ぱち、と瞬きして視線を落とすと、コンクリートで舗装された整った道路だった。「…あれ?」ぱち、と瞬いて視線を上げる。活気のある江戸の町並み。着物屋の前。そこに俺が立っている。 違和感のようなものを感じて首を捻った。…なんだろう。どうしてそんなことを感じたのかがよく分からない。 まぁいいか、と深く気にせずカラリと下駄を鳴らして歩き出す。 危ない、変なことを気にしてなんでここにいるのかを忘れるところだった。 今日は総悟が休みを取ったって言ってたんだ。遅れたら不機嫌な顔で睨まれてしまう。この俺が休みを取ってまで合わせてやってんだぞって、相変わらずの天邪鬼でさ。 待ち合わせの店の前では赤い着物に白い袴の総悟が人混みに視線を泳がせていた。俺を捜してるのかな、とゆるりと片手を挙げると、こっちに気付いた総悟が同じくゆるりと片手を挙げる。 沖田総悟。今年で23になるのに童顔なこの子はウチのお店の常連客だ。もうかれこれ五年うちに通い続けている物好きで、すっかり俺の財布になっている。 「やぁ」 「遅ェ」 「そう? おかしいなぁ」 笑って手を差し伸べると、ぶすっと拗ねた顔の総悟がそっぽを向いて俺の手を掴んだ。「今日はどこへ行こうか」「映画」「え、また? 総悟、映画なんか見てないじゃないか。選ぶのはいつもB級ものだし…暗くて閉鎖的な空間に行きたいだけだろう?」指摘しても認めようとはしないけど、事実そうだ。 じゃあ、そうだな。同じように暗くて閉鎖的でも少し違う場所にしようか。 空を飛ぶ船に視線を逃がしながら「カラオケにしよう。暗くて閉鎖的だ」「じゃあそこで」はいはい、と笑って顔の効くカラオケ屋目指してカラリと下駄を鳴らす。 世界は今日も天人と人間をごっちゃ混ぜにした多様性を見せている。相変わらず賑やかだ。普段夜の店と長屋の一画にしか出入りしない俺には騒々しいくらいの賑やかさ。 道行く人の視線を奪っている自分という存在に苦笑いをこぼしつつ、きつく握り締められている手を握り返す。 「総悟の髪が長ければなぁ」 「ハァ?」 「いや、何となく。似合うんじゃないかと思って」 「…アンタが髪長いんだ、俺まで長くてどうすんでィ。そんな鬱陶しいの、考えただけでごめんでさァ」 「そうか。残念」 江戸っ子口調を聞きつつカラオケ屋のガラス扉を押し開け、受付をすませて角の個室を取った。 総悟は歌とか上手そうだけど、そのためにカラオケ屋に来たわけじゃないから、マイクを手に取ろうともしない。俺も、ヒップホップとか全然分からないから、マイクは手に取らない。 なんのために暗くて閉鎖的な場所まで来たのかというと、ただ隣り合って手を繋いで、たまにキスをして、あとはただずっと一緒にいる、そのためだけにこの空間を求めて、だ。総悟は天邪鬼な上に照れ屋なので、これくらいしないと駄目なのだ。 これは仕事じゃない。俺のプライベートで総悟のプライベート。お金はもらってない。それでもいいから何となく一緒にいたくて、こうして付き合っている。それもかれこれもう五年。 こつり、と総悟の頭に額をぶつけて、今は暗い色をしている茶髪に顔を埋める。なんかいいにおい。シャンプー替えたのかな。「総悟」「んだよ」「いいにおい」「…あっそ」照れてるんだなとひっそり笑いながら緩く手を握ると、緩く握り返される。かわいい反応だ。 「今日は、抜く?」 どことなくそわそわしている総悟の袴の上からゆるりと一つ撫でると、赤い瞳に睨まれた。がっと手首を掴んで捻ってくる手を叩く。「痛い」「うるせェ」「はい、ごめん。いいんならいいよ」五年も付き合ってきたんだから、総悟のことがだいぶ分かるようになってきたと思っていたんだけど。違ったかと思って俺から折れたら、総悟の顔がほんのり赤くなった。ちょっとだけ。それでぼそぼそと「い、いらねェとは、言ってねェ」「…じゃあ俺の手を離そうか?」真選組で刀なんか振り回してるから、総悟は案外と力が強いのだ。ぱっと離された手首をぷらぷら揺らしつつ、照れを隠すために俯いた顔に手を添えてキスをする。 一ヶ月に一度の個人的な逢瀬。 俺達のこれは、恋なのか、愛なのか。それともただの性欲なのか。もっと違う何かなのか。 夢のある未来を信じたいけど、恋と愛を切り売りする商売をしている俺は、自分の気持ちに実感など持てなかった。 きっとこのまま総悟とはふわふわした関係のままでいるのだろう。お互い核心に踏み込めないまま、何か決定的な出来事が起こるのを期待しながら、手を繋いで、それぞれ違う方向を見て。ずっとそのままで。 「やっと見つけました」 声。女の。 総悟と舌を絡めるキスの最中にその第三者の声はした。それまで色っぽく潤んでいた赤い瞳が唐突な声に鋭さを帯びて、握っていた手が俺を突き飛ばす。 いてて、と胸を押さえながら部屋の入り口に顔を向けると、第三者の声の主がいて、ボロボロのスーツ姿で俺達に向けてカメラを構えた。