「サソリさま、怒らないで聞いてくれます?」
「…内容による」
「あのですね、私、ついさっきの仕事で腕を片方なくしてきてしまいました。ですので、できればサソリさま特製の私の腕を作っていただきたいのですが」
 ほら、と右肘から先が空っぽになっている衣の袖を揺らすと、天才造形師こと赤砂のサソリさまはそれはそれは盛大に顔を顰めてみせた。この人は本当に傀儡人形なのだろうか、と訝ってしまうほどの見事な顰め面だった。
 この間の任務で破損したヒルコの尾の部分を直していた彼の手が止まり、乱暴な所作で立ち上がると、ずかずかと私のもとへ来た彼が右の袖を掴んだ。空っぽの腕を。さらに眉を顰めた彼が衣を引き千切ってくれたので、ああ、あとで直す手間が増えてしまったな、とぼんやり思う。
 破れた袖の下にある右腕は肘上まで。そこから先は持っていかれてしまった。相手の最後の一撃、というやつだった。
 おかげで賞金首は死んでしまったけれど、無事換金はすませてきた。これで駄目にしてしまったアジトを一つ買い直すことも、サソリさまの傀儡調整のための部品の調達の資金にも、しばらくは困らないはず。なのだけど。
 ぽた、と赤い色の液体が落ちる音がする。
 しっかりと縛ったつもりなのに、血というのは頑固者だな、と思っていると、サソリさまが私を睨んだ。顰め面はさらに険しい顔へと変わっていて、彼の機嫌の悪さが一目でよく分かる。
「痛みは」
「モルヒネを打ちましたので、しばらくは大丈夫かと」
「さらっと言うんじゃねぇよ。多用するもんじゃねぇっつったろうが」
 機嫌の悪い顔と低い声に「すみません」と頭を下げて謝る。「やっぱり痛かったもので。我慢できるかなと思ったんですけど」とこぼす自分に、それでも暁の一員なのか、と自嘲の念すら湧いてくる。
 サソリさまの言うことは最も。モルヒネは痛みの軽減には有効だけれど、依存性が強い薬でもある。お世話にならない方がいいに決まっている。だから、彼の怒りは最もなのだ。
 薬を打ったことで痛みはなくなった。よく分からないじわじわとしたものが右腕の辺りを這うだけで、痛い、とはもう思わない。かわりにとても眠い。この眠気の中傷の応急処置をして、死体を引きずって換金所へ行き、お金をしっかり持ってここまで帰ってきたのだ。自分の失敗で片腕をなくしたのだから、誰が褒めてくれるわけでもないだろう。だから自分で自分を褒めておく。よく頑張りました、私。
 眠気に負けて膝をつきそうになった私を、サソリさまが仕方なさそうに支えてくれた。「おいまだ寝るな」「ね、むい。です」「起きろ」パンと頬を張られる。それでも眠いものは眠い。
「ちゃんと、応急処置は、しましたので。血も、あらかた、止まって…」
 サソリさまの衣に顔を埋めるような形でもそもそと喋っていたけれど、私の口はついに止まった。あまりの眠気に、意識がドボンと暗い昏い闇の中に落ちる。、と私を呼ぶ、遠い声を聞きながら。
 次に目を覚ましたとき、まず「いたっ」と声を上げてしまった。モルヒネの効果が切れていたのだ。当然、痛い。右の腕が炎で焼かれているように痛む。
 痛いのは苦手だ。何よりも。だから私は自分が忍には向かないと常々思っていた。
 それが、S級犯罪者の抜け忍を何人も抱えるほどの犯罪組織、暁の中にいるなんて。いつ聞いても冗談のようで、悪夢のような話だ。
 カラカラと涼しい音がして、霞んでいる視界を彷徨わせる。
 外からの明かりの入らない暗い部屋に、いくつか灯されているだけの蝋燭の火と。暗い光に照らされる頼りない視界に、見知っている部屋の殺風景な景色と、よく知っている人の姿が見える。
「さそり。さま」
「…目が醒めたか」
「は、い」
 くらくらする頭に手をやる。サソリさまが持っていたボールの中に手を突っ込むと、またカラカラと涼しい音がする。「熱があるから動くな」と言われて、無事な方の左手で自分の額をなぞってみたけれど、全身が熱いものだから、熱があるかどうかなんて分かるはずもなかった。
