「あの、サソリくん、これ変じゃないかな…絶対私に似合ってないよ」
 試しに半回転して背中側も一生懸命見てみた。ぬぬぬと頑張って鏡の方を振り返ってたら店員さんが別に鏡を用意してくれて「こちらからどうぞ」と言ってくれた。若干恥ずかしいと思いながらその鏡を見れば、三面の大きな鏡に映った自分の後ろ姿というのが確認できる。
 鏡に映った私は私じゃないみたいにきらきらして見えた。
(うわー絶対ドレスに着られてる。絶対着られてる…)
 照明の加減かそれともただドレスがそうだと感じさせるのか、とにかく等身大より大きい三面の鏡に映ったドレスを着た自分は自分じゃないみたいに見えた。まさしく馬子にも衣装ってやつ。
 だけどサソリくんはいつもの表情で「別に変じゃないだろ。あとはお前の好みでいい」と言うからええと一人追い詰められた。サソリくんが決めてくれるとばっかり思ってたから最後に自分で決めないといけないとなるとすごく、迷う。
 ずらりと並べられたドレスや衣装はざっとみ十点くらい。これもいいなあれもいいなと試着していったら気に入ったものがこんな数になってしまった。
「あの、サソリくん決めてよ…私どれも気に入ったのばっかりだし」
「…俺が決めるのか?」
「うん」
 サソリくんはちょっと顔を顰めてから「あとから文句言うなよ」とぼやく。だからこくこく頷いた。今日のお客さんが私達だけだからだろう、このお店の店員さんのほとんどが私の衣装合わせを手伝ってくれてよくしてくれた。その視線から逃げ出したくて必死だった私はサソリくんの言葉にこくこく頷いた。
 それで、私が気に入ったドレスがずらりと並ぶ中からサソリくんが示してみせたのは。
「ありがとうございましたー」
 店員さんの声とカランカランンというベルの音を最後にお店をあとにしたときには、もう夕方になっていた。
 お店がオープンしてから来たから、半日近く私のドレス選びにサソリくんが付き合ってくれていたということになる。そう思うとちょっと恥ずかしいような嬉しいようなこそばゆいような何とも言えない気持ちになった。
 当のサソリくん本人は「暮れたか。飯食うぞ」と歩き出した。まるでさっきまで結婚式の衣装選びなんてしてなかったかのようないつもの、いたっていつもの顔で。
 そう、なんと私は女の子の憧れである結婚式をすることになったのです。それも憧れのサソリくんと。なんて幸せものなんだろうと思わずにやけてしまいそうになる表情を引き締めてたったかサソリくんに追いつく。サソリくんはいたっていつも通りの顔。とてもじゃないけど結婚式って言葉を意識してるふうには見えなかった。
 でもそれも当然かもしれない。だってサソリくんは芸術家だ。若くして才能を買われ今や個展だって開くぐらいの芸術家。私は芸術には全然詳しくないしよく分からないけど、サソリくん曰くそんな私がいいんだそうだ。
(いけない、また顔が)
 どことなく緩んでしまう表情を引き締めるためぎゅうと拳を握った。サソリくんの前で変な顔はしちゃダメだぞ私。
「どこがいい」
「え、何が?」
「飯。食うところ」
「あ、サソリくんが行くとこならどこでも…っていうか、おなか空いてる?」
「俺は特に。お前が空いてるだろ」
「う」
 図星である。お店オープンの十時から今までずっと居座っていたのだ、お昼ご飯を食べ逃してしまった。サソリくんはあまり食事にこだわらない人なので一食や二食抜かしても気にならないらしい。
 私は暮れていく空を見上げて「えーとじゃあ、猫ちゃん」「パフェじゃねぇか」「ご飯もあるよ」頬を膨らませて抗議したら彼がふっと笑った。そうするとやっぱりかっこいいわけであって、私はまた自分の表情が緩んでしまうのを感じる。
 よく行くお店でパフェの種類が豊富なところ。でもちゃんとランチだってやってるしご飯物もある。サソリくんは最近創作意欲がというやつでキャンバスに向かっていることが多いから食事の回数が減ってるし、そういう面くらい私がカバーせねば。私の唯一の特技は料理なんだから。そこだけサソリくんにだって胸を張れるところだ。他はなんていうか、ダメなんだけど。
 成績とか。大学でも全然ダメで。サソリくんは美大で、私は違う大学で。でも地元だったからお付き合いは途切れなかった。今思えばそれってすごく奇跡的なんじゃないだろうかなんて思ったり。
 サソリくんはこんな普通の、どこにでもいる人間の一人である私のどこが好きなんだろう。結婚、考えたりするくらいに。
(うーんわかんない…デイダラさんの言う芸術的センスっていうの未だにわからない)
 サソリくんの先輩に当たる人のことを思いながらむむむと眉根を寄せる。そうするとサソリくんが私の額を小突いて「妙な顔するな」と言った。だから私はしまったとはってしてから照れ隠しで笑う。そうするとサソリくんもまた笑う。そうするとまた、私も自然と笑顔になる。
 左手の薬指にはきちんと指輪がある。サソリくんがこの間開いた個展で集まったお金で買ったんだそうだ。彼が描いた絵は全部売れた。それでお金がどれだけサソリくんの手元に入ったのか私は知らない。ただやると言って受け取った小箱の中にありがちな感じでダイヤのついた指輪が収まっていた、それだけだった。
 こんな私のどこがいいのか。結婚を考えるほどにどこをどう好きなのか。私には全然わからない。私はサソリくんのことが大好きだけれど、どこをどうと言われれば全部って答えるくらいに大好きだけれど。そういえばサソリくんってそういうことは訊かないし言わないから、確かめるのも何となくいけないかなって思って訊いてこなかったけど。サソリくんって私のどこが好きなのかな。
(まさかサソリくんに限って私と同じ全部なんて言うことないよね…ねー)
 ぱくとハヤシライスを一口食べる。向かい側ではサソリくんがいつもの顔で私と同じものを食べている。彼がお前と同じのでいいと言うからその通り同じものを頼んでみた、それだけの結果。
 ぱくとまた一口ハヤシライスを食べる。今サソリくんが何を考えてるのか当ててみろと言われても多分私は見事外すんじゃないだろうか。見当違いもいいところってくらいに。
(思い切って訊くべき? 結婚式するんだもん、私サソリくんのお、奥さんになるだもん、これくらいできなきゃ)
 ごくんとハヤシライスを丸呑みして「あ、あのサソリく」と言いかけたら彼が私を見て「いい加減君はいらないだろ」と言った。
 おかげで言いかけた言葉がどこかにいってしまった。まさかここでそこを指摘されるとは。
「え、でも」
「俺はお前のことって呼んでる。いつまでも他人行儀に君付けするな」
「はい…」
 しょぼんとしたところにサソリくんの忍び笑いが聞こえてきた。そろりと視線を上げればサソリくんが笑っているのが見える。
「本当馬鹿っぽいなお前」
「う…じ、事実です」
「認めるなよ。芸術家の妻になるんだから少しは賢くなれ」
 ぱちと瞬きして『妻』って文字が頭の中を踊った。理解したところで顔が熱くなってきて慌ててコップを手に取って水を飲んで顔を伏せる。は、恥ずかしい。この上なく恥ずかしいよ今。
(妻って。そうなんだけど)
 何を言おうとしてたんだったかおかげで忘れてしまった。サソリくんって呼ばないでサソリって呼ぶ、これからはそう呼ぶ。自分に言い聞かせてる間に彼の方が先にお皿を空にした。
「お前の飯の方がうまいな」
 ぼそりとそう言われてそれにぱっと顔を上げる。どうでもよさそうに何気なく言った言葉だったんだろうけど私はそれが嬉しかった。サソリくん、じゃないサソリはきちんと私の料理の味とか憶えてたんだ。そう思うとこの上なく嬉しい。
 さっきまで恥ずかしいって考えてたくせに、私はとても単純で愚かでわかりやすくって扱いやすい人間だ。
「あの、サソリ…は」
「何だよ」
「私の、どこが好き?」
 やっと思い出した質問。彼が瞬きしてから頬杖をついて「別に。今それを訊くか」「あの、だってあんまり話題にもならないし、その…」ごにょごにょと語尾が尻すぼみになって結局私は口を閉ざした。
 今更と言えば今更すぎる質問なんだけど、だって結婚指輪をやるって言われてもらったから。言葉にしなくても意味はきちんと伝わるわけだけど、でも言葉にして聞かないと不安になるっていうのも、あるじゃないか。人間だし。それに彼はキスとかそういうものは滅多にしない。私は彼のそばにいられる毎日を送れるだけで満足していたし、多分彼も同じだったから。
 手を繋ぐことだって滅多にしない。交際らしい交際はしてこなかった。一緒に出かけるなら美術関連で私が彼に付き合う感じ。一生懸命彼についていく私はたまに彼の買った荷物を持つのを手伝う、それくらいで。
 好きとか。そういうのはあんまり言わないし。そもそもどこからお付き合いってものを始めたんだったか。
 彼がかんとスプーンで私のお皿を叩いて「冷めるぞ」と言う。だから上の空だったところから慌ててスプーンでハヤシライスをすくった。頬杖をついてこっちを眺めてる彼の視線がこそばゆい。

