メンスの舞

「お前、刀握ったことないのか」
 とは呆れ顔の土方の台詞である。
 構えてみろと言われて総悟のスタイルを見よう見真似てみたけどあっさり看破された。
 真剣なんて物騒なもの触れる機会もないまま、総悟に付き合う形で過激攘夷派の一人にカウントされているけど、その実、俺にできることというのはないに等しい。
 案外と重い真剣を早々に鞘に収め、今日も刀片手にどこぞへ出かけていった総悟を思う。
 案外と筋肉あると思ってたけど、それはそうか。こんなもの振り回すことを続けてきたのなら。
「もうちょっと扱いやすいものはないのかな。これは俺には無理だ」
 刀を返すと、受け取った土方は「言うは易しだがなぁ」と思案顔になる。
 白詛が横行しただでさえ江戸は死んだ町になっているのだ。天人達も引き上げた今、残骸の地球に残っているのは昔から根付いてきた刀などの武器か、持ち出されなかった限られた産物。総悟が使わなくなったバズーカとか、そういうものくらい。
 あんな大きくて重たいもの担いで走るような体育会系のことはできないしな。総悟のそばにいるだけなのもと思って自分から土方のところに来たはいいけど、できることっていうのがなさそうだ。
 今頃鍛え始めたところで筋肉がつくのなんて何ヶ月も先になるだろうし。だいたい、汗水流すことに慣れてないから、体力もそうないし。そんな俺が刀を握ったりバズーカ片手に走り回るなんて到底無理というか、無謀もいいところだろう。
 土方の横で筋骨隆々のエリザベス、というらしいよく分からない…人…? 天人? が「これを振り回すだけならどうだ。型は関係ないぞ」と身の丈の半分ほどはあるだろう鬼が持つような金棒を指すので、無言で頭を振った。そんなものもっと持てるわけがない。それを平気で振り回せるのはエリザベスくらいだ。
 タバコを取り出した土方が一本吸い始め、紫煙を空に向かって吐き出す。
「そもそもお前、今まで何して食ってきたんだ」
「え?」
「俺らが知ってんのは白詛が広まり始めた辺りからのお前だ。総悟が勝手に連れ込んだところからしか知らん。あの日までは普通に食う仕事してたんだろう。それと同じことならできないのか」
 土方の言葉に曖昧に笑って煙が溶けて消えていく空に視線を逃がす。
 そうだな。考えていけばそういうことにも辿り着くだろう。俺も人間なのだから、食い扶持は自分で稼いでいた。慣れないことよりかつて仕事としていたことに近いことをさせればまだ使えるんじゃないか。ああ、普通に、当たり前の発想だ。
 あの日のことを持ち出す辺り、総悟が俺のことを自分の男だと暴露したことも憶えているのだろうけど。それを踏まえて訊いてくる辺り、意地が悪い。俺の反応を観察するような瞳も、意地が悪い。
 どのみち、俺は使えない奴だよ。
 もうああいう仕事はしたくないと思うし、抱くのなら総悟だけで充分だ。
 無言の視線にふぅと溜息を吐いて、あれからさらに伸びた黒い髪をつまむ。いい加減に切ろうか。切ったら切ったでいちいち気にしなくてはいけないからと伸びるままにしていたけど、もう商売はしていないわけだから。
「サービス業、かなぁ」
 そうぼかした俺に、食いついてきたのはエリザベスの方だった。「ほぅ。飲食店か?」「いいや」するりと指を滑った髪を背中に払う。「接客業か」「まぁ、そうかな」「その容姿からするに着物関係であろう」どうだ、と指を突きつけてくるエリザベスに苦笑いをこぼして髪紐を解く。緩くなってきた。
「そんなに俺の容姿は整ってるのかな」
 常々疑問だったことを総悟以外の誰かに訊いてみると、煙を吐き出した土方が「ムカつくくらいにな」ぼそっとそう言ったので、そうか、と思う。
 そうか。やっぱりそうなのか。じゃあ、俺ができることは、以前とそう変わらないことしかないわけだ。
 土方のくわえタバコを指でつまんで攫った。仕事柄付き合って吸うことも多かった苦いだけの煙を吸って、空に向かって吐き出す。「おいコラ俺のタバコだぞ」取り返そうとする手をひょいと避けて荒れている庭の中に踏み出し、カラ、と下駄を鳴らし、着物の袖の中から扇子を取り出す。パチンと広げた紫の扇子片手に舞う。カラ、カラリと下駄を鳴らしながら、草が伸び放題の庭を舞台に見立て、踊る。
 まだあの店に入ったばかりの頃、店を盛り上げるために小さな舞台に上げられ、三味線の音色を聞きながら扇子片手によく舞った。
