目が覚めて医者に言われたことは二つだ。一つめ、「妙な落ち方をしたもんだね。全身ボロボロだったけどわりと無事だよ、わりと」二つめ、「怪我はそのうち治るだろうけど、感覚麻痺の傾向があるからね。頭を打った影響だろうけど、君の中のスイッチの切り替えがおかしくなっちゃったみたいでね。これはちょっとどうしようもないから、まぁ、覚悟しなよ」だ。
 感覚麻痺、ってなんだ。感覚が麻痺するのか。それってどういう感じなんだ。痛みを感じなくなるとか? 喋れなくなるとか? 痺れてくるとか? どのくらいの頻度でどの程度の症状が……ああ、その前に、俺はなんで病院で医者にそんなこと言われてるんだっけ?
 回転が鈍いと感じる頭で一つ一つ憶えていることを手繰っていると、天井と点滴のパックと管しかなかった視界に人の頭が入り込んだ。蛍光灯が眩しくて顔が見えない。
「よォ」
「……そーご?」
「ぐあいはどうでィ馬鹿
「別に、痛くない。ちょっとぼんやりする…」
「麻酔が残ってんだよ。結構大掛かりな手術だったから」
 そうなんだ、と他人ごとのようにこぼしてそーごに触れようと手を伸ばそうとして、気付いた。身体が動かない。指の感覚が、ない。「そーご、俺、手が。そーごに触れない」「…一時的なもんでィ。あと、俺に触れないくらいでそんな情けない顔すんじゃねェよばーか」ぺち、と頬を叩かれた。その感覚も分からないけど、温度は分かる。
「一時的? ほんと? ずっとこうじゃない?」
「違う。スイッチの切り替えが上手くいってないだけでィ。さっき医者が言ってたろーが」
「ああ…そういう……」
 そういうことか。一時的に、こうなってるだけ。こういうことがこれからもある…。
 俺は、どうしてこうなったんだっけ?
(確か…そーごの、隊舎で受ける試験に、受かるようにって、神社に祈願しに行って…それで……)
 それで。それで、なんだっけ。階段。そう、あの長い階段を下りて帰ろうと。帰ろうとして、それで。
 何度か瞬きしてぼやけてくる視界の靄を払う。「そーご。そーご」「連呼すんな」「そーご、俺、落ちた?」長い階段を下りようとして、300段あるという石段を一歩下りて…そこから先の記憶が飛んでいる。ということはそういうことだと確認すると、そーごの赤い目が少しだけ逃げた。「悪かったな。掴んでやれなくて」ぼそぼそ謝ってくるそーごに頭を振りたかったけど、首はがっちり何かで固められてて動かなかった。多分ギプスだ。首の骨に何かしらあったのかもしれない。どうでもいい。今は痛みはないし、怪我なんてどうでもいい。そんなことはどうでもいいんだけど。
「俺、また、立てる? 腕、動く? そーごのこと抱ける?」
 怪我も痛みもどうでもよかったけど、もうそーごのことが抱けないというのなら、生きている意味の大半が失われる。まさに死活問題。
 本気で訊ねたのに、そーごは呆れた顔で唇を歪めて笑った。「お前ってホント、ばっかだなァ。馬鹿」ばーか、と声を震わせたそーごがベッド脇に蹲って俺の視界から消える。心配で不安で「そーご」と呼ぶんだけど、そーごが俺の見える位置に戻ってくることはなかった。ただ静かに泣く気配だけがあった。身体が動いたら抱き締めてやりたいのに、指の一本も動かせない俺は、唯一動く口で「そーご」と愛しい人を呼び続けるしかなかった。泣かないで、と声をかけ続けるしかなかった。
 そーごはどうして泣いてるんだろう? 考えたけど、理由は分からない。麻酔でぼんやりしてる頭では細かいところまで思考がいかず、そーご、泣かないで、と馬鹿みたいに繰り返すことしかできなかった。
 そーごの厚意で個室の部屋をもらって、調子のいいときは外まで歩いてみるし、感覚がなくなったときは車椅子で運んでもらう。
 頭を打ったんだとかで、手術のために剃られて髪がなくなっている自分の頭には鏡を見る度にがっかりするので、だいたいニット帽をかぶって誤魔化している。
 そんな入院生活と自分の身体に慣れ始めた頃、なんだか怖くなった。
 これは、もう治らないと言われた。俺はこの身体で一生生きていかないといけない。
 ただでさえそーごには呆れられている。なんでそんなに馬鹿なんだっていつも言われた。馬鹿でもなんでも、そーごのことが好きだから仕方ないって開き直ってたけど、これは、そういう言葉じゃすまされない。
 俺が階段を踏み外して落っこちた。そーごの試験が受かるようにと祈願に行ってとんでもない失態をしでかした。そーごはいよいよ俺に呆れているに違いない。きっと怪我が治って退院する段階になったらもううんざりだって捨てられるんだ。最低限面倒はみた、あとは自分でなんとかしろって。
