こんなもの、俺は認めない

(落ち着け沖田総悟。心を鎮めろ。冷静を保て。こんな心臓バクバクさせてちゃ隣に丸聞こえだぜ)
 落ち着けー落ち着けーと自分に言い聞かせながらひっそりと深呼吸を重ね、ちら、と隣を盗み見る。
 長かった黒髪はバッサリカットでショートにまとめた。パーマもかけてないのにストレートでさらさらした黒髪は相変わらず女泣かせで、今も少しの風に吹かれてさらさら揺れている。
 着物も隊の制服も着こなす相手をどうにか格好悪くしようと全く似合わないだろうロックでパンクな格好に仕立て上げてやったのに、服に着られるってことを知らない相手は、革ジャンのポケットに手を突っ込んで、革ジャンには似合わない和柄のハンカチを取り出した。何すんだと思って見ていると、ハンカチは俺の口に当てられる。「総悟、こぼしてるよ」と言われて我に返った。休憩しようと言われて適当な団子片手にベンチに二人で座っている、その現実を思い出してその手からハンカチをむしり取ってタレで汚れたんだろう口元をぞんざいに拭う。
 落ち着け沖田総悟。これじゃ緊張してるのが丸分かりだぜ。いつも通りでいいんだ。意識する必要は微塵もない。俺は今日『世間知らずのに江戸の町を教えてやる』って名目で案内してんだ。そう、これは江戸を遊び尽くしている俺という先輩だからこそできることなんだ。
 これは決して世の中のカップルが浮かれはしゃぐようなイベントではない。
 もごもご口に団子を突っ込んで食っていると、隣のは小さく笑ってから団子を食べ始めた。その食い方が上品なのが気に入らなくて櫛をつまんでいる指に手をかけて団子を口に突っ込む。目を白黒させるに「もっと男らしく食えよ。頬張って」と命じると、困ったように笑った相手は団子一個口に入れて、もごもごと頬張り出した。よし、それでいい。
 そろそろ真選組に来てから半月にはなるはずだが、あくまで夜の店の営業での生き方が抜けないらしく、指摘しないとそれが艶や色のある仕種だとは気付かない。それを無意識にマスターして行っている。俺はそれがものすごく気に入らないんで、そういうイケメンぶりをぼっきり折ってやろうと常に計画を練っている。
 土方? ああいたなそんな奴も。だがなァ、今俺はのイケメンぶりを崩壊させるのに忙しい。命拾いしたな土方。の件が落ち着いたらまたその命狙ってやるよ。
 慣れない食べ方に苦心しているらしいを横目で睨めつけつつ、今できるだろう最善を考える。
 革ジャンの下のワイシャツをなくそう。なるべくドギツイ感じのブルーを選んだつもりだが、足りない。こっちからでは瞳が透けて見えない柄の悪そうなサングラス、黒い革ジャン、青いワイシャツ、牛柄のズボンに革靴。顔以上に目立つ格好をさせたつもりだが、もっと崩す必要があるな。
 違うものを着させよう。ちょうど目の前に土産物屋の売店がある。あそこなら土産物のTシャツくらい売ってるだろう。子供向けのデザインのやつだし今よりもっと格好悪くなるはずだ。
「ちと待ってろィ。まだ買うもんがあったの思い出した」
 口の中がいっぱいらしくこっくり頷いた相手を置いて売店に行き、『大江戸遊園地』の文字とマスコットのプリントされた白いTシャツのMサイズを購入して戻ると、アイツのいるベンチに女が集っていた。
 ぴき、とこめかみ辺りが引きつるのを感じながらずんずん歩いていく。「おにーさんイケメンね! ねぇ、あたし達と一緒に遊ぼうよ」「一人なんて寂しいよー」「えっと、俺連れがいるから」ごめんね、と手を合わせたが俺が行くより早く女の群れの包囲網から逃げ出してこっちに歩いてくる。俺を見つけるとほっとしたように表情を緩めた、気がしたが、サングラスがドギツイため本当にそういう顔をしていたか自信はない。
