君の欠片に縋る朝

 朝目を覚ますと、部屋の襖戸が開いていた。そこに近藤が胡座をかいて座っていたので、寝起きの頭でこれは何か大事が起きたに違いないと思い、布団から這い出す。
 この間の会議で土方の無期限の謹慎処分が決定した。それから俺は一度も土方を見ていない。副長のいなくなった席は今のところ埋まっていないけど、明らかに伊東派が力をつけつつある。きっと何かが動いたのだ。水面下で動きの見えなかった刀の先がどこへ向かっているのか分かったのかも。
「局長、何か、ありましたか」
 正座し、まだ寝てる声をかけると、近藤は無言で畳に何かを置いた。眠い目をこすってその何かに目を凝らす。『万事屋へ』…って書いてあるように見える。
 それに、この字は。総悟の。
「これを持って歌舞伎町の『万事屋銀ちゃん』へ行くんだ」
 至極真面目な顔と声音にはいと返そうとして思い留まる。万事屋…銀ちゃん?
「は…え? 万事屋、ですか?」
「そうだ」
「それは、仕事ということでしょうか」
「個人的なお願いだな。隊服ではなく私服で行け。いいな」
「はぁ…」
 何もこんなときにそんなことを頼まずともと思ったけど、近藤の目が真剣そのものだったので、ぴっと敬礼して「分かりました。着替えたらさっそく訪ねに行きます」と返事をする。近藤は力強く一つ頷いて、用はそれだけだったらしく、黙っていってしまった。
 総悟の欠片でもいいから触れたいと畳に置かれた白い封筒の手紙を抱き、キスをする。筆と墨による文字から総悟のにおいなんてしないけど、総悟がこれを書いていた、そういう姿を想像できるだけでも、この手紙の存在が嬉しい。
 誰かの口から総悟の話は聞く。総悟が伊東派についたらしいとか、土方を嵌めるのに伊東と組んだのかもしれないとか、おニューの刀はなんか音楽が聴けるすごい高いヤツらしいとか、色々。話だけなら誰かの口から簡単に聞けるのに、肝心の総悟は雲隠れしたみたいに姿が見えない。
 いつの間にか、遠くなってしまった。雲の上に隠れた太陽みたいに。
 そのぬくもりの一片でもいいからと雲間を射す陽の光のあたたかさと明るさを望むように、総悟を望む。そのぬくもりは俺にとって人生の光だ。なくちゃいけない。なしじゃいけない。だから、総悟の望みなら、万事屋銀ちゃんってところへ行くよ。ちゃんと行く。だから、もう少しだけ、この手紙を抱かせて。
 山崎とか隊士のみんなには『局長にお使いを頼まれた』と説明して屯所を出た。
 カランコロンと下駄を鳴らしながら屯所を離れ、きっと屯所内のどこかにいるんだろう総悟を思って足を止めて振り返る。…誰の姿も見えない。
 ふぅ、と一つ息を吐いて、もう振り返ることはせずに歩き始める。
 簡単に図で書いてもらった万事屋銀ちゃん目指して歌舞伎町を歩く。いつかに近藤にナンパを頼まれて歩いた場所だ。…あのときは総悟とちゅっちゅできたのになぁ。
