「あ」
 バイトのない帰り道。
 俺の友達の彼女の誕生日プレゼント選び、なんてものに付き合わされていた俺だったけど、それが目についたときこりゃ来てよかったかもと思った。真剣に「あーどうすべきなんだ」とか何とかぶつぶつ言ってる友から意識をそっちに向けてふらふら店に入っていく。
(はんなり豆腐)
 タグを手にして、それから人形を持ち上げた。はんなり、ってどこからきてるんだろう。まぁ豆腐は形が豆腐だからよく分かるんだけど。
(…ふかふかしてる)
 手にしたそれをぎゅっと抱き締めた。このサイズだと小さいけど、上の方にある大きいサイズなら抱き心地あるかも。
 どうして目がいったって、だってピンク色だったからだ。ルピの好きな色くらい知っていた。だけど果たして豆腐でいいんだろうかと首を捻る。今月はまだ余裕があるから、何か買ってあげたいって思ってるんだけど。たまには欲しいものじゃなくて、こう、サプライズも必要かも。なんて。
「…買ってこうかなぁ」
 顔を上げてその棚を見上げた。ああなんかたくさんあるや。ルピはどういうのがいいだろう。
(…うーん)
 ぱちん、と携帯のフリップを弾いてルピのアドレスを呼び出して電話した。出なかったらいいや、ピンク色基準に適当に決めてしまおう。だけどもしストラップがいいとかクッションがいいとか要望があるならそうしよう。
 ぷるるる、と三回目のコール音。出ないかなぁ出てほしいなぁと思いながら手ではクッションを弄ぶ。小さな肘かけみたいなやつ。大きい抱き枕サイズもあるしたくさんある。から、できればルピに決めてもらいたい。
 あ。でもそれってサプライズにならないってことになるんだろうか?
『、?』
 だけどそこで電話が繋がってしまったから思考が途切れた。「ルピ」と漏らす自分の声に安堵が含まれていることに気付いてこっそり苦笑する。どこまでルピに依存してるんだ俺。
「今だいじょーぶ?」
『うん。どうかした?』
「あのね、ピンク好きでしょう。何がいいかなーって」
『…君今どこにいるの?』
「俺? 友達に付き合ってちょっと買い物」
 と、そこへその友がやってきて「なぁお前どっちがいいと思う?」とか写真立てを見せてくるから、しっしと手を振って「ちょっと待ってあと。俺今大事な話してるの」と言って背中を向けた。「ごめんルピ、で、どんなのがいいかな」『…友達?』「え? あ、今の? そうだけど」何となくルピが黙り込むのでこっちも黙り込む。え、何ですかその沈黙は。
「えーと、ルピ?」
『…別に何もいらない。から』
「から?」
『……すぐに僕のそばにきてよ』
 ぼそぼそと言われて一つ二つと瞬きした。俺の前まで回ってきた友が「いや俺も真面目な話。なぁどっちがいいかな」と左右の手にある写真立てを突きつけてくるから「あー左! の方がかわいいよ」と返してまた背中を向けて「え、じゃあ何もいらないの? ピンクがいっぱいあるんだけどいいの?」『君さ』「ん?」『…もういいから早くこっち来てよ。僕駅にいるからね』「え、あ、ルピ? ねぇちょっと、」抗議も虚しく、ぶつんと通話は途切れた。つーつーと続く音にぱたんと携帯を閉じてあーあと息を吐く。
 なんか怒らせちゃったようだっていうのが声から想像できる。
 ずいと顔を寄せてきた友に「お前真剣に選べよ」と言われてがりがり頭をかく。俺が真剣になってどうするの。こういうのってやっぱり本人に訊くか、自分でいいって思ったものを贈らないと意味がないと思うんだけど。
「そういうのは自分で選んで一生懸命選んだんだって言った方がいいよ。友達がこっちがいいって勧めたからさっていうよりも。気に入る気に入らないに限らずさ」
 ひらと手を振って「ごめんね俺急用。先帰るわ」と残してその店をあとにする。「あ、おい!」と呼ばれたけど無視。何せルピがお呼びなのでね、お姫様の呼び出しとあらばナイトはどこへでも向かわないと。
 途中で雨が降り出した。電車に飛び乗ってすぐにルピの言う駅まで揺られたけれど、十分はかかった。