 意識を落とす前の、あの機嫌の悪そうな顔はどこへやら。今そこでタオルを絞っている彼は、人形らしく端整な顔で、表情なく絞ったタオルを私の額にのせた。
 私は。一体どのくらい眠っていたのだろうか。
 まだ物事を考えるのが億劫な頭で目を閉じる。
 もうない腕が疼くようだ。傷口に蛆虫でも這っているよう。とても不快。かきむしりたいほどに。
 左手を彷徨わせて、右の肘辺りに手をやった。ら、何かしっかりした物で覆われているのが分かって、うっすら目を開けて視線をやってみる。まるでギプスのようにがっちりと私の肩までを覆っているのは、傀儡人形で使うような部品が組み合わされたものだった。
 これは、と掠れた声で漏らして視線を彷徨わせる。
 サソリさまは物の置き場がないくらいに床に何やら部品をひろげていた。また傀儡の手入れだろうか、とぼんやり眺めていると、「かきむしるなよ。悪化する」とぼそっとした声が聞こえた。ぱち、と瞬きして、傷口のことか、と分かった。
 そうか。だからわざわざ覆ってくれたのか。それに、意識のなくなった私をベッドまで運んでくれた。氷水で冷やしたタオルをくれた。

 サソリさま、優しいなぁ。
 優しいなぁ。暁の人なのに。

 そんなことを思いながらうつらうつらしていると、ふいに左腕を取られた。何か冷たい、すべらかなものに。
 意識が浮上して薄目を開けると、私の上に衣の袖が見えた。どうやら、サソリさまが私の左腕を手に取ったようだ。どうしてかは分からないけど。
 人の温度のしない指と掌に、肘から先の全てを触れられる。ゆっくりと何度でも。骨格、筋肉、その他全てを理解しようとするかのように、ゆっくりと、何度でも。手首の骨の出っ張り、掌の形、指の一つ一つ、関節の一つ一つ、爪先まで、丁寧に。
 まだぼんやりする頭でなんなのだろうと考えていると、私の腕に触れていたサソリさまが視線をずらして私を見た。ぱちりと目が合う。私が何か言うより先に「義手を作るのは初めてなんでな。ヘタクソでも文句言うなよ」と言われて、私は笑った。
 天才造形師が初めて作るというものが、ヘタクソであるなら。それはまた見物だ。なんて言ったら彼は不機嫌になってしまうだろうから言わないけれど。あなたが作るものが不恰好である様なんて、私は想像できない。
 私の指に指を絡めて手を握った彼が、すとんと視線を落とした。15歳で止まっている彼の風貌と、人形らしく整った顔立ちに、永遠に色褪せることのない赤い髪と、砂の色をした瞳が、今は少しだけ悲しそうな色をしているように見えた。そんなわけがないのに。だって彼の瞳も、もう人形のそれなのだから。そう見えたのは、私の、目の錯覚だ。
「今回は特別だからな。もう二度とこんなヘマすんじゃねぇ」
「はい。ごめんなさい。お手間を、かけさせてしまって」
「…そういうんじゃねぇよ馬鹿野郎」
 馬鹿野郎、とこぼした彼がするりと私の手を離した。
 傀儡のためだと思っていた床に散らばっている部品は、私の腕を作るためのものなのだ、と今更に気付く。
 散らばった部品の中に座り込んだ彼の背中を眺めて、さっきまで確かに彼に取られていた手を掲げる。
 彼に義手を作ってもらって、それに幻覚でも纏わせれば、きっと右腕は元通りみたいになるだろう。
 それでも私はもう二度と、あの寂しそうな背中を自分の両腕で抱き締めることは叶わないのだ。
(ああ、それはとても)

 悲しい。ことだ。
 一週間後、すっかり薬の副作用は消えた。
 眠気がさっぱりなくなってくれたかわりに、右肘の痛みはまだ鮮明だ。けれど、できることはしたのだし、私はこの痛みを容認しなくては。自分の失敗でなくしてしまった腕だ。それにサソリさまが休む暇も惜しんで義手制作に着手してくれている。私はそれが少し嬉しい。