 髪が長い方が見栄えがいいと言われて伸ばし始めた。マスターの読み通り、長い方が客受けがよかった。それだけの理由の長髪だったけど、それだけでも案外と重要なんだなと髪の長くなった総悟を見ていて最近よく思う。短いより長い方が好みだ。濡れてしっとりした髪も、ふわふわの髪も、長い方が構いたくなる。
 音楽がないので適当なところで扇子を放り投げ、くるくると舞う紫と金地をキャッチして、着物の袖をつまんで一礼。
 それとなく見物していた誠組と桂一派からおおーと歓声が上がって拍手が起こる。「さんかっこいいー!」山崎の声援にひらりと手を振って、くたえていたタバコの煙を吐き出し、少しだけ懐かしい息苦しさに目を眇めた。
 この容姿で、人の視線と意識を奪うこと。俺が得意なのはくだらないことばかりだ。
 真選組の局長だった近藤という人が幕府に捕まって、それまで幕府の配下だった真選組は解散。近藤を取り戻すために幕府に仇なす者として再結集され、同じく幕府に捕まった桂という攘夷志士の救出を目指す桂一派と同盟を結び、手を組んだ。総悟もそこに加わった。俺は総悟に付き合う形で名前を連ねたけど、今のところ、できることが見つからない。
 何かないかな。こんな俺でもできること。
「身体は動きそうだな」
 俺の舞を黙って見ていた土方はそう言って新しいタバコを取り出した。俺の手から取り返すことは諦めたらしい。ふー、と紫煙を吐いて「どうかな。まぁリズム感なら少しは…避ける、くらいはできるのかな?」自信がなかったので肩を竦めて返し、短くなったタバコを地面に落として下駄でもみ消す。吸い殻はちゃんと拾った。
 土方とエリザベスと俺とで引き続き俺にできそうなことを思案していると、なんかぽーっとしていた山崎が「あ、じゃあほら、爆弾ならどうです? 小型の投げるだけですむやつ。あれならさんにもっ」言うが早いかジャンと拳大の丸い物体を取り出した相手に首を傾げる。爆弾を持ち歩くとか誠組も危ないな。それはまぁいいけど、顔が赤いよ、山崎。
 爆弾、ねぇ。当然使ったことはないし実物を目にするのも初めてだ。
 山崎の手から拳大の爆弾を両手で取り上げる。結構重い。爆発するんだから花火みたいに中に火薬とか入ってるんだろう。「どこをどうすればいいのかな」全く勝手が分からず爆弾を掌で転がしながら訊ねると、赤い顔のままの山崎が「えっとですね、ここ、ボタンを押すだけです」赤いボタンを指してそう言うので、試しに、ポチ、と押してみた。10のカウントが9、8と減っていく。つまりこれはあと7秒で爆発しますよって表示か。
 舞う要領で回転速度をつけてポーンと空に爆弾を投げる。
 チカ、と光った爆弾がドーンと爆発して爆風を散らした。腕をかざして視界を庇って、パラパラ落ちてきた欠片を眺める。なるほど、これなら俺にも使えるかもしれない。簡単だ。
「おいコラてめぇ、派手なことすんじゃねぇよ!」
 土方に怒鳴られて肩を竦める。「どんなものかと思って」「あのなぁ。今の騒ぎで幕府方にここが知られでもしたら」「まぁ待てトシ。どうやら機械音痴というわけでもなさそうだし、扱えるようになるかもしれんぞ」「だがエリー」トシ&エリーというコンビ名があるらしい二人があーだこーだ言い合うのを眺めつつ、ボロ屋の縁側に腰かける。
「あの、お茶をどうぞ」
 名前も知らないつるっとした頭の男に湯のみを差し出されて流れで受け取った。
「お茶菓子もありますぜ」
 これもまた名前も知らないバンダナの男にせんべいの載った皿を差し出され、受け取って、首を捻る。…なぜ二人共紅潮しているのか。
 首を捻りつつありがたくお茶とせんべいで休憩していると、また名前も知らないちょんまげの男に「御髪が乱れてますぜ。梳きやしょうか」ここまでくるとさすがにどういうことか気付いた。御髪って。苦笑いで「自分でやるよ」とやんわり断り、櫛を受け取る。
 お前は女殺しだとは同僚からもよく言われた。
 攘夷志士党であるこの場所には女がいない。恐らく長い黒髪に鍛えてもいない身体の俺は女に近い生き物に見えているんだろう。
 どうやら意見がまとまったらしいトシ&エリーが俺を振り返って、土方はものすごく顔を顰めた。エリザベスはもともと表情の変化がよく分からない顔のまま。「おいお前ら何してんだ。新入り浸りか」知らないうちに下僕みたいに俺の世話をしてる人達を見て土方が顔を顰めるのも無理はない。山崎はなんで俺の下駄を磨いてるんだろうか。下駄なのに。
