君のことが、好きです

「もーちょっと奥…そこ! そこぉ!」
「ココ?」
「あっ、それイイ! 今のもういっか、」
 もう一回、と言い切る前に山崎が爆発した。総悟のバズーカで。
 ぎゃああと鈍い悲鳴を上げながら空に舞い上がる山崎を手をかざして見上げつつ、爆風で舞い上がる砂埃に咳き込む。煙たい。
 なんかちょっと勘違いされそうな声で剣を教えてくれてた山崎も山崎だけど、それを爆撃する総悟も総悟だ。別にやましいことしてるわけじゃないのに。いや、山崎のね、言い方がよくなかったのはあるんだけど。もうちょっと普通に人体の急所とか心得とか教えてくれればいいんだけど。山崎ってMなのかなぁ。
「そーご、山崎が死んじゃうよ」
「死ねばいいあんな野郎二度と帰ってくるな」
 どっかに飛ばされてった山崎の無事を祈りつつ、竹刀を下ろす。総悟は構えていたバズーカをどんっと縁側の木板に叩きつけて苛々と貧乏揺すりしている。落ち着きがない。
 はぁ。もう、しょうがないなぁ。せっかくみんなの手が空いていたから竹刀での稽古を頼んだのに、総悟がこれじゃあ、犠牲者ばかりが増えていく。それでも俺と手合わせしようと命を危険に晒すみんなもみんなだけど。
 そろそろ俺の手も限界だ。毎日竹刀を握るようになって、筋トレもするようにしてるし、以前よりはずっと握力とかも上がっているはずだけど、包帯に血が滲んできてる。今日はもうよそう。
 パチンと手を叩いて「はい、解散。総悟が怖いので今日は終わりにします。皆さんありがとうございました。またご指南お願いします」ぺこりと頭を下げるとええーと不満の声が返ってきた。それに苦笑いしてひらりと手を振る。「俺の手がもたないから、また今度」それならしょうがないかという空気になった隊士達にひらひら手を振って、汗でべたついた道場着の上を肩を滑らせて落とす。たくさん運動して疲れた。暑い。シャワー浴びよう。
「……?」
 なぜか引き上げ始めていたみんなの動きがピタッと止まった。どうやらみんなが俺を見ているらしいと気付いて、そんな自分を見下ろして、ああと気付いて道場着を着直した。前職が脱ぐことなんて日常茶飯事だったから肌を晒すことなんて普通にしてしまう。また総悟に怒られる。
 その総悟は、赤い顔でガチャンとバズーカを構えた。「そ、」総悟、と呼ぶ前にドゴンと一発放たれて、俺ではなく隊士達の方に突っ込んでドカンと爆発する。悲鳴を上げて逃げ回る隊士のみんなを眺めつつ、さりげなく爆撃地から遠ざかる。煙たい。
(あーあ…)
 爆風に暴れる髪を押さえて「総悟」と呼ぶんだけど、二発目三発目とぶっ放して「死ねェテメーら全員死ねェ! もしくは今見たものは忘れろォ!」めちゃくちゃなことを言いながらバズーカをぶっ放している総悟に俺の声は届いていないようだ。溜息を吐いたところへ騒ぎを聞きつけた副長の土方がやってきた。「テメー何してんだ! 屯所ぶっ壊す気か!」「ついでに土方も死ねェ!」「あん!? ついでってなんだついでって! テメー総悟今日こそは泣かしてやるッ!」「…………」疲れて止める気力もないので総悟と土方の喧嘩はスルーした。
 うん。真選組って基本的にこういう賑やかな感じみたいだから。俺もそろそろ慣れた。
 隊服を持って脱衣所へ行き、湯船ではなくシャワーの個室を選ぶ。なぜかというと、総悟に怒られるから。疲れてるときくらいはお風呂でのんびりしたいんだけど、俺は貸し切りでしか入浴が許可されていない。うん、総悟に。俺は別にいいんだけど、総悟を怒らせたくはないので大人しくシャワーです。
 脱衣所に入って包帯を外すと、血豆が潰れていた。地味に痛い。
 みんな曰く、これは誰もが通る道らしい。こうやって何度も豆が潰れて、治っては潰れて、繰り返すことで皮膚がだんだんとかたくなり、刀を握るのにふさわしい手になるんだとか。
