美術部に入部したきっかけは、私に芸術的センスというものが極端に欠けていて、美術の教科が成績の中で一番足を引っぱっていた。だから少しでも美術の成績を上げるためという、ただそれだけの簡単な理由で入部を決意した。
 高校生にもなって美術部に入部するとは。そんなことを思いながら時期外れな入部者の私を出迎えたのは、なぜか三年生。この時期にもなってなぜだか。
「おーよく来た入部生! 歓迎するぞ、うん」
「…はぁ」
 金髪で、何というかものすごく目立つ。でも制服についてるバッジはどう見ても三年生のもの。普通この時期になったら三年生は部活引退だ。
 がっしと私の手を握ってぶんぶん上下に振ったその人が「オイラはデイダラってんだ! 入部生、名前は?」「あ、私はと言いま」「かぁいいねぇどことなく芸術的な響き! おーい旦那ぁ」私の言葉なんて無視か。ポジティブシンキングなそのデイダラ先輩に引きずられて行きながら、部室に他に人がいないことに気付いた。時期は確かにもう十一月も終わりに入った。三年生はとっくに引退してるだろうし、でも一年生や二年生だっているはずなのに。
「うるせぇぞデイダラ」
「あー、先輩にその口の利き方は感心しないぞ。うん。で、入部生」
 それで聞き憶えのある声にん? ってなって。ぐいと腕を引っぱられて背中を押されてその旦那とか呼ばれた人の前に押しやれて。

「あ」
「…お前」

 それで。やっぱりというか、声からの想像通り、大きなキャンバスの前に座って筆を取ってこっちを振り返ったのは、クラスメイトで私の前の席の赤砂サソリくん。だった。
「…なーんか奇跡的だね。変な奇跡だけど」
「それは嫌味か」
「嫌味っていうか。前の席でも見てる背中をまた見ることになるとはなーと」
 帰り道。じゃーなーとぶんぶん手を振って私達二人を送り出したデイダラ先輩のせいというかおかげというか、そんなわけで私とサソリくんは並んで帰ることになった。
 プリントを回したりするときにしか見ることのなかったその顔を横目で観察できる位置にいることが今も不思議でしょうがないのは、言うまでもない。それにしてもサソリくんは整った顔立ちをしてるな。これで愛想よく振る舞ってたらジャニーズとかいけるのになとかちらりと思って。だけどサソリくんが誰にでも笑顔を振り撒く様子なんて想像できなかったからそこで考えるのはやめた。
 彼が美術部に入っていただなんてこと、もちろん知らなかった。サソリくんと言えばクールでかっこいいってことで学年問わず女子の人気の的なうちの一人。それでそんな人が前にいるだけでも女子から質問とかうるさく訊かれて参ってたのに。これだとまた質問攻めになりそうだ。サソリくんはどんなもの描くのーとかどんなものどういう目で見てるーのとか色々ほんとに。そんなもの自分で訊いて自分で見てって言いたい。
 そういえば私も気付くべきだったのか。美術室を通り越して倉庫みたいな部屋の方に行った時点で、そこが美術部の中でも集中してやりたい人だけが行く専用の部屋なんだと。っていうかむしろサソリくんとデイダラ先輩しかいない部屋なんだと。
「サソリくんさぁ」
「何だ」
「女子に人気の的でしょ? だからあれか、デイダラ先輩にかくまってもらって絵描いてるの?」
 ふんと息を吐いた彼が「そういうのはうぜぇからな。あいつは利用してる」しゃあしゃあとそんなことを言うのがサソリくんらしいなぁと思いながら、私は胸中複雑だ。これはサソリくんがどーのこーのと女子に訊かれるの確実。でもなるべく黙っとくけど。バレるまで黙っとくけど。
「お前」
「はい?」
「女子のパイプ役になってんだろ。知ってるぜ」
「うわー知ってるの。だったら追い出してくれればよかったのに。サソリくんのおかげでまた明日も質問攻めだと思うと…」
 だからちらりと視線を後ろにやる。ちょっと離れたところを女子三人組みが歩いてる。視線はサソリくんにストレートに物を言ってるものの、当の彼自身は気にしていないらしい。ポケットに手を突っ込んだ彼が「前見ろ」と言うから「はーい」と返事して前を見て。
(ん? 今この人私の名前呼んだ?)
 だからふと振り返ってうん呼んだと思って。「あのーサソリくん」「何だ」「女子にうるさく言われちゃうからさ、私のことは苗字で」「…断る」あれ断られた。だからぱちと瞬く。サソリくんは前を向いたまま「一度描いてみたいと思ってた」と言うから。あれ話が飛んでませんかサソリくんと思いながら私は首を傾げる。

「描くって何を?」
「お前の背中」
「……はい?」
「お前は俺の背中ばっか見てんだろ。そういうお前を描いてみたいと思ってた」
「………ごめん、芸術的センスってやつ? 私さっぱりなんだけど」
「なら何で美術部なんて今更入ったんだよ」
「いや、美術だけ極端に私の成績表で足引っぱってるから、入部して勉強したら少しでもこうよくなるかなー、って」
「…はぁ」

 なぜか溜息を吐かれた。むぅと眉根を寄せる。
 かつんと転がっていた小石を蹴った。
 隣を歩く彼が思い出したようブレザーのポケットに手を突っ込む。それで取り出したのは何か紙切れ。券のような。
「やる」
「え?」
 それで手にそれを押しつけられた。瞬きしながら受け取ったものに視線を落とせば『日本美術の走者 モンザエモンの軌跡を描く』とか書いてある券が一枚。開催は今月いっぱいのようだ。
「…えーと」
 だから困惑する。場所は電車で行かないといけない都心。それに私芸術センターなんて知らない。聞いたことくらいはあるけど行ったことは全然ない。
 私の隣を歩く彼が「今週末空いてるか」とぼやくように訊くからぱちと瞬きした。「はい?」とすっとんきょうな声を返してしまったのはそれがどういう意味か分からなかったからだ。首を傾げて赤毛の彼を見つめる。彼は相変わらず前を向いたままだった。
「デイダラが都合悪くなって行けなくなったとかほざきやがった。勉強ついでに付き合え」
「はぁ…これあればタダなの?」
「ああ」
 だからひらと券を振る。ふーんと思いながらとりあえず肩掛け鞄を開けてファイルの中にその券をしまった。今週末、来週のテストのために勉強詰め込む予定だったんだけど。でもまぁ今週もずっとそんな日ばっかりだし、たまには息抜きと思って行けば。
(…ん?)
 本日何度目かになる疑問符が浮かんで。私はサソリくんを見た。彼はやっぱり前を向いたまま。
「あのーサソリくん」
「何だ」
「これ、私とサソリくんの二人…?」
「…何か文句あるのか」
「いえ全然」
 それってつまりデートなんでしょうか。私はそんなことを思いつつ、途中でサソリくんと別れた。別れ際にまた手に何か押しつけられた。だから正しくはくしゃっとした紙くずを握らされて別れた。
 私の前の席の人で、女子がうるさいからと観察しているだけの人だったけど。やっぱりよく分からない。そう思いながら遠ざかるその背中を見送って、それから押しつけられたくしゃっとした紙くずをかさかさと広げる。
 彼のことだから安易な予測は不可能。そう思ってそれを広げたのに、中身はただ安易な一言と。これは。

「…うーん」

 だから私は陽の暮れ始めた空を見上げる。手にしている紙切れは、とりあえずポケットにしまった。

俺はお前が
好き」だ
(そんなこと言われるなんて、露ほども思ってなかった)