 ちょっとは学習したらしい。無意識なんだろうが、『誰彼構わず誘惑してる自分を省みろ』っていうのに。
「総悟」
「ん」
 Tシャツを突き出すと、受け取ったが首を傾げた。「お土産?」「まァな。今着ろ。すぐ着ろ」「え。うん」あっちにトイレが、と指差そうとして革ジャンを脱いでぷちぷちシャツのボタンを外した始めた手を掴んで止めた。「てめ、捕まりてェのか」頬を引きつらせる俺に相手は困ったように眉を八の字にして「今着ろって」「阿呆。公衆の面前で肌晒せなんて言ってねェだろィ。こっちでィ」掴んだ手を引っぱってトイレに連れ込む。さすがにここまでは女の鬱陶しい視線は追ってこない。
 深く息を吐いて眉間をもむ。
 …なんで俺がこんなことを。
 いや、確かに俺だ。オフの日くらい真選組以外のことをしろと言ったのは。それで趣味の一つもないと困った顔をするに、仕方がねェから江戸での時間潰しの方法を教えてやらァとか言っちまったのはこの俺だ。
 だが、過去の俺よ。別に遊園地である必要はあるまい。芸術なんざさっぱりだが、美術館とかさ。もっとポピュラーに映画とかさ。ドームでスポーツ観戦したってよかったじゃねェか。ほら、健康ランドで慣れない筋トレに酷使されてるだろう身体をリフレッシュさせるとか…。
 考えて、ぶんぶん首を振る。
 いや、それはない。遊園地以上にない。まだ裸の付き合いができる間柄じゃねェぞ俺達は。健康ランドなんか行ってみろ、俺ァ絶対健康じゃない身体でふらふらになる自信がある。
「総悟?」
 一人で妄想というか想像と闘っているとアイツに呼ばれた。精一杯の虚勢で睨み上げると、着替えたらしいがシャツをたたんで紙袋にしまっている。「どうかしたの」と首を傾げる相手のTシャツが微妙にめくれて腹筋のない腹が見えていたので、裾を掴んで引っぱって肌を隠した。「別に」と早口で返しながらトイレを出る。
 落ち着け、沖田総悟。
 一体どうした。屯所にいるときはわりと普通に振る舞えていたじゃないか。それがなんだ、二人になった途端このグダグダ感は。俺だってそれなりに女遊びはしてきたんだ。未経験ってわけでもあるまいし、何をこんなにグダグダと。
 隣に並んだがサングラスを上げた。深い緑のちらつく黒曜色が俺を覗き込もうとするので思わず一歩下がる。「ねぇ、これはしないと駄目? 総悟がよく見えない」平気で爆弾を落としてくる相手は、それが普通だ。ナチュラルスタイル。そういうところがホントにムカつく。
 勝手にしろィと投げるとの顔からサングラスがなくなった。
「次はどこへ?」
「…ん」
 まだ乗ってないコーヒーカップを指す。
 指してから後悔した。なんであんな家族連れかカップルしか利用しない乗り物に男二人で乗らなきゃならねェんだ。
 いや、待て。は遊園地に初めて来たんだぞ。余すところなく遊園地って場所を教えてやるのが今日の俺の役目だ。なら乗るしかないだろ。いやだがしかし、と自分と格闘している間にコーヒーカップの列はあっさり進む。
「お好きなコーヒーカップへどうぞ。着席しましたら席を立たないようお願いします」
 係員の声。わーきゃー騒いでコーヒーカップに走り寄るガキ。そんな中で手を取られた。「総悟、俺あれがいい」と俺の手を引っぱって歩いていくの横顔を見上げ、視線を外す。
 この俺が、恥ずかしいとか思っていたら、が遊園地を楽しめない。開き直らなくては。カップルと親子連れで埋まる中男二人でコーヒーカップ、それがなんだ。どうってことねェよこれくらい。俺が最速の回転を見せてやらァ。
「総悟」
「ん?」
「あれにはまだ乗ってないよ」
 夕方。そろそろ遊園地を出て俺のおすすめの定食屋にでも、と夕飯について考えていたときだった。
