公園で拾った男の子は沖田総悟という名前で、シャワーを浴びてもらってきちんとした服を着れば、充分ホストでもやっていけそうな見た目になった。
 紅茶色のやわらかい髪に、少し赤寄りの大きめの瞳。
 甘いマスクと甘い言葉をマスターすればヘルプとしても活躍できそうだ、なんて仕事脳の自分に半ば呆れる。今は仕事の時間じゃないだろう。どうして俺はこうかな……。
 自分のつまらない思考を打ち切り、落ち着かなそうに俺の貸した服を着て(若干大きいんだろう、袖をまくっている)リビングを見回している総悟を空き部屋に案内する。

「ここ、使って。総悟の部屋」

 一応客室ということで、使っていないベッド、他に何もないのもなと思い置いたチェア、テーブル。それしかないがらんどうとした部屋を見回す総悟はやはり落ち着かなそうだった。視線があっちこっちに向いている。「いいのか?」「いいよ。荷物置いて、落ち着いたらおいで。買い物に行こう」いったん総悟を置いてリビングに行き、ポケットで震えっぱなしのスマホを取り出す。オーナーだ。
 通話を繋げると、『遅いじゃない』と太い声での第一声。「すみません。トイレだったもので」適当に返しつつ座り心地が気に入って買った革のソファの背もたれに手を置く。
 この人は基本店にも働く人間にも、もちろんお客さんにも良い人なんだけど。暇だからって理由で一度世間話が始まると、長いんだよな。
 買い物に行かないと夜の仕事に間に合わないのだけど。適当な辺りでそう切り出そうか。

くん、急で悪いんだけどね。今夜休みでもいいかしら』
「本当に急ですね。どうしました?」

 暇だと電話してくる困ったオーナーだけど、今日は用事があったらしい。長話対策にテレビをつけたところから意識を通話に戻す。『新入りの後輩くんがねぇ、どーしても休みの日をずらしたいらしいのよ。彼女の誕生日をすっかり忘れてたとかで…。それで調整したわけ』そういうことか。新入りの定着を促したいオーナーとしては、人気株のスケジュールを調整してでも希望を通してあげたいわけだ。
 それには俺も賛成。でも、彼女の誕生日を忘れるのはよくないぞ、新人くん。反省するように。

「なるほど。わかりました。構いませんよ」
『助かるわぁ』

 今日は本当にその用事だけだったらしく、オーナーは忙しそうに通話を切ってしまった。スケジュールの調整の関係で他にも連絡する相手がいるのだろう。
 スマホのスケジュール管理のアプリを開き、今夜の仕事の予定をナシにする。代わりに次の休みが出勤、と。
 急な話にはなったけど、ちょうど良かった。これで今日はこのあとの時間をゆっくり買い物に回せる。
 喉が渇いたな、と冷蔵庫まで行ってドアを開けて、我ながら本当に何も入っていないな、と思う冷蔵庫を眺める。ポカリと水しかないとは。
 ポカリを胃に流し込んでいると、そろそろとした足取りでリビングに戻ってきた総悟が急に険しい顔つきになった。

「キッチンとかチェックしていいか。何があって何がないのか知りたい」

 ポカリのボトルから口を離す。「そうだね。買い物行くから、メモしなきゃ」冷蔵庫にはポカリと水しか入ってないし。
 そういうことには疎い俺は、総悟が棚から冷蔵庫までチェックするのを眺め、あれがないこれがないという総悟の言葉をメモした。
 鍋。やかん。フライパン。食材、洗剤その他。……ないものだらけだな我が家は。そういうところは全部家政婦さんに任せきりだったから、知らなかったな。
 最初こそ真面目な顔して買うものを挙げてた総悟だけど、しまいには我が家のあまりの何もなさに口をへの字にして呆れていた。
 今夜の仕事がなくなったから、買い物はゆっくり時間を取れる。今日総悟がいるというものをすべて用意するつもりで行こう。
 総悟の提案で近場のショッピングモールにタクシーで乗りつけ、しっかりとマスクとサングラスをした状態で総悟の買い物について回った。家事炊事に関しての知識はサッパリなので荷物持ちだ。

「アンタの家、あんな広くてなんでも置けるのに、なんで何もないんだよ」

 コードレスの掃除機の箱を睨んでいる総悟に肩を竦める。「家事は、大手の家政婦さんに頼んでいたから……」つまるところ、よくは知らない。掃除機とか必要なものは持ち込んでいたんじゃないだろうか。想像でしかないけど。
 最初の頃は炊事もお願いしてご飯を作ってもらっていたんだけど。一度薬を盛られたことがあって(毒といえば毒。まぁいわゆる媚薬ってやつだ)、それ以来、家事しか頼まなくなった。でもこれも、シャツが違うものに変わっていたり、使ってた歯ブラシがよく似たものに変わっていたりと問題が目立つようになって………それで、そういう心配はしなくてよさそうな総悟を家政夫としてスカウトした、というわけだ。
 一万円ぽっきりの掃除機の箱を叩いて「とりあえずこれでいい」という総悟に、会計をすませ、カートに掃除機を載せる。同じ要領でフライパンなどのキッチン用品、まともに食器もなかったから食器類もセットものを購入。
 途中、お腹が空いてきたのかカフェやレストランを見かける度にチラチラ視線をやる総悟がいたので、「休憩しようか」と提案すると、仏頂面で頷かれた。
 好きなところでいいよと言うと、遠慮したのか、フードコートのチェーン店のうどんにしようとするから、「レストランがいいな。あまり人の多いところは」顔を隠しているマスクとサングラスを指すと、総悟は眉間に皺を寄せて定食屋を選んだ。女性があまりいなさそうなところだ。助かる。
 一番端の席に腰かけ、俺は今日のオススメ定食。総悟は一番ボリュームのあるカツ丼と一口うどんのセットを頼む。

