不安を感じるくらいに何事もない日常に変化が訪れた。後に振り返れば波乱と呼べる一日の幕開けである。
 その日は珍しく誰にも起こされなかったので、ふわ、と欠伸をこぼしながら十時に起床した。隣では銀時がまだいびきをかいて寝ている。
 違和感を感じて首を捻って、その正体に気付いた。
 いつもなら新八が起こしに来るんだ。日々夜が遅くなってく俺と、俺に付き合って夜型になってく銀時にフライパンをお玉で叩くという古典的な方法で容赦なく行動に出る、今日はそれがない。休日…ってわけでもなさそうだけど。
「銀時、朝…じゃなくて、昼辺りだよ。起きて」
 布団を蹴飛ばしてそれきりみたいな寝相の銀時の肩を揺さぶって声をかけ、ふあ、と欠伸をこぼしながらカーテンを引いて窓を開けて空気を入れ替える。
 顔を洗いに洗面所に行くと、神楽と会った。おはようと声をかける前に瞬足で押入れ部屋に引っ込んでしまったので、なんでだ、と首を傾げて気付く。そうか、寝起きだから。まだ少女の年齢とはいっても一人前に女の子なわけだ。
 冷たい水で顔を洗って目を覚まし、冷蔵庫からチーズ入りソーセージを一本取り出して封を切った。適当に食べながらテレビのある客間に戻っても、そこに新八はいない。…今日は非番だったかな。新八がいない面子だと最低限のルールもなくなっちゃうから困るな。
 銀時がようやく起き出してきた。「まったそんなもの食って…」「楽だから」「あのねー、食に気を遣えって。お前が身体壊したりしたら俺が総悟くんに殺されるでしょーが」ビニールの封を切ってかじるだけでいいソーセージを一本食べ終えた俺に銀時は呆れながら洗面所の方に消えていった。入れ替わりで着替えて髪もまとめた神楽が入ってくる。
 口に入れば何でもいいというか、あまり食事に魅力を感じないというか。総悟の好きなものなら食べてみたいし、好きになろうって思うんだけど。
 その後、食が大事だという銀時と、食事大好きな神楽により、朝ご飯兼昼ご飯みたいなものを食べざるをえなくなったので、頑張って胃に詰め込んだ。
 万事屋は今日もマイペースだ。銀時はソファでごろ寝してテレビ見てるし、神楽はテレビの前にしゃがみ込んで何かガチャガチャやっている。…何してるんだ、さっきから。
「そういえば、新八は?」
 起きてからずっと疑問だったことを二人に尋ねると、神楽がびしっとテレビを指した。
「なんかテレビ出る言ってたヨ。ほら、これネ」
 ちょうど始まった番組に視線を移すと、『オタクサミット 朝まで生討論』とタイトルが映し出されていた。オタク…ってなんだっけ。
 テレビの下でガチャガチャやってる神楽に合わせて膝をつく。「何してるんだい」「これ、録画するネ。新八の勇姿」「……神楽。それはトースターじゃ…」ガチャガチャやってるトースターに録画機能はない気がする。あるとしたらテレビの方か、別の機械とか。
 そうこうしてるうちに新八が喋っていた。『アイドルオタク 志村隊長』として。
『オタクが全て引きこもりやニートの予備軍だというその考え方は改めてほしいですね。僕らの中にだってちゃんと働いて社会と向き合って生きてるオタクもいるんです』
 そーだそーだと新八に賛同する声が上がるテレビに「何やってんのアイツ…」とぼやく銀時。呆れ顔だ。
 白熱する討論番組を眺めつつ、トースターで録画しようと頑張っている神楽を説得するのは諦めた。せめてこの目に新八の勇姿を焼きつけておこうとテレビを眺め、目をこする。いるはずのない人がそこに見えた気がして。
「……あれ」
 テレビの中で『アニメオタク トッシー』として意見を述べる人に憶えがあった。
 声の調子は俺の知ってる人とちょっと違うけど、基本は同じだと思う。大きなサングラスが目元を隠してるけど、背負ってる刀は、俺と一緒に鍛冶屋の爺に借りたあの呪われた妖刀だ。
 三次元オタクと二次元オタクの意見が対立、生討論なのに暴動に発展したその番組を食い入るように見つめて、新八が掴みかかった拍子にサングラスを落とした男に目を細める。
 間違いない。土方だ。何やってるんだあんなところで。そもそも土方、お前はアニメとか、そういうもの見ない人だろう。
「どっかで見た顔だな…どこだっけ?」
「土方だよ。真選組副長、土方十四朗」
「あーあーそうだそうだ…ってアイツ何してんの!? ねぇっ」
 テレビに向けて全力でツッコミを入れる銀時に、俺だって知らないよ、と頭を振る。
