初めて傀儡に使うものじゃない人の腕を作ってからというもの、俺の興味は傀儡よりもそっちに引っぱられていた。傀儡を改造するための部品調達だと言って市に来ておきながら、の右腕が今よりいい状態になるには、と考えるほどには、義手のことで頭が埋まっていた。
 俺が没頭すると他を煩わしく思う奴だと知っているは、俺の買い物が終わるまで大抵行儀よく待っているが、あまりにも暇だとその辺の店を覗き始める。今日はあまりにも暇だったらしく、俺から離れてその辺をうろうろし始めた。
 何かの臓物を扱ってる店、蛙やらイモリやら生き物を売買する店、普通に忍具を扱う店、その他もろもろ。覗いても面白くないだろうと思う店を眺めるその姿を視界の端に捉えつつ、人肌に近い色のシリコーンを手に取る。こんなもの傀儡には使ってこなかったが、あいつの腕になら、考えてやってもいいか。
「おや旦那。今日は珍しいものに手を伸ばすね」
 だいたい黙って本を傾けてることの多い店主が口を利いてくる。無視してやろうかとも思ったが、思い止まり、訊いてみることにした。
「あんた、義手には詳しいか」
「義手? なんだね、入用なのかね」
「まぁな。知り合いが片腕なくしやがってよ」
「そりゃ大変だな。ちょいと待ちなよ」
 ごそごそと自前の本棚をあさった店主が「ああ、こいつなんかどうだい」と一冊の本を放って寄越した。キャッチして開くと、義肢についてをまとめてある事典のようなものだと分かった。義肢の歴史から今現在の技術で辿り着いた義肢の細かい部分までよく説明がしてある。
「あんたなら無難だろう。あたしにゃレベルが高くてね」
 肩を竦めた店主にふぅんと返して本のページをめくった。義肢に使われる細かい材料の記述までしてある。わりと使えそうだ。
 ぽん、と本を閉じて、本来の目的である傀儡に使うための部品選びを始めると、店主はまた本を傾け始めた。
 本の中身に気を取られて見失ったの姿を視界の端で捜して、見えないことに一つ舌打ちして顔を上げた。どこだあいつ、と人混みに視線を縫う。
 いない。どこ行った。まさか見てない間にまたろくでもない連中に声をかけられたのか。
 普段は黙っているくせに興味が湧くと口出ししてくるらしい店主が「嬢ちゃんならあそこだよ」と俺の真後ろを指した。首を巡らせると、臨時開設の甘味処で湯飲みと団子を手に闇市に似合わない平和な顔をしているがいた。うまそうに食ってやがる。は、と息を吐いて顔を戻すと、にやっと笑った店主がいて、とりあえず睨んでやる。なんだその顔。ぶっ殺すぞ。
 今入用なものだけ選んで代金を敷布の上に叩きつけ、「釣りはいらん。本の礼だ」と言い置いて荷物を肩に担いでその場を離れる。「毎度ぉ。また頼むよ旦那」と背中に声を受けたが無視した。
 ざくざく歩いて人が行き交う通りを縫って甘味処に行くと、が慌てた様子で席を立った。慌てて団子を口に突っ込んだせいで苦しそうに胸を叩いている。阿呆か、と呆れつつ「待たせたな」と隣に立てば、湯飲みの茶で詰まった団子を飲み下した彼女が笑った。「はい、大丈夫です」と。
 次は毒薬の調合に使う薬草やらを見たい。そろそろ新しい配合を考えないとならないのだ。その間また待たせる破目になるが、こんな場所で目の届かないところにを一人にするわけにいかない。待たせると分かってはいるが連れて行く。
 のあどけない顔はこの市で浮いているのだ。だからろくでもない連中に声をかけられる。毎度のことだ。近くに俺がいれば追っ払うが、あまり距離があると睨むのも届かないしな。
 今度は面でもさせてくるか、と考えながら歩いていると、進行方向の先で爆発があった。あどけない顔をしてるもののそれでも一抜け忍であるが表情を変えて俺を見る。
「サソリさま」
「無視しろ。拘るだけ無駄だ」
 こんな場所だ。馬鹿騒ぎが起こることも珍しくはない。ここにいる連中で人助けのために動くような馬鹿はいない。…隣のこいつを除けば。
 間違っても馬鹿をしないようにその左手を取って「行くぞ」と歩幅を広げれば、が慌てたように俺のあとをついてくる。口汚い男同士の罵詈雑言とクナイやら手裏剣やらが飛んでくる中をひょいひょいと進んだとき、「てめぇ死ねッ!」という言葉と共に火遁系の炎の球が連射で無差別に飛んできた。人形であるはずの自分のこめかみ辺りがぴきと引きつったような錯覚を覚える。
 馬鹿は本当に馬鹿だな。こんな何が置いてあるか分からない市の道で火遁を使うやつがあるか。
 するりと俺の手の中から抜けたの手が印を結ぶ。水遁系の結界で水の壁が滝のように目の前を流れ落ち、騒ぎの中心を囲んで四角い壁を形作り、炎の球を受け止めて蒸発させた。
 俺は人形だ。こんなもの受けても衣や服が燃えるだけだが、は違う。生きている。だから防ぐ。
 俺は接近戦はヒルコでないとあまり得意ではないし、何もしないのが常だが、「やりやがったな!」という怒声と共に土遁の術で地面がぐらぐら揺れて盛り上がったときにはプチンと堪忍袋の尾が切れた。馬鹿は死ねこのクズ。
 悲鳴と怒声と様々なものが響き合うそこで、無差別攻撃に近い土の槍がそこかしこから突き出す。それを避けて別方向に飛んだ俺達の、の方に、槍が曲がった。
 恐らくは偶然だ。だが矛先は彼女を貫かんとし、それを塞ぐために彼女は右腕をかざした。槍の矛先が右腕に食い込み、が吹き飛ぶ。
 腕はかろうじて繋がっているようだが、もう機能はしないだろう。思ったより脆いな。動きを抑制しないように、なるべく柔軟に、人の手らしくという点に気を遣ったせいか、耐久度は低いらしい。
 腰に備えつけてある巻物の一つを手に取って放る。しゅるりと音を立てた巻物が口寄せを行い、傀儡人形が一体カタカタと音を鳴らして俺の前に降り立った。
 後方で受身を取ったがサソリさまと俺を呼んだ気がしたが、俺のものを傷つけた輩が無事で済むはずがない。

