「はい? 何か仰いました? サソリさん」
「だから…お前は俺が気味悪くないのかと訊いたんだ」
 不機嫌のオーラを滲ませて顔を近づける。生きる人形のように整った顔立ちの相手は長い睫毛を揺らしてぱちぱちと瞬きした。それから首を傾けて俺の頬に触れる。冷たいだろうに、人間の体温はないだろうに、なぜかくすりと笑う。
「何を仰るのやら。気味悪いだなんて。サソリさんはとてもきれいな顔をしているじゃないですか」
「顔じゃねぇよ。俺は、」
 そこで言葉を噤む。もう事実は変わらない。「俺は傀儡だ」という言葉を吐き出す。彼女が「存じていますよ」と微笑む。
 どうしてそんなふうに笑いかけられるのかが分からない。
 彼女が慈しむように目を細めて俺の頬を撫でていく。顔の輪郭を。首筋を。そしてその下の、胸の、生身の部分を。どくりと生身の部分が鼓動したのが分かった。
「別にいいんじゃないでしょうか。傀儡でも」
「…本気で言ってんのか」
 彼女がことりと首を傾げた。俺の生身の部分を掌が優しく撫でていく。
「後悔、してらっしゃるんですか?」
 小首を傾げる彼女に、俺はまたもや口を噤む破目になる。
 後悔。そう言われてしまえばその通りだ。俺はたった今この瞬間、人間でないことを後悔する。彼女の掌は優しく俺の胸を撫でている。生身の部分。そこだけ唯一彼女を感じられる。その冷たい指先と掌の温度を。その手に掌を重ねる。だけどやっぱり彼女の体温が分かるのは生身のその部分だけだった。それが今はひどく重たい事実としてのしかかってきた。だから俺はこう言葉を搾り出す。「後悔している」と。
「…どこへ行く」
 遠出でもするみたいにリュックを背負って玄関口にいる彼女にそう声をかけた。振り返った彼女はいつものように笑って「仕事ですよ」と言う。俺は眉を顰めた。そんな話は聞いていない。
「どこだ」
「暁の資金稼ぎですよ。ちょっと賞金首掴まえて換金してきます」
 では、と頭を下げた彼女。そのまま背を向けて出て行こうとするので反射的に指先からチャクラ糸が伸びて彼女を捉えた。あっさり捕まえられたのは俺がこんな行動に出るとは思ってなかった彼女が油断していたからだだろう。「あの、私仕事が」「行くな」「いえ、でもリーダーのご命令で」「行くな」馬鹿みたいにその言葉しか言えず、指を引く。くんと糸で彼女が引き寄せられて俺の腕の中におさまった。びっくりしたように長い睫毛で瞬きを繰り返す彼女を抱き締める。自分の意思で。
「行くなよ」
 搾り出した声は我ながら情けないもので。彼女が首を巡らせてこっちを見ようとするからさらに強く抱きすくめた。見ないでほしかった。きっとすごく情けない顔をしてる。
「…サソリさん。私がリーダーに怒られてしまいますよ」
「俺が行く」
「いえ、あのですね、私がリーダーに」
「怒られたなら言え。ぶっ殺してやるから」
 しばらくしてからくすくすと笑いを殺そうとして失敗した感じで彼女が笑い始めた。むっとして「本気だ」と付け足すと、彼女がおかしそうに笑ったまま目を閉じた。「おかしな人ですねサソリさんは」と言う言葉に「人じゃねぇよ」と皮肉で返してしまう。彼女がさらに笑う。それからおもむろに手を伸ばして俺の腕に触れる。感触は、分からないけれど。
「リーダーは怖いですよ?」
「…お前を失う以上に恐ろしいことなんてあるか」
 言葉を吐き出す。彼女が俺を振り返った。至近距離で目が合う。彼女がぱちぱちと瞬きして、それから破顔する。思わずというように笑みを漏らす。「おかしな人ですね」と二度目になる言葉を言われ、彼女を抱き締めながら「別におかしくねぇよ」と返す。だけどやっぱり彼女は笑うのだ。そして俺はそんな彼女を失うことを、恐れていた。
 失うのが怖すぎて永遠を求め、俺はついにどこかがおかしくなったのだろう。
 彼女を抱きすくめる腕を、緩めることができない。
「…あのー、サソリさん」
「何だ」
「そろそろ解放してはもらえないでしょうか。私さきほどからずっと同じ体勢で疲れてしまったんですが…」
 ベッドのふちに腰かけた彼女を俺が後ろから抱きすくめている、その体勢のままでおよそ一時間。諦めたように静かだった彼女もそろそろ痺れを切らしたらしい。それでも俺の腕は緩まらなかった。彼女が溜息を吐くのが聞こえる。
 ふと不安に駆られて俺は訊いた。「俺のこと嫌いか」と。彼女が頭を振る。「別に嫌いではありませんよ」と。「じゃあ好きか」と訊くと彼女が笑った。「極端な選択しかないのですね」と。彼女の首筋に顔を埋めて「俺はお前が愛しい」と呟く。彼女が笑うのをやめた。そして俺の手に掌を重ねて言うのだ。「私は、誰のものでもないのですよ」と。拒絶でも許容でもない。彼女の言うどちらか極端ではない選択。つまりは中途半端な。
 待つのも待たされるのも嫌いだ。愛するから愛してほしい。愛してくれるなら愛する。俺は難しいものを求めてるんじゃない。ただそれ相応の見返りが欲しいだけ。理不尽な仕打ちに耐えられないだけ。そういうのが嫌いだった。俺から両親を奪った理不尽さが一番最初の頃の記憶に焼きついて離れない。
「俺はお前を愛してる」
「…それは、愛でるという意味ででしょうか」
「違う。そうと錯覚できれば話は簡単だったが…そうじゃないんだ」
 傀儡にしてしまえばと何度も思った。だけどそれでは俺の気は治まらない。傀儡はいくら呼びかけても応えてはくれないのだ。生きていなければ、人は応えてくれないのだ。決して。
「お前を愛してる。
 彼女は俺を見ない。ただ閉じた瞼を少し震わせた。果たして俺の言葉はどこまで彼女に届いているだろうか。俺は本気だけれど、彼女にそれは、伝わっているのだろうか。
 彼女は答えない。俺もそれ以上は何も言わずに彼女の首筋に歯を立てた。毒は仕込んでいない。ただ彼女に傷をつけた。俺のものだ、と示すように。
 彼女はもう長い睫毛を震わせることなく、そして、何も言わない。

甘ったるい


ディオニュソス