「なんで顔隠してるんだよ。芸能人なのか?」

 声を潜めて訊いてくる総悟に俺は苦笑いをする。
 芸能人。そこまで有名なつもりはないけど、ある意味ではそうなのかも。
 口で説明するよりも見た方が早いだろうと思い、自分の店のホームページを表示してスマホを置く。総悟は怪訝そうな顔でスタッフ紹介のページを眺め、ナンバーワンのところにある俺の顔写真を見ると納得したようにスマホを押し返してきた。
 若いのにお金があるのも、高級マンションに住んでいるのも、昼間暇なのも、そういうことだ。
 俺の仕事は夜に大金が動くコト。だから追っかけのファンもいるし、顔バレしないためにマスクとサングラスをしている。

「お店も、プライベートの時まではカバーしてくれないから。自分で頑張るしかない」
「ふーん…」

 関心があるのかないのか、総悟はじろじろと俺のことを見て、「変装するならもっと大胆にすればいーのに」とぼやいた。
 マスクとサングラスは定番中の定番だというのは承知の上だけど、他に何も思いつかなかったのだからしょうがない。
 総悟は運ばれてきたカツ丼とうどんをあっという間に平らげたので、気持ち早めにご飯を食べて、また買い物に付き合う。

「普段はスーツなんだろ」
「そうだね」
「じゃあ、オフのときはパンツとスーツはやめた方がいいぜ。マスクとサングラスしてようが体格とか雰囲気でバレるだろ」
「あー…。なるほど。何度かバレていたんだけど、そういうことか」

 黒いパンツと白いシャツ、適当なジャケットを羽織った格好の自分を見下ろす。足元も革靴だし、これじゃあ確かに店にいるときとあまり大差がない。
 スニーカーに俺の黒いパンツと白いシャツ、上にもこっとした上着を着た総悟がチャンピオンの店のマネキンを指す。「ああいう、ラフな格好なら、バレる率も減ると思う。店のときとはまるきり違う格好をするんだよ」パッチワークみたいなカラフルなスウェットシャツを着たマネキン。寄って行って値段を見ると二万円だった。へぇ。

「じゃあこれにする」

 総悟がオススメしたので即決すると、値札を見てぎょっとした顔になった。「ちょ、待て、高い」「そうかな」首を傾げた俺に口をへの字にして、呆れているようだ。

「総悟も、部屋着でもなんでもいいけど、ブランドものにしておきなよ。あのマンションだと無名のものは逆に浮くから」
「はぁ? 金持ちかよ……」
「お金はあるよ。心配しなくていい。気に入ったもの、全部買うよ」

 素直なところを言ったんだけど、総悟はなぜか怒ってしまう。なぜだろう。「エントランスに管理人がいたろう。スーパーの無名ブランドのものとか着ていると、変な目で見られるかも」付け足すと、眉間に皺を寄せてチャンピオンの店を睨みつけ「じゃあここで選ぶ」とずんずん店内に入っていく。
 俺は適当に、総悟に服を選んでもらって、総悟も自分の服を選んで、ついでに靴とか靴下とか鞄とか、まぁ色々買った。
 合計していくらいになったのか気にしていなかったけど、最後に店外まで見送られて丁寧に頭を下げられたので、それなりの買い物をしたのだろう。
 すっかりカートに山積みになってきた荷物を見て、持ち帰るのは大変だろうな、とひっそり息を吐く。俺が今までやってこなかったことが物量となって押し寄せている感じ。
 今日の散財はなかなかの値段になるだろうけど、構わない。
 マンションの支払いだってこの間もう終わってしまった。俺には趣味らしい趣味もない。貯まっていくばかりのお金なんて宝の持ち腐れ。こうして使ってこそ、経済に貢献できる。

「あとはどうする?」
「とりあえず、思いついた必需品は買った。あとは食材」

 確認すると、スマホにメモした項目はあらかた制覇していた。最後は食材の買い出し、日用品の買い出しをする、と。
 スマホから視線を上げると、なんだか聞き覚えのある黄色い声が耳に触れる。
 行き交う人の中に目を凝らすと、向かいから顔見知りの女の子が友達か恋人か、それなりのイケメンと歩いてくるのが見えた。店の常連だ。
 一瞬息が詰まって、総悟の肩を押して進路を変更する。「おい」「シー」カラカラとカートを押して歩き、少ししてからそっと視線をやると、俺の方には目もくれずに歩いていくのが見えた。
 お店で値札を切ってもらったスウェットシャツは肌触りもいいし、思い切っていつもとは違う格好をしたら確かにバレなかった。よかった……。
 あの子、色んなところでお金をばら撒いている、いわゆるお嬢様なんだけど。だいぶ執着心がすごいっていうか。こんなところで見つかろうものなら、どうなっていたことか。
 変な汗をかいた俺を総悟が若干眉尻を下げて見上げてくる。「だいじょーぶ」さすがに食品売り場とかには来ないだろうから、このまま買い物をしてしまおう。