「てめぇら、ぶっ殺す」

 馬鹿なことをしてくれた馬鹿な連中は十秒で絶えた。
 男二人、一人は心臓を猛毒が塗ってある刃で貫き、もう一人は首を落としてやった。はっ、ざまぁない。
 これだけ馬鹿なことをしてくれたからか、俺に殺られた連中を憐れむ目もそれなりで消えた。あとはむしろ俺を恐れるような目に変わった。
 死体はの土遁の術で地中深くに取り込み、もう跡形もない。
 傀儡を巻物に戻してざくざくと歩いてのところへ行けば、彼女はあからさまに右腕を隠した。「さ、サソリさま、皆さん注目してますから、今日のところはここまでで」言いかけた彼女の言葉を「うるせぇ」で遮って右の肩を掴む。伝って二の腕を掴んでぐいと引き寄せれば、ボロいことになっている右腕がよく見えた。
 それなりに時間かけて作ったっていうのに、壊れるときは本当に一瞬だ。次はもっと丈夫なやつを作ってやろう。
「痛むか」
「痛いので、神経繋いでいたところは切ってしまいました。もう痛くないです」
 申し訳なさそうにしているにはぁと一つ溜息を吐く。「他には」「いえ、他は何も。大丈夫です。荷物も無事ですよ」と左肩で背負っている包みを笑顔で示すから、はぁ、とまた一つ息を吐く。
 俺は人形で息なんてしてないから仕種だけだが、こういう人間じみた自分が、だいたい嫌いで、極たまに好ましい。
 ぶらぶらしてる腕も邪魔だろうと思って切断し、荷物の中に突っ込んだ。
 はるばる闇市を行っている場所まで足を伸ばしたのだ。できればまだ滞在していたいが、今日はここで一区切りだ。
「帰るぞ」
「あ、はい」
 歩き出す俺に、が慌てたようについてくる。片腕でよいしょと荷物を背負う彼女にちらりと視線をやり、ちっと舌打ちしてから荷物を奪い取った。「え、あ、サソリさま、私が」「片腕なくて片腕塞がってて、いざってときお前どうすんだ」「そ、それは…」「俺が持つ」ざくざく歩幅を広げて歩き出すと、彼女がついてこない。顔を顰めて振り返ると、取り残された子供のような顔をしているがいた。だがそれは一瞬のことで、彼女は申し訳なさそうに笑うと「すみません。荷物持ちは私の仕事なのに」とこぼして寄ってくるから、はぁ、と形ばかりの溜息を吐いて、それでも気持ちがまとまらずに舌打ちをこぼして、もう片方の手で彼女の左手を絡め取って握った。
(お前は馬鹿だな。本当に)
 わざわざ荷物持ちだけさせるために同行させたと思うのか。毎度毎度思うがお前は本当に忍に向いてない。あどけない顔はどう見ても一般人だし、笑った顔は本当にこの場所に似合わない。おまけに相手を読むこともヘタクソだ。あとは、運が悪い。どれを取っても忍として致命的だ。
 本当に。どうして俺はこんなのを連れて、手を引いて、歩いてるんだか。
 サソリさま、と呼ぶ声に答えずにざくざくと歩いて宿屋へ行き、一泊取った。人でいっぱいだとかで一部屋しかないと言われたが別にそれで構わない。どうせ俺は寝ないのだから。が眠れる場所があればそれでいい。
 鍵番号の通りの部屋に行き、施錠を解いて中に入る。こんな場所の宿屋だから八畳一間と狭いが、ないよりマシだ。
