口の中が砂でじゃりじゃりする不快感で目を覚まし、唾を吐き出そうとして、その唾さえないほど口の中がからからなことに気付いた。億劫ながらずるずると手を引きずってその辺りに放っておいた鞄を探し当て、引っぱり寄せ、そこでようやく目を開ける。
 これで何日目だったか忘れ始めている。
 最初の場所から少し移動して、もうちょっと緑があって、わたしが座っても大丈夫そうな草の上に陣取って、まだ若い木の幹に背中を預けたりしながらただ時間を浪費していくだけの日々。
 最後に里で買ってきた水は尽きてしまったので、砂の混じっている川の水を飲んでいるせいか、口の中の砂はいつまでもじゃりじゃりと残っている感じがする。
 がり、がり、と砂を噛みながら、もう空っぽになってしまった麻の袋を引きずって手元に持ってくる。
 このまま動かなければ、餓死か、衰弱死か、はたまた日射病や熱射病による死か…どちらにしても明るい未来は待っていないだろう。まぁ、生きたとしても明るい未来がないわたしにはお似合いの結末かもしれないけど。
 はぁ、と浅く息を吐き出し、薄目を開けたまま視線を持ち上げていく。
 この気温。乾いた砂と、風の速度。陽射しと、雲の感じ。
 たぶん、そのうち砂嵐が起きる。それを耐えるのにわたしはさらに体力を消耗するだろうから…わたしが、死ぬまでには、あと、どのくらいかな。
 目を閉じて、川の水音と、草のさわさわとした心地のいい音に身を任せる。
 このまま穏やかに死ねるなら、それはきっといい死だ。入院して、新薬を試され続けて、副作用に苦しみながら死ぬよりも、ずっといいだろう。
 この病気は遺伝性。なら、そう滅多には発病しないはずだ。今後のことを考えればわたしはこの病気について多くのデータを残すことに貢献すべきなんだろうけど、最後まで苦しみたくはないから、…ごめんね。
 木の幹によりかかろうと思ったけど、億劫だったので、草の上に転がったままでいることにした。
 砂漠の空には鳥の姿も稀だ。砂でどことなく濁って黄色がかっている空は、きれいだとは思えなかった。
 思考だけが最後まで自由なことはわかっていた。
 とはいえ、わたしが考えることはといえば、相変わらず彼のことだ。
 サソリはこの先どうする気だろう。もうすぐ死ぬわたしは未来を思ったってどうしようもないからいいけど、サソリは違う。まだまだ先があるし、傀儡部隊の中で一番優秀の若手だ。オリジナルの傀儡をいくつも作ってきたし、その性能のよさはプロ顔負けだと風伝いに聞いたことがある。
 それなら、現役の部隊を退いたら、傀儡職人になるのかな。サソリにはそういうのが似合うかもしれない。たくさんの人と連携を組んだり足並みを合わせる仕事より、こつこつ自分だけでやっていける仕事が。そういう寂しい背中が似合うっていうのも少し残念な話だけど。
 きっと、サソリなら、傀儡造りの天才なんて呼ばれる人になれるだろう。
 職人肌で、人を寄せ付けないで、造りたいものを造って…。そんなサソリがすごく想像できる。きっと美形で堅物なお兄さんとして里で密かに女の子の人気を集めるに違いない。

「おい」

 ラブレターとかもらっても、中身も見ないで捨てちゃうんだろうな…。サソリは基本的に人に興味がないからな。
 傀儡部隊って戦い方が卑怯だとかって陰口を言われることが多いけど、イケメンが入隊したってなったら陰口が少なくなったもの。イケメンで実力もあるサソリのことを認めるなら、それは傀儡で戦う彼を、ひいては彼の所属する傀儡部隊を認めるってこと。サソリに自覚はないだろうし、どうでもいいんだろうけど、おかげで部隊は少しやりやすくなったってこの間先輩が、

