君と再会する一日前の、十八夜にて

 万事屋銀ちゃんのメンバーは三人プラス一匹だ。
 まず看板の通りの万事屋を営む存在、坂田銀時。次に志村新八という眼鏡の男子(志村ってどこかで聞いた気がするけどどこだったかな…)。それから天人であるらしいチャイナ服の神楽と、犬の定春(かなり大きい。人が乗れるサイズをしてるから天人かもしれない)。
 現在、そこに俺が居候として加わり、万事屋銀ちゃんは四人プラス一匹という賑やかなことになっている。
「あっちょっと神楽ちゃんそれはさんのおやつだよ! せめて銀さんの食べて!」
「ちょっと待てぇ俺のプリンはやらんぞ! 新八お前が譲れよ、男だろ!」
「あんただって男でしょーが!」
「誰でもいいから私にプリンを寄越すアル! こんなちっさいプリン一個じゃ満足できないネ!」
「ワウ!」
「…………」
 賑やかというか、正直なところ、うるさい。真選組以上に。三人と一匹なのに。
 とくに甘味が好きというわけでもないので、プリンのことで喧嘩してる三人にまだ開けてないプッチンプリンをテーブルに置く。「俺はいいよ」「えっ! いいの、もらっていいの!」「どうぞ。食べて」わーいと両手を挙げた神楽が新八と銀時が止める間もなくべりっと蓋を剥がすとプリンを吸い込むようにして食べた。…喉に詰まるといけないからその食べ方はやめた方がいい気がする。
 プリンをあげたらあげたで「お前っ、がイケメンだからって調子に乗ってんなよ! あくまでお客さんなんだぞ! お客さんのプリン食べちゃ駄目だろ!」「だって銀ちゃんくれないアル」「もーほら何してんですか! ほら、ここは銀さんのプリンをさんに…」「じゃあテメーのにしろ!」「嫌です!」「…………」うん。何も変わらなかった。会話が少し違う方向を向いただけで。
 世の中にはこういう賑やかな人達もいるんだなぁと思いながらテレビを眺める。ブラウン管の箱型の小さなテレビでは江戸のターミナルから宇宙旅行という平和な番組が流されている。
 ギャーギャー言い合っていた三人は、プリンを片付けると顔を見合わせ、揃って立ち上がった。「よぉし買い物行くか。金はあるしな」「うわーいアル!」「ほら、さんもですよ」万事屋に保護されている俺はついていくしかないので、肩を竦めてソファを立つ。
 嫌だと言ったところで定春に着物くわえられて引きずってでも連れていかれる。なら大人しくついていった方がいい。
 裸足の足で下駄を履くと、神楽が興味深そうに下駄を見ていることに気付いた。
「それはなんでカラコロ鳴るアルか?」
「木製、木でできているからだよ」
「木? そんなんで走れるアルか?」
「まぁ、慣れれば。あんまり長いのは転ぶし、早くも走れないけど」
「なんでそんな不自由な靴でいるアルか。銀ちゃんみたいにブーツ履けばいいアル。寒くないし、走れるし、一石二鳥アル」
「…うーん。こう、ピッタリくっつくものが苦手なんだ。緩いものの方が好きで」
 真選組の制服はピッタリだし、靴だってそういうもので、ずっと着物と下駄でゆるゆる生きてきた俺にはなかなか窮屈だ。いつまでたっても慣れない。その分私服は緩いものばかり着ている。総悟にこれ着ろって言われたときはそれを着るけど。
 カラン、コロンと下駄を鳴らしながら歩く。ぐるぐる俺の周りを回って下駄を観察していた神楽がびしっと手を突き出してきた。その手の意味を図りかねて首を傾げると、地団駄を踏まれる。「美少女が手を差し出したら握るの普通アル!」「ああ…」随分とませてるなぁと苦笑いして手を差し出すと、輝いた顔でぎゅっと手を握られた。小さい手だ。
 上機嫌に手を前後に振る神楽とは反対側、俺の右手に並んだ銀時がやれやれと銀髪頭をかく。「なんか保護者みたいになってすまんね」声を潜めて謝罪され、肩を竦めて返す。
 これくらい、かわいいものだ。キスをねだるわけでもなく、身体を求めるわけでもない。
