まず一つ、先輩であるオイラから言わせてもらうなら、旦那は変わり者だ。芸術を探求する奴はたいていそんなふうにくくられるのはまぁしょうがないとしても、その芸術を探求するオイラから言わせてみても旦那は変わり者だ。
「はぁ…よく飽きないねぇ旦那。オイラ感心するぜ」
「あぁ? 意味分かんねぇよ」
 相変わらず先輩に対してその口の利き方。何度も注意してんのに全然直さないなぁ旦那は。まぁ人にどうこう言われてそうするような奴じゃないってことはオイラも分かっちゃいるけど、敬語くらいは使おうぜオイラ先輩なんだし。
 じゃなくて。
ちゃん嫌つってんだろ? 旦那も聞き分け悪いなぁうん」
「うるせぇ」
 不機嫌極まりない声でそう返された。ああほんと、旦那もしょうがない奴だなぁ。息を吐きながらキャンバスに向かってるばかりだったその姿を斜めの視界に収める。
 ここは中庭、今は昼食の時間。つまりは自由時間だ。どこで何をしようが予鈴が鳴るまでは自由。だから向こうのテーブルでちゃんが友達と食事してる。たまにちょっと鬱陶しそうな視線をオイラっていうか旦那に向けながら。
 相変わらず旦那は人気者で、一緒にいるオイラより通りがかる女子の視線が旦那に行くのなんのって。クールってそんなに女子に受けがいいのかオイラとは正反対じゃんとか思いながらぱくとコンビニ弁当の卵焼きを口に入れた。あー寒い。何が悲しくてこんな寒い場所で食事しないとならないんだか。

 今の問題は、こないだ告ったっていう女子の話。芸術的センスが欠けてるからそれを補おうと美術部に入ったっていうその女子が旦那はえらく気に入ってるらしい。惚れたのか堕ちたのか旦那にしちゃあまぁだからすごく珍しいわけだ、オイラに言わせてみれば。どんだけ嫌な顔されようと懲りずにちゃんが視界に入る位置のベンチに座り込んだ旦那に引きずられてオイラまで付き合わされてると。

「あのさぁ旦那、食事くらいフツーに女子同士でいいんじゃないの? とオイラは思うんだけど」
「俺が気に入らねぇ」
「…はぁ」
 さっきからそんな会話の繰り返し。旦那が自分を譲らない頑固な奴だとオイラも知ってはいたけど、好きな子に対して譲歩の一つや二つ。っていうか食事くらい制限しなくたって。
(まぁなー、気になってるなら告ってみればいいじゃん旦那に告られたらきっとその子も一発オーケーだぜとか安易に言っちゃったオイラが悪いっちゃ悪いんだけど…あー)
 無意味に空を仰いだ。寒い。冬休み明けの学校の校庭なんて寒いったらない。にも関わらず旦那はちゃんを追いかけてあっちへこっちへ。昼休みなんかの長い時間はオイラがそれに付き合わされる始末。
(まぁ言いだしっぺではある。それは認めよううん。しかしだ、オイラがここまで旦那に付き合う必要が果たしてあるのか? っていうかそれ以前に食事くらい自由でいいじゃん)
 だらりと白いプラスチックテーブルにもたれかかりながら買っておいたコンビニ弁当を食べるオイラ。隣には不機嫌そうな顔で栄養ドリンクっぽいのをすすってる旦那。何が悲しくて昼休み後輩と二人で昼食なんだオイラ。女子ならまだしも旦那はフツーに男で彼女持ちです。
(ん? 彼女って定義でいいのか?)
 それで旦那が告ったのは知ってて肝心の答えを聞いてないのを思い出した。二人で下校のシチュエーション作りには協力したけどそれで結局どうなったんだ? 避けられてるってことはまさか、旦那に限ってふられたとか?
「あのー旦那。オイラ一個質問したいんだけど」
「何だよ」
「告った返事はなんだったのさ?」
「……………」
 不機嫌オーラがぶわっと増した気がしてぞぞと背筋が寒くなる。「いやうんやっぱそれはプライバシーの問題だよな個人保護法旦那が嫌なら別にオイラは聞かないぜっ」早口で言い訳をまくし立ててそそくさと弁当を口にかきこみながらちらりとその横顔を窺う。あー見る限りに不機嫌オーラ全開。まさか本当に旦那に限ってふられた、とか? どうなんかな。どうなんだろう。オイラとしては想像つかない。
 そのうち予鈴のチャイムが鳴った。助かったと思いながらちくちく痛い沈黙を破って「よーしオイラ帰るかんな! 午後は待ちに待った美術の授業なんだようん」とごちてがさりとビニール袋を取り上げる。旦那はと言えば隣で足を組んで不機嫌そうにちゃんの方を一点一心に見つめてる始末。っていうかもう不動? 旦那少しは違うことしようぜ。
「…旦那ぁ、オイラ帰るよ?」
「勝手にしろ」
「先輩に敬語くらい使おうぜ旦那ー」
 ひらと手を振って「んじゃ頑張れな、ほどほどに」と残してちらとちゃんの方を見やった。友達なんだろう女子と一緒に校舎の方に向かいながらやっぱりちらっと迷惑そうな視線を旦那に向けてる。
 確か二人はクラスが一緒だったはずだ。っていうか確か旦那の後ろがちゃんだったはず。
(…うーん、ここはオイラが間に入るべきなのか? それってなんかオイラ全般的に損じゃね?)