 あの頃が懐かしいと痛む左胸を押さえつつ、『万事屋銀ちゃん』の看板のある二階建ての建物の前に立つ。一階には『スナックお登勢』…間違いない、ここの、二階だ。
 脇にある外階段を下駄を鳴らしながら上がり、引き戸の前に立ってインターホンを押す。ピンポーンというありふれた音のあとに「はいはーい」とやる気のなさそうな男の声と足音が続く。
 ガラリ、と引き戸が開いて、銀髪の人が出てきた。年齢は俺とそう変わらない、全体的にやる気のなさそうな感じを受ける、流し着物に腰には木刀というよく分からない出で立ちの人だ。廃刀令の時代に木刀?
「誰、おたく」
「これを預かってきて」
 総悟の字で『万事屋へ』と書かれている手紙を差し出す。裏には『沖田』と書かれている。それを見ると銀髪の人は顔を顰めた。「何、イタズラ?」「さぁ」「さぁって。おたくも加担してんでしょ? 憎いイケメン面しやがってよぉ」ぶつくさ言いながらも手紙を開封する相手を眺め、その向こうからばたばた駆けてくるチャイナ風の子に視線を移す。血が繋がってるようには見えない。万事屋経営のメンバーの一人ってところだろうか。
「銀ちゃーんどうしたアルか。誰アルこのイケメン」
っつーらしい」
 どうやら手紙には俺の名前があるらしい。
 封を開けたら分かるようノリの部分には×印がつけられていた。中は見ていない。すごく読みたかったけれど、万事屋に持っていけってことは仕事か何かの依頼だろうから。そういうものは勝手に見ちゃいけないだろうし。
 チャイナの子の後ろから大きな犬がのしのし歩いてきた。…すごく味のあるメンバーだ。あれ、犬? 天人かな。いくら何でも大きすぎる。大型犬とかって種類じゃない。
 手紙を読み終えたらしく、銀髪の人は顎をしゃくって中を示す。「まぁ入りな。話はそれからだ」と言われ、大人しく従い、「お邪魔します」とこぼし玄関にカラリと一歩踏み込む。
 ふんふんと鼻を鳴らす大きな犬に背中を押されるような形で奥の部屋に行き、「まぁ座れや」とソファの席を促され、着席する。「神楽、お客さんに茶淹れろ」「うん」神楽というらしいチャイナの子がばたばたと部屋を出て行く。
「まずは自己紹介からいこうや。俺ぁこの万事屋を営んでる坂田銀時ってもんだ。あ、これ名刺ね」
 どうも、と受け取って礼儀でひと通り目を通してからテーブルに置く。「俺は、真選組の新入りで、沖田っていいます。総悟は手紙でなんて言ってますか」さっそく切り出すと、坂田は小判を一つ振った。「コイツが中に入ってた。依頼内容はアンタを保護すること」「…保護?」首を捻った俺に坂田は首を竦めた。「余分なこたぁなーんも書いてない。読むか」がさ、と手紙を揺らした手から総悟の欠片を受け取り、総悟の文字が並ぶ紙片に、愛しさで目を細めながら、その文字が構成する文章を見つめる。