 女がいつから怪物になるのか俺は知らないけど、みんながみんなこれくらい子供だったらいいのに。手を握るだけで満足してキラキラ笑ってくれるような純粋さで止まってくれたらいいのに。
 大江戸スーパーで俺を含めた分の食材その他を買うため、自動ドアをくぐった。定春は衛生面から外で待機。
「一つだけ好きなもの持ってこい。いいか、あんまり高いのは買わないからな」
「マジですか!」
「やったーアル! ねぇ銀ちゃん定春の分は?」
「あー、定春にはおやつでも選んどくから、さっさと行けって」
 しっしと手を払われて、二人は欲しいもの探しにスーパー内を走って行く。
 子供だなぁ、と思いながらその背中を眺めた。やれやれと息を吐く銀時は面倒見がいい。もしかしたら俺を気遣ったのかもしれないけど。
「で、アンタの欲しいもんは?」
「総悟」
 即答したら呆れた顔をされた。「そりゃ売ってないから無理だ。スーパーにあるもんで頼むよ」…そう言われても、まともにスーパーで買い物をしたこともない。前職のときは、食材は配給制だったし、たいていのものは頼めばマスターが用意してくれた。自分で外に行って買いに行ったものなんて数えるほどしかない。
 真選組に入ったら入ったで、ここでは食堂でご飯を食べるし、屯所の敷地内で寝泊まりする。俺の当面の仕事は屯所の受付でのデスクワークで、これも外に出る機会があまりないままだった。
 スーパーっていうのはそもそも何があるんだろうと思い、適当に見て歩く。野菜から冷凍食品、レトルトまで、幅広い食品に、ティッシュ箱からキッチン用品まで基本的なものが揃っている。
「何でもあるんだ」
「そりゃスーパーだからな。デパートの品揃えとはいかないが……つーかその口ぶり、スーパー来たことないとか言わないよな?」
「まともに来たのは初めてくらいかも」
「はー…そんな人間がこの世にいるたぁ驚きだ。あんたボンボンなのか」
 驚きと呆れを混ぜたような顔の銀時に薄く笑んで返す。
 ボンボンとは程遠いけど、世間知らずという意味では似たようなものだ。
 そう。俺は狭い世界の中で生きていた。狭いから生きていくのが楽な世界で、腐った空気の充満する場所で、生きていた。
 自分自身を腐らせていく腐敗した空気を、それでもいいかと思っていた俺の世界を、総悟が変えてくれた。総悟が風を運んできたんだ。沈殿していた空気を残らず吹き飛ばして、新しくするような、風を。
「デパートっていうのは何?」
「あー、スーパーの格上みたいなもんだ。いいもんが揃ってるがその分値段も高い」
「へぇ」
 適当に商品を手に取っては棚に戻すを繰り返す俺に、日本茶の一番安いパックを籠に放り込んだ銀時が首を捻る。「コンビニも行ったことないのか?」「遠目から、見たことはあるけど」「はぁ…イマドキ絶滅危惧種だよ、アンタみたいな奴は」へぇ、と適当に相槌を打って、『特売』の札が立っているワゴンカートの方へ行く。俺の保護が仕事の銀時はカートを押しながら適当な感じで買い物籠に物を放り込みつつ俺についてくる。
 特売のカートの中には適当な感じで値下げシールを貼られたものが詰め込まれていた。これは、つまり…投げ売りか。子供が好きそうなおまけつきのお菓子からレトルト品まで色々ある。

 赤。

 適当に見ていると、総悟の瞳とよく似た色の赤いガラス玉を使った玩具の扇子を見つけた。本物を知ってるだけにすぐ壊れそうだと思いながら手に取ってみる。「なんで扇子よ」ツッコミを入れてくる銀時に苦笑いをこぼして着物の袖の中から自分の扇子を取り出す。パチン、と広げてひらりひらりと軽く扇子を泳がせ、「昔、こういうことしてたんだ」とぼやいて玩具の扇子をカゴに入れた。銀時が胡乱げな顔で俺の扇子と玩具の扇子を見比べる。
「そっちのが物がいいんだろ。こんなのでいいのか」
「…その扇子に使ってあるガラス玉が、総悟の目の色によく似てるんだ」
「あーはいはいそうですか。じゃあこれね、はい決定」