 どさ、と荷物を置いて「今日はここで休む」と言うとがほっとした顔をした。「薬剤の方は明日ですか?」「ああ」ぼやくように返事をしてさっき使った傀儡が入ってる巻物を取り出す。
 少し使っただけだが、手入れは怠らない方がいい。それに刃は血を落として手入れして、毒は塗り直さないとな。
 呼び出した傀儡がカタカタと音を鳴らして畳の床に横たわる。
 俺が傀儡の点検をしてる間、は空っぽの右袖を見てよく分からない顔をしていた。
「…サソリさま」
「あ?」
「腕、壊してしまって。ごめんなさい」
 ぺたんと座り込んで頭を下げてくるに顔を顰める。真面目に刃と向き合って毒を塗っていたというのに、気分が逸れた。ふっと息を吐く仕種をして毒の入っている瓶に蓋をして筆を置く。
「お前のせいじゃない」
「いえ、私の責任です。他に取れる行動があったかもしれないのに」
「…あのなぁ」
 がしがしと髪をかく。あれはお前が悪いというより騒ぎを起こした馬鹿共がしょうもないんであって、お前は運悪く腕を壊した。それだけだ。謝るべきは死んだ連中であってお前じゃない。
 頭を下げたまま動かないにはーと深く息を吐く。息なんて吐いてないのに、俺はこの仕種が好きなのか。
 立ち上がって頭を下げたままのの前に膝をつき、肩を掴んで顔を上げさせる。
 あどけない顔にぽろぽろと涙をこぼしている姿にいっそ呆れた。なんでお前が泣く必要がある。
「せっかくの。腕が」
「…また作りゃそれでいい。今度は当社比二倍の丈夫なのを作ってやるから。それに、もっと様になるヤツを。だから泣くな馬鹿」
「ご、ごめんなさぃ」
 顔を俯けて腕を壊してごめんなさいと謝るに、がしがし髪をかいて、舌打ちして、ああくそ、と胸中で罵るだけ誰かを罵ってから細い背中を抱き寄せた。
 だから泣くなっていうのに、ぐずぐずと、鬱陶しい奴だ。
 俺はなんでこんなのを連れて歩いているんだか。こいつのために義手なんてものを作っているんだか。全く自分の物好きに呆れる。
 俺の背中を抱いた腕は片腕だけ。その現実がちくりと胸を刺す。
 ……今度はもっと丈夫なやつを作ってやる。部品も一から吟味して、ないものは作って、最高の腕をお前にやる。前のよりもっといいやつを。だから泣くんじゃない。
 お前の泣いた顔なんて俺は大嫌いなんだから。
 とりあえず空っぽの右腕に前と同じ型の腕を取り付け、それから一ヶ月、本を読みあさって材料を買いあさって実物で気に入ったものを買いあさって分解して組み立ててを繰り返して知識その他を吸収した。そうして作り上げた義手は、前のより丈夫で、幻術をかけなくてもそれらしい腕に見えるものになった。
 ただ、最高の腕とは言いがたい。義肢の道ってのもまだまだ上がありそうだ。
 今回の腕はも気に入ったようで、満開の笑顔で何度もありがとうございますと言われた。それから抱きつかれた。嬉しそうだった。
 両腕で俺の背中を抱く腕の感触。
 だから、俺もそれでよかった。
 また壊したときのためにとスペアの腕を用意しながら、俺は何してんだろうな、と自嘲気味に笑う。

