから今の僕が」
 小さくそう口にする。が口元を緩めて「そっかぁ。笑ったらやっぱりかわいいねルピ」と言われて、また顔が熱くなるのが分かって。が手を伸ばして僕の手を取った。体温が分かる。体温が。
 熱い。とても、熱い。
「ね、俺と付き合わない?」
「…僕、男だよ」
「それでもいいよ。俺はルピが好き。ルピは俺が嫌い?」
 首を傾けられて、ふるふると首を振る。それからはっとしてそっぽを向いた。
 そういう訊き方は卑怯じゃないか。分かってるくせに。嫌いな奴相手に誰がキスなんてするか。
「ルピ」
「……が、いいんなら」
 小さく返すとはやっぱり笑った。「じゃあはい決まり、ってことで」ぐいと手を引っぱられて丸テーブルに身を乗り出す形になって、何するの、と言おうとした口が塞がれる。唇で。
 一瞬じゃなくて、きっと三秒くらい。
 顔を離したが「かわいいルピ」と笑うから。僕はかあと顔が熱くなるのがいやってほどに分かって。
 ああくそずるい、と思いながらぎゅっと目を閉じる。
 何だよもう、君がいることで僕がどれくらい掻き乱されてるのか分かってるのか。僕は君と会って、すごく、変わったんだぞ。この無自覚者め。
(…でも)
 薄く目を開けた。手を離されてすとんと座り込む。「甘いねーこれ」とフラペチーノの方を押し返されて「甘いの好きだから」と返す。フラペチーノを手にして中身をすすった。キスもしたし間接キスもしてるし、本当に、僕は。
 たとえ死んでも、という言葉が甦る。顔を上げる。はコーヒーを飲んでいる。ピリリリという音にポケットから携帯を取り出して「げ、店長」とか呻いて電話に出るその姿を見やる。

 たとえ死んでも、生まれ変わって、きっとまた一緒にいられるよ

 俺ってことにしない? なんて、ばかみたいな台詞だけど。でもその台詞にどうして納得してるんだろう僕は。あんなにこだわって探してたのに。
(…まぁいいか)
 とん、と背もたれに背中を預けて、フラペチーノで冷たい口内なのに、それでもまだ熱を持ってる唇を自覚してから視線を逸らした。「え、まじすか。いや今は無理なんですほんと、勘弁してくださいよ。俺以外にもいるじゃないですか。デート中なんですデート中っ」と電話に向かって噛みついてるにちらりと視線をやる。誰がデートだ誰が。いやそうかもしれないけどさ。
 ず、とフラペチーノを飲む。全部飲めるかなって思ってたけど、なんか、飲めそう。身体も顔も唇も触れた手も全部全部熱い。冷やしたい。本当に熱くて熱くて。火傷でもしたみたいに。
 スタバを出て、適当にぶらついた。まぁ財布はちょっぴり苦しいけどこの際気にしない。だってついさっきルピは笑ってくれたのだから。
 それで思った。確信した。俺はこの子のそばでこの笑顔を見ていたいんだと。
 だから付き合おうよなんて言って、ルピも結局俺がいいんならって言ってくれた。それってつまり両思いだ。つまりハッピーエンド。
(エンド? 終わっちゃいない、これからが始まりじゃんか)
 バイトの方はりきっていかないとなぁと思って、さっきのタイミングでの今出られるかいはちょっとないよ店長、とか思ったりして。だって本当にデート中。抜けられるわけがない。こればっかりは。

「、はーい?」
 思考に没頭していたところから現実に意識を戻す。ルピがちょっとこっちを見上げて「あっち」と言うから。あっち、と言われて指差された方を見た。あっち、と言われた方にはちょっとした遊園地とちょっとした観覧車。
「観覧車?」
 首を傾げて訊くと頷かれた。なので仰せのままにとそっちに方向転換する。ルピが乗りたいなら俺も乗るよ。一人で行かせない、大丈夫。一人で、
(…あれ?)
 ざ、と何かよぎった気がした。頭に手をやる。
 一人で。俺が守ってあげるからって。
「、どうかした? 頭痛い?」
「…だいじょーぶ」
 顔を上げてルピに笑いかけた。一瞬だけ何かよぎった気がしたけど、ルピがいるなら俺は何が何でも大丈夫。それで何が何でもお前を守るよ。何もかもから。
「俺ね、ルピのことほんとに好き。きっと愛してる」
「あ、い、って」
 ぼんと真っ赤になったルピが全力で顔を逸らせるから、立ち止まってその頬に手を添えてこっちを向かせた。陽が傾き始めている。そろそろ夕暮れか。
 本当に本気だったから、顔を見てほしかった。「俺は本気だよ。全部からお前を守ってやるからね」と言ったらルピが少し驚いたような顔をした。それからまた視線を逸らして、俺の手に手を添えて「守ってもらってばっかりじゃ、ないよ。きっと」と言うから頬を緩めて笑う。そうだね、ルピだって男の子だもんね。俺が守られることもあるかもね。
 その笑顔のためなら、俺何だってできるから。
 身長的に俺の方が上だし。年上だし。だから大学卒業して無事に就職して安定した生活ができるようになったらルピと同居、とか考えた。いやいや早い、考えが早いから俺。今日からスタートだよ。何考えてんだか。
 だけど俺はずっと前からこうやってルピと一緒にいるような気がしていた。
(運命って言ったけど。ほんとにあるのかもなぁ)
 ふと店長を思い出す。あるに決まってるだろうってあの人断言したしなぁ。奥さんとはそういう感じで出会ったのかな。
「よーし行きましょう観覧車! ねぇ上まで行ったらキスしてもいい?」
「…そういうのは訊かないでしょ普通」
「だーって」
 俺が笑う。そうするとルピがしょうがないなってふうに口元を緩めて笑ってみせた。
 俺ね、その笑顔のためなら何だってするよ。これからもずっと生きていける。ルピのためならどこまでだって。

二人がいればその世界は完結し、
二人であるからこそ
その世界は成り立つのだということを