君に、あいたい

 おかしなことになってしまった。
 鬼の副長と呼ばれる土方が浪人相手に土下座で命乞いをするという、そんなことをするなら舌を噛み切ってでも死ぬだろうと思う姿を晒した。それは刀鍛冶の爺が言った通りに妖刀に呪われてしまったから、らしい。
 このことはあまり吹聴するなと土方に口止めされた。口止めされなくても誰かに言うつもりはなかったけれど、俺が言うまでもなく、隊内にはすでに土方の醜態について噂としてでも知れ渡っていた。何でも、あの場で浪人達を斬って俺達を助けた伊東って人が絡んでいるらしい。
 伊東鴨太郎って男は野心家の目をしている。土方が呪われた妖刀を手にし、そこへ浪人が襲撃を仕掛けてきて、マズいやられるっていう絶妙のタイミングで現れたことを考えるに、できすぎている。
 あれからも、妖刀は土方にらしくないことをさせ、真選組内での土方の地位を貶めている。
 その分だけ会議や大事な場面での伊東の発言力は増している、気がする。
 山崎に聞いたところ、伊東と土方は犬猿の仲で有名な間柄らしい。誰も仕事以外で二人が話しているところを見たことがないんだとか。
 まだ入隊して一年余りだという伊東という勢いのある新派と、昔から真選組を引っぱってきた一人である土方と彼についてきた土方派。衝突は、目に見えている。
 組織内には必ず派閥っていうのが存在するけど、真選組にもそんなものがあろうとは知らなかった。世界っていうのもどこも同じようにできてるものらしい。
 ああ、なんか、面倒くさくなってきたな。でもな。あの状態の土方を置いていくっていうのも…。何より俺は、総悟が気になる。
 あれから。俺が好きだと伝えた日から、総悟は部屋に帰ってこない。どこで寝てるのか分からないけど、あんなに一緒だったのに、最近じゃ声をかける機会もなければ姿を見ることも少ない。徹底的なほどに避けられている。その様を知れば、告白の答えなんてもらったようなもの。
 それでもあの日。土方に声をかけられて、自分から可能性を捨てるなと言われて、逃げているとしか思えない足取りで俺から遠ざかろうとする総悟を頑張って追いかけて、走って走って、息切れを起こしながら、大声で好きだと叫んだ。でも総悟は足を止めただけで振り返ることはなかったし、何も言わずに行ってしまった。体力で勝てるはずもない俺はふらふらの足で座り込んで総悟を見送ることしかできなかった。
 慣れない全力疾走で身体は疲れきっていたのに、意識は冴えて、その日は眠れなかった。
 片思い。いや、恋愛がこんなに辛いものだなんて、思ってもみなかった。
 想われることはあっても想うことはなかった。恋も愛も切り売りする商品だった。感情じゃなかった。だから、楽だった。
「総悟…」
 自然と唇からこぼれる声が総悟のことを望んでいる。
 畳の部屋に転がって、ごろんと寝返りを打つ。視界にかかった髪をつまむと、もう随分触れていない総悟の細くてやわらかい髪を思い出し、触れたい、と胸が疼く。
 告白さえしなければ、俺はまだ総悟と一緒にいられたかもしれない。好きな子とはなんてキレイ事言わずに総悟を抱いていれば満足していたのかもしれない。何がいけなかったろう。俺の何がいけないんだろう。総悟の言う通り全部直すよ。直すから、そばで俺を怒ってよ、総悟。怒ってくれなきゃ、どこがいけないのかも、全然、分からないよ。
(なんでィあの面。ぼやっとしやがって。そばにいるってーのに気づかねェし)
 畳の部屋に転がってぼーっとしてるを襖戸の間から観察し、ふん、と鼻を鳴らす。
 伊東の野郎が何か仕掛けちゃいないかと思ったが、新人隊士を抱き込むなんて訳ないって高を括ってる野郎の目には止まらなかったらしい。俺の血の滲むような努力の賜物でもある。どんなに面見たくとも声聞きたくともここ最近との接触を断ってきたんだ。奴だって疑うまいさ。
 大きく真選組が動く今、隊内の派閥なんて知る由もない、戦う術のないを巻き込むわけにはいかない。どっちに転んだとしてもきな臭いことになるに違いないんだ。アイツはどっか遠い場所に避難させないとならない。土方の野郎はどっちに転んでもどうでもいいが、の安全だけは確保しないと。
 伊東の手が届かず、届いたとしても安全だと言える場所。万事屋の旦那んとこしかないだろう。事情は伏せてちょいとを預かってくれって一筆と金を添えればあの人ならやってくれる。姉上のときも世話になった。
「総悟…」
「、」
 危うく動きそうになった自分を制し、そろりと襖戸の隙間から畳の部屋を覗く。