 ぷしゅーと開いた扉から外に出て、急ぎ足で改札をすり抜けてロータリーのある方へ足を向けて走った。雨のせいで少し肌寒い。おかげで温度差でレンズが曇るからめんどくさくて眼鏡を外した。
「ルピ」
 柱の一本に背中を預けて暇そうに携帯をいじっていたルピが顔を上げた。こないだ俺が買ってあげたTシャツの方を着ている。それから頬を膨らませて「遅い。僕がどれだけ待ったと思ってるの」とか言うから手を合わせて「ごめん、これでも急いだんだよ」と平謝りした。バイブにした携帯がポケットでうるさいけど無視。
 拗ねた顔をしたルピが息を吐いて「僕あそこがいい」びしと喫茶店を指差してみせるから、苦笑いしてその手を取って「お姫様のご要望とあらばどこへでも」とお供した。
「…あのー、ルピ?」
「何?」
「怒ってらっしゃりますよね…?」
「…分かってるじゃない」
 向かい側でテーブルに頬杖ついてるルピは機嫌がよろしくないようだった。何かいけないことしたろうかと思うも特別思い至らず、「えーと俺何か悪いことした、かな」と訊ねてみてもそっぽを向いたままルピは答えてくれなかった。
 窓の外では雨が降っている。
 外したままだった眼鏡を胸ポケットから出してタオルでレンズを拭く。これがないといまいちルピの顔が見えない。
 そのうち注文した苺のタルトと紅茶のケーキセット、それから俺の頼んだホットコーヒーが来た。
(…すんごく居心地が悪いんですが)
 誰に言うでもなく胸のうちで呟く。ルピはそっぽを向いてケーキを食べているし。なんか目を合わせてくれない。
 だんだんと、こうやってわがままをしてくれるようになった。最初こそいいとか悪いからとか言ってたけど、最近はそういう意味では甘えてくれるようになった。それは俺にとってすごく嬉しいことだ。だって少しでも心を許されたってことだから。
 だから、今みたいな空気も、前ならもう少し違う居心地の悪さだったわけで。こう、親しみゆえの、ってわけじゃなかったわけで。それを思えばこれは歓迎すべき沈黙なのかなと思ったりもしたりして。
 それで、そんなこと考えてる自分が我ながら馬鹿だなぁと思ったりする。
「あのねルピ、今日は俺友達の彼女の誕生日プレゼント捜し、っていうのに付き合わされてね」
「………」
「で、それはどうでもよかったんだけど、付き合いだったからさ。そしたらピンク色のクッションが見えてね。しかも豆腐型。はんなり豆腐っていうシリーズらしいんだ。豆腐だったけどピンクだったからさ、ルピ気に入るかなって」
「君さ」
 言葉を遮られて「うん」と返事をする。ようやく目を合わせてくれたルピはやっぱり拗ねたような顔のままだ。
「君、僕といる時間と他人といる時間と、どっちがいいの」
「そりゃルピといる時間」
「…たとえばその他人といる時間に、付加価値があっても」
「ルピと一緒にいるね」
「……僕だって同じだって、なんで気付いてくれないのさ」
 ぼそぼそと言われて一つ瞬きした。さく、とケーキの方を切り分けそっちに視線を落としながら、「僕はたくさんのプレゼントとかよりも、君といる時間の方を選びたいんだよ」と言われて。ああそうか、俺根本的に間違ってたのか、って思って。
 それからそれってつまり嫉妬してくれたってことでいいのかなぁと自惚れたりするのだ。
(えへへ)
 だから頬杖ついてルピを眺めた。じろりとこっちを見たルピが「何さ」と不機嫌な声を出す。だけどそれが何によるものかってことが分かったなら、こわくないよ。
「嫉妬、してくれた?」
「っ、ばか!」
 ばんとテーブルを叩かれてあははと笑う。顔を真っ赤にしたルピが「べ、別に嫉妬じゃないよ、ただ君が僕といる時間より別の奴と一緒にいるのが気に入らないって思って、」「だからそれが嫉妬だよ」そう指摘したら、ルピがぐさとケーキにフォークを突き刺して「うるさいうるさい、僕は嫉妬なんてしてない!」って声を上げてばくんとケーキを食べた。それがかわいいのなんのって、言い出したらきりがないんだけど。
