真選組を左右する波乱の幕開けだ

 伊東とその一派が帰陣するらしい。先立って今回の遠征で得られた政府からの援助金の詳細を記した報告書、刀や新型爆弾などの武器が速達で送られてきた。あの野郎は今回もデカい面して肩で風切って帰ってくることだろう。
 まぁ、それはいいんだが。いや、ウザいくらいの荷物が届いたことに嫌な予感を覚えつつ受付まできた。そのときは伊東のことで頭を埋めていた。だが今はそうじゃない。
「……おい。どうした?」
 受付で暇そうにしていた新入りに荷解きの手伝いをさせたのはいいが、いつになく気怠そうだった。表情も、仕種も、全てが。そのせいかいつもはずらっと列ができている受付前はガラリとしていて誰もいない。コイツ目当てに来てた女も、今日の新入りが始終こんな調子だと気付くと気まずそうに去っていった。
 コイツは確かにまだ新入りの域を抜けないが、仕事に対しては真面目だったはずだ。奴がここまで気の抜けた顔をしているからにはそれなりの理由があるはず。
 陰でイジメを受けている、とかは新入りに最も考えられる可能性だ。残念ながらここも組織という人間の寄せ集め。その可能性はないとは言えない。
 そういうことなら副長の俺も目を配る必要がある。イジメなんて子供じみたことをする奴ぁ切腹だ。
 声をかけたが、新入りは気怠そうに荷分けをするだけで俺に顔も向けない。「おいコラ聞いてんのか」…駄目だ。「おい、沖田」苗字で呼んではみるがやはり無反応。頂戴したばかりの苗字では呼ばれ慣れてないってヤツか。
「おいコラ
「、はい」
 やっと反応した新入りはようやく俺に気付いてこっちに顔を向けた。…やはり気が抜けてやがる。
「なんかあったのか」
「いえ、別に。何も」
「嘘つけ」
 あからさまな笑顔は逆に何かあったってことを裏付けている。
 …そこまで言いにくいことか。あれか、恐喝か。ジャンプ買って来いよテメーの金でなとか顎で使われてんのか。確かにお前は見た目が軟弱だからな。そういう目に合うかもしれん。だが負けるな、男だろう。
「話せよ。誰かに吐いたら楽になるかもしれねぇだろ」
 細ぇ肩を叩くと、は視線を俯けた。よし、もう少しで吐きそうだ。
 来い、と眼力で訴え続けると、ふぅ、と息を吐いたがゆるりと立ち上がった。「副長、あちらでお話いいですか」と屯所の外を指す。頷いて立ち上がり、適当な隊士に「続きやっとけ」と命じて屯所を出る。
 タバコを取り出し、一本どうだと勧めると、奴はタバコを口にくわえた。吸ったことがあるのかやせ我慢かは知らないが、ライターで火をつけてやる。続けて自分もタバコをくわえて火をつけた。
 気怠そうな表情とマッチして、ふー、と煙を吐き出す姿はそれはそれで様になっていた。どうやら経験があるらしい。
 肺を煙で満たしてから空に向かって吐き出す。全く、今日も憎たらしいくらい青い。
「……どうしたらいいか、分からなくて」
(きたな)
 しかし、ここであからさまに反応するようではせっかくの口火を落とすことになりかねん。自分がイジメに合っていることを胸張って言う奴などいやしない。そんな自分を情けなく歯痒く思っているのだ。恥じているのだ。どう相手に恥を覚えさせず話をさせるか、そこが重要だ。
 あくまで関心がないフリを装い「ほぉ」と相槌を打つ。俺は一服のついでにテメーの話を聞いてやってるだけだ、という姿勢を貫く。
 は何かを憂うように長い睫毛を伏せてぼやっとタバコの火を眺め、思い出したように口に運び、煙を吸って、吐き出す。「副長」「あん?」「副長は恋をしたことはおありですか」予想とはかけ離れた方向にぶっ飛んだ話に煙が変な入り方をした。げほごほ咳き込んでタバコを口から離す。
 ああ? 恋だと? なんでいきなり恋話になるんだよ。意味が分からねぇ。そして答えづらい。俺ぁこういう話は得意じゃない。が。適当でも答えない限り話が進みそうにない。
 何度か躊躇ったあと、逝っちまったアイツを思い浮かべつつ「馬鹿にすんじゃねぇ。惚れた女くらいいる」ぼそぼそぼやくと、相手は笑った。
「その人とは上手くいきましたか?」
「余計な世話だ」
 生憎上手くいったとは言いがたい。どちらかというと俺はアイツを不幸にしちまったしょうもない男だ。上手くなんていくはずがない。もう永遠に取り返しはつかない。
 紫煙を吐き出すは聡い。全て聞かずとも話の中身は悟ったようだ。そうですか、とぼやいてその場に蹲る姿に「おい」と声をかけるが、奴はそれきりタバコの火が落ちて一本が駄目になるまで顔を上げなかった。
 …おい。つまりなんだ。あれか? コイツが落ち込んでる感じだったのは隊内のイジメうんぬんではなく、恋煩いだとでも言うのか?