 ……情けない顔しやがって。いつものイケメンぶりはどうした。俺がいないくらいで湿っぽい空気背負いやがって。似合ってねェんだよ。いつもみたいにさらっとした笑顔で余裕ぶっこいてればいいじゃねェか。なんだよ、俺がいないくらいで…。
(くそ)
 悪いことをしてると思ってる。一度目ならず二度目は全力疾走で大声で告白させたのに、俺はアイツに何も返してない。
 それというのも、最初に好きだと言われた夜、伊東の野郎が帰陣の目処がついたと連絡してきやがったからだ。
 前々から野郎と接触を図っていた俺には伊東の計画を蹴ることができなかった。好きだと言われて伝えようと覚悟した想いも呑み込むしかなかった。
 副長の土方を転覆させる計画。そこで止まればいいが、あの野心家はそんなことでは満足しないだろう。近藤さんという頭を落としにくるはずだ。だからこそ土方を蹴落とした空の席を俺にやるからって提案してきたんじゃねェか。野郎は必ず動く。俺はそこを押さえなきゃならねェ。
 思いきりとちゅーしたい。それ以上ももっとシたい。だがそれはもう少し先だ。
 これ以上アイツを見てたら飛び出していきたくなる。そんなことしたら今までの血の滲むような努力が全て水の泡。それだけは避けなくてはと襖戸をそっと閉め、どこでもいいからどこかへ行かなくてはと屯所内と彷徨って、結局近藤さんの部屋に落ち着いた。土方と伊東の確執はこの人の目にも見えてるんだろう、「おお総悟。茶でもどうだ」と言う顔にはいつもの覇気はない。
 黙って襖戸を閉め、畳の上に胡座をかく。
 いくらお人好しのこの人でも、そろそろ感づいてるだろう。これが策略であるってことに。
 どことなく渋い顔で急須で茶を淹れた近藤さん。「ほらよ」と湯のみを差し出されて「どうも」と受け取り、一口すする。渋い顔で淹れただけあって渋い味の茶だ。団子が欲しくなる。
「総悟よ」
「へい」
「お前、どういうつもりだ」
 渋い顔での渋い言葉。だが、俺がゲロっちまうわけにはいかない。今はあくまで伊東派についた、周囲にそう思わせなくてはならないからだ。「なんのことですかィ」と白を切ると、近藤さんはやれやれと首を振る。「隠しているつもりか? 俺に隠し事なぞ十年早いぞ」十年、と言う辺りが実直なこの人らしい。「だーから何がですかねェ」あくまで白を切り通す俺に、近藤さんは畳に掌を叩きつけた。
「喧嘩だろう! 喧嘩したんだろう!? おとーさんが間に入ってあげるから早く仲直りなさい! 見ててもー苛々すんだよお前ら!」
「…はい?」
「だから! と喧嘩したんだろう!? お前はプライド高いからな、自分から謝るなんてできなくて後手に回ってるんだろうが、宣言する。おとーさんはここに宣言する。いいか、思い切って謝りなさい。今ならも許してくれるって。そうじゃなきゃお前溝は広がってくばっかりだよ」
「いや…っていうか、仮に喧嘩だとして、なんで俺が謝らないといけないんでさァ。悪いのはかもしれないでしょーが」
「あの色男なら、自分に非があるなら素直に謝るよ」
 とんと現実から外れてる近藤さんにがっくり肩を落としたが、この人らしいとも思った。
 それに、全部が全部外れているわけでもない。喧嘩じゃないが、喧嘩みたいなもんだ。仲直りするときは俺からじゃなきゃ筋が通らないのもその通りだ。
 渋い茶をすすって、懐から一通の手紙を取り出して畳に置いた。『万事屋へ』と書いたこの手紙にはしばらくのことを頼むと依頼し、そのための金も一緒にしてある。
「コイツをに渡してくだせェ。これを持って歌舞伎町の万事屋のとこへ行けって伝言頼みます」
「お前が渡せ。仲直りの手紙くらい自分で行きなさい」
 まだそっちの話だと思ってるらしい近藤さんに呆れ、それを利用しようと思った。その方がこの人は動かしやすい。
 純情を装ってもじもじ指をいじり、視線を畳に逃がしつつ、「だから、そのォ、照れくさいじゃないですかィ。それに、喧嘩にしちゃ長引かせちまった。だからね、万事屋の旦那にちょいとサプライズの仲直り計画に協力してもらってて…俺ァその準備とかあるんですよ。だから、これ、に渡してくれって頼めるのは局長くらいしか」ちょっと芝居がすぎたか? とちらりと窺うと、近藤さんはだーっと涙を流しながら力強く頷いて手紙を手にしていた。
「なんだそういうことか、分かった。俺が責任を持ってしっかり渡そう!」
「くれぐれも余計なこと言わんでくださいよ。ただ万事屋へ行けで頼みます。サプライズですから」
「任せとけ!」
 どんっと胸を叩く近藤さんの馬鹿さ加減に今回ばかりは救われる。これでのことは旦那に任せとけば心配なくなった。
(さて、残るは…伊東。テメェだけだ)
 伊東鴨太郎が白か、黒か。見定めた上で決めさせてもらうぜ。テメーを斬るか否かをな。