 俺が知ってるのは無期限の謹慎処分を受けたところまでだ。それがまさかこんなことになっていようとは。ほんと、何してるんだ土方。
 その後、オタクサミットは放送中断になったらしく、新八が土方を連れて帰ってきた。
 玄関先に仁王立ちして「土方」と呼ぶと、俺の知ってる土方とは思えないなよっとした感じの土方が「あ、氏」「…氏?」「こんなところで何をしてるでござるか〜。さては、仕事サボりだな? うんうん、分かるよー。真選組は今人間関係とかキツイ感じだもんね〜」一人頷く土方に憶えがなさすぎて、何も言えなくなる。
 まさかこれも妖刀の影響か。いや、そうとしか思えない。土方はこんな人間じゃない。『ござる』とか使わないし会話に『〜』なんて連発しない。語尾を無駄に伸ばしたりしない。これは、俺の知ってる土方じゃない。
「なんだこりゃ。鬼の副長がどうしたんだ。イメチェンとかいうレベルじゃねぇぞ」
 呆れると通り越して引いてる銀時に、とりあえず奥の客間を指す。立ち話で終わるほど簡単な話でもない。
「とりあえず、土方、上がりなよ。お茶でも飲もう。団子もある」
「いいねー賛成! お邪魔しまーす」
 紛れもなく土方十四朗なのに、俺の知ってる土方には程遠い土方がいるのはどうしてか…ということを妖刀のことを交えながら説明すると、じゃあまずはその妖刀が本物なのかどうかという話になり、じゃあ専門家に見てもらおうってことで、みんなで銀時の知り合いの刀鍛冶を訪ねた。
 結果から言うと、土方の持つ妖刀は村麻紗という人の魂を食らうとされる刀らしい。何でも、ヘタレたオタクになってしまういわくつきの代物なんだとか。
 ところで、ここで疑問が一つ。
「…オタク、って何?」
 オタクって単語の意味がよく分からず挙手したら揃ってえって顔をされた。「オタクを知らない!? アンタほんと絶滅危惧種だよ…!」「オタクってのはですね、簡単に言えば、ものすごくこだわりのある人種ってことですよ」「駄目人間の総称ネ」「定義は確立してないらしいけどね」…みんな言ってることがバラバラだ。それとも全部合わせればいいのかのだろうか。オタクって謎だな。
 そんなものになってしまう刀って、妖刀は妖刀だけど、なんかかっこ悪い気がする。
 そのかっこ悪いものに負けてしまった土方もかっこ悪い、になるか。
(でも妖刀だし…俺にはよく分からないけど。オタク。オタク、ねぇ)
 見慣れたタバコの紫煙が漂った視界に顔を上げる。「やれやれ」とぼやいてタバコの煙を吐く土方は、さっきまでのヘタレの土方とは違っていた。本来の土方だ。
「土方、しっかりしなさい」
「てめ…副長を呼び捨てかよ」
「副長の座追われそうになってるんだ。悔しかったら戻ってこい」
 顔色の悪い土方の頬を叩くけど、見るからにふらふらだ。無理をしてる。最後の力を振り絞って現実世界に顔を出した…そんなふうにも見える。
 ち、と舌打ちした土方がタバコの煙を吸う。紫煙を吐き出しながらじろりと俺達を睨んで、振り絞るように言葉を繋げていく。真選組を護れ、と。
 本来の土方がしぼむように消えたあとは、ヘタレでオタクの土方だけが残った。
 分かったことは、この妖刀は刀鍛冶でどうこうできる問題ではないということ。このままでは本来の土方が消えるかもしれない…ということ。
 アニメ大好きの俺の知る土方の欠片もない土方は、「実は今日、レアモノの限定美少女フィギュアの発売会なんだけど…」なんて言う始末だ。みんなにボカスカ殴られ蹴られても止められない。ヘタレなオタク土方よ、空気を読め。みんなが真剣な顔してるときにその発言はちょっとない。
「ワン」
 顔を寄せてきた定春の大きな頭を両手で撫でつける。
 お前はいいね。無垢で、人間みたいにあーだこーだ考える必要がなくて。
 この間遊んであげてから何か懐かれてる感じがする。遊び相手と認識されてるんだろうか。
 すり寄ってくる定春の顔をそれとなく押し返していると、荒い運転で俺達の横にパトカーが急停車した。パトカー、つまり警察、つまり、真選組だ。
「副長ォ!」
「ようやく見つけた!」
「大変なんです副長、スグに隊に戻ってください! 山崎が…山崎が何者かに殺害されましたぁ!」
 パトカーから転がり出てきた隊士達の言葉に、定春を押し返すことも忘れて押し倒された。どさっと尻餅ついた俺の顔をべろんと舐めてくる定春に反応できない。
 何? 山崎が、なんだって?
