ぬくもりがほしい、なんて言葉を彼の口からはっきりと聞いたことがあるわけではない。ただ、なんとなく、わたしがそう思っただけだ。
 砂嵐の酷さに細められたあの赤銅色の瞳に、瞳と同じ色の髪を風に遊ばせた彼が、どことも知れない遠くを眺めている表情に、なんとなく、そんなことを思っただけだ。
 その日は、びゅうびゅうと砂嵐が吹き荒れ、雨戸をガタガタと激しく揺らす、寝づらい夜だった。
 眠れない夜はついつい物思いにふけってしまう。眠れるまでの退屈しのぎに。
 最近はサソリのことをよく考える。それがどうしてなのか、自分でもよく考えてみたけど、これだ、という答えはまだ見つかっていない。
 まぁ、理由なんてこの際よしとしよう。とにかくわたしはサソリのことを考えたいわけだから。
 わたしと彼は、一応『幼馴染』というやつだ。たまたま家が近く、たまたま一人っ子同士で、たまたま傀儡に興味を持った、そんな一人と一人だ。
 わたし達が並んでもそれは決して二人にはならない。一人と一人だ。全くもって温度のない他人同士。
 彼との間には、なんていうか、そう、溝というか…谷というか…。暗くて深くて重たい濃い闇のような何かが横たわっていて、翼でもない限り、対岸にいる彼のもとへは行けない。そんな感じ。
 ここで翼なんてイメージをしてしまう自分がなんだか乙女だなぁと自嘲した。ここで忍術や傀儡でどうにかするって頭にならないから、私はいつまでたってもサソリに追いつけないんだろう。
 13歳の、砂嵐の酷い夜。風は治まる気配を感じさせないまま、刻々と時間だけが過ぎ、気がついたらわたしは眠っていた。
 眠るまで考えていたことが彼のことだったせいか、彼の夢を見た。
 わたしと彼の間には真っ黒な川が右から左まで途切れることなく横たわっていた。
 彼の後ろ姿に声をかけようとして気付く。…かける声なんて持ち合わせていない自分に。
 なんて言うの? 彼に。両親を失って、その空白を埋めるように傀儡を造り始めたあの孤独な背中になんて声をかけたらいいの。
 わたしがいるよ、なんて言葉、彼が望んでないことはわかってる。
 誰でもいいのなら、あなたはもう誰かを作っているはずだ。砂隠れ一の美形だって言われてるあなたなら、そうしようと思えば、できるはずだ。女を引っかけるなんてわけないだろう。ちょっと優しい言葉と甘い顔で誘惑すればいい。それは傀儡人形の新しい造形を一から考えたり部品の調達をするよりもずっと簡単な方法。一時的にでもぬくもりを得る方法。
 でも、あなたはそうしなかった。
 誰でもいいわけじゃない。温度があればいいわけじゃない。…だから、わたしじゃ、駄目なんだ。
(そんなこと、知ってたけど、ね)
「…診断書……」
 確認するようにぼやいた声は自分で思っていたよりも平坦で温度がなかった。そのことに自嘲して唇を歪めて嗤い、病院からの診断書をテーブルの上に置いた。ぱさ、という軽い音には重みなど感じられないのに、その中身はといえば、重い。
 14歳の秋。夏に部隊としての健康診断を受けて、大きな病院に行く必要があると部隊長から深刻そうな顔で告げられて以降、覚悟はしていたけど…。
 覚悟はしていたけど。でも。やっぱり。
 ざわざわと嫌な感じに落ち着かない心のまま外套を羽織って外に出た。砂と瓦礫の風景がほとんどであるこの里はどこを見ても落ち着かない。ささくれていて、乾いていて、どこを見ても癒やされない。
 緑。緑が見たい。
 だいぶ離れなければいけないけど、今はとにかく心を落ち着けたい。そういう場所に行きたい。
 財布だけは持っていたので、市場で軽く買い物をして水と食料を麻のバッグに詰めてもらい、わたしはこっそりと里を抜け出した。
 もし今誰かがわたしを追ってくるのなら、それはわたしより強い人でないとならない。なぜなら、今のわたしは、手加減なく、相手を殺してしまうほどに、心がざわついているからだ。
 幸いというか、誰かがわたしを追ってくることもなかったので、わたしは着の身着のまま緑を求めて砂地をさまよい、そして、辿り着いた。細い川と、川のそばにはりつくようにして細々と育つ草木に。
 川のそばに膝をついて、ぺたんと座り込んだ。こんな砂地の中にある川の水がおいしいとは思えなかったけど、両手ですくって口に含んでみる。やっぱり砂が混じっていて口の中でざらりとする。でも、冷たい。
 砂埃と陽射しから肌を守るために被っていたフードを外し、ふう、と息を吐く。ごろりと寝転がって、まだ若くて小さな木と青々とした草を眺め、小さな川のせせらぎで聴覚を満たす。
 ざわざわ、ざわざわ、ずっと落ち着きのなかった心がようやく静かになっていく。
 緑には癒しの効果があると話に聞いたことはある。その色は目の疲れにも効果的なんだとか。
 もし、砂の里に緑がたくさんあったら、あそこはもっと生きやすい場所になっていたんだろうか…。なんて、考えても仕方のないことだし。もう、考えたってどうしようもないことだけど。
 緑の色と川のせせらぎに心を預けながら、テーブルの上に置いてきた封筒を思い出す。中に入っていた紙片も。

『余命宣告』

 たった四文字の容赦ない言葉がわたしの心臓を深く抉り、左胸を中心にして身体がドロドロとした何かに満たされ腐っていく。
 こんなときに、わたしはまた彼のことを考えていた。
 ああ、サソリはまた喪ってしまうんだ。つかの間そう思って、そんな馬鹿な、と自分を嗤う。
 そうだ、そんな馬鹿な。思い上がりも甚だしい。彼は相変わらず傀儡のことしか頭にないし、わたしと彼は相変わらず肩書きだけの幼馴染、一人と一人のままだ。わたしがいなくなったところで彼が何かを失くすことにはならない。
 ……そのことにほんの少しだけ安堵した自分がいた。そして、安堵以上に、その現実に涙を流すわたしがいた。嗤いながら泣くわたしがいた。