「俺嬉しいなぁ」
「…何が」
「ルピとのこういう時間、嬉しいよ。すごく」
 かちゃんとソーサラーからカップを持ち上げてふーとコーヒーに息を吹きかけた。「こんなふうに、過ごしたかったんだよ。出会ったときからずっと」とこぼす。
 って俺を呼んで笑みをこぼしてくれるこの子を、俺は望んでいたんだから。この子と言葉を交わした瞬間からずっと。
「…君はずるい。言い逃げだ」
 そう言われて顔を向ける。ケーキを口に運んで「いつもいつも君ばっかりが僕をほだす」と言われて一つ瞬き。ほだすって。イマドキそんな言葉使わないよルピ。
 首を傾けて「じゃあ俺は常にルピにほだされてますよ」と返す。口を噤んだルピがはぁと息を吐いて、紅茶に角砂糖を三つも落とした。かちゃかちゃとスプーンでかき混ぜながら、拗ねたみたいな顔をして、でも少しだけ口元を緩めるから。笑うから。そんなどうしようもない些細なことで、俺も嬉しくなったりする。

「ねー、じゃあ今度は一緒に行こうね。豆腐クッション欲しくない?」
「別に…もうたくさん買ってもらったし。いいよ」
「そう? じゃあ今度はどこ行こうか?」
「……あの」
「ん?」
「君んち、は」
「俺んち? きれいじゃないよ? だいたい一人暮らしだから狭いし汚いよ?」
「…一回くらい行ってみたいんだけど、ダメ?」
「全然。いいよ、おいで。それまでにはちょっと片付けてきれいにしとく」

 何でもない会話。「じゃあ行く。今週末ね」と言うルピに瞬きして「え、急だね。俺急いで掃除しないとならない」と漏らせば、ルピが少し笑って「それくらいしなよ。急かされないと君って掃除しないタイプでしょう」そう言われてあははと笑った。仰る通りで。できる限り放置してますはい。
(じゃあー、掃除機くらい…あ、そういやゴミ袋切れてんじゃん。買わないとな)
 あれとこれと、と携帯に買うものをメモ。着信履歴やメールは無視で。
 その間にルピが紅茶を口にした。角砂糖三個はさすがに甘いんじゃと思ったけど普通の顔で飲んでる。ほんと甘いもの好きだなぁこの子。
 俺はコーヒーブラックですよ。苦いのが好きとは言わないけど、甘いよりは好き。
 で、店を出た。「あ、俺傘ないや」と漏らしていいやビニール傘を買おうと思ったらぐいと腕を引っぱられてつんのめる。視線を落とせばルピが持っている黒と白の格子模様の傘を指して「これがある」と言うから。ちょっと考えて、それって相合傘になるけどいいのかな、って思って。でも他でもないルピがそう言うんならと俺はその傘を受け取った。
 ばさと広げて、二人で雨の降る道を辿る。
「あのね、俺んちあっちの方。ルピんちは?」
「僕は向こう。わりと近いね」
「走ったら五分でいけるね」
 笑いかけたらそっぽを向かれた。「僕は走らないよ」とぼそぼそ言われて首を捻る。何を照れてるのかな、この子は。
「俺が走るよ。ルピんちまで」
「…家族にバレる」
「あ、そうか」
 そう言われたらその通り。でもそんなこと言ったら俺ルピの家に一生行けないよ。
 ルピが手を伸ばして俺の上着の裾を握った。「僕が君んちに、歩いて行く」と小さく言われて瞬きする。うん、そりゃあ、そうしてくれれば俺は助かるけども。
「ねぇ、まだ嫉妬してる?」
「、してないっ」
 途端に顔を真っ赤にして抗議してくるルピがかわいいったらない。だから顔を寄せてその額に口付けた。そうするとさらに真っ赤になるルピがかわいいったらない。
 あれ、俺さっきからそればっかりだ。馬鹿っぽいなぁ俺。
「いいよ、いつでもおいで。掃除まめにするよ」
「…ん」
 そっぽを向いたルピが小さく返事をした。それでもぎゅっと握られてる上着の裾。皺寄るなぁと思ったけど、それでもいいとも思った。この子の温もりが俺に残るのならばなんだって。

空は泣くけれど


(俺達は何もかなしくなんてないよ。ただ しあわせ)