 呆れ顔でカートを押して歩いていく銀時の斜め後ろを歩きつつ、総悟のことを思う。
 今頃何を考えて、何をしてるのか。すっかり部外者となっている俺には現在の真選組の内情も分からない。
 総悟が、手の届かない遠くへ行ってしまう気がして、気持ちばかりが焦る。
 左胸は総悟を思う度に痛くて、恋は病気っていう表現は本当だったんだなと何度も思い知った。
 我慢できなくなって万事屋を飛び出したことが一度だけあったけど、手段は問わないと手紙にあったように、銀時は峰打ちで俺の意識を奪って万事屋に連れ戻した。総悟が頼っただけあって銀時は腕が立つらしい。俺みたいな剣道初心者では太刀打ちできない。
 俺は、総悟があの引き戸を開け放って、手紙の通りに迎えに来てくれるのを待つしかなかった。
 ……それでも、夜が来ると、どうしても目が冴える。せっかく作りかけていた日付が変わる前に寝て朝早くに起きる健康的なリズムも、身体を動かさずぼんやりしているだけの毎日じゃ、ズレていくばかりだ。
 俺はもともと夜の世界の住人。そちらの生活の方が圧倒的に長かったから、身体が、そちらを基本として憶えているんだろう。
「銀時」
「あ?」
「散歩に行きたい」
「夜の一時なんですけど…寝ないわけおたく。日々夜が遅くなってる」
 眠そうに欠伸する銀時の指摘に思わず苦笑いがこぼれる。
 真選組という生活の基盤となりつつあった場所から抜け出して、やることもとくになくなって、身体が腐り始めている。風が吹かなくなって、空気が淀み始めて、このままだとそのうち腐ってしまう。あの頃みたいに。
「付き合ってくれないか。一人で出ていいならそうするけど」
「あー、はいはいはい…」
 億劫そうに起き上がった銀時が寝間着の着物の帯に木刀を差した。眠そうに欠伸を連発しながらも俺の希望を叶えてくれるようだ。面倒見がいいな、銀時は。
 神楽を起こさないように二人でそっと万事屋をあとにし、引き戸の扉をゆっくりと音が鳴らないように閉めて、外階段を慎重に降りる。階段の下で寝ていた定春がぱたっと耳を動かして顔を上げたので、わん、と言われる前に大きな口に手を当てた。しー、と唇に指を当てた俺の言いたいことが伝わったのか、定春はぱたぱた尻尾を振るだけで吠えなかった。
 ふわ、と欠伸をこぼした銀時が気付いた顔で夜空を見上げる。「おー、でかい月だな」という声に視線を上げると、十八夜の月がぽっかりと浮かんでいた。
「十八夜か」
「あん? なんだそれ」
「月の呼び方だよ。満月とか新月とか、そういうもの」
「ふーん。アンタは知識に偏りがあるなぁ」
 指摘されて、苦笑いするしかなかった。その通りだから。
 散歩に行く俺達に定春がついてくる。
 一時過ぎともなれば、落ち着きのない歌舞伎町といえども、民家のある場所は静まり返っている。賑やかな場所…夜でも営業している、俺が知っている空気に、楽な方に、つい流れそうになる気持ちをぐっと堪え、静かな住宅地の中を歩くことを選ぶ。
 河原まで出て、緩い堤防をくだって落ちている棒切れを拾い上げる。「定春、定春」手招きすると定春は尻尾を振りながら寄ってきた。「取って、おいで!」渾身の力で放り投げた棒切れを追って定春が大きな体躯で駆け出す。銀時は定春と遊ぶ俺に感心してるような呆れてるような顔でまた欠伸をこぼした。
 眠れない夜は長い。やるべきこともない日々は不安ばかりを疼かせる。
 総悟に会いたいな。この不安を、淀み始めた空気を、総悟の風で吹き飛ばしてほしい。
 それからキスがしたい。キス以上もしたい。あの赤い瞳と見つめ合いたい。夜目が覚めたときは、総悟の寝顔を眺めて、安心して、次の日を迎えたい。そういう日々が、俺は欲しい。
 隊士募集の遠征という名目で近藤さんを連れ出す話が持ち上がった。メンバーは当然伊東派一派で固められていたが、ウチの大将は馬鹿だからそこにツッコミもしない。久しぶりに生まれ育った武州に行けると俺の背中を叩く始末だ。全く、世話の焼ける大将だ。