「…絵を描くだろ。俺は」
「? うん」
「描くのは非日常だ。この世界にないものを描く。そうするとこの世界から遠い場所にいる自分に気付く」
「…?」
「描かれていないものを描く。それが俺の作品で俺の描く世界だ。だからこそ俺はこっち側もちゃんと見てないとならない。そうしないと自分の立ち位置ってやつをを忘れたりする」
「……あの」

 さっぱりわからなくなってきた。彼が口元を緩めて笑って「お前は俺をこっち側に繋ぎ止めてる一人だ。俺にお前は必要だよ」それでそう言われて私は瞬きした。よくわからないけど彼にとって私は必要、らしい。
 必要。それって好きとはまた別なんじゃ。でも彼にとってはそうでないのかもしれないし、でも。
(余計にわからなくなった…うー)
 ぱくとハヤシライスを食べる。これが結婚式を控えたカップルの姿なのだろうか? これでいいのかな? そう思ってみても私はサソリを、彼を嫌いにはなれないしずっと好きだし、彼は私を必要だと言うし。じゃあそうやって一緒に生きていくために結婚って形を取っても、まぁいいんじゃないかなと。私は思ったりするわけだ。

ふたりでいればそれだけで
(本当にそれだけで、しあわせのかたちがわかる。そんな私はとても幸せ者だ)