 土方に「とにかく一度屯所に戻ってください」と強引に土方をパトカーに押し込もうとしている隊士達を見上げる。山崎が、殺害、された?「でも拙者クビになった身だしっ」「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」隊士達の強引さに必死で抵抗している土方の後ろに、隊士が一人立った。刀の柄に手がかかっている。斬るつもりだ。
(伊東派か)
 土方を屯所から追い出すだけでは飽き足らず、命を取りにきたんだ。なら山崎の話はフェイクか。
 定春の下から「銀時土方をっ!」と叫ぶのと、銀時が土方の襟首を掴んでトンズラを図ったは同時だった。さすが、総悟が俺の保護を頼むだけはある万事屋。こういったことにも対応できるだけの技量があるようだ。
「定春ぅ連れてくるネ!」
 神楽の声に俺の着物をくわえた定春がぴょーんとジャンプして神楽達を追う。
 民家の屋根に着地した定春に着物をくわえられている状態では不安だったから、よじ登って背中に移動。白い毛並みに跨る。
 眼下では神楽が怪力みたいな力で突進してきたパトカーを止めて、いや、押し返している。天人ってすごいなぁ。
(…山崎が、死んだとか言ってたけど。信じないぞ。きっと土方を連れ出すための口実だ。死んでない。総悟にバズーカで爆撃されても無事だったんだ、きっと大丈夫だ)
 上から様子を見守っていると、銀時達はピンチを脱してパトカーを一台奪取した。そのままどこかへと走り出す。「定春、追おう」べちと頭を叩くと「ワン」と鳴いた定春がばっと跳んでパトカーを追って着地、走り出す。車にも負けないスピードだ。
「おいぃ無事かぁ!」
 パトカーから手でメガホンを作って大声を出す銀時にひらひら手を振って返す。
「面倒なことになったぞ!」
「えっ? 何が!?」
「そっちの大将が、伊東って奴に暗殺されるかもしれんッ!」
 恐らく、パトカーの無線でそんなやりとりがあったのを聞いたんだろう。
 でも、それはない。近藤が暗殺されるなんて、総悟がそばにいる限りありえない。もし現実に成ってしまったとしたら、それは…総悟が死んだときだけだ。
 冷たくなった総悟を想像して心臓が痛んだ。息ができないくらいに。
 行かなきゃならない。総悟のところに。どうしても。
「銀時、俺…!」
 訴えかけた俺に、銀時は後部座席で震えている土方を指した。「いーか、早合点すんなよ! 俺達ぁこのヘタレオタクをふさわしい墓場まで連れてくだけだ! テメーは保護だかんな保護! いいなぁ!」なんだそれ、と笑う。銀時って面白いな。こんなときでも素直に助けてやるとは言わないんだな。
 手を振って返し、スピードを上げる車に、同じくスピードを上げる定春の毛並みをしっかりと掴む。振り落とされたら終わりだ。
 俺が行って、何ができるわけでもないけれど。銀時達はきっと真選組の力になってくれるはずだ。
 土方は相変わらずヘタレのままだったけど、形として、俺達は土方派で近藤を救出にきたと演出するため、真選組の隊服を着込んだ。銀時達がやっつけた伊東派からの追いはぎ制服だ。ちゃっかりバズーカも拝借した。
 久しぶりに袖も腿もぴったりとした隊服を着て、一つ、二つと深呼吸する。
 吸い込む空気はまだどこか腐っている気がしてならないけど、肌を撫でる風を感じる。
 大丈夫。俺は総悟のそばに戻れる。
「おい見えたぞ、あれだ!」