 暁に入ったのはこんなことするためじゃなかったろう。
 生身の人間なんて嫌いだったろう。だから俺は自分さえ捨てて傀儡に走ったんじゃないか。
 唯一永遠を示してくれた道を、信じたんじゃなかったか。
 人を捨てた。人形になった。息をする必要がなくなった。燃えても壊れてもいくらでも直せる便利な身体になった。核さえ移せばどんな身体でもやっていけるようになった。手入れさえ怠らなければ永久に朽ちない身体に。永久に変わらないものに。俺はなったんだ。

 腕のスペアを作り終えて、しっかりと保管の手順を踏んでからしまい込んで部屋を出ると、辺りは暗かった。どうやら夜だったらしい。そんなことにも気付かないほど没頭していたようだ。
 しんと静かに闇に沈む小さな居間には、小さなテーブルと小さなキッチンがある。
 ここは俺と以外は出入りする者のない、暁の誰も知らない隠れ家の一つ。
 俺が傀儡の分解やら毒の調合やらに集中できるようにと部屋を譲ったは、居間の片隅に寄せたベッドで眠っている。
 足音を殺してそばに寄れば、窓から射し込む月明かりが彼女の横顔を照らしていた。
 子供みたいに丸くなって眠る姿は、暁という組織にはとても似合わない。実力も伴わない。才能はあるが、活かしきれていない。彼女が人である証だ。一線を踏み越えていない証。それも、このまま引きずっていけばいずれ越えてしまう線だ。
 は片腕をなくした。それは俺のせいでもある。
 賞金首掴まえて換金してこいと言ったのは俺だ。十分仕留められる相手を言い渡したつもりだが、結果、彼女は片腕をなくした。
(俺のせいだ。俺の。判断が甘かった)
 そっと伸ばした手で緩く前髪を払う。
 伸びたな。そろそろまた切ってやらないと。
 このままを連れ回して、彼女の左腕がなくなり、それが義手になって、彼女の右脚がなくなり、それが義足になって、左脚がなくなって、それすら義足になって。どんどん欠けていく彼女に手を貸しているつもりが、いつの間にか彼女自身が人形に。
 カタカタと音を立てる彼女の姿をした傀儡を思考から振り払う。
 目の前で眠るのことを眺めて、ゆっくり僅かに上下する布団や、ぺたりと掌をつければ弾力のある肌に、彼女は生きている、という現実を自分に沁み込ませる。

 サソリさまは外見のままなのですね、と言われた日も、こんな月の夜だったか。
 これでも35年生きてるぜと言ったら彼女は笑った。そうは思えないですよと。馬鹿にしているのかと思ったが、サソリさまの心はきっと止まってしまわれたんですね、とこぼした彼女は悲しそうだった。
 止まっていたとして、それを選んだのは俺だ。何も悲しいことなんてありはしない。お前が顔を歪めて悲しむ必要はどこにもありはしない。

 ああ本当にお前は忍に向いてない。絶望的なほどに向いていない。
 だから、もう手離せば。それで話は簡単に終わるのに。

「……はぁ」
 形ばかりの溜息を吐いて、が眠るベッドに浅く腰かける。
 どうせ俺は眠らないし、寝ない間にすることといえば、毒薬の調合か、傀儡の改造か手入れか、最近は義手についてを考えまとめることか、だ。
 もう今日は疲れた。
 そんなことを俺が思うのはおかしな話だ。人形の身体が疲れるはずもないのに。
 とにかくだ。今日は疲れた。そういう気分だ。何もしないで、何も考えないでいたい。
 ……どうせならお前の寝顔でも眺めていようか。伏せられた睫毛の数を数えてやろうか。月に照らされるその姿を、鮮明に記憶できるように、永遠に忘れないように、ずっと見ていようか。飽きるまで。
 平和なその寝顔を見ていると、俺の方まで気持ちが緩んでくる。…そんな気がするからさ。たまにはいいだろう、そういうのも。