 納得いかない。だけど不機嫌オーラ全開の旦那に毎回付き合わされるのはオイラだしなぁ。
 うーんと一人で考えながらぱこんと下駄箱から上履きを放って息を吐いた。
 しょうがない。今度は旦那ではなくさりげなくちゃんに接触してみよう。今日も部活があるし美術が足引っぱってるっていうちゃんは勉強しには来るはずだし。しょうがない。
「オイラってばなんていい先輩なんだ」
 一人ごちてみたところで空しくなるだけだった。あーオイラも彼女とかほしい。
 それで放課後、旦那より早くちゃんが部室に顔を出した。よっし予定通りとオイラは心の中で一人ガッツポーズ。
「おーちゃん。なんか疲れた顔してるなうん」
「先輩…ちょっと聞いてくれます?」
 ぴしゃんと扉を閉めて外に誰もいないことを確かめてからちゃんが深い溜息を吐いて「サソリくんがしつこいんです」と漏らす。想像通りというかそうだろうなとオイラも思ってたしそれには驚かない。がたんと引っぱってきた椅子に腰かけながら「なんかあったのか? 旦那いっつも不機嫌でさー、オイラも結構迷惑こうむってんだよなうん。できるなら仲介役になるけど」と言えばちゃんがオイラを見てからまた扉の方を振り返った。どうやら旦那が来やしないかと気にしてるらしい。
「旦那なら今日顧問に呼び出しされてっから大丈夫だぜ」
「え、呼び出し?」
「そう。大学の話じゃねーのかなぁうん。オイラもそんな感じだったし」
 足をぶらつかせながら「だーからオイラこの時期も部活に顔出してんだ。暇だからさ」と笑ったらちゃんには呆れた顔をされた。「大学の勉強しないんですか?」と問われてひらひら手を振って「芸術はセンスだぜ、勉強でいけるところには限界があるんだよちゃん」と返す。そうすると美術が足を引っぱってるというちゃんは難しい顔で黙り込むもんだからしまったと思って「あ、いや美術の歴史とかそういうのはもちろん勉強しないと駄目なんだうん」と言う。
(っていうかオイラからぶってないか? 難しいな女の子相手って)
 旦那が大学の話で呼び出しを受けてるのは本当。だからその間にこう二人の仲を取り持つことをしてみようと思ったもののどこか上手くいかない。
 ちゃんがじっと床を睨みつけてる。この沈黙も結構痛い。旦那のは不機嫌オーラ全開でぐさぐさ痛かったけどちゃんのはちくちく痛い。なんだよ二人とも似た者同士じゃないかそういうとこは。
「で、旦那のどこが問題?」
「しつこいんですよ色々。今日も先輩引っぱって向かい側にいたでしょうサソリくん」
「いたなぁうん。オイラ付き合わされたしな」
「それはすみません。でもサソリくんが言うことなんだと思います?」
「うん? 旦那なんだって?」
「お前を視界に入れてないと落ち着かない、ですって。授業中だけが私の安らかな時間ですよ…学校にいるともうサソリくんの視線が痛いっていうかしつこいっていうか」
 はぁと溜息を吐いたちゃんが「まさかこんなことになるなんて…そもそも私オーケーした憶えもないんですけど」と漏らす。だからぱちと瞬いて「何、ちゃんってば旦那のこと嫌いか?」「…別に嫌いじゃありませんけど」ちゃんが拗ねた顔で「ああいう整った人って苦手なんですよ。一人で完成しちゃってる完璧人間っていうか、隙がないっていうか、欠けてないっていうか。成績も私より全部上だし」ぼそぼそと一人で続けてるちゃんにオイラは首を傾げた。嫌いではないけど好きでもないと? それって実に微妙なところだな、うん。
(お前を視界に入れてないと落ち着かないってどんな告白だ。旦那ってこうだと思ったら結構一直線だもんな…)
 絶対真顔で真面目にそう言ったんだろうなぁ旦那と思いながら一つ溜息。
 どうやら簡単に解決する問題でもなさそうだ。そもそも苦手意識持ってるんなら好きより嫌いに近いってことになるよなぁ旦那。なんか哀れだな旦那。盲目なくらいちゃんばっか見てるのに。
ちゃんさー、誰か好きな人いるのか?」