なんだあれ、と思ったときにはカメラが眩しい光を放って、見せる。あの時を。 俺の男に手ェ出した奴は殺すからな!! 何、してんだよ 誰だよ。アイス買ってくるだけなのに、全然帰ってこなかった奴は 俺のこと好きか は何がしたい? 白詛がなくなって、元通りになった江戸で 考えろよ、したいこと (あ) 赤い着物と白い袴に、明るい茶髪を長く伸ばした総悟の髪を結っている手が自分のものだった。なんだよ、と照れくさそうにこっちを睨む顔に別にと笑いかけ、行こうか、と差し伸べる。 今日も魘魅の捜索だ。江戸の未来のため、地球の未来のため、俺達の未来のために、俺達は、 ブツ、と映像が途切れる。 そう。そこでその未来は終わっていた。その世界は、終わっていた。 「…滅んだ、とかじゃねェ。何があった? 俺と、に、何があった?」 掠れた声をこぼした総悟が俺に手を伸ばす。微かに震えているその手を取って、同じ着物姿なのに全然違っていた総悟を思いながら、今ここにいる総悟を抱き寄せた。 懐かしさ。総悟に対して今まで感じなかった愛しさ。その感情が総悟の肩を抱き寄せることを選んだのに、身体は違和感でぎこちない。 総悟のことが好きなのかもしれないと思ってきた。 総悟のことを愛しているのかもしれないと気付きながら、自信がなくて、誤魔化してきた。 見せられた映像が、あったはずの俺達が、今の俺達の頭に何かを捩じ込んでくる。愛するはずだった人を愛していないことに対しての罪悪感。とっくに笑い合う仲になっていてよかったのに、少しも近づかなかった心の距離。 たま、というらしい女は、万屋の銀時という人間が白詛の感染者で感染源であったこと、彼が過去に行ってその自分を葬ったこと、それによって未来が改変されたことを話して聞かせた。 …そうやって聞くと、まるでチープな小説のようだった。 それなりに幸せで、少なくとも今の俺達よりもずっと想い合っていたその俺達は、世界のためという不本意な改変により消滅したのだ。 「これから、その未来をぶっ壊しに行きます。銀時様を救うために」 そのためにはなるべく多くの人がいる。だからたまは俺達のところに来た、らしい。そして、銀時を救うためにその過去に何度でも戻って救えるまでを繰り返すつもりでいるらしい。 …冗談じゃない。自分達の知らないうちでそう何度も何度も世界を変えられて、今を変えられて、当然のように勧誘されて、そんなことを繰り返すなんて、ごめんだ。 「…行くんだろう? 総悟」 わだかまりを感じたままの心で、それでも笑いかけると、顔を上げた総悟もぎこちなく頷いた。俺と同じように戸惑っているんだろう。違う自分達が辿った違う未来に。幸せだった頃に、その記憶を捩じ込まれて、混乱してるんだ。 時は、今から十五年前の攘夷戦争時代。 雇われた天人と攘夷志士が戦う戦の時代。全くもって俺には関係のなかった、来るはずもなかった世界。 「そーご」 黙って刀を抜いた総悟の背中に、戦力外の俺はただ声をかけて、肩越しにこっちを振り返る赤い瞳に問いかけた。「俺が応援したら少しでもやる気出る?」「……まぁまぁ出る」「よし」じゃあそうしようとぐっと拳を握って「頑張れ総悟」と拳を突き出すと、息を吐いた総悟が俺のところまで戻ってきて拳に拳をごちんとぶつけた。 そう何度も何度も未来を、世界を変えられちゃたまらない。銀時にはここで助かってもらって、銀時のいる世界を繋げてもらわなくては。理不尽などこの一度で充分だ。 その場合、ここから世界がまた変わるわけだから、未来から来た俺達はやはり消えるのだろうけど。それも仕方がないかなと思う。 刀を手に駆け出す総悟を、俺は、見送ることしかできないのだから。『好きだよ』とも『愛してる』とも言えないのだから。そんな俺は、俺達は、やっぱり消えるべきだ。 そうして初めから全部やり直そう。今度はちゃんと一緒に笑い合えるように。そういう関係になれるように。 その姿を憶えていられるように。それが無駄な足掻きでしかないと分かっていても、遠ざかる背中を瞼の裏にまで焼きつける。 今度は、ちゃんと一緒に。 じわり、と滲んだ視界に、もう届かない背中に、今頃になって心の底からの愛しさを感じた。 日々に流されるように重ねた逢瀬。夜の店にやってくる総悟。甘えてくるわけでもないけど求めてくる手を取り、キスをして、微笑む時間。過ごしたこの五年のうちで一番付き合いのあった人間が総悟だった。 「そーご」 呼んだところでもう届かない。遠すぎる。戦場を駆け抜けるには俺は無力で、足手まといになりすぎる。 「ばいばい。今度の世界では、ちゃんと」 15年前。まだただのガキでしかない自分がちゃんと生きている自信がなくて、そんな自分を自嘲気味に笑い、目を閉じる。 (今度は、ちゃんと。一緒に。笑い合う仲になって。一緒に、生きよう、ね) |