「サソリや」
「…んだよ。人の部屋入るときくらいノックしろクソババア」
 舌打ちしてぼそっと返しつつ、今日手に入った新しい製法の傀儡の部品を眺める。最初は俯瞰して眺め、次は手袋をした手で慎重に部品をつまんで上下左右裏表全部を把握する。「ばあちゃんの話を聞かんか」「聞いてるっつーの」ちっと舌打ちして仕方なく顔を向けてやると、ババアが部屋の戸口で仁王立ちしていた。ふんぞり返って偉そうではあるが、その表情はといえば、どことなく湿っぽい。
 こういう顔のババアは話を聞くまで重石みたいにその場を動かないと経験から知っている俺は、これみよがしに溜息を吐いてから新しい部品を専用の箱に片付けた。「で、なんだよ」俺は新しい傀儡の開発で忙しいんだという空気を滲ませてみたが、ババアはそんな空気はさらっと無視しやがる。
「ちょいとの様子を見てきとくれ」
 、と言われて、一瞬眉根を寄せた。それからすぐ思い出す。家が隣ってだけの幼馴染は俺と同じ傀儡部隊の所属だ。…そういや最近アイツの家は暗いままだったな。夜も灯りが灯っていないのは部屋の窓からでも見えた。
 めんどくせぇってのが顔に出たらしくババアがかっと目を開いてチョップを仕掛けてきたのでひらりとかわしてやる。
 ババアは無駄に長生きしているわけじゃねぇから、俺を向かわせるための情報を仕入れていた。
「三日前、あの子が市場で水と食料を買ったって証言がある」
「そんなもん、ただの買い物だろ」
「そのまま今日まであの子を見たって人間がいなくてもかい」
「……テメェで行けよ。すぐ隣だろうが。萎えた足でも行けるだろ」
「年寄りをこき使おうとはいい度胸だね」
 きらり、とババアの目が光ったので俺はさっさと両手を挙げて降参した。戦って勝つのは俺だと目に見えてはいるが、部屋を荒らしてもらっちゃ困る。ここには仕入れたばかりの部品もある。めんどくせぇが、ババアの言うとおり隣の家の様子を見に行ってやろう。
 まずババアを部屋から追い出し、扉に物理的な鍵をかけた。気休めにしかならないがババアが本気で部屋に押し入ろうとしない限りこれで問題ない。即ち、俺がの様子を見に行けさえすれば事はすむ。
 俺は仕方なく家を出て、すぐ隣の家の玄関扉の前に立ち、なんの変哲もない木製の扉を叩いた。今日は風も弱く砂も飛んでいないからガキが外ではしゃいでいる声がここまで聞こえてくるもんだが、この家には真逆とも言える空気が沈殿していた。中に人がいないってことは空気と気配で読める。
 どうせ鍵がかかっているだろうと捻ったドアノブが回り、開いた。…忍者の片隅にも置けない不用心さだな。今度あったら皮肉を込めて何か言ってやろうか。
 誰もいないだろうが「入るぞ」と断ってから扉を開け切る。
 隣の家、幼馴染と言われるアイツと友好や付き合いと呼べるものがあったのは両親が死ぬまでだった。そこから俺は傀儡の道に没頭し、アイツはそんな俺に近づきすぎず、かといって遠のくということもなく、一定の距離のようなものを保ってずっとここにいた。
 かわいてるな、と思う唇を舌で舐める。
?」
 随分と久しぶりに、声に出して、アイツのことを呼んだ。
 なぁに? と小首を傾げて砂色の髪を揺らし、丸い目でこっちを見上げるアイツはもういない。今のアイツは、唇をきゅっと結び、どこか俯きがちな視線でこっちを窺う、そんな顔をしているだけだ。その表情は俺を責めているようでもあり哀しんでいるようでもあり憐れんでいるようでもある。
 ふっと一つ息を吐いて、とりあえず部屋を見て回るかと簡素なリビングを横切ろうとして足を止めた。テーブルの上に封筒と用紙が、置いてあるというより、放ってある。
 封筒を取り上げると、どうやら病院から届いたものらしいと分かった。つまんだ紙片には『診断書』となっている。
 部隊ごとにあった健康診断でそういや上司に呼ばれていたような気もする。何か項目が引っかかったのかもしれない。それこそ、忍者は身体が資本で基本なんだから、なってないって話だ。家に鍵をかけてないことといい、今度会ったら皮肉を込めて、
「……なに?」
 何気なく文章に目を通して、それまで考えていたことが頭から吹き飛んだ。強い風で目の前のすべてが吹き飛ばされた、そんな気がした。
 診断書という紙切れには、『余命宣告』という四文字の漢字が並んでいた。
(遺伝性の病気。入院しての投薬治療…ただし、効果は保証のできない新薬…一日の費用は……)
 つらつらと、淡々と、報告書の文面のように冷静な言葉が並んでいるその紙切れを、なんとか読み終え、ぐしゃっと握り潰した。