 そんな未来が恐くて布団をかぶって震えていると、感覚がなくなった。そうすると震えは嫌でも治まった。
 病は気からとはよく言う。気合いで全部がどうにかなるわけじゃないけど、弱気になったら、病気の方が勝つ。これは決まっている。
 もうすぐそーごが仕事を終えてお見舞いに来てくれる時間のはずだ。
 嫌だ。こんな俺は見せたくない。感覚がなくなったから、堪えていた涙がだだ漏れだ。何度も瞬きして落とすんだけど涙腺の方が言うことを聞かない。
 嫌だ嫌だと何度も瞬きして涙を落としているうちにそーごが来てしまった。ノックなしでガラリと引き戸の扉が開く。この開け方をするのはそーごしかいない。
?」
 そーごに呼ばれて呼吸が変になる。来ないで、こんな俺は見ないでと思ったけど口が動かなかった。呼吸がまた変になる。
 布団をかぶったまま何も言わない俺を不審を思ったそーごが問答無用で布団を剥ぎ取って、涙をこぼしながら変な呼吸を繰り返す俺を見下ろした。目だけは自由だったけど、逃げるように閉ざした。そーごの呆れた顔を見たくなかった。
 どんなそーごでも嬉しかった。どんなそーごでも愛しかった。
 今は、少し怖い。
 どんなに否定されたって笑ってこれたのは、否定された分求めていける自由な心と身体があったからだ。引き離された分近づいていけた。それは俺の自由な意思でどうとでもなった。
 でも、この身体は駄目だ。今の俺は置いていかれたら手を伸ばすことも追いかけることもできない。そのまま一人、取り残される。
。瞬きでいいから答えろィ。俺のこと好きか。イエスが一回、ノーは二回」
「…、」
 そーごの命令に、そろりと目を開ける。無表情にこっちを見下ろすそーごに一度瞬きした。「次。今も俺のこと抱きてェか」イエス、でこれも一度瞬きする。
 俺の気持ちはこうなる前も後も変わらない。けど。なんで今そんなことを訊くんだろう、そーごは。
 ふっと息を吐いたそーごが病室の扉に鍵をかけに行く。カチン、と無機質な音が響いて、続いてそーごは真選組の制服の上着を脱いでソファに放り投げた。さらにズボンのベルトに手をかけて外す。シャツの襟元をくつろげながら邪魔だとばかりに布団を蹴落とし、ベッドに上がってくる。
 そーごは何も言わないで俺の病人着のズボンを下着ごとずり下げた。そのまま何も言わないで俺の性器にかぶりつく、その熱い舌を感じた。温度だ。そーごの温度が分かる。急な展開に頭がついてこなかったけど、そのことは嬉しかった。動くけどそーごの体温が分からない身体より、動かないけどそーごの体温が分かる身体の方がまだいい。
 そーごはこういうことが上手だから、あっという間に俺のを大きく勃たせた。
 今日は最初からそのつもりだったのか、そーごは用意よろしくローションを落としていく。
「そ、ご」
 なんとか口が動いた。「おれ、ぅ、ごけ、な、ぃ」「見たら分からァ」「だ、けな」「できる。黙ってろィ」ぴしゃっと言い切られて口をつぐむ俺の前でそーごがシャツだけを着た状態で俺の上に跨った。俺は今自分で何もできないのに、そんな俺とどうやってセックスするんだと思っていると、そーごが唇を噛んで勃った俺のを掴んで入り口に先を当てた。何か言う前に全部、一気に体重をかけて挿れる形になって、そーごのあったかい中が懐かしくてまた涙がこぼれた。
 折れてるとことか縫った頭とか、怪我が多くて、安静にしなければいけなかったし。ここは病院だ。敷地外に出る許可は出てない。シャワーは時間制限があるし、病院はそういうことをする場所じゃない。だからそーごとするのは久しぶりだ。入院してから初めて。
 ふー、と大きく息を吐き出すことを何度か繰り返して息を整えると、そーごは黙って腰を振った。水っぽい規則的な音と、そーごの荒い呼吸音が暗い病室に響く。
 じわじわ、じわじわとだけど、そーごの締めつけ感を感じるようになってきた。熱い。気持ちがいい。
 そーごのも反り勃ってるってことは気持ちよくなってるってことだから、よかった。いつも俺からねだってそーごのを大きくして指で慣らしてからしか挿れたことがなかったから、こんな乱暴で一方的なセックスは初めてだ。
「気を、遣いすぎ、なんでィ、てめーは」
「え?」
 息を切らせたそーごが俺の上に座り込んだ。自重でそーごの奥の方を先っぽが掠める。その感覚に酔い始めているのか、垂れそうになった唾液を腕で拭ったそーごの顔は赤い。