 途端に馬鹿らしくなってきた。早合点した俺も俺だが、色恋を仕事にまで引きずるのは賢い男とは言いがたい。「テメー、俺ぁ心配してやったんだぞ」「初恋だったので…」そうこられるとそれはそれで言い返しにくい。男にとっての初恋は特別な思い入れってもんがある。それは俺も身を持って知っている。
「…告ったのか?」
「はい」
「……フラれたのか?」
「多分」
「多分ってなんだ多分って。好きだっつったら答えはあれだろ、『はい』か『いいえ』だろうが。なんだよ多分って」
「なんか、泣きながら逃げちゃったので…それ以来避けられてるみたいで……それって、嫌いだって意思表示、ですよね?」
 話を振られたところで色恋に疎い俺には肯定も否定もし難い。だがその場面を想像するに…この美形に告られて『はい』で彼女になるでもなく『いいえ』で断るでもないその女、何がしたいのか不明だ。この美形が思い悩む姿を見て陰で笑ってやがるのか? たとえば、過去に告ったがフラれ、その仕返しとして整形とかして美人になってこの野郎を惚れさせ、なおかつ奴の心をどん底まで叩き落とすために…昼ドラか。女ってのはそういう面倒くさいことも平気でする奴がいるから本当に面倒くさい。
 とりあえず、ここはあれだ。可能性がある方向に話を持っていって励ますっていうのが上司のすべきことじゃないのか。
 項垂れている背中をぽんと叩いてタバコをもう一本勧める。「まだ分からねぇだろうが。可能性はある。自分から捨ててちゃ世話ねぇぞ」本当に無難な感じにしかならなかったが、はいつも通りに近い笑顔を浮かべてタバコを受け取った。「そうですね。希望を捨てちゃ駄目ですね。今度もう一度ちゃんと伝えます」…そりゃご苦労さん。
 しかし、この美形をここまで引きずらせる女ってのはどんな上玉なんかね。一度その面拝みたいもんだ。
 翌日。受付で突っ伏しているは昨日より纏う空気が淀んでいた。
 おい、いつものイケメンはどこいった。
 こそこそ寄ってきた山崎が「副長、ちょっとさん連れ出してくださいよ」とか言ってくるのに顔を顰めて返す。「ああ? なんで俺がそんなことしなきゃなんねーんだよ」「どうせ今から鍛冶屋で刀の調整頼むんでしょ。さん気分転換させてやってください。じゃないと俺達までこう…元気なくなってくるんで……」言ってるうちにどんよりした空気で肩を落とす山崎その他が鬱陶しい。
 ちっと舌打ちしてずんずん歩いて受付前へ。
 当たり前だがコイツがこんなだから今日もコイツ目当ての女は来やしない。がらんどうだ。最近は常に人で賑わってる受付が常だっただけに静かなことに逆に違和感を感じる。
「おい
 呼べば、のろりと顔を上げた野郎の目元にはクマが目立った。…まさかとは思うが。「お前、告ったのか?」「はい」「……そうか」それでクマを作ってるとあったら…皆まで聞くまい。こんなイケメンが失恋か。世の中イケメンに優しくできてるってわけじゃないようだ。
 こっぴどくフラれ、仕事も手につかんのだろう部下を慰めるのは上司の役目の一つだろう。他のムサい野郎なら放っておくところだが、真選組の新たな顔となりつつあるコイツにいつまでも辛気臭いままでいられるのも迷惑だ。
「今から刀鍛冶んとこに行く。お前も来い」
「え? でも、受付が」
「そんなもん山崎にやらせとけ。なぁ山崎」
「はい! 喜んでやらせていただきます!」
 びしっと敬礼した山崎には淡く笑って席を立った。空気の読めない馬鹿ではないのだ。皆がそう望んでいると取り、さっさと歩き出す俺について外に出る。
 本日も晴天。その快晴ぶりをコイツにも分けてやってくれよ。頼むから。