「死んでねェなら起きろ馬鹿

 この間、先輩が、言ってた…?
 バチャッ、と顔に冷たい何かをかけられて意識が醒めた。なんとか薄目を開けるとサソリの顔があった。珍しく慌てたような、表情のある顔をしてる。
 やぁ、サソリ、なんて気軽に挨拶しようとしたけど砂でじゃりじゃりした口は満足に動かなかった。
 太陽。目を閉じる前に見た位置とまた違う。西じゃなく、東側にあるってことは…一日近くたったってことか。
 わたしに意識があると見て、サソリの慌てた顔はなくなった。いつもみたいな仏頂面にちょっと顰め面を混ぜたような顔で懐から医療キットを取り出し、注射型の栄養剤を迷いもなく注入する。「水飲め」「…、」突きつけられたパックを持とうと思ったけど手が動かなかった。ちっと舌打ちした彼がキャップを口で捻って開けてぷっと蓋を吹き出して捨てて、面倒だって顔をしながら飲み口をわたしの口に押しつける。
 普段傀儡を扱うせいか、細かいことにも目がいく彼は、わたしに上手に水を飲ませた。こっちも水というより栄養ゼリーみたいな感じのやつだったから、ああ、そうか、とわたしは納得する。
 サソリはわたしを捜しにきたのだ。部屋に放置してきたあの診断書と余命宣告の中身を知ってしまったのだ。
(ねぇ、だかららしくない顔してるんだよね。ねぇ、サソリ)
 サソリは黙ってわたしを外套でくるみ、口寄せで傀儡を呼んだ。わたしを見つけて、このままとんぼ返りする気なのだ。せっかちだなぁ。って、それは別にいいんだけど。問題は。
「さそり」
「あ?」
「ちゃくら…」
「あんま残ってねェよ、誰かさんのせいでな。砂嵐が来る。恐らく長引くタイプだ。すぐに帰還しないとお前がもたない」
「………」
 もう一体傀儡を呼ぼうとして舌打ちした彼は、自分は走って、傀儡二体でわたしを運ぶという方法で砂漠を横断し始めた。体力タイプじゃないくせに、無茶をする。
 里からここまでどのくらいかかったのかわたしは憶えていないし、捜しながら辿り着いたのなら、彼だって正確なところは把握していないはず。その間に砂嵐が来ないなんて言えるだろうか? 砂の民は長年の経験と勘で予測方法の確立していない砂嵐を予想するけど、外れることもあるし、早まることもあるし、まちまちだ。もしこの移動が砂嵐のまっただ中に突っ込むものになってしまったら、おしまいだ。
「さそり」
 さそり、と何度か呼びかけると、前を行く彼が足を止めた。面倒くさそうな顔をしつつも戻ってくる。「なんだよ急いでる」「もし、あらしが、きたら」「…きたら?」「わたしを、おいていって。さそり、だけなら、きっと、かえれる」わたしを運ぶために使っているチャクラを自分に回せば、サソリだけなら、砂嵐の中を帰還することもできるはず。
 サソリはものすごく顔を顰めた。それはもう、怒ってる、って言っていいくらい顔を顰めた。
「死なせねェ」
 ぼそっとした一言は短く、顰めた声だったけど、熱を感じた。今まで感じたことのなかった温度を。
 彼はそれきりまた砂漠の中を駆け抜け始めたので、わたしは黙って傀儡に揺られた。
 もしこれが死に際に見た最期の夢だっていうなら…しあわせなもの、かなぁ。
 間一髪、かなり大きな砂嵐から逃げるように里に帰還したサソリは、わたしを連れて病院ではなく家に直行した。チヨバアのいるサソリの家だ。
 おばーちゃんはかなり慌てていたけど、逆にサソリはそれで冷静になったようで、部屋の用意やら着替えの用意やら、おばーちゃんにも容赦なくやることを書いたメモを投げつけていた。
 わたしの家にはわたししかいないから、こういう賑やかなのは、久しぶりだ。
 サソリは砂嵐の中外に飛び出していくおばーちゃんに溜息を吐くと、改めてわたしの状態をチェックし始めた。「…さそり?」ベッドというやわらかい場所に寝かされたことで、幾分か身体が楽になる。「なんだよ」ぺた、と額に触れる手はあたたかい。
「わたし、しんじゃうのよ。びょうきで」
「知ってる」
「…しんじゃうんだよ」
「さっき言った。死なせねェ。絶対にだ」
「……どうやって? さそりが、あたまよくっても、いまからおいしゃさんには、なれないよ」
 わたしが笑うと、サソリは逆に顔を顰めた。やがて彼はこう声をしぼり出す。「…そんな上等なもんじゃない。死なさず、恐らく、生きもしない」なんのことか、と瞬くわたしを赤銅色の瞳がじっと見下ろしている。
「そういや、最近まともに祝ったこともなかったな。誕生日」
 そう言われて、なんだかじんわりきた。サソリが誕生日に頓着する人間だとは思わなかった。もう過ぎちゃったけど、最近だったことは確かだ。
「……まともに、はなしだって、してなかったよ」
「そうだな。そうだった」
 額を指がなぞる。ゆっくりと何度も行き来して、そっとこめかみを撫でて、顎のラインをなぞっていく。確かめるように、何度も。
「さそり…?」
 彼は、とても哀しそうな目を伏せて、こう言った。
「考えてたことがある。その第一号をお前にしてやる」
「…なぁに、それ」
「人傀儡」
 ぼそっとした声に、一つ瞬きをした。
 人。傀儡。「ひとの、かたちをした、くぐつ?」確かめるわたしに彼は緩く頭を振る。
「人間を傀儡に作り変えたヤツのことだ」
「…そんな、こと。できるの? きいたことない」
「当たり前だ。俺が発案して頭の中にしまってあるもんだ。ただの人形じゃない。ちゃんと自分の意識があって、傀儡の身体で動く…そういうもんになら、してやれるかもしれない」
「かも?」
「言ったろ。お前が第一号になる。絶対に成功するという保証はない」
 ふーん、とこぼすわたしを赤銅色の瞳が見ている。どうする、と訊いている。
 どうするって言われたって、わたしに選択権なんてないじゃないか。
 生きる、死ぬは、この際どうでもいいよ。選んでも選ばなくても待っているのは死。
 なら、自分で選ぼう。死に方くらいは、自分で。
 それに、それがサソリの誕生日プレゼントだって言うなら、彼らしくって、いいじゃないか。
 もしもわたしの傀儡化に成功したら、もっとたくさん、色々ねだってやろう。ここ改良してとか、こういう改造してとか。それはそれでなんだか面白そうだ。自分の作品の要望に顔を顰めつつも応じる姿が目に浮かぶよう。
「わたし、サソリのそばにいたい」
 吐息と一緒に言葉を吐き出すと、そうか、とぼやいた彼は、ゆっくりと、わたしの視界に掌で蓋をした。
傀儡の花嫁