 道場着を脱いで落とせば、筋トレやジョギングを重ね、少しずつだけど変わり始めた身体がある。
 鏡の中にいる自分を眺めて、ぺたり、と手を添える。
 鏡の中の自分は気怠そうな顔をしていた。何もかもに無気力のような。
 夜の枕営業。相手のためだけにある自分。自分のためのものは何一つなかった。別にそれでよかったし、困っていなかった。
 ここへ来て、誰かのためではない生き方をするようになって、陽の光と共に生活するようになって、少しはまともな人間になれたのかなって思うこともできたけど。
「…それでも性は変わらないのかも」
 人の前で肌を晒すことに何も感じない。あの頃と同じように誰彼構わず視線と意識を集めてしまう。それで好きな子を怒らせてしまう。怒らせたくないのに。笑ってほしいのに。上手く、いかないなぁ。
「ふぅ」
 人はそんなに簡単には変わらないってことか、と溜息を吐きつつ汗を洗い流し、髪も洗髪、全身さっぱりして脱衣所に出れば、また鏡の中の自分と目が合った。竹刀の打ち合いで押し切られて倒れたときにできたかすり傷がある。これは痛くないから放置でもいいかな。
 ぱたぱた雫を落とす黒髪をかき上げる。暑い。
 外に、お風呂あがり用にと自販機があったはず。お金はあったかなと隊服のポケットを探ると硬貨を発見した。ラッキー。
 暑いからと腰にバスタオルを巻いた状態で解錠して外に出て、ぺたぺた素足で歩いて自販機の前に行き、フルーツ牛乳とコーヒー牛乳のどちらにしようか悩んだ。気分的に…コーヒーにしよう。
 硬貨投入、ピ、とボタンを押してコーヒー牛乳を購入し、お釣り片手に牛乳瓶の紙の蓋をべりっと剥がして口をつけたところでゴンと重い音がした。視線だけ向けると総悟がいて、どうやらバズーカを落としたらしい。ごくりと一口飲んでから瓶を離して「総悟?」と呼んでから気付いた。あ、俺怒られる。
「だから、そういう格好で、出歩くんじゃねェって、何度言ったら…っ!」
 ぶるぶる震えてタコみたいに真っ赤な顔で頬をひくつかせる総悟に、手にしているコーヒー牛乳を指す。言い訳しなくてはすごく怒られる。「暑いから、ちょっとこれをね、買いたくて」「服着てからにしろ」うん、そうですね。まさか総悟に遭遇するとは思ってなかったから。ごめんなさい。
 総悟の逆鱗には触れたくないのでとにかく低姿勢で謝ろうと「ごめんなさい」と頭を下げたら、バスタオルまでずり下がった。
 ばさ、と音を立てて床に落ちたタオルを眺めて数秒。…どうしようこれ。
 とりあえず、拾おう。腰に巻き直そう。
 前職がこういうことも普通だっただけに、照れとか羞恥心とかは今更感じないのだけど。問題は。
 そろりと顔を上げると総悟のタコみたいな顔がトマトぐらいには赤くなっていた。「あ、ぅ」何か言おうとしてぱくぱく口を空振らせて、俺と目が合うとくるりとこっちに背を向けて脱兎の如く逃走した。バズーカも置き去りで。
 ぽた、と雫を落とす髪をかき上げて、置き去りにされたバズーカに視線を移す。
 …とりあえず着替えて、これ飲んだら、あのバズーカを頑張って部屋まで持ち帰ろうか。
 頑張ってバズーカを抱えて部屋に戻ると、総悟はいなかった。まぁいいかと総悟の布団の上にバズーカを転がし、縁側に出て寝転がる。欠伸をこぼしつつ窮屈な、というかピッタリしたデザインの隊服の襟元をくつろげて、爆撃の痕跡が残る中庭を眺める。
 そういえば、これ、税金なんだよな。修繕とかも。真選組は一応幕府の組織だから。もっと市民のためになることにバズーカとか使わないと税金の無駄遣い…。
 ぷらぷらと消毒液を塗りたくった両手を振る。包帯がくっつくから乾くまではと放置している両手は、なかなか醜いことになっている。多分俺の人生初くらいの酷い感じに。