(やっぱり蛇が出たか。まァ、そうだろうと思ってたさ。土方を蹴落としたくらいで満足する野郎じゃねェ)
 真選組だけの貸し切り列車。近藤さんと伊東一派が乗り合わせるその車両の見張り番というなんともシケた役目を与えられ、文句も言わず引き受けた。顔には出さないが、頭の中じゃどうやって伊東の計画を潰すかの算段をつけている。
 新しい刀で音楽を聞きながらいつも通りを装って部屋に戻ると、微かに桜の匂いがした。…アイツの匂いがもう消えかけている。その事実に胸がじわりと嫌な感じに滲む。苦しい…痛い。そんな感覚を払いたくての私物が入っている引き出しを開け放った。野郎は俺を信頼してるのか物にこだわってないのか知らないが鍵もつけない。おかげで物色し放題だ。
 たたまれ、久しく広げられていない布団の上に膝をつき、出かけるときにがしていく香水をワンプッシュした。途端にアイツの匂いがふわりと漂う。それで少し気が和らぐ。たとえ本人がこの場にいなくても、さっきまでそこにいたような、そんな気になる。
 もうちょっとだ。もうちょっとで伊東達を始末できる。そうしたら迎えに行く。脇目もふらず走って、走って、万事屋に駆け込んで、俺もお前が好きだって叫んでやる。
(今すぐ会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。今すぐに)
 ぐっと強く拳を握って泣き叫びたいような衝動を呑み込んで、桜の匂いのする布団に顔を埋め、手を伸ばす。そばに転がしてあるボックスから何枚かティッシュを掴み取り、目を閉じて、ズボンのチャックを引き下げる。
 事故なのか故意なのか知らないが、見てしまった裸体を忘れたことはない。
 アイツの裸に、裸までいかなくともその肌色率が多くなればなるほど性的興奮を覚える俺は変態なんだろう。もともとS寄りの変態だったが、今度はM寄りの変態になりつつある。
 息を殺しながら、頭の中のアイツと桜の香りと妄想力を頼りに自慰に耽り、抱かれる想像をして、果てる。
「ふぅ、ふ、」
 荒くなった息を整えながら顔を上げ、ぐしゃぐしゃに丸めたティッシュをゴミ箱に放り込む。ティッシュの山でいっぱいになって溢れているゴミ箱を眺め、唇の端を引きつらせて笑う。
(もうちょっとだ。もうちょっとで迎えに行ける。待ってろ。浮気しないで、俺のこと信じて、待ってろよ。でないと酷いからな)
 チャックもそのままに、四つん這いで部屋の隅に行き、畳を一枚外す。下には仕入れておいた遠隔操作が可能な爆弾が一つ。ボタンを押すだけでドカンってシロモノだ。明日はこれを列車の適当な位置に取り付けて何食わぬ顔で見張りの役をする。伊東の裏切りが露見してからピッと押してドカンで列車を止め、近藤さんを逃がし、その背中を守りながら俺が戦う。大将の首取られたら戦は終わりだ。何が何でもあの人だけは守らないとならねェ。
 …俺ならいけるさ。純粋に、剣の腕なら、近藤さんにだって負けねェんだ。どんなに多勢で無勢だろうが切り抜ける。
 俺は、アイツと笑い合う未来が欲しい。そのためには明日を切り抜ける必要がある。
 畳を元に戻し、部屋を見回して、隊服の下に着ていけそうなものを見つけた。大江戸遊園地の文字とマスコットがプリントされた子供向けのTシャツだ。
 決めた。明日は下にこれを着ていこう。
 黙々と準備を整え、が寝るときに着ている着物に袖を通して帯を締め、桜の匂いのする布団を広げ、潜り込む。着物の肌触りに桜の匂い。アイツに抱かれながら眠るんだと言い聞かせながら目を閉じて、明日、全てが終わり、万事屋で俺の迎えを待っているを迎えに行く自分を思い浮かべる。
(会ったらまず何をしたい?)
 …飽きるほどキスをしよう。呆れるくらいに好きだと言おう。
 もう誤魔化さない。もう突っぱねない。約束する。約束するよ、