「は? いえ別に…いないと思います」
「旦那と付き合いの長い先輩であるオイラから言わせてもらうんだと、旦那はすんごく本気でちゃんに惚れたんだと思うぞ。理由まではオイラも知らないけどさ、そういうのって直感とかあるじゃんうん。運命ってやつ」
「…はぁ」
「芸術を求めてるとそういうのに出遭うんだよ。これだ! ってヤツにね。それで旦那がキャンバスに描く世界以外でこれだって思える誰かを見つけて、それがちゃんなんだろうなーとオイラは思うわけだようん」
「……そうですかね」
「あれ、ちゃん運命って信じてない派?」
「さぁ。あんまり考えてなかったですし、そんなこと」
「運命はあるぞ。芸術ってのはそういうもんだ。運命と巡り合ってそれをいかに表現するかがオイラの芸術。だからもしもオイラの描く芸術がこの世界にすでに存在してるとしたら、きっと無性に焦がれて惹かれるんだろうなぁとオイラは思ったりするんだよ。そんでもってそういうものを見つけられたんなら旦那は幸せもんだなぁとね」
「……先輩って芸術って言葉好きですね。芸術ってそんなに大事ですか?」
「生きがいだよちゃん。譲れない想いってやつ。ちゃんにだって一つや二つあるっしょ?」
「…私は」
 そのときがらと扉が開いた。不機嫌そうな顔の旦那が部室に入ってきてずかずか歩いてくるとオイラとちゃんの間に割って入った。あらぬ誤解をされないように慌てて首を振って「いやオイラ何もしてないからっ」と先に言い訳。旦那の突き刺さる視線は苦手だ。
 ちゃんが旦那の頭をぺしと叩いて「ただ話してただけだよサソリくん。それより先生なんだって?」と話題を変えてくれた。旦那はちゃんとオイラを天秤にかけたら無条件でちゃんを取るに決まってる。だから視線をちゃんにずらして「別に。大学のどこから勧誘されてるかってだけの話だった」とつまらなそうに言った。つまらなそうだけど多分だいぶやわらかい声で。
 ちゃんがさっさとキャンバスやイーゼルが立てかけてある方に歩いていきながら「先輩手伝ってくださーい」とオイラに声をかけるから「はいはい」と返してちらと旦那を見やる。部室のドア開けたときは不機嫌そのものの顔をしてたくせに、今の旦那の表情はそれなりにやわらかい。
(…オイラが入る必要ないんじゃないのか? これ)
 ちゃんがイーゼルを二つ持ってきて旦那がキャンバスを二つ持ってくる。オイラは絵の具の用意をしながらちらちらと二人を観察する。ちゃんは美術の成績を上げるためにここにいて、旦那はちゃんがここにいて美術を通してでも会話を交わせることに満足してるような顔してるし。
「今日はどうしよう?」
「基本から入るならこれだな。構図から入った方がいい」
「えーまた? 前もそれだったよ」
「基本は大事なんだよ。色の着色はその次だ」
「ぶー」
 ふてくされた顔をしたちゃんがオイラに気付いて「先輩教えてくださいよ」と手招くから「はいはい」とそっちに行って、それから旦那の突き刺さるような視線に耐えながら「よーしじゃあ今日はこのページの模写から始めてみよううん。鉛筆の線画から入ってるから分かりやすいだろうし」と先輩っぽく説明しながらそれなりにちゃんとは距離を取った。旦那の無言の重圧が痛いです。
(…っていうか、オイラいなくたって二人でいけるんじゃないか? 多分)
 並んでキャンバスに向かう二人。やってる内容は全然違う。ちゃんは美術の基本から、旦那はすでに自分の創作。だけど隣同士で並んでイーゼルに向かってるのは同じ。
(……まぁいいか。うん)
 だから引っぱってきた椅子に座り込んでぱちんと携帯を開いた。鉛筆がキャンバスを擦る音や絵の具の独特の香り。そして独特の沈黙。二人がお互い集中して自分のキャンバスに向かっている時間。

 つまるところ、二人とも不器用なんかなぁと思ったりした今日のオイラだった。

その沈黙のうつくしさよ
(っていうかやっぱり全般的に損じゃねオイラ。うん損だうん。あーオイラも彼女ほしいー)