 目を閉じて手を投げ出し、仰向けで縁側に転がって、どのくらいたったろうか。
 肌寒さを感じても、運動後の気怠さから寝転がったままでいると、そろそろとした感じで近付いてくる足音に気付いた。誰かなんて分かりきっていたので目を閉じたまま寝たフリを続ける。どうするのかな、と思っていると、俺の手にそろりと総悟の指が触れた。傷口が乾いていると見ると黙って包帯を巻いていく。
 寝たままでいたかったんだけど、その甲斐甲斐しいことにちょっと笑ってしまった。嬉しくて。
「そーご」
「うるせェ」
「呼んだだけだよ」
 不機嫌そうな声に苦笑いをこぼし、目を開ければ、俺の手に包帯を巻いている総悟がいる。余計なことを言うと怒られるので、ほんのり染まった頬には気付いてないっていうことにした。そこはスルーで、少し長くなって首にかかるようになった明るい茶髪を指で梳く。「伸ばしてくれるの?」きっと伸ばしたらきれいな髪になると何度も口説いてきたのだ。総悟は「別に」とぼやくだけで肯定も否定もしないけど、伸ばしてくれたら、嬉しいな。俺が結んであげる。櫛で梳いてあげる。ああ、楽しみだ。
 反対側の手に包帯を巻いてくれるんだろう総悟が立ち上がって、なぜか俺に跨って、それでもう片手に包帯を巻き始めた。「…総悟?」地味に重たくて苦しい。
 黙って俺の手に包帯を巻きつけた総悟。それが終われば退いてくれるだろうと頑張って重さに耐えていたけど、包帯を巻き終わっても総悟は俺の上から退かなかった。
 陽はすっかり沈んでいて、代わりに月が昇り始めている。
 月明かりを受けて総悟の赤い瞳が星の砂を散らしたみたいに輝いていた。
「…総悟」
 輝く瞳に誘われて、手を伸ばす。
 男にしてはすべすべだろう肌は、今は包帯越しでしか触れられない。指先で感触を確かめるように撫でていると、総悟の瞳がふっと緩くなった。俺の顔の横に手をついて覆い被さるような体勢になる。「…キスしちゃうよ」「ふーん」「してもいい?」ゆるりと腰を抱き寄せても拒否されなかった。そのまま身体を重ねるようにして顔を寄せ合い、唇をくっつける。
 近藤さんにナンパの見本を見せろと無茶を言われて、俺は誰にも声をかけることができなかった。前職的にも俺は異性に対して受け身の姿勢なのだ。声をかけられたら反応できるけど、自分から声をかけてまで話したいことなんてない。誰か知らない女の子の手を取って微笑み繕うくらいなら、総悟の手を取って笑っていたいのだ。
 あの日、総悟と初めてディープな方のキスをした。雰囲気と流れと勢いで。
 俺は総悟の口からまだ一言も俺に対しての気持ちを聞いたことがない。俺はそれとなく伝えているつもりだけど、総悟に伝わっているのかはよく分からない。ちゃんと『総悟のことが好きだ』なんて正面切って伝えたわけではないから。
 俺達は恋人とかではない。今はまだ。
(世間一般的にどうなんだろう。恋人でもないのにディープキスでちゅっちゅするのって、違法なのかな。恋人でもないのに抱いたりキスしたりする仕事だったから、加減がよく分からない)
 さっき飲んだコーヒー牛乳味のキスをしながら総悟の舌のやわらかさを堪能していると、こもった呼吸を続けながら、総悟の手がぺたりと俺の股の間に添えられた。事故とはいえさっき見せてしまったところだ。
 それは、マズい。よろしくないと思う。一線越えるのは。そういう仕事してきておいて何言ってるんだって話なんだけど。俺は、好きな子とは合意の上で事に及びたい。
 夢中で俺の舌を吸う総悟の顔に両手を添えて引き剥がした。総悟が無言で俺を睨めつけながら唾液で濡れた唇を舌で舐め上げる。月明かりに照らされて濡れる舌は艶かしく色を帯びていた。