 この状況に俺だって困っていた。こんなところ総悟に見られようものなら、

「おい」

 見られようものなら、まず間違いなく機嫌が降下して、赤い瞳に物騒な光を宿して抜刀するに違いない。
(あーあ…)
 ぎくーと一斉に固まった人達から視線を逸らす。廃屋でただでさえ傷んでる畳を踏み抜くような強さで部屋の入り口に立ったのは総悟だった。人斬りらしく誰か斬ってきたのか、返り血で汚れている。唇を引きつらせて無言で刀の柄に手をかけた総悟にヒイイと悲鳴を上げて人が逃げる。返り血のせいかいつもより迫力があってみんな気圧されているようだ。
「総悟」
 止めようと思って呼んだものの無視された。無言で抜刀した総悟が畳の部屋を駆け抜けるのを見送ることしかできない。
 限りなく本気に近いのを察してトシ&エリーがそれぞれ武器を片手に総悟の一閃を防ぐ。焦った顔の土方は珍しい。
「ちょっと待てお前、何キレてんだ。落ち着けって」
「うるせェよ。人の男に手ェ出すなっつったよなァ?」
 総悟の低い声に刀同士を競り合わせながら「阿呆か、手なんか出してねぇ!」と吐き捨てる土方は砂でも噛んだみたいに苦い顔だ。
 うん、手は出されていない。誓って。むしろ俺が簡単に舞ったのがいけなかった気がする。商売道具でもあったわけだからそれなりにできることは自覚していたし、人の注意を集めることが得意な容姿を思うなら、舞うべきではなかった。
 ふぅ、と吐息して下駄を履き、カラ、と引きずって三歩。紫と金地の扇子を広げて腕をかざす。
 こんな修羅場でもいつものように舞える。基本的にマイペースなんだよな俺は。O型人間だし。
 カラン、コロンと下駄を鳴らし、髪を揺らし、着物の袖を風に乗せて、三味線のバック音楽があるつもりで歌いながら舞う。
 キレてたわりに呆気なく俺に意識を奪われた総悟の手から弾かれた刀が飛んでいった。それでも土方が意識を奪おうと腹に見舞った拳の一撃はすんでで避けて、追撃する蹴りも避けて、動物みたいにざざっと地面を滑って這うような動きで土方の後ろを取ったものの、エリザベスの鬼棒の振り下ろし攻撃にばっと跳び退って、そこで落ち着いたらしい。ギラギラしていた赤い瞳が土方からもエリザベスからもその他情けない男達からも外されて、遠くの方でドスと音を立てて地面に刀が突き刺さる。
 カラ、と下駄を鳴らして足を止める。どうやら舞った効果はあったらしい。
「総悟」
 来い来いと扇子で手招きすると、ふらっと立ち上がった総悟からはメンスの香りがした。鋭さの抜け落ちた赤い瞳は熱で浮かされている。殺意とも敵意とも違う、それでいて同じくらい情熱的な感情に支配されて、緩んだ瞳。
 ぼす、と抱きついてきた総悟の背中を掌で撫でる。
 完全に不可抗力な結果ではあるけど、お前を苛つかせたのは事実だ。ごめん。
「怪我はしてるの」
「ない」
 ぼそっとした声にそっかと返して、顎に手を添えて顔を上げさせる。どんな斬り方をしてきたのか知らないけど血でべったりだ。
 相変わらず手のかかる子だと思いながら顔を寄せ、唇を重ねた。触れた先から鉄錆の味がじわりと広がる。血の香りは鼻から喉の奥まで錆臭さを広げたけど、さっきタバコを吸ったせいか、そこまで苦いマズいとは思わない。
 色々と説明とか面倒くさいので、こうしてしまえば早いよね。俺がこれまで何で食べてきたのか、どうやって生きてきたのか、総悟との関係は何か。言葉だけじゃなくて、見せてしまえば、早いよね。嫌でも理解できるよね。俺は誰のもので、どうしてここにいるのか。
 血の色には苦手意識とかはないけど、これが誰かの血なら、その人は総悟に斬られたわけで、恐らく生きていない。そう思うと赤い色に申し訳ないという気持ちを抱くわけだが、それを上回ってこうも思う。赤で汚れた総悟も色っぽい。
 流されるままキスして、流されるまま舌を出した総悟の髪を指で梳く。細くてやわらかい色。長い髪、似合っているから、このまま切らないで伸ばしてほしいな。
 長い長いキスの果てに顔を離した総悟はなぜか機嫌が悪そうだった。あれ、と首を傾げた俺の唇をびしっと指して「タバコくさい」ああ、そうか。一本だけでもやっぱり分かるものか。
 そっぽ向いた総悟が俺を突き飛ばしてざくざく歩いていって地面に突き刺さった刀を引き抜き、そのままどこぞへ行ってしまった。
 残されてしまった俺は十人十色な視線に晒されてもう笑うしかない。
 あれ、この状況、なんかデジャヴ。