 銀時の声に揺れる視界を細くして先を見やる。定春が走る度に揺れて結構キツいんだけど、確かに、列車だ。しかも煙を上げている。
 その列車を追うように走行してる、前を行く無数の車は……乗ってるのは攘夷志士か。今の国の在り方に疑問を持つ侍の集団が伊東の計画に手を貸した…。本格的に、今までの真選組の在り方を根本から覆そうってわけか。
 俺は真選組の一員になってまだ日も浅いけど、やっていいことと悪いことくらい分かっているつもりだ。
 神楽と銀時が一人前に、いや、十人前くらいの勢いでバズーカをぶっ放したりして戦ってる中、定春に跨ってるだけで何もできない自分が歯がゆい。「定春?」「ワウ」呼べば元気よく返事はしてくれるものの、攘夷浪士が乗ってる車を潰せ! …なんて言っても分かるはずはないよな。
「車があるじゃないか。ほら、目の前の」
「ワン」
「あれをね、定春がぴょーんってジャンプして、潰すとか、どうかなぁって。無理?」
「ワン」
「…そうだよね」
 さすがに無理かと項垂れてる耳を何かが掠めた。反射で熱くなった耳を押さえると、熱さの次に痛みがやってきた。流れ弾が掠ったか、狙って撃たれたのが外れたのか。
 流れ弾を意識してか、定春がジグザグとした不規則な走り方をし始めた。ジグザグジグザグ、目が回りそうなほど前後左右に走る定春の振動に、胃の底がぐちゃぐちゃになる。身体が…。酔ってきた。
 ファンファンと遠いパトカーの音が耳の中で木霊している。
 今駆けつけたってことは土方派だろう。銀時が屯所にも届くように通信をしていたから。定春にしがみつくのに必死で確認する余裕がないけど、このタイミングを考えれば間違いないだろう。局長を助けにきたのだ。
(それにしても、吐きそうだ。気持ち悪い。あと、腕、限界…)
 前後左右上下、忙しなく揺れる定春に、すっかり目が回った。しがみつく体力筋力に限界が訪れる。
 定春から落下しながら、青い空に、心に誓った。もっと筋トレとジョギングをしよう。自分を鍛えよう。情けなくてしょうがないから。
 背中から落下してざざざっと地面を滑り、げほ、と咳き込む。思ったほど痛くなかったけど、キツい。三半規管が馬鹿になってる…視界が、ぐるぐる回ってて、何がなんだか全然。起きれそうにない。

「おい、隊服着てるぜ。殺していい奴か?」
「いいだろ。殺せ」

(あ、マズい)
 ぬっとできた影までぐるぐる回って見える。とっさに立ち上がることもできない。借り物の刀に手を伸ばしてもすかっと空を切る。
(ごめん総悟。ごめん銀時。無事でいられませんでした。ごめんなさい。あの世で待ってます)
 別れの言葉を胸の内で唱えて、ぐるぐる回ってる影を精一杯睨んで、その影を覆うようにさらにできた影が「ワン」と鳴いた。…定春だ。
 ぶちぃと何かのちぎれる鈍い音がした。それから、生温かい雨と、重たいものが倒れる音も。続けて鈍い悲鳴が何かに飲み込まれるようにして消えていった。さっきまでそこに二人はいたろう人の気配がなくなる。「…定春?」「ワン」「お前、何して」まだぐるぐる回ってる視界でどうにか地面に腕をついて起き上がると、制服がべったりと赤い色で汚れていた。定春も。そばには喰いちぎられて首から上のない浪人と、もう一人は草履の片方だけを残して完全に消えている。
「…まさか。定春、食べた?」
「げふ」
 答えるようにゲップした定春に、そんな場合じゃないと分かっていたけど、鳥肌が立った。かわいい顔してても、天人は怖いや。