 あれ、とどこかを指差してそう言うの指を辿って、自分の胸に訊く。いけるか? いけるだろう。ここに来てからというものアレだけはあえて避けていたが、そう言われたときのための言葉は用意しておいた。
 そう大きくもない箱を車輪状のフレームにいくつもくっつけ、ゆっくりとだが動いている観覧車。カップルであれば間違いなく外すことのない乗り物だ。だが、男二人で乗るもんじゃないことも確かだ。
 訳知り顔で腕組みをして「あれはなァ、カップルがちゅーするためにある観覧車っていう乗り物なんでィ」「観覧車」「そ。だいたい、あれはつまらねェぞ? 狭い箱の中で下から乗って一周するまでずっと箱の中だ」どうだ、全然魅力もないだろうと横目で窺うと、は観覧車を見上げたままだった。「でも、景色がよさそうだ。高いところまで行くから江戸がよく見えそう」…それはまァ否定はしねェけど。最初の説明聞いてたか? あれはカップルがちゅーするためにあるようなもんなんだぞ。そんなところへなんで男二人で行かなきゃならないんだ。
 俺の思考なんて知るわけもないは、老若男女受けのいい笑顔を浮かべて俺の手を取った。細長い指は血豆がいくつかあってざらついている。竹刀を持っての素振りの稽古でさっそく作った傷のある手。
「最後はあれに乗りたいな。今なら夕陽も見えそうだ」
 行こう総悟、と手を引っぱられて、黙する。
 …乗りたいって言ってるんだ。ここは先輩として寛大な心で観覧車に同乗すべきだろう。
(なんで男と観覧車なんか……)
 ブツブツ思いながらも、夕暮れに染まるゴンドラの箱に乗り込む。
 イラッとくるくらいゆっくりした速度でしか動かない観覧車は、じりじりとしか高度を上げない。その間、風がゴンドラを揺らす音か、遠い喧騒が聞こえるくらいで、他に音はない。
 適当な会話をすればいいんだ。たとえば、遊園地はどうだったとか、これが休日の弾けた遊び方の一つだとか、江戸を知る先輩として後輩に接すればいい。そのはずなんだが、俺はどうにもさっきからそわそわと落ち着けない。高いところが嫌いとかじゃない。風で揺れるゴンドラが怖いとかでもない。何かもっと別のもののせいで落ち着かない。
「総悟」
 そわそわしていた身体がその一声でぴたりと静かになる。不気味なくらいに。
 ちょうどの後ろに夕陽があって、俺からアイツを見ると斜陽が視界を射して赤く染めるだけで、眩しさに目を細めても、表情が分からない。輪郭だけが浮かび上がっている。他は全て赤に負けた影の黒。アイツが今どんな表情をしているのか、分からない。

 はたまに気怠そうにしている。そばに誰もいないとき、一人のときに、気怠そうに凪いだ目で全てを眺めている。誰かに声をかけられればすぐにいつもの黒曜の瞳に戻るし、いつものイケメンな面を向けるが、本当のアイツは、そんなものじゃないのかもしれない。
 長年続けてきたという、誰かに奉仕するための自分という生き方。俺はそれを壊してやろうとこんなことをしている。
 それでも、あの笑顔を全部消したいわけではないという矛盾も抱えているのだ。

「隣、来い」
 そのまま向かいにいられたんじゃたまらない、と隣を叩く。別に顔が見えないからとかそういう理由じゃないぞ。俺が眩しいからってだけだ。
 ゆるりと立ち上がって隣にやって来たの表情がようやく見えた。いつも通りのイケメンに微笑を浮かべている。いや、いつもより眩しい、かもしれない。夕陽のせいで。
 うっすら開いた唇から「あのね、総悟」と俺を呼ぶ声。「なんでィ」とぶっきらぼうに返しながらそっぽを向く。
(落ち着け沖田総悟。心拍数が急上昇してるぞ。これじゃホントに隣に聞こえるぞ。呼吸だ、呼吸が肝要だ、とにかくゆっくりと落ち着いて呼吸、)