 万事屋の旦那へ

 これはイタズラとかじゃなく個人的な仕事の依頼なんで、真面目に頼みます。
 料金は先払い。それで足りなかったら後払いもしやす。
 依頼内容は簡単だ。
 この手紙を持ってきた沖田ってイケメンを保護してくだせェ。手段は問いやせん。
 俺が迎えに行くまで、を頼みます。

 沖田総悟 


 総悟の字だ。総悟の。総悟が俺のことを話してる。
 その文字だけでも愛しくて、手紙を顔に押しつけるようにしてキスをする。
(総悟。総悟)
「…この手紙、もらっても?」
「好きにしろよ」
 神楽がお茶を持って戻ってきた。「お茶アルー!」「…ありがとう」変に乾いた喉に水分を流し込む。そんな俺ににやっと笑った坂田がいる。「つーか何ぃあんたら。え、何沖田って。結婚でもしてんの?」「馬鹿アルか銀ちゃん、男の人同士は結婚できないアル」神楽にツッコまれている坂田に苦笑いを返し、飲み干した湯のみを置く。
 俺達は、何なんだろう。
 随分顔を見て話なんてしてなくて、声だって聞いてないし、姿だって見てない。それなのにこの手紙で総悟は俺のことを頼むと書いている。俺のことを避けているんだと思っていたのに、ここじゃ違う。…何がしたいんだ総悟は。俺のこと近づけたと思ったら遠ざけて、遠ざけたと思ったらそうじゃなくて。俺はお前の何を信じたら。
 俺がからかっても面白くない相手だと分かった坂田は渋い顔でお茶をすすった。
「でもまぁ、あれだ。アイツが俺を頼ってでもアンタを任せてきたってこたぁ、そんだけアンタがテメェにとって大事だってことだろ」
「…そうかな?」
「そーだよ。あの生意気なガキが簡単に他人を頼ると思うか? たとえ『依頼』って形だろうが癪なはずだぜ。借り作るなんざできるだけしたくないだろう。そんでも俺を頼ったんだ。アイツにとってアンタはそれだけ大事なんだよ」
「……そうかな」
 じくりじくりと痛む左胸を押さえる。
 総悟にとって俺が大事。そう、だったらいいけど。それならどうして総悟は何も言ってくれないんだ。俺が大事なら、俺が嫌いじゃないってことでしょう。嫌いだったら大事なんて思わない。
 少しくらいの好意でいいんだ。それだけでいいんだ。好きなんて贅沢な言葉は望まない。ただ、気に入ってるとか、悪くないとか、そんなのでいいから。
(俺を、望んで)
 夜。万事屋銀ちゃんの経営者、坂田の隣に布団を並べられて、隣が寝入るまで様子を窺い、布団から這い出た。
 やっぱり自分で確かめないとならない。総悟が何を考えてこんなことをしたのか。お前は俺のことを好きなのか、嫌いなのか、もっと別の言葉でもいいから、とにかく総悟の言葉が欲しい。
 そっと襖戸に手をかけたときだった。「やめときな」と坂田の声がした。寝たろうと思ったら、向こうも俺の様子を窺っていたらしい。
「こっちは仕事だからな、依頼者の意向を優先する。手紙には手段は問わないってあった。意識奪ってでもアンタにはここにいてもらうぜ」
「…………」
 ぐっと拳を握り、襖戸から手を離した。
 総悟の意向。総悟の、考え。総悟のしたかったこと。
 俺の保護、ということは、真選組から遠ざけるってことでもあって。その真選組は今危うい均衡で勢力は二つに割れている。土方派と伊東派による水面下での派閥争い。土方派は頭を失い、あとは伊東派が穏便にそうあるべきように派閥を統治する、そんなところまできている。
 総悟は伊東派についたと人伝に聞いた。
 確かに、何かと土方と衝突しては副長の座うんぬんと言ってた気がする。そのために土方を陥れようと画策する伊東と手を組んだ…というのは考えられる可能性だ。
 でも、その先は?
 伊東の奴が『土方は気に入らないから真選組から消えてもらおう』と計画する。総悟に『土方がいなくなったら君に副長の席をやろう』と提案し伊東派に引き込んだとする。それで? 伊東の利益はどこにある? 土方派がなくなればこれまでより伊東は動きやすくなるだろう。けれどせいぜいそこまでだ。真選組の局長は近藤だ。近藤がいる限り真選組は、土方派は彼に従うだろう。
 まさか、伊東は土方のみならず近藤をも真選組から消そうとしている? それなら伊東の利益はある。野心家らしく全てをいただこうっていう形が。
(そんなことなら総悟が黙っちゃいない。アイツは近藤を慕ってる。父親みたいに。副長の座とは言うけど局長の座なんて言わない。それはない)
 何かが食い違う。何かが噛み合わない。一体何が。
 むんず、と着物の襟を掴まれ引きずって布団に戻された。「おら寝ろ。お前が寝れないと俺も寝れないでしょーが」とこっちを見下ろす坂田を見上げ、吐息を一つ。「坂田」「銀時でいーよ、苗字は痒い」「じゃあ、銀時」「なんだ」「俺、総悟のことが好きなんだ。ライクじゃないよ。ラブって意味で」眠そうに欠伸をしていた銀時がその姿勢でぴたっと止まった。
「今流行りのホモってやつか」
「流行ってるかは知らないけど…総悟のことを愛してるんだ。そういう場合、俺はどうするべき? それでもここにいて、総悟のことを待ってるべき?」
 銀時はあからさまに面倒くさそうな顔をした。それからはぁーと溜息を吐くと一人布団に潜り込んで投げやりに手を振る。
「少なくとも、今アンタが真選組に飛んで帰っても、奴は喜ばないんじゃないか」
 うん。それは、俺も思った。
 誰かを頼ることなんてしないだろう総悟がここまでしたんだ。俺のことを銀時に頼んだんだ。ここで戻っても、総悟のためにはならない。
 もそもそと布団に入り込んで、総悟が無茶をしないことを祈りながら、目を閉じる。
 やっぱり好きな子のことは信じたい、なんて、俺も甘いなぁ。