 ああ、食べたい。
「ここは隊舎だし、マズいと思う」
「あ? ンだよそれ。人のこと煽っといて」
「あれは事故です。煽ってない」
「うるせェ。事故だろうが故意だろうが一緒だ。見ちまったモンは消えねェ」
 股間を撫でていた手が遠慮せず鷲掴みにしてきた。痛い。「こ、」「…こ?」何か言いかけた総悟に首を捻ると、ふー、と荒い呼吸を繰り返す総悟の顔がくしゃっと歪んだ。「これが、欲し、」羞恥心で顔を真っ赤にして、おまけにポロポロ涙までこぼすもんだから、俺も困ってしまった。欲しいってどこに? なんて訊けない。
(それは一時の気の迷いというやつだよ総悟。不用意に俺のなんて見ちゃったせいで一時的に興奮してるだけだよ)
 …と、自分にも言い聞かせながら、総悟が落ち着くようにと再び抱き寄せて身体を重ねた。揉まれたくらいじゃ俺は反応しないのでその点は大丈夫。なんていうか経験の賜物。こんなところで活かせても自慢できることじゃないけど。
 総悟の髪を指で梳きつつ、月を見上げる。
 いい夜だ。総悟のこと抱き締めながら月見が出来てる。ちょっと寒いけど。
「俺のこと好き?」
「……なんでィそれ」
「こういうことは、恋人がするものだよ。簡単に身体を渡していては駄目だ」
「それをテメーが言うのか。ろくに事情も知らねェ女抱いてきたテメーが」
「そうなんだけどね。俺は総悟のこと好きだから、ちゃんと通じ合った上でシたいんだ」
 あ。しまった。今ポロッと言ってしまった。好きだって。予定ではこう、もっと格好よく決めてバラの花束でも持って伝える気でいたのに。完全に流れで伝えてしまった。
 あーあ俺の馬鹿と後悔していると、総悟が立ち上がった。無言で俺を睨み下ろす顔は今にも泣き出しそうで、総悟、と声をかける前にだっと走り出して縁側を駆け抜けてどこかへ行ってしまう。
 残された俺はしばらくぼっと縁側に転がり続け、腹が減ったなと思って起き上がり、食堂に向かった。「さん、よかったら一緒にお食事どうですか!」爆撃されてアフロヘアになった山崎に声をかけられ、意識する前に笑顔を浮かべて「いいですよ」と返し、食堂を見渡す。…総悟の姿はない。
 カツ丼を頼んで、持ってきてくれたパートの女性にもいつも通りの笑顔で「ありがとうございます」とお礼を言って盆を受け取り、箸を取る。
「あれ? そういえば沖田隊長はどうしたんですか?」
「…さぁ」
 笑おうとして、失敗した。誤魔化すようにカツの一切れを口に突っ込む。
 もし俺の告白に対して答えがイエスだったなら、さっきの場面で総悟が泣くことはなかったはずだ。逃げることだって。ということは、総悟の答えは、ノーだ。俺は総悟が好きだけど、総悟は俺が好きじゃない。そういうことだ。さっきの告白で総悟はそれに気付いた、そういうことだろう。だから逃げた。
「……山崎さん」
「はい! 何でしょうかっ」
 嬉々として俺に応じる山崎に、笑おうとして失敗した顔を向けて、「俺、失恋したのかも」と言うと山崎が大げさに驚いた。「ええ!? いや、そんなまさか…いやいやないですよ! 絶対ないですってさん、それは気のせいですよ! さんフるようや人間この世にいやしませんて!」なぁみんな、と振られて、いつの間にか俺達を囲んでいた隊士メンバーがその通りだと太い声で俺のことを励ます。
 でも、総悟は逃げたんだ。俺から。
 じわり、と胸が痛い。筋肉痛じゃない。左胸、心臓が、鼓動する度にじくりと痛む。じくりと心が痛む。
(そうか。これが)
 これが、失恋の痛みってやつか。しみじみしながら左胸を掌で押さえる。意識すればするほどじわりじわりと痛みが広がって身体を蝕む。
 こんな歳になるまで俺は知らなかったんだ。誰かを好きになることも、その苦しみも、何も、知らなかったんだなぁ。