 道中、会話がないのもあれなんで、装備が十手二本というを眺め、「まだ刀は無理そうか」と話を振りつつタバコの煙を吐き出す。クマの目立つ目元を柔和にやわらかくした相手は「無理ですよ。まだ竹刀で練習中なんですから。扱えない武器なんて、腰から提げてても足引っぱるだけでしょう」「まぁな」背伸びして早く刀が欲しいと言う馬鹿とは違う。刀に憧れて真選組に入ったわけでもない奴は謙虚だ。その姿勢に俺もだいぶ慣れた。
 しかし、刀を使う攘夷志士相手に刃のない十手ってのはな。獲物の長さ的にも不利だ。その意味で言ってもこの戦力外を隊服で外へ連れて行くことはあまりしたくはないんだが…俺がいるなら今回はいいだろう。何かあっても敵から逃げ回ってくれりゃその間に斬れるさ。
「あー、団子でも食うか」
「…副長、もしかして俺に気を遣ってます? 別にいいのに」
「いや気なんて遣ってねぇよ勘違いすんな。あれだ、ちょっと小腹が空いたんだよ。付き合え」
 そういうことで適当な茶菓子の置いてある店に連れ込み、適当に一服する。中は禁煙だっつーんで通りに面したベンチで。
 ただ座って甘味のパフェを食ってるだけでも隣のイケメンは女の視線を持っていってるっていうのに、そんなことには我関せずな顔でぼっとスプーンをくわえている姿は、それだけ片思いしていた奴が好きだったって証なんだろう。
 団子にマヨネーズをかけつつ、「まぁなんだ。そう落ち込むなよ」適当な声をかけるが、淡く笑った相手はやはりぼうっとしている。
 なんとも言いがたい沈黙を、人の出す雑多な音が程よく埋めていく。
 結局大した会話もないままに鍛冶屋まで到着してしまった。
 鍛冶屋のジジイと刀の状態について話を交えつつ、刀を修理に出してる間の代わりの刀として『呪われてる』とかいう刀を借り受けた。この刀についての昔話もすっ飛ばして聞かなかった。妖刀だとか眉唾もんの話に興味はない。よく斬れる刀ならそれでいいんだよ。
「いいんですか? おじいさん、話したそうでしたが」
「いいんだよ。年寄りの話ってのは長くていけねぇ。俺ぁ短気なんだ」
 見回りも兼ねて人の少ない通りの方をを連れてざくざく進む。
 いやに人がいねぇなと居酒屋の前で足を止める。夜は賑わう通りは昼間は異様に静まり返っていた。そこへ向かいから刀をぶら提げた輩がやってくる。…試し斬りができるな。
「お前はできるだけ下がってろ」
「でも…」
「実戦経験ゼロだろ。俺の足引っぱりたくなかったら下がってろ」
 十手を手に大人しく後ろに下がったを意識から外す。戦力的には俺一人だが、アイツらには真選組の人間が二人に見えてるはずだ。あの戦力外のところへ人を行かせるわけにはいかねぇ。悪いが一撃で決めさせてもらうぜ。
 柄を握り、声高らかに自分らが攘夷浪士であることを宣言する阿呆に向けて抜刀。
 したつもりが、俺はなぜか地べたに這いつくばって土下座していた。しかも「すいまっせーん!!」と声高々に謝罪まで。
 おい待てなんだコレ。口が勝手に喋ってるぞ。敵に何命乞いしてんだ土方十四朗よ。命乞いなんざしなくても斬って捨てりゃ俺の勝ちだろーが。
「副長…!?」
 が驚くのも無理はねぇ。俺を馬鹿にした野郎に頭蹴られようが刀が抜けない。身体が思い通りにならない。果ては財布まで出してこれで見逃してくれとか言うこの口だ。削ぎ落としてやりたい。だが俺の身体は今俺の意思で少しも動かん。
 いよいよマズい、俺だけでなくの方にも浪人が寄っていった。しかもあの野郎逃げないで十手で刀に対抗しようとしてやがる。
(ばっかやろう何してんだよ、脇目もふらず逃げろよ)
 このままではマズい。新入りも俺もろくなことにならない。
 そこへ、タイミング悪く。いや。タイミングよすぎるだろうってくらいの場面であの野郎が現れやがった。
 見慣れた黒の制服、見慣れた太刀筋。伊東だ。伊東鴨太郎。あっさり攘夷浪士共を斬り冷たい笑みを浮かべる奴は、ここで一番会いたくない面だった。