 そこに並んでいた言葉が事実で現実だと呑み込むのに少し時間がかかった。
 遺伝性の病。
 確かに、アイツの両親は俺の両親より少しあとに死んだと聞いている。葬式にも行かなかったから曖昧な記憶だが、病気、だった気もする。
『余命宣告 三ヶ月』
 それも確かな数字じゃないと文面の中の鉄面皮の医師は語る。現状明確な治療法のない病だから正直予測がつかないんだそうだ。
 封筒の消印を見ると、ちょうど三日前だった。アイツがいなくなった日だ。恐らくこれに目を通し、アイツはどこかへ消えたんだ。俺のところにも来ないで、一人で、どこかに。
 足早に全部屋の扉を開け放ち、家の中にの姿がないことを確認してから飛ぶように自室に戻った。

 子供のように泣き喚くことはしない。
 なぜなら、アイツは忍者だからだ。感情を殺すことには慣れている。
 子供のように理不尽を叫ぶこともしない。
 なぜなら、アイツは忍者だからだ。この世には理不尽が溢れ、いずれ我が身を喰うだろうことを知っている。
 もう子供じゃない。この世界が子供じゃいられないようにした。だからといってまだ大人にもなれないアイツと俺は、子供と大人の間で宙吊りになって、子供に戻れないのなら、大人になるしかないと、もがいていた。
 お互いにもがいていることだけを知っていた。その中身まで知らなくとも、同じようにもがいている人間がいればそれは支えと安堵になりえた。

 ババアが呑気に茶をすすってる畳の部屋に封筒と紙片を投げ入れ、「それが理由だ」と吐き捨てて家を飛び出す。ババアが何か叫んでる気がしたが気にも留めずに家の屋根から屋根へ、一番高い見張り台の建物の屋上まで行き、見渡す限り砂しかない景色を睨みつける。
 どこへ行く? アイツなら、あれを読んで、どこへ行く。泣くこともせず、怒ることもせず、俺の家に来ることもなく、どこへ行く。
 交友関係がないわけじゃないのは知ってるが、そう親しい人間がいないというのも知っている。
 がり、と親指の爪を噛んだ。口寄せで試作品の飛ぶタイプの傀儡人形を呼び出す。この高さから滑空で使うくらいなら耐えられるだろう。
(どこにいる?)
 情報もなく砂漠に飛び出すことは自殺行為だと重々承知していたが、傀儡をチャクラ糸で操り、俺は飛んでいた。
『サソリは将来何になるの?』
『あ? …なんだよそれ』
『忍者になるの?』
『自営業の子供でもなきゃ、忍者くらいしか食ってける職ないだろ』
『そっかぁ。そうだよね。じゃあ、わたしも忍者だね』
『お前はやめとけ。すぐ死ぬぞ』
『そんなことないもん』
『ある。人殺したりするんだぞ。やりたくないだろ』
『…うん。あんまり、やりたくない』
『だろ。なんかほかのことにしろ』
『ほかのことって?』
『あー…やりたいこと、とか』
『やりたいことぉ? うーん…………あっ。あるよ、やりたいこと』
『じゃあそれにしとけ』
『うーん、無理だよ。だって、ここには、緑がないもん』
『あ?』
『お花屋さんがやりたいなーって思ったんだよ』
『花屋ねぇ…砂漠でやってくのは確かに難しそうだな』
『だよねぇ。あーあ、それならやりたいなって思ったけど、上手くいかないねぇ。木の葉とかならあっさりできたのにねぇ。わたし、砂の里に生まれて一番残念なのは、ここには緑がないことなんだよ』
 憶えている限りの記憶を振り返って思い出した、可能性のありそうな会話。
 子供らしく、子供の笑顔を浮かべたアイツに、すまし顔の子供はそうだなと曖昧な相槌を打って会話を終わらせた。
 緑。この辺りで緑のある場所。里から一番近い、緑のある場所は。
 地図を広げてみるが、この辺りから緑がある、なんて書き込んであるわけもなく、どこからが里の境界線でどこからが警戒線でどこからが防衛線で、といった実戦向けの書き込みしかなかった。舌打ちして地図をポケットに押し込む。勘で行くしかないってことか。
「上等だ」
 砂でざらつく唇を舐めて親指を噛み切り、もう一体、さらに一体、そしてもう一体、計四体の傀儡を呼び出して東西南北に分かれて飛ばした。俺のチャクラが尽きれば傀儡は巻物に戻って情報は俺に届く。最も、そうなればチャクラが回復するまで俺は徒歩で移動するしかないってことになるわけだが。
 歩き慣れた砂漠とはいえ、危険は付き纏う。なるべく早くを発見して引きずってでも連れて帰るしかない。
 そのとき、俺はなんて言葉をかけてやる気でいるんだろうか。
 もう子供にも戻れず、大人にもなりきれず、人を殺すことを憶えてしまった、理不尽な世界を目の当たりにした、俺達は。