 今日も片腕で調理をし、病み上がりな自分への栄養バランスを考えた食事を摂っていると、サソリさまがやって来た。
 彼は傀儡人形故に食事も睡眠も必要としない。けれど、私が一人だけ食べているというのも失礼な気がして箸を置いた。
 彼の手には傀儡人形に見られるそれよりもずっとやわらかそうな腕がある。
「手ぇ出せ」
「はい」
 片腕では縫うのも大変で、破れたままの衣から右肘を差し出す。ギプス代わりの傀儡の部品を簡単に外してみせた彼の指先から青いチャクラ糸が伸びている。私が叩いてもぶつけても頑丈だったこれは、そうしないと外れないようになっていたらしい。
 すっかり傷口の塞がった右肘だけど、施術の前に消毒とかをしておいた方がいいだろう。ぐあいを見るだけかもしれないけど。
 机の上に置いたままの医療用具に手を伸ばそうとすると、私より早くサソリさまが消毒液を取り上げた。巻いている包帯をしゅるりと解く彼の伏し目がちな瞳が、私にはやっぱり悲しそうに見える。
 綿に消毒液を含ませた彼が、私の腕をゆっくりと伝っていく。
 こそばゆいな、と思うのは、どうしてだろうか。
「痛むか」
「そう、ですね。やっぱり痛いです」
 まいったなと私が笑うと、彼は黙した。少し機嫌が悪そうだった。なので、私は笑いを引っ込めた。サソリさまの機嫌を損ねたくはなかったのだ。
 初制作だという義手は、腕の中の電極を神経と接続、訓練すれば触覚すら蘇るらしい。
 ほんの数分で施術は終わった。右肘から先がある。一週間片腕なしで過ごしてきたせいか、腕があることの方が違和感があった。まだくっついているだけとはいえ、私に腕があるなんて。
「肩から順番に神経に指示しろ。急には動かん」
「はい」
 言われた通り、肩から順番に意識を伝わせる。義手制作者であるサソリさまはわたしの様子をじっと見ている。肩、二の腕、肘、関節から、腕を伝って、手首を、そして掌を、最後に指を意識する。そこに自分の神経が通って血液が流れ、筋肉が脈動している様を描く。
 キシ、と少し軋んだ音を立てて指先が動いた。ぐー、ちょき、ぱーをゆっくりと作ると、サソリさまがほっとしたように息を吐いたように見えた。けれど、それは、私の見間違いだろうか。
 ゆっくりと関節を動かす。腕は動いた。まだ頭の指示と細かな動きが一致しないけど、訓練すれば思った通り動くようになるだろう。
 右腕に幻術を纏わせると、自分でも見間違うくらい普通の腕になった。普通に私の腕になった。ぎこちなく動く、私の腕。
 ガタンと席を立って、私の腕の様子を見ていたサソリさまを、不意打ちでぎゅっと抱き締めてみた。彼の反応を頭の中で想像していた私は、自分の両腕で寂しい背中を抱きながら、「ありがとうございますサソリさま」と囁いた。
 彼はきっと怒るだろうと思っていた。いつもみたいに機嫌の悪そうな顔で、人形とは思えない豊かな表情で舌打ちでもこぼして顰め面で私のことを突き放すだろうと思った。それできっとしばらく機嫌の悪い顔をしたままだろうと。それでも私は、自分に両腕が戻ったならこうしようと、私の腕を作るために部屋にこもった彼の背中を見てずっと思っていたのだ。
 私の予想は、結果的に外れた。
 彼は確かに舌打ちをこぼした。きっと機嫌の悪そうな顔をしていたと思う。けれど、私は彼の肩に顎を乗せていたので、その表情は分からない。分かったのは、彼の腕が私の背中を抱いたことだけだった。そして、それが予想外の現実だった。
 …でも、あなたは優しい人だから。寝込んだ私の世話を焼いて、何の見返りも求めず義手なんて作ってくれる、優しい人だから。予想外のこの現実だって、私は笑って受け止める。
(あなたは優しい人ですね。サソリさま)
 けれど、そんなことを言ったら最後、彼は私を突き放してどこかへ行ってしまうだろう。
 それが嫌で、私は目を閉じて黙し、彼の背中を抱いたままでいることを選んだのだった。