 呼吸を、と自分に言い聞かせてすっと息を吸い込んだら、花の匂いがして、胸が詰まった。…桜の匂い。
 よく考えたら今日一番近い距離にいるイケメンが俺の頬に両手を添えた、瞬間、ざわりと身体が騒ぎ出した。くいっと顔を上向かせられて、夕陽の赤を受けてキラキラしている黒い瞳と至近距離で目を合わせる事態になる。
 桜。桜の花の中に埋もれたみたいな、甘い匂いが。
「カップルしか、ちゅーできないのかな」
 甘い匂いと甘い言葉がくらくらと頭を酔わせていく。
 何か。何か言わないと。壊さないと、この空気を。甘さを。どうやって。何を言えば壊れる? どうすれば壊せる? 落ち着け、落ち着くんだ俺。
 必死に理性の柱を叩いてしっかりしろォと自分に訴えるが、努力も虚しく、この状況の打開策も何も浮かばない空っぽの頭は甘さに酔ったまま、心拍数だけが上がっていく。
 破裂する。このままじゃ破裂する。間違いなく爆発する。
「そーご」
 名前を呼ばれて、返事もできずに唾を飲み込んだ。何か言わないとと思うのに声を失ったみたいに言葉が出てこない。
 キラキラ輝く黒曜の瞳がゆるりと細くなる。
「ちゅーしていい?」
 囁く声音に艶と色がありすぎて、パーンと頭の中の何かが爆発した。弾けて飛んだその部分を甘い匂いと甘い言葉が埋めて、頭が使い物にならなくなる。
 近付いてくる人の息遣いと体温に、何も言えないまま、逃げるように、目を閉じる。
「死ねェ土方ァ!」
 屯所に戻るなりバズーカで土方の野郎をぶっ飛ばしに行ったが、あの野郎ひらりと避けやがった。しばらくこういった不意打ちはしていなかったから鈍っているだろうと踏んだのに、ムカつく野郎だ。
「テメー戻ってくるなりそれかよっ。オフの日くらい殺意もオフにしろってんだ!」
「うるせェ俺の勝手でィ」
「人の命狙うのにテメーの勝手だけで動かれてたまるかってんだ。大人しくなったと思ってりゃこれかよ」
 ギャーギャー言い合いながらバズーカ片手に逃げる土方を追い打ちしていると、近藤さんが通りかかった。「おう、戻ったのか総悟」ちゃっとバズーカの構えを解いて敬礼する。「ただいま戻りましたァ」「どうだ、遊園地は楽しめたか?」ぎく、と身体が固まる。せっかく土方に八つ当たりして誤魔化していたのに。近藤さんの馬鹿野郎。
 自然と思い出すのは、観覧車でのちゅーと、そのあとの抱擁と、言葉少なに眺めた夕暮れに照らされた江戸の町並み。されるがままだった自分。甘さに酔っていた頭と身体。
 ごし、と袖で唇をこする。
 せっかく、誤魔化してたのに。
「おお、。遊園地はどうだった? 楽しめたか?」
 近藤さんの声に視線をずらすと、くつろぎスタイルの着物に着替えたが通りかかったところだった。こっちに気付くと足を止めて一礼して「楽しかったですよ」と笑う。ね、総悟、と話を振られて、俺は無言でバズーカを抱えてトンズラした。
 楽しい? そんな簡単な言葉で片付けられる一日じゃなかった。心臓が破裂しそうな一日だった。頭の中の何かが弾け飛んだ一日だった。
 転がるようにして自室に戻って、そこにも逃げ場はないことをすぐに悟る。俺はアイツと同室なんだ。どこへ行ったって結局どこかで顔を合わせることになる。
 行儀よくたたまれている革ジャンとブルーのワイシャツと牛柄のズボンと土産物のTシャツを睨みつける。
 袖で唇をこすり、こすって、痛くなってきて指で触れた。こすったせいだけでなく熱い。あの唇が触れてからずっと熱い。
(どーすんでィこれ…)
 ごとり、とバズーカを畳に置いて、行儀よくたたまれているの布団の上で蹲る。
 …甘い匂いと甘い言葉が、消えない。消せない。