が動けなくたってな、ヤる方法なんざいくらでもあんだよ。これは騎乗位っていう」
「騎乗位」
「これならてめーが寝っぱなしになってもできるだろィ」
「うん」
「感覚がなくなっても、車椅子を押してやる。ずっとじゃねェんだ。スイッチが上手く切り替わればすぐ治る。そのための方法を、探す。江戸にこれ以上がないってんなら天人だって利用する。いいか、諦めんな。諦めたらホントに捨てるぞ。いいな」
 びしっと指差されてこくこく頷いた。それで首から上がちゃんと動くのに気付く。
 ふー、と震える息を吐き出したそーごが唾を飲み下し、また動き始める。肌と肌がぶつかる度にベッドが静かに軋む。
 水っぽい音と荒くなっていくそーごの呼吸と赤い顔を見ているうちに、昂ってきて、「そーご、どいて」と声を絞り出す。「ハァ?」「でる。我慢、できない」一生懸命耐えてる俺に唇を歪めて笑ったそーごはいっそう激しく動いた。熱く絡みついてくる肉の壁がそーごが動く度にずるずると上下して出してしまえと俺を追いつめる。
「そーご、そーごほんとに、もう、」
「出して、いい。中に」
 その言葉で射精してしまった。感覚の制御が上手くできない今ではもう堪えようもなかった。
 唇を噛んで射精を受け止めたそーごは、ふらっとした動作でベッドに膝をついて、抜かないまま、俺にキスしてきた。乱れた息が肌を撫でる度に愛しいという気持ちがこみ上げてどうしようもなかった。泣きたいわけでもないのにまた涙がこぼれて、そーごは黙って指先で俺の涙を払いのけた。頬に、鼻の頭に、額に、唇に、何度もキスが降ってくる。
 今日のそーごは、変だな。優しい。なんでだろう。俺が弱ってるって知ってたみたいだ。
「そーご」
「ん」
「イッた?」
「まだ」
「じゃ、口で抜く。ちょーだい」
 あーんするとそーごが呆れた顔をしつつも起き上がった。ずるり、と熱が逃げて、そーごの中に出して満足していた俺の性器は寒いくらいの空気に晒されて縮こまった。
 今にも弾けんばかりに硬くなっているそーごの性器を口に含んで、先から漏れてる精液を味わう。舌の裏側のやわらかい部分、表のざらっとした面、口全体で吸うように。たまに歯を立てて、舌の先っぽとそーごの先っぽでキスをする。そーごと違って俺は上手じゃないけど、口はだいぶ動いたので、できるだけの奉仕をしてそーごをイかせた。上顎辺りに勢いよくどろっとした液体が飛び散る。
 ごくり、と飲み下すとそーごの指が俺の喉仏をつついた。「平気で飲むよな、は」アイスをしゃぶるみたいにそーごのをきれいにしつつへらっと笑う。
「慣れ、だよ。おいしいと思えばおいしい。俺には、そーごのはおいしい」
 だって、そーごの体液だ。そーごの一部だ。まずくたって食べるよ。飲むよ。そーごの一部が俺の一部になってくれることを祈りながら。
 そーごが怪我をしたら血だって舐めたい。皮膚が削れたら剥がれて落ちた皮でも食べたい。俺はそーごの全部が欲しい。愛も、身体も、声も、意識も、全部。全部。
「そーごの全部、俺にちょーだい」
 言ってから、また馬鹿って呆れられるんだろうなぁと思ったのに、違った。そーごはぽろぽろと涙をこぼして泣き始めたのだ。慌てて起き上がろうとするけど失敗する。まだそこまで感覚は戻っていない。「そーご?」なんで泣くんだろう。いつもなら呆れた顔で俺のことを笑うのに。
 そーごは泣きながら俺の病人着を掴んで引きずり上げるように起こした。動かない腕を掴んで自分の身体に回して、俺のことを抱き止めて、抱き合っている、という形を作る。
 そうか、抱き締めてほしいんだなと思って動けー動けーと自分の身体に念を送り、少しずつ、そーごのことを自分の意思で抱き締めていく。
 …あったかい。
「俺のこと、愛してるか?」
「愛してる」
 即答した俺にそーごは笑った。笑いながら俺のニット帽をかぶった頭を優しく撫で回した。少しだけ傷が痛んだけど言わないし顔にも出さない。「俺も、愛してらァ」という小さな声はとてもささやかだったけれど、これ以上ない幸福を運んできた。病室がまるでエデンの園になったみたいに明るくてあたたかい。そんな錯覚すら覚える。
 明るい茶髪に顔を埋めると汗のにおいがした。
 汗の滲むそーごの肌を舐めて、少しだけしょっぱい汗も全部俺の中に取り込んで、そーごの一部が俺の一部になってくれることを本気で願った。
(そーごになりたいわけじゃないよ。俺は、ただ、そーごの何もかもがほしいだけだ)